1. 絶望を隠す二人のヒロイン(多分?)
港町、横浜の夜について語るなら、一つだけ確かなことがある。
ネットカフェに足を運ぶ人々は、ただ漫画を読んだりオンラインゲームをするためだけにこの街へ来るわけではない。
彼らの多くは現実逃避のため、あるいはただの隠れ場所を求めてやって来るのだ。
俺の名前は保土ヶ谷陸。二十歳の大学二年生だ。
もし、俺にドラマチックな恋愛経験や、彩りに満ちた青春があるかと問われれば、答えは否だ。
(まあ、情けない話ではあるが)
俺はまるで真っ白な白紙のような人間だ。同世代の連中が合コンや朝までの飲み会に精を出している間、俺はほぼ毎晩、仕事用のエプロンを身にまとい、『ネットカフェPORT』のレジカウンターに立って過ごしている。
今、俺はコーヒーマシンの前に立ち、店長のためにコーヒー豆を挽いているところだ。
自分で言うのもなんだが、コーヒーを淹れることに関してはけっこう自信がある。濃厚な香りが漂い、それを嗅いだ者の心を落ち着かせる。
「陸くん。今週末のVIPルームの予約データ、もう一度確認しておいてちょうだい。ダブルブッキングがあるみたいだから」
その冷たく凛とした声が、俺の思考を遮った。
「わかりました、青葉さん。すぐに対応します」
振り返り、今指示を出してきた女性に視線を向ける。彼女は青葉凛、二十八歳。俺の店長であり、このお洒落なネットカフェを立ち上げ、成功を収めた若きオーナーでもある。
肩の高さで綺麗に切り揃えられたミッドナイトブルーの髪は、とても整っていて鋭い印象を与える。それに加えて、冷ややかなサファイアブルーの瞳を持つ青葉さんは、初対面の相手には威圧的な印象を与えることが多い。
彼女はいつもオフィスカジュアルな服装に身を包んでおり、それが彼女を非常に上品で、プロフェッショナルかつ自立した女性に見せている。まあ、男の手助けなど一切必要としない、典型的なバリキャリ女子といったところだ。
だが、それはあくまで表向きの姿に過ぎない――。
少し説明させてもらおう。
ここで働き始めてからというもの、彼女は俺のことをいつも下の名前で呼ぶ。もちろん、上司としてはプロとして適切な距離感を保っている。
だが、空気を読むのが得意で口数の少ない俺にはわかっていた。最近、彼女の様子がどこかおかしいということに。
レジのパソコンで予約データを処理し、淹れ終わったコーヒーを手に取ると、俺は受付カウンターの奥にある小さな事務室へと視線を向けた。
青葉さんはワークチェアに座っていた。モニターの電源はついているものの、彼女の視線はまったくそこには向けられていない。
普段は威圧感を放つその瞳が、今はうつろに濁り、きつく握りしめたスマホの画面をぼんやりと見つめている。
さらに言えば、美しい顔を照らすスマホのバックライトが、俺や客から必死に隠そうとしている悲痛な表情を浮き彫りにしていた。
「青葉さん」と、俺は音を立てないように温かいブラックコーヒーの入ったマグカップをデスクに置きながら、静かに声をかけた。「コーヒー、入りましたよ」
青葉さんはビクッと肩を震わせると、慌ててスマホの画面を伏せるようにしてデスクに置いた。
「あ……ええ。ありがとう、陸くん」彼女はコホンと咳払いをして、いつもの凛とした声を取り戻そうとする。「ところで、君の作業はもう終わったわよね? 終わったなら、ドリンクバーの雑誌を整理してちょうだい」
「全部終わってます。雑誌も五分前に整理したばかりです」
「あ、そう……」
「あの、青葉さん。疲れているなら、早く上がってもいいんですよ。朝までは俺が店を見ておきますから」
青葉さんは少し顔を背け、ミッドナイトブルーの髪が、ほんのりと赤く染まった頬の一部を隠す。
「つ、疲れてなんかないわよ。適当なこと言わないで。あなたの店長はまだ仕事が山積みなんだからね?」
「それに、もうすぐ片瀬さんのシフトも入るでしょう? 俺一人になるわけじゃないですし」
「……わかりました」
まあ、そんなところだ。俺自身、無理強いするつもりはない。引き際を見極め、彼女の悲しみを見て見ぬふりをするタイミングくらい心得ている。
彼女がどんな悲しみを抱えているにせよ、一介の部下としての俺の仕事は、彼女に余計な心配をかけさせないよう、この店を滞りなく回すことだけだ。
カランカランと、入り口のドアベルが優しく鳴り、来客を知らせた。
「こんばん――あ、お疲れ様です! 保土くん、青葉さん!」
少し甲高い元気な声が、一瞬にして店内の空気を変えた。
