第十二話第四章
――――――翌日――――――
クラスにちょっとした噂が流れた。御堂が「華と鯉住が親しくしているのはおかしい」と口にしたらしい。直接的な非難ではなく、さりげない会話の中で「不釣り合いじゃないか」という言葉を混ぜただけだった。
だが御堂の発言力は大きかった。彼の一言で、教室の空気は微妙に変わる。鯉住を見る目に「本当に芹川さんにふさわしいのか」という色が混じり始めた。
昼休み、華が机を寄せようとすると、数人の女子が小声で囁くのが耳に入った。
「……また一緒にいるの?」
「御堂くんがいるのに、なんで」華は表情を変えずに笑った。だが胸の奥に、ひやりとした感覚が広がる。御堂が動いたのだとすぐに察した。
「鯉住くん」
「はい」
「……気にしないで。私が一緒にいたいから、いるだけだから」華の言葉は静かで揺るがなかった。だがその裏で、御堂の圧力が確実に広がっているのを鯉住はまだ知らなかった。
彼はただ窓の外を眺め、ゆるやかに流れる雲を目で追っていた。
――――――放課後――――――
部活動に向かう生徒たちのざわめきが廊下に広がる中、華は一人で教室に残っていた。ノートを閉じ、深く息をつく。
「……このままじゃ、彼が孤立させられる。」
御堂の力は、あまりに大きい。成績も容姿も家柄も、何一つ欠けるところがなく、教師たちからの信頼も厚い。そんな彼が「ふさわしくない」と思わせるだけで、クラスの空気は揺らぐ。
華は拳を握った。
――私が守らなきゃ。
その決意の裏には、わずかな恐れもあった。自分が彼と共にいることで、鯉住の居場所を奪ってしまうのではないかという不安。それでも彼を手放す気にはなれなかった。
―――数日後―――昼休みのことだった―――
御堂がわざとらしく鯉住の机に近づき、声をかけた。
「鯉住、昨日の小テスト、どうだった?」
「……普通です」
「そうか。俺は満点だった。まあ、このくらいは努力すれば誰でもできるだろうけど」
周囲のクラスメイトが笑い声を漏らす。直接的な侮辱ではない。だが「努力すれば誰でも」という言葉には、鯉住を下に見る響きがあった。
華はすぐに立ち上がった。
「御堂くん」
「ん? なんだい、芹川さん」
「鯉住くんのこと、そんなふうに言わないで」
一瞬、教室の空気が止まった。
御堂は余裕の笑みを崩さず、肩をすくめる。
「誤解しないでくれ。悪気はない。ただ……君にはもっと相応しい相手がいると思うんだ」
「誰が相応しいかなんて、私が決めることよ」
その言葉にざわめきが広がる。華は視線を逸らさず、御堂をまっすぐ見返した。御堂の目が一瞬だけ揺らいだのを、彼女は見逃さなかった。
「……なるほど。強気だな」
御堂はそう言って笑い、背を向けた。だがその笑みの奥には、冷たい怒りが隠されていた。
華は席に戻り、静かに息を整えた。周囲の視線はまだ自分たちに注がれている。だがもう怯むつもりはなかった。
――鯉住くんを守る。御堂くんがどれだけ影響力を持っていても。
その決意は、彼女の心を強く支えていた。だが同時に、嵐の中心に自分が立ってしまったことを、華は深く理解していた。
――――――その日――――――
鯉住は珍しく、自分に注がれる視線を意識していた。教室の空気はどこか居心地が悪い。声を潜めた囁き、笑い声のあとに続く不自然な沈黙。それらの矛先が、自分に向いていることを、ようやく理解した。
――これは、御堂新の仕業だ。
噂や上下関係に無関心でいるうちは、周囲の空気が多少変わっても気にならない。だが華が御堂に対抗するように声を上げたその瞬間、クラスの目は明確に二つの陣営を形作りはじめた。
窓際で弁当を広げていると、二人の男子が小声で話しているのが聞こえた。
「……御堂くんに逆らうとか、無謀だよな。」
「でも芹川さん、全然引いてないし。」
「転校生、あれで平気なんだな。」
鯉住は箸を止めた。噂はただの音の連なりでしかない。そう割り切ろうとしたが、胸の奥に小さなざらつきが残った。
――――――放課後――――――
鯉住が下駄箱で靴を履き替えていると、影が差した。見上げれば御堂が立っていた。
「やあ、帰りか?」
「はい」
「ちょうどいい、少し話そう」拒む理由はなかった。二人は校舎裏の静かな場所へと歩いた。
御堂は相変わらず穏やかな笑みを浮かべていた。だがその言葉は、刃を隠したように鋭い。
「お前、芹川さんとよく一緒にいるな。……楽しいか?」
「はい」
「率直でいいな。だが、お前は気づいていない。彼女が誰と並ぶべきかを。」鯉住はしばらく黙って御堂を見つめた。彼の瞳に宿るものを、ようやく理解した。あれは競争心ではなく、独占欲だ。華を「自分のもの」と決めつけ、その隣に立つ者を許さない眼差し。
「……御堂くんは、私を嫌っているのですか」
問いかけると、御堂は一瞬だけ笑みを崩した。「嫌ってはいない。ただ――邪魔だと思っている」その正直すぎる答えに、鯉住は目を伏せた。御堂はそう思っている。ただ彼は心の底からの笑みを浮かべた。
帰りのバス。窓から見える街灯が流れていく。車内は静かで、考えるには十分な空間だった。
――私は、敵意を向けられている。ようやくはっきりとそう認識する。
これまでは、空を見上げていれば心が澄んだ。嫌なことも、音にすれば消えた。だが御堂の眼差しは違う。あれは放っておけば広がっていく炎だ。自分が静かでいるだけでは、華をも巻き込んでしまう。
華の笑顔が脳裏に浮かぶ。
「私が一緒にいたいから、いるだけだから」
その言葉を思い出すたびに、胸の奥が熱くなる。彼女が自分の隣に立つと決めてくれているのに、逃げてばかりはいられない。
――決着をつける時が来る。
静かな決意が、鯉住の中に芽生えた。
怒りではなかった。競争心でもなかった。ただ、守りたいものを守るために避けられない一歩だと、彼は理解していた。
窓の外に広がる夜空を見上げ、鯉住は深く息をついた。
しょうがない。あちらがあちらなら私は少しだけするとしよう。




