愛の物語
20××年5月20日
僕は本を作った。
何も素敵な小説を書いた訳じゃあない。
文字通り、装丁したんだ。
いわゆる上製本ってやつだ。
ハードカバーって言う方が分かりやすいかな?
素材だって拘った。
手ずから鞣した本革仕様。
とても苦労したけど、その甲斐あってとても素敵な本が出来た。
だから、今回は普段は書かない備忘録をこの素敵な本に書き記すことにした。
いや、もしかしたら備忘録ではなく説明書かな?
告発や告訴でも良いけど、今回の場合は少し違うと思う。
僕に詩的なセンスがあれば格好つく言い回しも出来たんだろうが、無いものは無い。
無理に飾ろうとするより、ありのままを書いた方が、手に取った誰かに事実は伝わりやすいはずだ。
――うん、ここは気取らず書き記すとしよう。
その方がこの説明書モドキを手に取ってくれる誰かに事実が伝わり易いと思う。
この説明書を完成させるにはキヤマさんという人物を語らなければいけない。
これはキヤマさんとミワちゃんの愛の話だ。
◆
キヤマさんは社会人だ。
それなりの大学を出て、それなりの会社に入ってそれなりに暮らしてる。
大きなイベントはないけど、本人なりに毎日を精一杯生きて今に至る。
確か今年で四十八歳とかそんな感じだったはずだ。
見た目だってそんなに悪くない。
歳は取ったけど、歳相応の落ち着きがあって別に太ったり清潔感がない訳じゃあない。
僕のキヤマさんの印象は優しい人って印象だ。
人によったら嫌われたくないだけの意志薄弱な人と思うかもしれないけどね。
でも僕は知っているんだ。
キヤマさんは誰かの為に本気で頑張れるそんな素敵な人だって。
◆
「え、そんなんじゃないよ。なんて言うか、俺はつまらない人間なんだ」
キヤマさんは少し寂しそうに笑う。
オーク材で出来たバーのカウンターに腰掛け、飲みかけのバーボンに視線を落とした。
でも、その内心はちょっぴり喜んでいたんだ。
だってこの時珍しくキヤマさんは褒められたんだから。
「そんな事ないですよ! なんて言うか堅実で地に足をつけている感じがとても大人だと思います! そんな事言うと私なんか本当にダメダメで……」
キヤマさんを褒めるのは彼の隣に座る黒髪の女の子だ。
まだ二十歳になったばかり。
田舎の出で大学入学に合わせて都会に出てきた女の子。
名前はミワちゃん。
本当はミワコって言うんだけど、ミワコなんて今どきの名前じゃあないから恥ずかしいからミワって呼んで欲しいと言っていた。
キヤマさんはミワちゃんのそんな年相応な感じが可愛いと思っていたんだ。
実際ミワちゃんは可愛い子だった。
癖のない黒髪とぱっちりとした二重が特徴的。
よく言えば清楚系。
悪く言えば芋っぽい。
冗談を言えばそれを本気でそれを信じてしまうタイプで、どこか危うさを感じる若さがある。
そんな女の子だった。
「今年から就職で色々動かなきゃいけないのに、全然何にも出来てないんですよ? 皆は企業情報調べたりエントリーシート書いたり、インターン行ったり色んな事をしてるのに……」
そうやってボヤキながらミワちゃんは一向に減らないカシスオレンジのグラスの縁をなぞる。
「まぁそこは仕方ないんじゃないかな? ミワちゃんバイト頑張ってるんだし……。学費や生活費なんかも全部自分で賄ってるんだろう?」
「奨学金貰いながらですけどねぇ。はぁ……。ガールズバーの時給って最初はめちゃくちゃ高いって思っていたのに、実際生活し出すと本当にカツカツですし……。これって私の意思が弱いんですかねぇ?」
カウンターに肘をついて溜息をつき、上目遣いでキヤマさんを見るミワちゃん。
こんなコテコテの仕草でわざとらしさを感じないのは、彼女の持つどこか垢抜けない感じがなせる技なのかもしれない。
「ガールズバーって言っても誰もがそこまで稼げる訳じゃないからね。ミワちゃんみたいに週三のバイトだと不利なんだろうね」
「キヤマさん様々です! 私なんかを指名してくれるし、たまにこうやって愚痴を聞いてくれますし、何ならご飯だって!」
興奮した様子でキヤマさんにお礼を言うミワちゃん。
同伴と言えば聞こえは悪いかもしれないが、キヤマさんは善意から度々ミワちゃんを連れ立って色んなお店に連れて行っていた。
キヤマさんは普通にお金を持っていたし、特に何か趣味があった訳でもないから金銭的な余裕はあった。
家に帰っても独りだし、ミワちゃんの存在はキヤマさんにとって丁度良かった。
「むしろこんなオジサンに付き合ってくれてお礼を言うのはこっちさ。ありがとうね、ミワちゃん」
