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第十七話第二章

――――――放課後の学活――――――

 連絡事項を読み上げる加賀美の声が教室に響く。

 

 「来週の小テストの範囲は――」生徒たちがノートを取り、ざわつく空気が広がる。

 そんな中でも、雲雀の目はまた彼を追っていた。


 (別に好きとかじゃねぇ。ただ……なんか気になるだけだ。)


 何度もそう言い聞かせる。でも、立ち姿も、言葉の選び方も、眼鏡の奥の視線までも。全部、気になる。全部、目で追ってしまう。


 「……くそっ」


 机の下で拳を握る。誰にも聞こえないくらい小さく呟いた。雲雀は不良で、強くて、誰にも媚びたりしない。そういう自分でいたはずなのに。だけど気がつけば、加賀美洋海という男に心を揺さぶられている。


 (これって……一目惚れ、なのか? いや、違う。違うに決まってる。)


 否定するほど、目は彼を追っていた。教壇に立つ背中を、どうしても見ずにはいられなかった。


 夜の街は昼間の喧騒を飲み込み、冷たい空気を吐き出していた。河野雲雀は制服のまま、コンビニの明かりやネオンを縫うように歩いていた。

 (……ちくしょう。なんで、あたしが。)

 胸の奥でどうしようもなくざわめく鼓動を、足音でかき消すように。


 加賀美洋海の顔が頭に浮かぶ。真面目くさった声、ぶれない眼差し。授業中も学活の時間も、気づけば目で追ってしまっていた。

 (あたしが一目惚れなんて……ありえねぇ。そんなの似合わねぇだろ、俺に。)

 

 心の中では「あたし」なのに、外に出すときは「俺」。その矛盾すら、今の雲雀には苦しかった。


 商店街を抜け、薄暗い路地へと足を向ける。街灯の少ない通りは、人通りもなく静まり返っている。

 (歩いてりゃ……忘れられる。どうせ一晩寝れば、くだらねぇ妄想だって笑えるはずだ。)


 そう思って俯き、ポケットに両手を突っ込んで歩く。だが胸の奥の熱は収まらなかった。足を止めて夜空を見上げても、ビルの隙間から覗く月が、やけに白く光って見えるだけだった。


 (……あたし、どうすりゃいいんだよ。)

 吐き出した溜め息は夜気に溶け、頼りなく消えていった。


 そのとき、背後から複数の足音が近づいてきた。

 

 「おい、そこの嬢ちゃん。夜遊びか?」振り返ると、年上らしき不良が二人。煙草の匂いと酒の臭いが混じった空気が押し寄せる。


 「チッ……なんだよ、俺に用か?」わざと「俺」と言い放ち、肩をそびやかす。だが胸の奥はざわついていた。


 「随分な口きくじゃねえか。ちょっと付き合えよ」一人が雲雀の腕を掴む。反射的に振り払った。

 

 「触んなよ。ぶっ飛ばすぞ」声は震えていなかった。だが足元からじわりと力が湧き、喧嘩の勘が戻ってくる。


 「へえ、やる気か?数が増えた。路地の奥から、さらに二人が現れる。四対一。

 雲雀は舌打ちした。

 (やれんことはねぇ……でも、面倒くせぇな。)


 拳を握り、飛び出そうとした瞬間だった。

 

 「そこまでだ」低く通る声が夜気を裂いた。


 不良たちの視線が一斉に後方へ向く。そこに立っていたのは加賀美洋海だった。制服姿ではない。巡回用のジャケットを羽織り、懐中電灯を持っている。教師として、地域を回っている最中らしかった。


 「教師が夜回りかよ。お節介な野郎だな」一人が吐き捨てる。だが加賀美の目は鋭く、揺らがない。

 

 「未成年をたぶらかすつもりか。すぐに帰れ」


 「チッ……面倒なやつ。」不良たちが互いに視線を交わし、舌打ちを繰り返す。数で勝っているのに、加賀美の一言に空気が押し返されていた。


 雲雀はその背中を見て、息を呑んだ。

 (なんで、こんなときに……。でも……助かったのは事実だろ、あたし。)


