第十八話第四章
それから丁度十日が経った。水無月の始め、蘆名の軍勢は猪苗代湖の東岸を目指して進軍した。湖は新緑を映して冴え冴えと輝き、打ち寄せる波音がどこか静かな祈りのように聞こえる。だが、その水面の清らかさとは裏腹に、戦の気配は日に日に濃くなっていた。
伊達勢はすでに布陣を整え、先鋒に猪苗代盛国、二番手に片倉景綱、三番手に伊達成実、四番手に白石宗実を置き、その背後には旗本、浜田景隆が続く。さらに左手には大内定綱、右手には片平親綱が翼のように広がり、鶴翼を思わせる見事な陣立てを築いていた。伊達の大軍が織りなすその威容は、遠目にも黒々とした波濤のごとく押し寄せ、見る者の胸に冷ややかな恐怖を刻んだ。
これに対し、蘆名義弘は兵を率いて一度は湖畔に進んだものの、伊達の陣形を見定めるやただちに兵を返し、北方の山麓、摺上原へと軍を移した。平地に比して狭隘な谷間を背にしながらも、ここならば兵の数の劣勢をある程度覆せると踏んだのである。
古賀義親もまた、その一角に馬を進めた。彼の眼前には、整然とした味方の旗列が並び、風にたなびく蘆名の白地の旗が山風に揺れていた。兵らの息は荒く、鎧の継ぎ目が軋む音が耳に残る。皆、恐れと昂ぶりの入り混じった気配を隠せずにいた。
やがて、先鋒の猪苗代盛国の軍勢が蘆名方に突きかかる。大音声とともに槍が打ち合わされ、血煙が上がった。義親は馬上から見下ろし、剣戟の火花を確かめる。盛国の軍は防ぎ切れず、やがて崩れて退いた。続いて片倉景綱の隊が押し寄せるが、蘆名勢の奮戦によりこれも退けられた。
「まだだ……ここからが本陣よ」義親は低く呟く。すでに三番手、伊達成実の旗が翻り、次いで白石宗実の兵が真一文字に突進してくる。地鳴りのような馬蹄と鬨の声が山麓を震わせ、蘆名の兵列を一気に押し崩さんと迫っていた。
その刹那、義親は手綱を強く引き、腰の太刀を抜いた。鋭い刃は夕陽を浴びて閃き、彼の決意を映す。
地鳴りのような轟きが摺上原を震わせた。三番手、伊達成実の赤旗が翻り、続いて白石宗実の黒旗がなだれ込む。槍を林立させた兵の群れが、まるで一筋の鋼の矢のように蘆名の軍列へ真一文字に突き進んでくる。大地を叩く馬蹄、鬨の声、ぶつかり合う鉄の響きが混じり合い、空気は血の匂いを孕んだ。
義親は馬上で手綱を強く握り、腰の太刀を抜いた。刃は夕陽を浴びて一瞬白く閃き、戦の修羅へと彼を導く。彼の眼には恐れはなかった。ただ、蘆名を護らねばならぬという責務と、仙子への誓いだけが脈打っていた。
「来い……!」吼えるように叫び、義親は馬腹を蹴る。黒毛の駿馬が前へと躍り出、迫り来る伊達兵の槍の穂先を裂く。最初の一太刀、馬上から振り下ろされた刃が敵兵の兜を割り、血潮が飛沫となって舞った。次の瞬間には別の兵の喉笛を断ち切り、悲鳴が風に溶ける。
義親の剛力は留まることを知らなかった。馬上の高さを活かし、頭上から斬り伏せると同時に、馬の躍動で敵の列を割ってゆく。鎧を着込んだ兵が次々に斃れ、槍が落ち、盾が砕けた。
だが、敵は群れをなして押し寄せる。四方八方から槍が突き出され、義親の駿馬の脇腹にも鋭い穂先がかすめた。馬が悲鳴を上げ、前脚を大きく振り上げる。
「無理に持たすな……!」義親は即座に馬から飛び降り、土を蹴って地に身を晒した。馬上での有利を捨てた決断は、ただ己の太刀を自在に振るうためだった。
地上に降り立った瞬間、敵兵二人が槍を突き込んでくる。義親は身を低く沈め、刃を横に払う。鋼が槍の柄を断ち、勢いのままに首筋を裂く。二人の血が熱を帯びて飛び散り、義親の頬を赤く染めた。
さらに背後から駆け寄る兵の足音。義親は振り返りざまに太刀を振り抜き、胴を真横に断ち切った。断末魔の叫びとともに兵が地に崩れ落ち、血が土に広がる。
「退くな! 斬り裂け!」伊達の兵が叫び、次々と槍を構えて突進してくる。義親はその群れへ果敢に飛び込み、振るう刃は流れるように止まらなかった。
一閃。鎧の胸板を裂き、内臓を露わにして敵兵を倒す。
二閃。槍を持ち上げる腕ごと斬り落とし、悲鳴を背に駆け抜ける。
三閃。血しぶきを浴びながら、敵の列に切り込みを入れ、土を蹴ってさらに奥へ。
戦場はすでに修羅そのものであった。耳に届くのは呻き、絶叫、鉄と鉄の打ち合う音。鼻腔を満たすのは鉄錆の匂いと、焼けるような血の匂い。足元は倒れた兵の屍と血泥に覆われ、義親の足袋も赤黒く染まっていた。
それでも義親の動きは衰えない。鍛え抜かれた腕が太刀を振り抜くたび、敵兵の命はひとつ、またひとつと消えていった。五人、六人、十人。斬り結ぶごとに彼の刃は濁ることなく冴え渡り、血飛沫を纏ってなお光を放った。
「これ以上……我らを崩すことは許さぬ!」怒号とともに、義親は敵の中央に飛び込み、刃を大きく振り抜いた。その一閃は三人の兵をまとめて薙ぎ払い、血と甲冑片を宙に散らした。
しかし敵は止まらぬ。次の瞬間にはまた別の兵が躍りかかり、さらにその後ろからも押し寄せる。義親の周囲はあっという間に十数人の伊達兵に囲まれた。
だが義親の瞳には、恐れも迷いもなかった。心にあるのはただ一つ、仙子と交わした約束。必ず生きて帰る。そのためには、いかなる修羅をも突破せねばならぬ。
義親は地を蹴り、刃を振り上げた。血煙と叫声の渦の中で、その剣閃は稲妻のように走り、次々と伊達の兵を斬り伏せてゆく。




