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第十五話最終章

 熱にうなされて数日。ようやく体調が戻り、私は現場に復帰することができた。ベッドから立ち上がると、頭はまだ少しぼんやりしていたが、胸の奥に芽生えた焦燥は消えなかった。萌はどうしているだろう――。


 スタジオに着くと、スタッフたちが忙しそうに動き回っていた。代役の佐川も、精一杯対応していたらしい。だが、私は彼が現場を回している様子を見て、心のどこかで安心と不安が入り混じるのを感じた。


 楽屋の扉を開けると、萌がすぐに顔を上げた。目が少し潤んで見えたのは、私の体調を心配していたからだろう。

 「大森さん……体調はもう大丈夫ですか?」


 「大丈夫だよ。心配かけたね。」彼女は小さくうなずき、でもどこか落ち着かない様子で言葉を続けた。


 「……うん。でも、やっぱり……私、少し不安でした。」


 私は黙って頷く。言葉を急ぐ必要はなかった。萌が吐き出すタイミングを待つだけで十分だ。

 「佐川さんも頑張ってくれましたけど、やっぱり、大森さんがいないと……心細くて」彼女は恥ずかしそうに目を伏せた。肩が小さく震えているのが分かる。


 その言葉を聞き、胸の奥が熱くなった。普段は冷静を装う私だが、心のどこかで彼女を守りたくて仕方がない自分がいる。

 

 「……そうか。分かった。今日は、全部任せろ」普段より少し柔らかく、私はそう言った。


 収録が始まると、萌の表情は微妙に変化していった。代役マネージャーの時に見せたぎこちなさは薄れ、少しずつ笑顔が戻る。だが、時折不安げに私の方を見やる視線がある。私は目線を交わすだけで頷き、彼女に安心感を伝える。


 途中、予期せぬハプニングがあった。ゲストが用意した小道具が倒れ、セットの一部が崩れかけたのだ。スタジオは一瞬ざわめく。


 萌は驚きで固まる――一瞬の間に、私が彼女のそばに駆け寄る。手を軽く肩に添え、声をかける。

 「落ち着け、焦らなくていい。君が笑っていれば、場は収まる」その言葉だけで、萌の肩の力が抜けるのが分かった。微かに笑顔が戻り、彼女は小さく息を吐いた。


 その後、萌は自分のタイミングでゲストに話を振り、ユーモアを交えて収録を進めた。私がいなくても、彼女はやれる力を持っている。しかし、私が傍にいることで、その力はさらに伸びやかになった。


 収録が終わり、スタジオの明かりが落ちると、萌は静かに楽屋に戻ってきた。汗を拭きながら、少し照れた笑顔を見せる。

 「……大森さん、ありがとう。今日、すごく安心できた」

 

 「任せろと言っただろう」私は肩の力を抜き、自然に返した。


 萌は少し間を置き、目を見開いて言った。

 「やっぱり、私は大森さんに頼っていいんだ……って思ったんです。自分でやれることもあるけど、大森さんがそばにいると、もっとできる気がする」

 その言葉に、胸の奥がぎゅっと締まる。彼女が私を信じ、頼ろうとしてくれている――それを実感する瞬間は、何にも代えがたい重みがあった。


 私は言葉を選び、落ち着いた声で答えた。

 「頼ってくれて構わない。私は君の背中を支えるためにここにいる」その言葉を聞いた萌は、ぽっと頬を赤らめ、笑顔を浮かべた。その笑顔には、今まで以上に親しみと信頼が込められていた。


 その日の帰り道、楽屋を出ると、スタジオの外は夕暮れに染まっていた。赤と紫が混ざった柔らかな光が二人を包む。萌は小さく息をつき、肩を軽く揺らす。私は自然に歩幅を合わせ、そっと隣に立つ。言葉は必要なかった。互いの存在が、ただそこにあるだけで、確かな安心をもたらすことを知っていた。


 この出来事を経て、二人の関係は確実に一歩進んだ。彼女は、自分の力だけでなく、私の存在を信じ頼ることの意味を理解した。私は、彼女を守り、支え、時に引き出すことの責任を改めて胸に刻んだ。


 夜風に揺れる街灯の下で、静かな決意と信頼が交差する。二人の間に言葉以上の絆が芽生えたことを、私は確かに感じていた。


 朝の光がスタジオに差し込むと、私は深く息をついた。数日ぶりの落ち着いた朝だが、胸の奥には緊張が残っていた。萌の冠番組は、今やゴールデンタイムに定着し、視聴率も安定している。だが同時に、局からはさらなる企画拡大の話が持ち上がっていた。今回は特別企画――「全国のご当地グルメを巡りながら、萌自身が料理も挑戦する」という大型企画だ。生放送ではないとはいえ、ロケと収録を複合的に組み合わせた番組構成。失敗の許されない規模だった。


 スタジオにはスタッフが入り乱れ、機材のチェックやロケ地の調整に追われていた。私は少し離れたモニター前に立ち、進行表を再確認する。萌の体調、カメラ位置、照明の角度、ゲストのスケジュール……自分だけでは補えない要素も多い。だが、今回は自分の感覚と判断を信じるしかない。


