賭け
釧路湖のほとりを、愛、喜多郞、楽の三人がたたずんでいる。
「喜多郞。テーマを探してここまで来たけど、そもそもあんたに好きな画家なんていたっけ? 子供の頃から絵を描いていたのは知ってるけど」
「モネ」
「モネ?」
愛が解説する。
「睡蓮の絵で有名な印象派の画家だね」
「愛は知ってるの?」
「知ってる。絵も見た」
「それで湖がテーマ?」
「ピカソも好きだ」
「ピカソは知ってる。あの幾何学的な奴。つーか、モネとピカソじゃ全然違うんじゃない?」
「知ってるか。千年前から現代まで、評価された画家はいない」
「千年前から文明は衰退し始めたらしいからね。音楽の世界でも、いまだにモーツアルトが評価されてるし」
「それだけない。千年をかけても、AIは人が創った美を越えていない。AIに人の感性なんて理解できないのさ」
三人は湖畔を海へむかって歩く。ふと愛は気がつく。いつも一緒の怒鳥がいない。
「そういえば、怒鳥くんは?」
「あいつは町内すごろくの設計で部活に行った」
「ふーん」
「あ、海が見えてきた」
湖が接する海岸線の先に、太平洋が広がっている。海には帆船や小舟が行き、網を引いたり、荷を乗せたり、人を乗せたりして、碧い海にせわしなく動く影を落とす。千年前にあった釧路の町は、海に沈み、波や塩水で風化し深く海底に沈んでいる。それでも、新しい砂浜ができあがっている。風化したコントールやアスファルトでできた灰色の砂に波が打ちよせては返す。砂浜には、緑が地をはうように広がって花を咲かせ、蟹が歩き、子供が水遊びをしている。大きな岩の上に、子供達の小さな靴が並んでいる。愛はその脇に腰をかける。
喜多郞と楽は二人で波打ち際を歩いている。
「愛さん! ちょっとこっちきてくれない?」
「は~い」
立ち上がったはずみで子供の靴を落としそうになった。とっさにすくって、元の場所に置くと、愛は海へむかって走って行った。
「愛さん、ちょっと波打ち際に立ってくれない?」
「いいよ」
愛は靴と靴下を脱ぎ、手に持って波打ち際を歩く。
それを不快な表情で見届ける楽。
「モデルならあたしがいるじゃん」
「おまえじゃ絵にならねぇ」
「なんじゃそりゃ」
ぷくっと膨れ、小声でつぶやく。
「まったく、喜多郞っていつもそうなんだから」
「なんか言ったか?」
「別に」
街に戻ってくる三人。愛の目にふと、テニスコートが映った。見覚えのある女の子が練習をしていた。一心だ。
「テニスコートに心がいる」
「テニスやってるって話は聞いてたけど、実際にやっているのは初めて見たな」
コートに近づくと、心は籠からボールを手にして、ひたすらサーブの練習をしている。運動部だったんだ。てっきり帰宅部だと思っていたけど。
心のとなりのコートでは、上級生と思われる女の子が同じようにサーブの練習をしている。心がトスを上げジャンプした瞬間、上級生が自分の籠を蹴って倒す。ボールが心の足元に転がる。着地点に転がったボールに足をとられ心は転倒する。
それを見ていた周りの部員達が、クスクスと笑う。
「ごめんなさ~い。まちがって籠倒しちゃった」
あ~、これはあれだ。下手したら大怪我してる。いじめでも限度を超えてるなぁ。
愛はコートに入って、心に手を貸す。
「足だいじょうぶ? くじいてない?」
「なに? 恩でも売ってるつもり」
「別に。ただ、理不尽な目に遭っている人を看過できないだけ」
心に怪我の無いことを確かめてから、部員全員にむかって言う。
「このなかで一番強い人ってだれ?」
突然の挑戦に、部員一同、動きを止めて、ヒソヒソと話す。
「あれだれ?」
「知らない」
「たしか、自殺未遂した子じゃない?」
「そんな娘がなにしにきたの?」
部員のひとりが前に出てくる。
「私」
「実力のほどは?」
「世代別トーナメントで、街の一位になったぐらい」
「そう。じゃあ、賭けをしない?」
「賭け?」
「これから私とあなたでワンセットマッチの勝負をする。私が勝ったら心へのいじめを止める」
「私が勝ったら?」
「毎日、ここのコートに通って雑用の全部をやってあげる」
部員一同から、ドット笑い声が上がる。
「信じられない」
「あの方に勝とうなんてどうかしてる」
「相手の実力も知らないんでしょう」
「たんなるバカよ」
クスッと笑って、相手は言う。
「いいわ」
その冷笑を、不快な目線で愛は見つめ返した。




