表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/35

第十二話第三章

 御堂新は、自分が目立つ存在であることを理解していた。父は大手企業の役員で、母は華やかな社交界に名を馳せる。小さいころから整えられた服と教育を受け、自然と周囲の注目を集めることが当たり前だった。高校に入ってからもその立場は変わらない。背が高く端正な顔立ち、会話の間を読む巧みさ。男子からは一目置かれ、女子からは好意を向けられる。御堂の周囲には常に人がいた。


 だが、その自信を揺るがす存在が現れた。

 鯉住悌一。愛知から転校してきた無口な少年。特別な家柄があるわけでもなく、スポーツに秀でるわけでもない。ただ黙々と授業を受け、休み時間には窓の外を眺める。その姿は最初、凡庸に見えた。だが芹川華が、彼の隣にいるようになってから状況は変わった。


 華は御堂にとって「ふさわしい相手」だった。社交性、容姿、品格。誰もが憧れる存在であり、御堂の傍らにいることでさらに輝きを増すはずだと信じていた。だからこそ、彼女が無名の転校生と笑い合う姿は、耐えがたい屈辱だった。


 「……鯉住、か」昼休み、弁当を食べる二人を遠くから見つめながら、御堂は低くつぶやいた。


―――ある日の放課後―――

 鯉住が机を片付けていると、御堂が笑みを浮かべて近づいてきた。周囲には数人の男子が取り巻きのように控えている。

 「なあ鯉住。少し時間あるか?」

 

 「……はい」

 

 「じゃあ裏庭まで付き合ってくれよ。話したいことがある」


 鯉住は首を傾げながらも素直に頷いた。御堂が向ける笑みの奥に敵意が潜んでいることに、気づいてはいなかった。裏庭は静かだった。校舎の影に隠れ、風に揺れる草の匂いが漂っている。御堂はそこで立ち止まり、振り返った。


 「お前、最近華とよく一緒にいるよな」

 

 「……ええ。同じバス路線だから、自然と」

 

 「自然と、ね」


 御堂の目が鋭く細められる。「悪いが、華は特別なんだ。誰でも隣に立てる存在じゃない」

 

 「そう思うなら、なおさら誰にでも話しかける彼女を否定するのは失礼では?」鯉住の声は淡々としていた。挑発する意図はなく、ただ事実を述べたにすぎない。だが御堂には、その落ち着きが逆に癇に障った。


 「……お前、俺を馬鹿にしてるのか?」

 

 「そんなつもりはありません。」

 

 「ならいい。だが忠告しておく。これ以上、華の隣を当然のように歩くな。俺は見ている」


 鯉住は少し考え、やがて首を横に振った。「彼女が望むなら、私は隣にいる。それだけです」


 御堂の拳がぎり、と音を立てた。だが殴りかかることはなかった。背後で見ている取り巻きの視線がある。ここで手を出せば、自分の評判を傷つける。御堂は吐き捨てるように言った。

 「……覚えておけよ」そう言い残し、踵を返した。


―――その数日後――昼休み。―――

 華が鯉住の隣に腰を下ろすと、教室の空気がざわりと動いた。御堂が立ち上がり、二人に向かって歩いてきたのだ。


 「芹川さん、ちょっといいかな」御堂の声は柔らかかったが、どこか有無を言わせぬ響きがあった。


 華は箸を止め、顔を上げる。

 「なにかしら?」

 

 「今度のクラス委員会の件で相談があってね。少し、時間をもらえる?」


 クラス委員会など名目にすぎないことは誰もが分かっていた。だが御堂がそう言えば、断りにくい。教室の視線が集まる中、華は困ったように鯉住を見た。


 「……ごめんなさい、ちょっと行ってくるわ」

 

 「ええ。」


 鯉住は頷いた。気にしていないように見えるその態度が、御堂には余計に癪だった。


  


 華が戻ってきたのは昼休みの終わり間際だった。微笑んでいたが、その表情にはわずかな疲れが滲んでいた。

 「どうかしましたか」鯉住が問いかける。

 

 「……御堂くん、少ししつこいの。『自分の隣にいるべきだ』って」

 

 「そうですか。今日は火の燃えるごときの雲模様ですね。」


 鯉住はそれ以上何も言わなかった。ただ静かに窓の外を見た。その淡白さが、華の胸を少しだけ軽くした。彼は嫉妬や独占欲に囚われない。だからこそ、隣にいても息苦しさを感じないのだ。