小柄な女性が足取り軽く入ってくる。ゆるくウェーブのかかったキャラメルブラウンの髪をポニーテールにしており、軽快な足取りに合わせてそれが揺れていた。
彼女は片瀬詩乃、二十五歳。ここで一緒に働いている、バイトの先輩だ。
「あ、お疲れ様です、片瀬先輩。十五分も前入りですか?」と、俺は彼女から買い物のレジ袋を受け取りながら言った。
「えへへ、いいじゃないですか! 今日はコンビニに寄ってきたんです。ほら、保土くんの好きなドラ焼きと、青葉さん用のマカロン!」片瀬先輩は満面の笑みを浮かべた。
笑顔といえば、片瀬先輩の笑顔はいつも客を和ませ、職場でもアイドル的な存在にしている。
それに加えて、幸せそうに細められたハニーアンバーの瞳がたまらないのだ。
「ありがとう、詩乃。あなたはいつも気を遣ってくれるわね」青葉さんが事務室から出てきて、薄く微笑みながらマカロンを受け取った。
「どういたしまして、店長! あ、そういえば今夜は外が少し肌寒いですね。保土くん、風邪引いちゃダメだよ〜。もし倒れられちゃったら……私、一人で夜勤するの寂しいもん〜」と、片瀬先輩は俺の肩をポンポンと叩きながらからかってきた。
彼女はいつもお姉さんのように優しく、面倒見がいい。
しかし、彼女が俺を見つめた時、温もりを放っているはずのそのアンバーの瞳が、今夜はどういうわけか別の何かを暗示しているように見えた。
人懐っこい笑顔の裏に、どこか憂いを帯びた影が潜んでいるのだ。それに、笑い声もなぜか普段よりワントーン高くて、まるで心の声を必死に覆い隠そうとしているかのようだった。
「風邪なんて引きませんよ、片瀬先輩」
「俺の心配より、自分の心配をしたほうがいいんじゃないですか? 仕事に入る前に、ちゃんと上着を着てくださいね。今日はサーバールームの冷房がけっこうキツいですから」と冷静に返しつつ、俺は仕事用のエプロンを差し出した。
「うぅっ、やっぱり保土くんは頼りになるなぁ〜!」彼女は楽しそうに声を上げながらエプロンを受け取る。「よーし、今夜も気合入れて頑張ろう!」
片瀬先輩は更衣室へと背を向け、俺と青葉さんをレジカウンターの前に残していった。
ゆっくりと遠ざかる片瀬先輩の背中を見つめた後、俺は再び青葉さんに視線を戻した。彼女は今、手元にあるマカロンをうつろな目でぼんやりと見つめ、また物思いに耽っていた。
「はぁ……やれやれ」
人々の逃避場所であるこのネットカフェという職場で、俺はとても魅力的な二人の大人の女性に挟まれている。
一人は若くして成功を収めた自立した店長。もう一人は優しすぎて常に他人を優先してしまう先輩。
はたから見れば、二人とも常に完璧に見えるだろう。だが、今夜に限って言えば、どうやら二人とも傷を負っているらしい。
どちらも、どれほど大きいかはわからない問題を抱え込み、平気なふりをしようと必死になっているようだ。
まあ、あの気丈な店長がスマホを前にして泣きそうになっていた理由なんて、俺にはわからない。
いつも明るい先輩が、瞳に虚無感を漂わせるほど無理をしてまで笑わなければならない理由も、俺にはわからない。
だからといって、俺から詮索するつもりはない。
俺みたいな場所で働く人間なら、きっとこの考えに賛同してくれるはずだ。
男として、時に最高の気遣いとなるのは、無理に話を聞き出すことではない。温かいコーヒーを淹れ、働きやすい環境を整え、状況を聞き出す気がなくてもただ側にいてやること――だろう?
俺自身は、彼女たちのプライバシーや問題に深入りすることなく、少し離れたところから彼女たちの生活のリズムを見守り続けるつもりだ。少なくとも、今はまだ。
【あとがき】
ここまで読んで頂き、ありがとうございます(´▽`)
新シリーズ、『バイト先のネットカフェが、失恋した3人の美人な大人ヒロインの溜まり場になった』の連載を始めました!
舞台は、港町・横浜にある『ネットカフェPORT』。人の気持ちに敏感で、大人びた青年・保土ヶ谷陸と、それぞれ恋に傷ついた三人の大人の女性――青葉凛、片瀬詩乃、逗子飛鳥。そんな彼らが少しずつ出会い、互いの傷に寄り添いながら、いつの日か本当の愛を見つけていく物語です。
「話が面白い!」
「凛、詩乃、飛鳥がかわいい!」
「陸たちのこれからが気になる!」
そういえば……飛鳥、まだ登場していませんよね?飛鳥に会えるのを楽しみにしている方は、もう少しだけお待ちください!!!
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これから4人がどのような関係を築いていくのか、
是非、楽しんで頂けますと幸いです♪




