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第十五話第二章

 数年前――まだ無名で小さな雑誌の片隅に載っていた少女が、今はこうして自分の番組を持つまでになった。その過程を間近で見続け、支えてきたのは私だ。だが同時に、ここまで来られたのは彼女自身の強さだと、改めて実感していた。


 スタッフが次々と声をかける中、萌が私の方へ駆け寄ってきた。

 「叢さん! 終わったよ! ねえ、どうだった?」汗ばむ額、輝く瞳。全力を出し切ったあとの表情だ。


 「……上出来だ。初回にしては十分すぎるくらいだ」私がそう言うと、萌はぱっと顔を輝かせた。


 「やったあ! ほんとに夢みたい……」スタジオの照明が少しずつ落とされ、余韻が残る中で私は思った。

 ――夢ではない。これが現実だ。これからも彼女を前へと押し出す。そのために私は、さらに考え続けなければならない。


 だが今だけは。彼女の弾ける笑顔を前に、私もまた、わずかに肩の力を抜いた。


 打ち上げの席は、局近くのホテルの一室に設けられていた。普段は静かな会議用のフロアだが、今日は丸いテーブルに料理が並び、スタッフと出演者が談笑しながら賑わっている。

 私もその輪に加わりつつ、少し離れた位置で全体を眺めていた。グラスを手に、乾杯の声が響いたとき、萌の笑顔が一際まぶしく見えた。


 「萌ちゃん、初回にしては完璧だったよ!」


 「いやいや、あの回し方は新人じゃなかったな」ディレクターやゲストの芸人たちが口々に褒める。萌は恐縮したように笑いながら、何度も「ありがとうございます」と頭を下げていた。


 彼女の隣には若いADが座り、楽しそうに会話をしている。その様子を見て、私は自然にグラスを傾けた。こういう場で彼女が輪に溶け込めるのは大切だ。仕事を円滑に進めるためだけではない。場を和ませ、人を惹きつける空気があること自体が、彼女の強みになる。


 私は声をかけすぎない。マネージャーという立場は、前に出て賑やかすものではない。むしろ一歩下がり、彼女がどう振る舞うかを見守りながら、必要なときにだけ言葉を添える。それで十分だと思っている。


 「叢さん!」遠くから手を振られ、私は小さく頷いて席を立った。萌が隣の椅子を空けて待っていた。


 「ここ、座ってよ」周囲のスタッフが笑顔で勧めるので、私は遠慮なく腰を下ろす。萌が嬉しそうにグラスを差し出した。

 

 「乾杯しよ。改めて、初回お疲れさまでした!」グラスを軽く合わせると、萌は満面の笑みを浮かべた。頬がほんのり赤く、少し酔いも回っているのだろう。


 「ねえ、私……今日、ちゃんとできてたかな」


 「できていたよ。収録を見ていた人間は皆そう思っている」


 「ほんとに? 途中で言葉詰まっちゃったとき、内心すごく焦ったんだ」


 「視聴者には伝わらない程度だった。むしろ自然に笑ってごまかしたのが良かった」彼女はほっとしたように息をつき、笑みを深めた。


 私はそれ以上は言わない。褒めすぎても慢心につながるし、厳しすぎても自信を削ぐ。彼女が自分で気づき、次へ進める程度の言葉を選ぶこと。それが私の役目だ。


 打ち上げが進むにつれ、部屋の空気は和らいでいく。芸人たちが冗談を飛ばし、スタッフが笑い、料理の皿が次々に空になる。萌はどの輪にも臆することなく入り込み、場を盛り上げていた。その姿を見ながら、私は一人、静かに料理を口に運ぶ。


 夜も更け、打ち上げが散会に向かう頃、萌がそっと私の袖を引いた。

 「叢さん、少しだけ歩かない?」会場を出ると、夜風が頬に触れた。大通りのネオンが輝き、車のライトが途切れることなく流れていく。

 「今日はね、ずっと心臓がバクバクしてた。でも、終わったらすごく楽しかったって思えたんだ」


 「それでいい。緊張と楽しさは、どちらも糧になる」萌は歩きながら空を仰いだ。夜の都会の空は星も見えないが、彼女の表情はどこか晴れやかだった。


 「ねえ、これから先も……もっと続けられるかな」


 「続けるかどうかは、視聴者が決めることだ。だが私は信じている。君なら大丈夫だ」その一言に、彼女は安堵の笑みを浮かべた。


 ――そして数週間後。


 番組の初回がオンエアされた。私は事務所の一角でモニターを見つめながら、リアルタイムで流れるSNSの反応に目を走らせていた。

「自然で好感が持てる」「料理が上手でびっくりした」「笑顔に癒やされる」――そんな言葉が次々に画面を埋めていく。視聴率速報も、予想を上回る数字が出ていた。


 萌は放送当日の夜、私に電話をかけてきた。

 「叢さん! 見た? すごい、SNSでいっぱいコメント来てる!」


 「ああ、確認している。悪い意見はほとんど見当たらない」


 「嬉しいなあ……私なんかが、こんなに見てもらえるなんて」


 「“なんか”ではない。君はそれだけのものを積み重ねてきた」

 電話越しに、萌が静かに笑うのが分かった。


 数日後、街を歩けば「昨日の番組見たよ」と声をかけられることも増えた。コンビニの雑誌棚には、萌を表紙にした特集号が並び、テレビ局からは次の企画の打診が相次いだ。


 私は机の上のスケジュール表を見つめる。真っ白な枠は、日ごとに少なくなっていく。だが埋めるだけでは意味がない。これから先、彼女がただ忙しさに流されず、確かに前へ進めるように――私は考え続けなければならない。


 計算ではない。未来を数字で割り切ることはできない。彼女の表情、観客の反応、世間の空気。そうした揺らぎを受け止め、どう選ぶかを「考える」しかないのだ。


 電話が鳴った。萌からだった。

 「叢さん、次の収録も頑張るね。だから、またちゃんと見てて」


 「もちろんだ」短く答えると、受話器の向こうで彼女が安心したように笑った。窓の外には、夕暮れの街が広がっていた。赤と紫が入り混じる空を見上げながら、私は静かに思う。

 ――まだ始まったばかりだ。この番組も、彼女の歩みも。そして私自身の役割もまた、ここから続いていく。

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