 楽屋に入ると、萌は既にメイクを終え、衣装に身を包んでいた。目が輝いている。前回のスキャンダルや私の不在を経て、彼女は確かに一歩強くなっていた。だが、その目にはわずかな不安も混ざっている。


 「大森さん、今日も頼りにしてます」彼女の言葉は軽やかだが、隠された緊張が感じ取れる。私は笑顔を作り、肩に手を置く。

 

 「任せろ。君が思う以上に、私は動くから」


 カメラリハーサルが始まる。萌は指示通りに立ち位置を確認し、ゲストと軽く雑談を交わしながら表情を作る。その自然さは、まるで私が側にいるときと変わらない。しかし、細かい動作や言葉の間合いに、私の目にはまだ改善の余地が見える。


 ロケバスが発車し、最初のご当地グルメの店に到着した。スタッフたちは慌ただしく準備を進める。カメラ、マイク、照明、食材……番組の流れをスムーズにするため、私はモニターと現場を行き来しながら必要な指示を静かに飛ばす。


 しかし、現場は計画通りには進まなかった。食材が予定より遅れて届き、調理スペースも狭く、萌の立ち位置に制限が出る。ゲストが用意した道具も想定外で、調理の手順が狂う。スタッフの焦りも見え、私の胸に小さな緊張が生まれる。


 萌は一瞬困惑して立ち止まったが、すぐに笑顔を取り戻した。

 「大森さん、どうしよう?」

 

 「落ち着け。手順は少し変わるが、君のやることは変わらない。順番を整理して進めろ。」私は簡潔に指示を伝え、必要以上の言葉は添えなかった。彼女は小さく頷き、再び動き出す。


 カメラが回り始めると、萌は自然な笑顔でゲストと会話をしながら料理を進める。私の目には、彼女の成長の跡がはっきりと映っていた。以前の彼女なら、予期せぬトラブルでパニックになっただろう。しかし今は違う。瞬時に状況を判断し、対応しながらも笑顔を絶やさず、視聴者に安心感を与える。


 だが、クライマックスはここからだった。最後の仕上げで、萌が挑戦する特製スイーツの材料が、一部足りないことが判明したのだ。生放送ではないとはいえ、収録中に手を止めるわけにはいかない。スタッフが慌てて材料を探す中、萌は私の目を見た。


 「大森さん……どうしよう」私は一瞬の間を置き、深呼吸する。考えれば考えるほど焦る。しかし、彼女に迷いを見せるわけにはいかない。


 「君の工夫次第で、必ず形にできる。思い切って進めろ」


 萌は息を整え、材料をアレンジし始めた。普段の手順とは違うが、彼女の発想は柔軟で、作業はスムーズに進む。ゲストやスタッフも、彼女の落ち着いた指示と動きに合わせ、自然に動き始めた。私は背後で見守りながら、最小限の調整だけを行う。


 完成したスイーツを前に、萌は満面の笑みを浮かべた。カメラは彼女の笑顔を捉え、観客に届ける。私の胸に、達成感と安堵が同時に湧いた。


 収録が終了し、スタジオに戻ると、萌は深く息を吐いた。肩の力が抜け、笑顔がさらに自然になっている。

 

 「大森さん……やったね」彼女の目には、誇らしさと、私への信頼が入り混じっていた。


 私はそっと手を肩に添え、静かに言った。「やったのは君だ。私は、ただ見守っただけ」


 彼女は少し頬を赤らめ、微かに笑った。

 「でも、大森さんがそばにいてくれたから、私、落ち着けたんです。」その言葉に、私は胸の奥がぎゅっと熱くなる。今までの苦労も、心配も、すべて報われた瞬間だった。


 帰り道、二人でスタジオを出る。夜風が頬を撫で、街灯が静かに並ぶ。互いに言葉は少ないが、存在だけで安心を共有していることが分かる。

 今回の特大企画は、萌自身の力、スタッフの協力、そして私の影の支えが一体となった成果だった。


 私は心の中で、静かに誓った。

 ――これからも彼女を支え、信じ、必要な時には背中を押す。萌の成長を、成功を、一緒に歩むこと。それが、私の仕事であり、願いだと。


 萌は後ろを振り返り、小さく笑った。目の奥には、私への感謝と、これからも頼りたいという気持ちが見える。私は微笑み返し、自然に手を伸ばして彼女の手を握った。


 「……萌、私、ずっと君のそばにいたい。仕事だけじゃなく、個人としても、ずっと一緒にいてほしい。」


 萌は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに柔らかく笑った。

 「私も……大森さんと、ずっと一緒にいたいです。」


 その瞬間、スタジオのスタッフやマスコミに向けて発表が行われた。番組の公式SNSに、「萌とマネージャー・大森、交際開始」という一文が載り、世間は瞬く間に注目した。


 夜空の星が街の明かりに混ざる中、二人は手をつなぎ、静かに並んで歩く。試練も逆風もすべて乗り越えた――そして、二人の未来は、仕事もプライベートも共に歩む、新たな一歩として確実に広がっていくのだった。

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