執事と苦悩
ガタンゴトン、ガタンゴトン、と機械染みた音と共に、少年の身体がリズミカルに左右に揺れる。その顔は何処か青白く、目の焦点も定まっていない。
口から洩れる嗚咽を呑み込んだ彼は何となく空を仰いだ。
そこには何処までも続く青い空に浮かぶもこもこした雲、ギラギラと照りつける太陽。
おもむろに少年が下を向く。そこには係員らしき人が水を撒いており、その横の芝生でスプリンクラーがウィンウィンと音をたてながら、辺りに水を撒いていた。しかし、撒かれた水もアスファルトに落ちた瞬間、水蒸気と化していく。
少年は反対側に視線を落とした。そこには兄弟二人が楽しそうにコーヒーカップの円盤を回しているのが見え、その近くでは父親らしき男の人が二人にカメラを向けて何か叫んでいる。その横では、妖精の格好をした係員と写真撮影をしている女子高生も見える。
少年的には一刻も早くそちら側に走りこみたいのだが、彼の身体はガッチリと拘束されており、身動きが取れないのである。
彼らから目を離した少年は、もう一度空を見上げる。真っ白な光で額をジリジリと焼いてくる日光が不意に視界に入り、少年は思わず目を閉じた。
「ねぇ?」
後ろから聞こえてきた声に、少年は拘束された体を無理やり動かして少年は振り返る。
「覚悟はできてる?」
そこには金髪の髪を揺らしながら満面の笑みを浮かべる少女がいた。その笑みに少年は青い顔ながらも笑いかけ、そして前に向き直った。
少年の耳に聞こえてくるのは金属同士が連結したり外れたりを繰り返すカッ、カッ、カッという音。まるで、今から彼に降りかかる災厄を暗示するかのようであった。
そして不意に視界から太陽が外れた。その時が来たのだ。
視界は景色のいい街並みへと変わった。その景色に少年は一瞬心を奪われたが、その光景は地獄へと誘う白いレールと、その先にそびえる二つの丸く湾曲するレールでできた山へと移り変わる。
そして最後に見えたのは、何処までも続いていくような真っ青な空であった。
「あががががががががががががががががががががっああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!」
◇◇◇
『まもなく、第一乗り場にハイパードライブが到着いたします。』
朦朧とする意識の中、テーマパークのアナウンスとは思えないやる気のないアナウンスが聞こえた。悪魔が過ぎ去ったのだ。
(あ、悪魔の時間がようやく終わった……)
目の前のベルトに全体重を預けながら、少年は辺りにモザイクをまき散らさない様努める。コースターが止まり、数秒してバーが上がった。その瞬間、倒れこむようにコースターから這い出してきた少年は素早くポケットに手を突っ込んでビニール袋を引っ張り出す。
「大丈夫ぅ~?」
少年の後から降りてきた少女は、ワザとらしく声色を変えて彼に話しかける。恐らく、先ほど少年に語りかけてきたのも彼女だろう。
金髪を一つにまとめて後ろに垂らし、凛々しい眉毛にパッチリ二重なブラウン色の瞳、透き通るような白い肌に薄く張った唇が容赦なく照りつける太陽の光によってキラキラと光っている。完璧なまでに整えられた容姿は、まさに美少女であった。
しかしその服装は白のTシャツに黒と白の半袖パーカー、青のデニムパンツにハイカットスニーカーと女の子らしくないボーイッシュな格好だ。なんかもったいない気がする……と、少年は人知れず思っている。
「な、何とか……」
少年はビニール袋に顔を突っ込みながらそう声を漏らす。その言葉に、少女は何も言わずに笑いかけ、軽やかな足取りで出口へ歩いていった。少年もふらふらになりながら、その後を追った。
