第二十話を拝読した読者の皆さまへ
この物語を通じて伝えねばならぬことはいくらでもある。しかし戦争は誰のためにもならず、国籍や立場を越えて、ただ命を奪い、残された者の心をも蝕むという現実だけでないことは忘れてはいけない。鉄治郎は戦場で命を落とし、茜は夫を失い心を荒ませた。蓬は姉を支えながらも未来を見失い、母は子らを守るために耐え続けた。そして秦孚は、敵味方の境を越え、なお生き延びてしまった自らの存在の意味に苦しみ続けた。
けれど彼らは、互いの心をぶつけ合い、時に涙を流し、やがて赦し合うことで新たな一歩を踏み出した。そこには「戦争を正義として語らない」姿勢がある。誰が悪いかを問うよりも、失われた命を悼み、生き残った者がどのように未来を築くのかが問われているのだ。
戦死した鉄治郎の前で、秦孚と蓬が手を合わせた場面に象徴されるように、残されたものは必ず守りともに歩むことこそ、生き残った者に課された使命である。茜が抱いた怒りも憎しみも、やがて妹の幸福を願う祈りに変わった。
ここに集う人々は、誰もが戦争の犠牲者である。しかし同時に、彼らは未来を紡ぐ担い手でもある。国籍や旗印は関係ない。死んだ者を忘れぬこと、生き残った者が互いを憎まず、むしろ結び合って未来を築くこと――それが共通の使命である。
私たちがこれから為すべきは、彼らと同じ歩みを選ぶことだろう。憎しみに囚われず、犠牲を無駄にせず、誰かの幸せを願い続けること。その小さな営みの積み重ねこそが、戦争に奪われた命への最大の供養であり、未来への確かな道となる。
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私は当時生きていた人間ではないが、大いに戦争を知る機会が人より多かった。非常に恵まれたと思う。しかし昔に生まれたとするならば私はこう思うだろう。戦争が日常化してしまった第二次世界大戦を常に恨むべきではない。一番恐ろしいのは、眼の前で人が死にそれでもなにか重いものを背負ってでも耐えなければならないということが、普通という考え方が根付いてしまったことである。このようなものを普通の日常にしてはいけない。すべてを巻き込んだ戦いに対する問いかけは終わることなく考え続けなければならない。
この物語は終わりではなく、すべての人が抱くべき問いの始まりである。