いつもの調子で力なくキヤマさんは笑う。
そんな彼を見て意を決した様子でミワちゃんはカシスオレンジをグイッと飲み干す。
「えっと、あの、キヤマさん……。私なんかにこんなに良くしてくれてるのに、私、何にもお返し出来ていません。私、何かお返しがしたいです……。」
潤んだ瞳でミワちゃんがキヤマさんにしなだれ掛かる。
夜の繁華街のバー。
お酒を呑む男女。
何かを期待してもおかしくない状況だ。
ミワちゃんの存外主張の激しい胸がキヤマさんの二の腕に当たっていた事も付け加えると、無理のない話だと思う。
でもキヤマさんはいつも通り力なく笑ってこう言ったんだ。
「俺みたいな寂しい中年の相手をしてくれるだけで充分だよ。さ、駅まで送ろう」
「キヤマさん……」
キヤマさんの名前を呼ぶ、少し寂しそうなミワちゃんの顔が印象的だった。
それからの二人は何度も逢瀬を重ねた。
身体の関係はなかったけど、まるで恋人の様に並んで歩く二人が印象的だった。
――でも、僕には少し気になる事が出来た。
その頃から少しずつミワちゃんがキヤマさんにお金を借りる様になったんだ。
最初は少額だった。
就職説明会に行く交通費がない。
宿泊費がない。
遠方のインターンに行きたい。
服装の規定が厳しいから服がいる。
キヤマさんにお金を返したいからと言ってガールズバーからラウンジのバイトを始めた。
でもチーママからいつまでもレンタルのドレスじゃあ駄目だと怒られた。
ドレスが、アクセサリーが――――。
一千万円以上もあったキヤマさんの貯金が底をついたのは、ミワちゃんのバースデーイベントでアルマンドのブラックボトルを開けた時だった。
誰だっておかしいと思うだろう。
僕は何度もキヤマさんにそう言ったよ。
でもね。キヤマさんはいつも通り力なく笑ってこう言うんだ。
「ミワちゃんの役に立てるなら、俺はそれだけで充分なんだ。彼女はとても辛い思いをしているんだ……」
――――これでミワちゃんが単なる悪女だったならそれで話は終わっていたかもしれない。
若い女に入れ込んだら騙されちゃってさぁ、なんて飲み屋で笑いをとる鉄板ネタにでもすればいい。
でも、確実に追い詰められていたのは彼女の方だった。
◆
ガシャアン!!
狭いワンルームの部屋にガラスコップの割れる音が響く。
「さっさと金作って来いって言ってんだろ!
テメェのツケがいくらになってると思ってんだ!」
大柄な男が唾を吐きながら叫ぶ。
その傍らには、下着姿で身体中をアザだらけにしたミワちゃんが倒れていた。
「お、お金、げほ、げほ、ちゃんと作ったから……お店に言って、お給料前借り、ひたから……もう殴らないで……!」
「ちっ、足りねぇんだよ! あのオッサンが太いのは分かるけどよぉ、もっと客を沢山作れって言ってるよなぁ! おい!」
そう言ってさらに男はミワちゃんを殴る。
激昂している様に見えるが、その実、男は冷静だった。
見た目に分かりやすい顔や手足の末端は避け、致命傷にならない様に身体の中心を殴っている。
男はミワちゃんの彼氏だ。
ホストクラブに勤めていて、半年くらい前に路上で声を掛けられた事が切っ掛けで付き合いだした。
あぁ、そうだ。ちょうどキヤマさんにお金を借りだした頃だね。
お腹を守るようにミワちゃんは丸まってただひたすらに殴られ蹴られ続ける。
彼女はお腹に宿った生命を守っていたのだ。
父親は今まさにミワちゃんに暴力を振るう大男。
それはとてもとても悲しく、そして尊い光景だった。
身を投げ打って子を守ろうとする母親。
そこには誰にも否定出来ない尊さがあったんだ。
◆
「ミワちゃん。警察に行こう」
ある日、真剣な顔でキヤマさんはミワちゃんに話を切り出した。
深夜のファミリーレストランの一角。
今のミワちゃんの事を思うとファミリーという文字は何だか皮肉なものの様に僕は思えた。
誰がどう見てもミワちゃんの状態は異常だった。
花開く様に笑う彼女の笑顔はどんよりと曇り、何かに追われているようにその視線はキョロキョロと何かを探している。
身体中に出来た痣は遂には顔や手足にまで及んでいた。
「キヤマ……さん。でも、私、私……」
「良いんだ。ちゃんと俺がフォローする」
キヤマさんにしては珍しく、もしかしたら彼の人生で初めてかもしれないくらい毅然とした態度で頷いた。
キヤマさんは昔から自己主張するタイプじゃあなかったからね。
「……でも、ごめんなさい。警察には行きません。私がしっかりしたら済む話なんで……」
昏い目で下を見つめ、ただポツリと彼女はそう呟いた。
この時のミワちゃんは何を思っていたのだろう?