 御堂の苛立ちは募っていった。彼は人気者だ。望めば誰もが振り向く。だが華だけは違う。転校生の隣にいることを選び、御堂の視線をまっすぐに受け止めようともしない。


 「……許せない」


 その夜、御堂は自室で天井を睨みながらつぶやいた。豪奢な部屋、整えられた家具。何不自由ない環境の中で、初めて「手に入らないもの」があることを知った。


 嫉妬は、ますます深く、黒く、彼の心を侵食していった。やがて行動は、単なる忠告や遠回しな牽制では収まらなくなる。


 御堂新の敵意は、鯉住にほとんど気づかれないまま、次第に形を持ちはじめていた。


 その夜、鯉住悌一は机に教科書を置いたまま、無言でピアノの前に座った。転校の際に運び込んでもらった古いアップライトピアノ。譜面は開かず、指先の記憶に任せて鍵盤を叩く。

 柔らかな旋律が、静まり返った部屋に流れていく。感情を吐き出すでもなく、慰めを求めるでもない。ただ、心を澄ませるように音を並べていく。昼間、御堂に言われた言葉も、華の微笑みも、すべてが音の波に溶けて消えていった。弾き終えたとき、彼は深く息をつき、淡々と椅子から立ち上がった。


――――――数日後――――――

 昼休みの教室はいつも以上にざわついていた。きっかけは、御堂新が大きな菓子箱を抱えて入ってきたことだった。

 

 「芹川さん、よかったら受け取ってくれないか」堂々とした声に、教室中の視線が集まる。差し出されたのは、有名な洋菓子店の限定品だった。包装紙には金のリボンがかかり、上品な香りが漂っている。


 「わあ……」と周囲の女子が小さく声をあげた。だが華は、少し困ったように微笑む。

 

 「ありがとう。でも、こんなに高価なものを受け取るわけにはいかないわ。」

 

 「気にしないでほしい。家の者に頼まれて買ったんだ。余ってしまってね」御堂の言い訳は巧みだった。だが、その視線が「断ることは許さない」と告げていた。


 「……じゃあ、みんなで食べましょうか。」

 華はそう提案し、箱をクラスメイトたちへと回した。教室に歓声が広がる。だが御堂の目は笑っていなかった。華が「自分だけのため」に受け取らなかったこと。その横で鯉住が無言で弁当を食べ続けていること――すべてが苛立ちに変わっていた。


――――――放課後――――――

 鯉住がバス停へ向かおうとすると、御堂が先回りするように姿を現した。制服のボタンをきっちり留め、余裕の笑みを浮かべている。


 「奇遇だな、鯉住」

 

 「……ええ」鯉住は特に警戒もせず立ち止まる。その鈍感さが、御堂を余計に刺激した。


 「お前、このあたりに引っ越してきたんだってな。田端から通ってるとか」

 

 「はい。知っているんですね。」

 

 「調べればすぐわかるさ」


 軽い調子で言いながら、御堂は一歩近づいた。

 「俺はな、この学校のことも、クラスのことも、全部把握しているつもりだ。誰がどこに住んでいて、誰と仲が良いかもな」鯉住は目を瞬かせた。脅しのようにも聞こえる言葉を、彼はただ事実の報告として受け止めた。


 「……そうですか」

 

 「そうだ。だから忠告しておく。芹川華は俺の隣に立つべき人間だ。お前のような転校生が、いつまでも隣にいていい存在じゃない」


 声色は穏やかだった。だが内容は冷たく鋭い。周囲に人がいないのを見計らった上で、御堂はさらに低い声で続ける。

 「このまま距離を置かないなら……お前の居場所はなくなるぞ」


 鯉住は首をかしげた。「居場所、ですか」

 

 「そうだ。友人も、クラスの空気も。お前は浮くことになる」


 淡々とした声に、御堂は逆に苛立ちを覚えた。脅しが効いていない。恐れる様子がない。

 「……わからないやつだな」

 

 「私には、ただ空を見ているときのように、静かでいられればいいのです」鯉住の答えは、御堂の計算を外していた。追い詰めたつもりが、壁に吸収されたように手応えがない。


 「……まあいい。せいぜい今のうちに余裕ぶっていろ」御堂は背を向けた。その背中には、なおも冷たい怒りが燃えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