第十四話第五章
――――――翌朝――――――
山形の空は澄み渡り、山並みが朝日を浴びて黄金色に輝いていた。ホテルを出ると、舞香はスーツではなく、落ち着いた私服に着替えていた。オフの雰囲気が漂い、牧丘は思わず視線を逸らす。
「午前中に少し時間があるわ。せっかくだから観光してから帰りましょう。」舞香が軽やかに提案する。
「はい」
二人が向かったのは山寺だった。長い石段を上りながら、舞香は少し息を切らし、それでも笑顔を崩さない。
「階段がこんなに続くなんて聞いてなかった……!」
「手を貸しましょうか」
「だ、大丈夫よ!」強がりを言いながらも、舞香は思わず牧丘の腕に軽く触れてバランスをとる。その一瞬に、二人の間に柔らかな熱が走った。
山頂から見下ろす景色は壮観だった。青々とした山々、点々と並ぶ集落、遠くを流れる川。
「……きれい」舞香が感嘆の声を漏らす。
「来てよかったですね」
「ええ。仕事だけじゃなく、こうして景色を見る余裕があるのも悪くないわ。」
下山後は蕎麦屋に立ち寄り、山形名物の板そばを味わった。舞香は満足そうに微笑む。
「なんだか、旅行気分ね」
「そうですね」
――もしこれが仕事でなく、純粋な旅行だったら。牧丘はそう考え、慌てて思考を打ち消した。
午後、二人は再び新幹線に乗り込んだ。行きよりも会話は自然で、沈黙すら心地よい。舞香は窓際に座り、うとうとと眠りかけていた。その横顔を眺めながら、牧丘は静かに思う。
――もっと近づきたい。けれど、今はまだ言えない。
東京駅に着くと、現実の空気が一気に押し寄せた。人の流れに紛れながらも、二人は自然と歩調を合わせた。
「お疲れさま。牧丘くん、今回本当に助かったわ」
「こちらこそ、勉強になりました」
「……また一緒に出張行けたらいいわね」その一言に、牧丘は小さく頷いた。
翌日。出社した二人を出迎えたのは、佐伯亜衣のにやけた顔だった。
「おかえりなさーい! どうだった? 山形」
「普通に仕事よ」舞香は苦笑する。
「ふーん、ほんとに“普通”だったのかなぁ?」佐伯は意味ありげに牧丘へ視線を送る。
「私は……とても学びが多かったです。」
「ほら見なさい。顔が少し変わってるもん。」
舞香は慌てて資料を広げ、話題を逸らそうとする。
「ほら、報告まとめないと」
「はいはい」佐伯は笑いながらデスクへ戻っていった。
その日の午後、二人で出張報告をまとめる作業をしていたとき。舞香は不意に小さくつぶやいた。
「ねえ、またこうして一緒に仕事できたら嬉しい。」牧丘はペンを止め、彼女の横顔を見た。
「私もです。」
短いやりとり。だがそれだけで、胸の奥が熱くなる。二人の距離は確かに変わり始めていた。
舞香は心の中でそっと決意する。
――次こそ、気持ちを隠し通せるか分からない。
その思いは、佐伯がこっそりニヤリと笑う視線にも、隠し切れずに滲み出ていた。
秋の終わり。宮島発動機の営業部では、大口案件の受注を祝う打ち上げが行われることになった。会場は会社近くの居酒屋。木目調の落ち着いた内装に、提灯の柔らかな明かりが灯り、既に上司や同僚たちの笑い声でにぎわっていた。
牧丘と舞香も、その輪の中に加わっていた。「牧丘、よくやったな!」
「新人とは思えない働きぶりだ。」上司たちからの労いに、牧丘は軽く頭を下げる。普段は寡黙だが、真摯な態度は皆に伝わっていた。舞香も同じテーブルで、彼を誇らしげに見守っていた。
「中村さんもご苦労さま。やっぱり君がついてると違うな」
「いえ、牧丘くんがよく頑張ってくれましたから」そう答える声は落ち着いていたが、心の奥では小さな誇りが芽生えていた。
乾杯の声が上がり、ジョッキのぶつかる音が響いた。料理の皿が次々と運ばれ、場は一層にぎやかになる。舞香は隣に座る牧丘にそっと目をやった。彼は他の同僚と軽く会話を交わしていたが、どこか控えめにしている。酒を口にしても乱れることなく、落ち着いた態度を崩さない。
――やっぱり、この人は特別。
心の中でそう思う一方、舞香には拭いきれない迷いがあった。




