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第十七話第三章

 放課後のチャイムが鳴り終えると同時に、教室の中は一気にざわつきだした。部活へ向かう者、友達と駅へ急ぐ者、それぞれが思い思いに机を片付けている。

 雲雀は椅子にだらりと腰かけ、机の上に足を乗せたまま煙たい視線を窓の外へ投げていた。


 「なー、ひばり」横から軽い声が飛んできた。佐伯奈緒だ。金髪をひとつに結んだ彼女は、鞄を肩に引っかけながら、にやっと笑う。

 「今日ヒマ? じゃあ放課後つるもうぜ」


 「……あ? 別に」断る理由もなかった。むしろ一人で帰れば、昨日の夜のことや、授業中に目で追ってしまう自分の気持ちを思い返してしまいそうで、それが嫌だった。

 

 「おーけー。じゃ、商店街でも冷やかして帰っか。」


 二人は肩を並べて下駄箱を出た。夕暮れの空はまだ明るく、街には帰宅の学生やサラリーマンが行き交っていた。


 奈緒は歩きながらガムを噛み、わざとらしく雲雀を横目で見た。

 「そういや、今日もずっと先生のこと見てたっしょ」

 

 「……っ!」雲雀の足が止まりそうになる。

 「見てねーし! 俺があんな真面目野郎に気があるわけ――」

 

 「また『俺』とか言っちゃって。心の中じゃ『あたし』でしょ?」

 

 「なっ……! バカ言ってんじゃねぇ!」声を荒げるが、奈緒のにやにや顔は揺るがない。


 「ま、いいけど。顔赤くなってんの、隠せてねーぞ」

 

 「……うるせぇ」雲雀はポケットに手を突っ込み、前を向いた。心臓が勝手に速くなる。


 そのときだった。曲がり角を抜けた先、人影が立っていた。

 ――加賀美洋海。


 「……っ」雲雀の足が止まった。教師がこんな時間に街を歩いているのは珍しい。よく見ると、手には小さな書類袋を提げている。学校での用事を早めに切り上げたのだろう。


 「え、マジ?ここで先生?」奈緒が小声でつぶやき、すぐに雲雀の顔を見てニヤリと笑う。

 

 「タイミング良すぎじゃん。運命かもよ?」


 「う、うるせー!」思わず声を荒げたが、すでに加賀美はこちらに気づいていた。教師の眼差しは、いつもの落ち着きを帯びている。街の喧騒の中で、まるで時間が一瞬止まったように思えた。


 「河野、佐伯。」静かな声で二人の名を呼ぶ。

 雲雀は心臓を握りつぶされるような感覚を覚えた。平然を装おうとするが、喉が詰まって声が出ない。


 「……先生も、今日は早いんすね」先に口を開いたのは奈緒だった。軽口を叩く彼女の態度に、雲雀は救われたような、逆に追い詰められたような複雑な気持ちになる。


 「用事が早く終わっただけだ」加賀美は淡々と答える。そして一瞬だけ雲雀に視線を向けた。その一瞬が、雲雀には永遠にも感じられた。胸が勝手に熱を帯び、足の裏から力が抜けていく。


 「な、なんだよ。俺は別にサボってねーし。」必死に言い訳のような言葉を吐く。加賀美は小さく頷き、ほんのわずかに口元を緩めた。

 

 「分かってる。……気をつけて帰れよ。」その言葉を残し、彼は歩き去った。背筋を伸ばし、人混みの中に消えていく。


 雲雀はその背中を目で追っていた。気づけば、呼吸さえ忘れて。奈緒が肘で小突く。

 「な? ほら、ガン見してんじゃん」

 

 「っ……!」顔に一気に熱がこみ上げ、雲雀は慌てて視線を逸らした。

 「ち、違う! たまたま視界に入っただけだ!」

 

 「へー。じゃあ偶然が何回続くんだろうね」奈緒の笑みは悪戯っぽく、それでいてどこか優しい。


 「……チッ」舌打ちをしながらも、雲雀は心の奥で自分を誤魔化せなくなっていた。

 (やっぱ……あたし、アイツのこと……。)


 二人の靴音が夕暮れの道に響く。その横で奈緒は、友の葛藤をおもしろがりながらも、何も言わず隣を歩き続けた。


――――――翌日――――――

 昼休みの教室はざわめきと笑い声で満ちていた。窓際に座る雲雀は、机に頬杖をつきながらペンをくるくる回している。意識していないふりをしても、どうしても担任の姿を探してしまう自分に苛立ちを覚えていた。


 「……なぁ、ひばり」隣から奈緒が声をかけてくる。にやけた顔をして、わざとらしく窓の外を指差した。

 「廊下に先生いるぞ。今なら話しかけ放題じゃね?」


 「っ……! ば、バカ言え」雲雀は顔をそむけ、ペンを机に放り投げる。胸の鼓動が急に騒ぎ出し、耳まで熱くなる。


 奈緒は楽しそうに笑った。「昨日の偶然で運命感じちゃったんだろ?あたしが背中押してやってもいいぜ。なーんなら呼んでこよっか?」


 「ふざけんな!」雲雀は思わず声を荒げた。周囲が一瞬こちらを見たが、奈緒は気にせずに肩をすくめる。

 「

 だってさぁ。ひばり、目で追ってんのバレバレなんだもん。自分じゃ隠せてるつもりでも、周りからしたら丸わかり」


 「……っ」図星を突かれ、雲雀は唇を噛む。あたしはそんなに分かりやすいのか。奈緒みたいなやつにからかわれるのも、仕方ないのかもしれない。


 奈緒は机に頬杖をつき、わざとらしく囁いた。「なぁ、いっそ『教科書忘れたから借りまーす』とか言って近づいてみろよ。先生だって断んねーだろ。」


 「……」頭の中に浮かぶ光景に、雲雀の胸がざわつく。けれど同時に強い抵抗感があった。

 (そんなん……あたしらしくねぇだろ。あたしが誰かに背中押されて、半端に近づいたって意味ねーじゃん)


 「あたしは……」心の中で言葉を整える。

 (あたしは自分で、ちゃんと……。逃げねーでやらなきゃ)


 「奈緒」珍しく真剣な声を出した雲雀に、奈緒は目を丸くする。

 

 「お、おう?」

 

 「……ありがと。でも、勝手に先生呼んだりすんなよ。そういうのは……自分でやるから」


 その表情には照れと苛立ちと、少しの決意が混じっていた。奈緒はしばらく雲雀を見つめ、やがてふっと笑った。「へぇ、いいじゃん。その顔。……なら見守ってやるわ」


 奈緒の軽口に救われるように、雲雀は小さく息をついた。

 (あたしが惚れたのは、あたしだ。誰かに押されてじゃなく、自分で動かなきゃ……)


 窓の外を歩く加賀美の背中を、雲雀はそっと目で追った。胸の奥に灯る熱を、もう誤魔化せないと分かり始めていた。


 夜、雲雀は珍しく机に向かっていた。散らかった部屋の隅で、ノートを広げ、参考書を片手に鉛筆を握る。


 (……やっぱ無理かも)

 文字を追うたび頭が混乱する。数式も歴史の年号も、どれも自分を拒むように見えた。不良仲間とつるんでいた頃は、勉強なんて笑い飛ばしてきた。

 けれど――今は違う。加賀美の授業を受けるたび、真剣に教える姿を見るたび、「ちゃんと学んでみたい」と思ってしまう。

 (俺、じゃねぇ……あたしは……先生に胸張れるようになりてぇんだ)


 そう思っても、ページの前で手は止まったままだった。

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