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boy meets girl

boy meets girl

作者: 空野みち

 煩いうるさいうるさい。乱れる自分の呼吸がうるさい。ドクドクと脈打つ鼓動が煩い。

腹から何か熱いものが迫り上がる。焦れるような泣けるような感情が波のように押し寄せる。

脳が足に命令する。ただ、走れと。


その掌に捕まらないように。


 

***

 

 飼われている。この狭い水槽の中で。

 

詰め込むように並べられた机を眺めて、時折そんなことを思う。

狭い教室、同じ制服、同じような髪型、メイク、喋り方。

高校2年の夏。

俺は、ただこの気持ち悪いほどの模倣者たちに同化して暮らしていた。

はみ出さず、かつ野暮すぎず。

自由すぎず、縛りすぎず。

多少の個性を見せて、後大半は他を真似る。

それが、ルールだ。


長いものには巻かれろ。

それは、長年で培われてきた、この狭い教室で生きていくための処世術だった。

でないと排斥される。大きな力で存在を否定される。

学生とは、お気楽なようで居て、実は結構大変だったりするんだ。

俺は、今までそれなりにやってきたし、これからもそれなりにやっていくつもりだった。


そう、あの日の放課後、アイツに出逢わなければ。


***


熱い、ジリジリとした日差しが収まる夕刻。俺は人気の無くなった廊下を歩いていた。


課題を机の中に置きっぱなしにしていると気付いて取りに来たは良いが、何せもう部活も終わったような時間帯だった。

学校内は静まりかえり、どことなく居心地が悪かった。

さっさと取って帰ろう。

溜息混じりに教室の扉を開ける。


最初に感じたのは風。

誰かが窓を閉め忘れて帰ったな、と思うより前にその人物が目に留まる。

一瞬、息をのんだ。

その姿が、ちょっと言い表せないぐらい綺麗だったから。


「あ、古田」


腰まで伸びた長い髪を風に泳がせ、そいつはこっちを振り向いて俺の名前を呟く。

瀬川要


この教室で異質と見なされた者。


彼女は綺麗すぎた。余りに美しく、そして他人に合わせることを知らなかった。

最初は些細な切っ掛けだったのだと思う。誰かの彼氏を寝取ったとかどうとか。

それが真実か否かはどうあれ、周りの女子の反感を買ったのだろう。

瀬川は次第に周囲からその存在を無視されていった。


少しだけ考えて、俺は無言で教室に踏み入る。

視線を感じながら、自分の席まで行く。

課題を取り出しさっさと教室を出ようと思った。

俺は、ただ危険因子には関わりたくなかった。

ただ平穏を守るため。

無関心を装って彼女の強い視線を無視した。


扉に手を掛ける丁度その時だった。


「張り詰めた糸みたいね」


その言葉に、俺は見事に引っかかってしまったんだ。

思えば、そんな言葉無視して教室を出れば良かった。

なのに、俺は振り返った。

瀬川はやっぱり、俺を射貫くように見ていた。

誰にも媚びない真っ直ぐな目だった。


「古田、それじゃあ結構つらいでしょう」


自然と目が泳いだ。

何故?

クラスで俺よりもずっとつらい立場にいるコイツが、俺につらいだろうと言う。

じわり、と背中を伝う汗のように嫌な感情が沸き上がった。

それは理不尽で衝動的な怒りだった。


「お前に何が分かる」


叫ぶように言っていた。

いや、それはもう叫びだった。


動揺を取り繕うように、瀬川を睨み据える。

瀬川は見透かすように俺を見ている。

相変わらず揺るがない美しい顔で。

何で。

何でコイツはこんな目をしていられるのだろう。


ああ、と思った。

きっとこういう処なのだと。

美しすぎるコイツの目に自分の醜さが浮き彫りにされる。

だから誰もが見ない振りをする。

コイツは全てを見透かすように人を見る。

強すぎるのだ。


たまらなかった。

喉を掻きむしりたくなるほどの恐怖と、嫌悪が俺を襲った。

自分に対する嫌悪。

何も言えずに、ただ汗が頬を伝った。


「何も」


瀬川は澄んだ声で言う。


「君の気持ちなど何も分からないよ」


俺は、上手く生きている。

不特定多数が全て正しい。


「ただ、生きづらそうだと思ったの」


逃げろ。

異端者の声に耳を傾けるな。

(それが、どんなに正しく的を得ていたとしても。)


今すぐ此処を離れなければ。

(すべてを取り戻せなくなる前に)