何か複雑な感情が渦巻いていたのか、それとも何か考える事も出来ないくらい追い詰められていたのか……。
もしかしたら、毎月彼女を心配して色々と送ってくれる優しい両親や、今だにマメに連絡をしてくれる高校の友人達……。
そんな人達に今の状況を知られたくないなんていう、一種の恥ずかしさや罪の意識なんていうのもあったかも知れないね。
――――もう、誰の目にも彼女が追い詰められているのは明らかだった。
「……そうか。仕方ない、ね……」
ポツリとキヤマさんはそう言った。
自己主張のないキヤマさんはいつもこうだ。
ただ相手を受け入れようとする。
でも、この時のキヤマさんはちょっと違った。
いつもの様に力なく笑わずに、きゅっと口を真一文字に閉じて何か決意をした。
僕にはそんな風に見えたんだ。
◆
――――僕のこの退屈なお話に付き合ってくれた親切なアナタには何となくこの続きは察せるんじゃあないかな?
そう。キヤマさんはミワちゃんの彼氏を殺したんだ。
元々キヤマさんはミワちゃんのお客さんだし、ちょっとずつ変わっていくミワちゃんの様子を近くでずっと見ていたからね。
あの子の状況を察するには充分な関係性だった。
だって、キヤマさんはずっと見ていたんだもの。
状況を察したキヤマさんの行動は早かった。
ミワちゃんの後を付けて暴力男の存在を確認。
そのまま二人を何日も尾行し、ミワちゃんの家や学校、暴力男の仕事先や素性を調べ上げた。
もう、この頃にはキヤマさんは覚悟を決めていたんだと思う。
長年続けていた仕事を辞め、ミワちゃんに捧げた貯金の残りを食い潰しながら毎晩毎晩確実な殺害方法を勘案していた。
でもキヤマさんは優しい人だ。
意気地無しとも言えるかもしれないけど、誰かの目線になって考えられる人だ。
そんな彼だからこそ、時々、ふと冷静になる瞬間があった。
そんな時は僕が耳元でこう囁くんだ……。
「やらない善よりやる偽善だよ。きっとミワちゃんも喜んでくれるさ」
恐怖や忌避感を塗りつぶように、震える手でホームセンターで買ってきたバールを握りしめるキヤマさん。
もうその漆黒の殺意に塗り潰された昏い目には何の迷いもなくなっていた。
◆
ゴッ! ゴン! ガン! グチャ! グチャ!