外に出た瞬間、容赦なく照り付ける太陽に少年の意識が一瞬頭がくらっとなっる。今にも倒れそうな少年の顔を側の少女は気付いてないのか、はたまた気付いていたにふりをしているのか。嬉しそうにパンフレットを見ている。
「次はど~こ行こうかな~?」
「ぜぇ、ち、ちょ……一旦、休憩を……」
「今度はアッチ!!」
「ちょ!? お嬢様!?」
少年の声が聞こえてないのかフリなのか、お嬢様と呼ばれた少女は元気に飛び跳ねながらさっさと人ごみに飛び込んだ。
あとに残された少年は溜め息と共に苦笑いを溢し、フラフラになりながらも彼女の後を追うために人ごみの中に飛び込んでいった。
しかし季節は七月。人ごみに飛び込めば灼熱地獄溶かす時期だ。
それを裏付ける様に、人ごみを掻き分けてきた彼の顔は餓死寸前の人間の様で、その足取りも何処かおぼつか無い。
この遊園地でもっとも怖いと評判のジェットコースターに四回も連続で乗って(いやむしろ乗らされて)危うくリバースしかけたのだから無理もない。
少年的にはどこかで休みたいのだが、そんなことはお構いなしに次のアトラクションへと元気いっぱいに向かってく少女。というか、彼女も彼と同じようにジェットコースターに乗ったはずなのにあんなに元気なんだろう? と、少年は青い顔で首を傾げた。
人ごみを掻き分けた少年の目に、大きな一本の木の下にちょこんとあるベンチが映った。それを見た瞬間、彼はそこに転がり込むように座り、規則正しいリズムで深呼吸を繰り返す。そのおかげか、気持ち悪さがすこしだけ和らいだ。
少年は手をおでこに当てながら、木々の隙間から見える青い空を見つめる。木々の隙間を縫うように差し込む日光が彼の顔を所々照らし、それを遮るように風に揺れた葉っぱが遮るように揺れる。
「はぁ~……どうしてこんなことに……」
木々の隙間から見える空に向かって彼は問い掛けるが、答える者は居るはずもなく、ただ風が吹いてカサカサと葉っぱ同士がこすれる音しか返ってこなかった。
「お~~い、勇人ぉ~、早く早くぅ~」
遠くの方で少年の名前を呼ばれ、彼はノロノロとその方に目を向ける。視線の先に、いつの間にか行列の中に入っているお嬢様が、子供のように大きく手を振っていた。その笑顔はさっきまで小悪魔みたいな微笑を浮かべていたとは思えない、純粋なものであった。
「……っふ、わかりましたよ。お嬢様」
少年こと、勇人は弱々しく笑みを浮かべ、まだ万全ではない体に鞭打って無理やり起こして彼女のもとへ歩いていった。
「どうかしました?」
「次はアレに乗るわよ!」
おぼつか無い足取りで近づいてきた勇人を列に引っ張り込んだ少女は、興奮気味に目の前の看板を指さした。
【大絶叫!! 激コワ!! 室内ジェットコースター『地獄への誘い』】
笑顔を浮かべていた勇人の顔から血の気と生気が一気に消え失せ、その笑顔は引き攣った笑いに変わる。
(どうじてこの子はこんなものばっかり好んで……)
勇人は思わず手を額に当て、ため息を漏らした。傍らの少女は心配そうに彼を見つめているが、その顔が隠し切れてない黒い笑顔がにじみ出ているのを彼は見逃さなかった。
勇人はその顔を見てもう一度深い溜め息をついて、腹をくくったように顔を向ける。
「いえ、どうもしていませんよ。行くんでしたらさっさと行きましょう!!」
「そっか……。じゃあ行こう!!」
少女は何処か裏のありそうな満面の笑みを浮かべ彼の腕に自らの腕を絡ませた。
ここで、一人の少年執事の死刑が確定した。
嬉しそうに勇人の腕にしがみ付く少女を見つめながら、勇人は空を仰ぐ。その手には、リバース用のビニール袋が固くで握りしめられていた。
「ホント、どうしてこんなことに……」
この少年執事がどうしてこんなことになってしまったのかは、少しだけ時間をさかのぼる必要がある。