 「河野」振り返らず、加賀美が名を呼ぶ。

 

 「手を出すな。そのまま下がれ」


 「……あ? 俺は別に……」強がりを言いかけたが、声が続かなかった。背中越しの彼の存在が、どうしようもなく頼もしく見えたからだ。


 不良たちは罵声を投げつつも、結局引き下がった。教師相手に面倒を起こすほど愚かではなかったのだ。足音が遠ざかり、路地には二人だけが残された。


 静寂が落ちた。加賀美は懐中電灯を下げ、雲雀の方を振り返る。

 「……大丈夫か」


 その問いに、雲雀は一瞬言葉を失った。胸の奥が熱く、声が震えそうになる。

 

 「……別に。俺なら余裕だったし」精一杯の強がり。だが目は逸らせなかった。


 加賀美は短く息を吐き、わずかに口元を緩める。

 「なら、いい」


 それだけを告げて、歩き出した。


 雲雀はその背中を追いながら、拳をぎゅっと握った。

 (……やっぱり、あたし……こいつに……。)


 認めたくない気持ちと、胸を焼く熱がせめぎ合いながら、夜の街の空気は冷たく澄んでいた。


――――――翌朝の教室――――――


 ざわめく声、机の上に積み重なる鞄。河野雲雀は、いつも通りの不良らしい態度で足を机に投げ出していた。

 (昨日のことなんざ、気にする必要ねぇ。俺は普通にしてりゃいいんだ。別に助けてもらったとか……そういうの、関係ねぇし。)


 心の中で必死に言い聞かせる。

 ――あたしは雲雀だ。不良のまま、何も変わってない。そう思おうとするのに。


 教壇の前に立つ加賀美洋海の姿が目に入った瞬間、胸が勝手に跳ねた。背筋を伸ばしてプリントを配る彼の仕草。名前を呼ぶ低い声。全部が妙に鮮明に耳に届く。


 (……やべぇ。また見てる。俺、何やってんだよ。)


 視線を逸らそうとするのに、数秒後にはまた目で追っている。まるで吸い寄せられるようだった。


 「……ひばり?」

 机をトンと叩かれ、雲雀はびくっと肩を揺らした。隣に座る女子――金髪をラフに結んだ不良仲間の佐伯奈緒が、にやにやと笑っていた。


 「な、何だよ」声が裏返りそうになるのをごまかし、わざと低く言い放つ。


 奈緒は片肘を机に突きながら、視線を黒板の方へと動かす。

 「アンタさっきから、担任ばっか見てんじゃん。……もしかして気になってんの?」


 「はっ!? バカ言えよ!」雲雀は思わず声を張り上げ、慌てて咳払いした。

 「俺が……あんな真面目野郎に?あるわけねーだろ」


 強がりを言う声が震えているのを、自分でも分かっていた。奈緒はますますにやにやしながら、囁くように笑った。

 「へぇ……耳、赤いけど?」


 「っ……!」雲雀は反射的に頬を押さえた。熱が広がっている。隠そうとするほど、奈緒の笑いは止まらなくなる。

 「やめろって! 変なこと言うな!」

 

 「図星ってやつじゃん?」


 からかわれながらも、雲雀は言葉を失った。本当は自分でも認めたくなかった。昨日の夜、助けてもらったときの心臓の跳ね方。今だって目で追ってしまうこと。全部「ただの偶然」じゃ片付けられなくなっている。


 (……あたし、本当に……? でも、そんなの、認められっかよ。)


 唇を噛みしめ、窓の外に視線を投げる。奈緒はそれ以上追及せず、にやりと笑って前を向いた。


 教壇から響く加賀美の声が、耳にやけに心地よく届いてくる。雲雀は机の下で拳を握りしめながら、胸のざわめきを押し殺そうとした。

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