何度も何度もキヤマさんが暴力男を鉄の棒で殴る音が狭いワンルームに響き渡る。
頭が砕け、骨の内側の柔らかい部分が外にはみ出してもキヤマさんはバールを打ち下ろす事を止めなかった。
僕はそんな光景を見ながら、まるでキヤマさんは古いゲームの勇者のようだと思った。
それはお姫様を助ける為、強大な敵に立ち向かう勇者の物語だ。
今は倒れていても突然起き上がり反撃されるかもしれないという恐怖。
それを打ち払うべく勇気を振り絞って何度も何度も執拗に振り下ろされる一撃。
勇者の攻撃は魔王の頭蓋を砕き、脳漿を飛び散らせ、部屋を血塗れにしても終わらない。
静まり返った部屋に肉を打つ鈍い音だけが響き続ける。
しかし、殴り過ぎてキヤマさんの握力がないなくなったのだろう。
ガシャンとすっぽ抜けたバールが部屋の窓を割り、永遠にも思えた五分間の冒険は終わりを告げた。
はぁはぁと肩で息をしながらキヤマさんはゆっくりと部屋の隅を見る。
そこには膝を抱え、目と耳を塞ぎ、可哀想なくらいに縮こまったミワちゃんがいた。
「ミワちゃ――――」
「い、いゃああぁああぁあああっ!! シュウくん!? シュウくん!!?」
壊れた人形の様に転がる暴力男を見て、金切り声を上げながらミワちゃんは男に駆け寄る。
「な、なんで!? なんで!? 頭がこぼれ……!」
パニックになっているんだろう。
こぼれ落ちた脳漿をすくい上げ、何とか頭に押し込もうとするミワちゃん。
彼女もキヤマさん同様に優しい人だ。
倒れた誰かに手を差し伸べるタイプの人だ。
それはどこか間抜けで、でもとても愛の溢れる行動だと僕は思った。
「大丈夫だよ。これは俺が勝手にやっただけだから――」
「人殺しっ!!」
その短い一言はキヤマさんにバールで殴られる以上の衝撃を与えたようだった。
「シュウくんを返せっ! 返して!! 」
「で、でもこの男は君を……!」
「最近は凄く優しくしてくれた! 誰かに付けられているって怖がる私を心配してくれてたんだ! 毎日仕事終わりに家まで送ってくれて、お腹の子も認知するって言ってくれたんだ! なのに! なのに……!!」
次に混乱するのはキヤマさんの番だった。
ミワちゃんがストーカーの被害に合っていたなんてキヤマさんは聞いたことがなかった。
だってそれもそのはず。
彼女が怯えていたストーカーはキヤマさんだったんだから。
全部を見ている僕からすると、怯える彼女はどこか滑稽でとても愛らしい存在だ。
だから僕はいつも見知らぬ誰かの影に脅える彼女の耳元で囁いていたよ。
「シュウ君に頼るといい。彼の愛情はちょっと分かり難いけど、ちゃんと君を愛してくれているよ。何せ彼はきみの大切な子どものパパなんだから」って。
◆
このお話のラストはね、二人とも死ぬんだ。
暴力を振るう彼を愛していたこと。
彼との子どもがいること。
そして、キヤマさんが想像したことがないほど醜く怒り狂う彼女。
守りたかったはずのミワちゃんから告げられる真実に耐えられなかったキヤマさんは狂って彼女を殺しちゃった。
そして、彼はそのまま窓から飛び降りた。
……呆気ない書き方で申し訳ない。
僕だって本当はこの話にここまで付き合ってくれたアナタの為にその時の事を克明に記したい。
でも、悲しいことに僕にはあの美しい光景を記せる程の文才はないんだ。
だから僕はこの本を作ったんだ。
僕は愛のある話が好きだ。
それは別にドラマティックじゃなくていい。
キヤマさん達の様なありふれた話でいい。
これは愛に溢れた事件だった。
愛には色んな形がある。
誰かの為に自己を捧げる愛。
己を大切にする愛。
性欲に基づく獣欲だって愛の一部だろう。
僕はキヤマさんもミワちゃんも、殺された男だって好きなんだ。
だから僕は彼等の愛の物語を一つにまとめる事にした。
――――ここまで僕のありふれた愛の話に付き合ってくれた心優しいアナタ。
もしかしたら僕や、僕が作ったこの本に興味を持ってくれたかもしれない。
この本はとても良い物だ。
僕のくだらないこの話じゃない。
最初に言ったろ? これは単なる説明書だ。
大事なのはこの本。
面白いのはこの本、紙じゃあないんだ。
丁寧に丁寧に鞣した皮だけで作った羊皮紙の上製本。
―――あぁ、《《羊》》皮紙なのは言い間違えだね。
だってこの本は三人そのものなんだから。
さて、あまりダラダラするのもよくない。
話はここで一旦終わりにしよう。
――――あぁ、僕が誰かって?
ふふっ。僕はどこにでもいるんだ。
誰の心の中にも存在する。
きっとアナタの中にもね。
僕は愛を唄い、全ての冒涜を受け入れる。
あらゆる猜疑や嫉妬、欲望を承認する。
悪魔だよ。
これは僕が書いた陳腐で、でも普遍的な愛の物語だ。
君がこのページを閉じた時、誰を愛している?
その答えを、僕はもう知っている。