 瀬川が瞬きしたその一瞬、俺は弾かれたように教室を飛び出した。


走れ、逃げろ、と脳が命令する。

捕まるな。

捕まるな。


だけど、俺はもう、その時すでに


捕まってしまって居たのだろう。



***


「古ちゃん今日、変じゃない?」


どきっとした。嫌な汗が背中を伝う。

それでも俺は顔に笑顔を貼り付けた。


「そう?そんなこと無いよ。ちょっと寝不足なだけ」


「ふーん。寝不足は敵だよ」


「ね。お肌に良くないよ」


そうだね、と俺は無理矢理頬をつり上げて、笑った顔を見せる。


変だ。

どうもおかしい。


あの日の放課後、瀬川と出会ってしまってから。


--張り詰めた糸みたいね


ちがう。俺はちゃんとうまくやっている


--古田、それじゃあ結構つらいでしょう


「--ちゃん」


つらくない。俺はちゃんと“普通”だ。


「古ちゃん!」


はっと顔を上げる。

“友人”たちが不審げに俺を見ていた。


「もう!眠いのー?」


「次体育だよ!早く移動しよ!」


「あ・・・うん」


引っ張られるようにして、席を立つ。

ちらりと振り向いた先で、瀬川は静かに本を読んでいた。

誰も彼女を誘わない。

誰も、彼女を見ない。


瀬川は背筋をまっすぐ伸ばして、そこに存在しているのに。


俺はギュッと目を瞑り視線を逸らした。

腕を引かれるままに歩く。

流される。


瀬川は何であんなに強いのだろう。


俺は、弱虫だ。




***


俺は日を追う毎に追い詰められていった。

“友人”たちの前で上手く笑えない。

教室に居ると、息が詰まりそうになる。


死にそうだ。

苦しくって堪らない。


俺は待った。

誰もいなくなった放課後。

アイツを待った。


確信もなく。


ただ、これ以上は逃げられないと思ったから。


ヒグラシが鳴く。

ヒンヤリとした教室。

待ち合わせたように、俺と瀬川は対峙する。


瀬川は俺を真すっぐ見、俺は俯いていた。


「私、誰もいない教室って好きよ」


瀬川は言う。少し笑みの混じった言葉で。


「がらんどうで。何にも無いから」


何の縛りもないから、と瀬川が言う。


俺はじりじりと沸き上がる汗と焦燥にぐっと目を閉じた。


一瞬、の静寂。

ふわりと風を感じたあと、またヒグラシが鳴く。


ねえ、と瀬川が慰めるように声を出すから、俺は漸く顔を上げた。

瀬川は、とても優しい顔をしていた。


「もう、よしなよ」


「瀬川・・・」


俺は直感的に分かってしまったんだ。

瀬川が、何を言おうとしているのか。


「君に、」


俺が一番恐れていて、確かめたかったその言葉を、瀬川はきっと言う。



「君には、スカートは似合わないよ」


「っ・・・」


何も言えなかった。

目線を下げるとスカートから伸びる、俺の細く頼りない足が見える。

それが自分の足だなんてまるで思えなかった。

ひゅっと喉が鳴る。

ねぇ、と瀬川が俺を呼ぶ。

俺は抗えずにまた、顔をあげた。


「君は何処からどう見ても女の子だけど、私にはそうは見えない」


「っんだよ。変態にでも見えんのかよ」


瀬川は緩く首をふった。


「君は、男の子なんでしょう?」


気付いてる?私の前ではずっと男の子の口調よ?

そう言って瀬川が笑う。それは妖艶な、と表現するのにぴったりの微笑だった。



***


 気付いた時には、俺は男だった。

違和感から始まった。小さい頃両親が着せてくる花柄のスカートを泣きわめいて嫌がった。

「女の子らしくしなさい」と言われるたびに奥歯をかみしめ理不尽な気持ちを押し込んだ。

自分は「女の子」ではないのだと、本当は心から叫びたかった。

 中学生になって、身体が変化し始める。生理が来る。身体が丸みを帯びる。

鏡を見るのは嫌いだった。どんどん自分は“女”になる。


せめてもの抵抗に髪をベリーショートにし、制服はスカートの下に何時もジャージを着た。


初めて恋をした。

中2の春。

友達の美佐子。

ふわっとしていて可愛くって。気付いたら好きだと思っていた。

美佐子もよく俺に懐いてくれていて、俺たちはよく一緒にいた。

俺にとってそれはとても自然なことだった。


『美佐子と古田さん、超仲良いよね』


放課後の教室。美佐子とクラスメイトの女子の話し声。

自分の名前が出て、思わず足を止めた。


『古ちゃんといるとなんだか楽なの。古ちゃんミサのお願い何でも聞いてくれるし』


美佐子は、にこにこと応える。


『なんか、怪しくない?』


『なにが?』


『美佐子に気があんじゃない?あの子やけに男前だし』


『なになに禁断の世界?百合ってやつ』


ネタにもならない、ただのからかいだった。


『やだよ。きもちわるいなぁ』


美佐子はにこにこと応えた。

きもちわるい。

美佐子の口から無邪気に溢れたその言葉は、俺の胸をいとも簡単にえぐった。


当たり前だ。

言われて当然だった。

異質は排除されて当然なんだ。

俺は、普通じゃないから。



ベリーショートをやめた。

髪を伸ばした。

スカートの下のジャージを脱いだ。

鏡を買った。

美佐子の恋の話を笑って聞いた。


全ては、排除されないために。

異質に見られないために。



うまくやってきたんだ。

俺は、上手く女子高生を演ぜていたんだ。


「私は、」


声が震えていた。

自分はなんて頼りない声をしているのだろう。


「君に『私』は似合わない」


瀬川は俺を追い詰める。

強い瞳で問いかける。

なぜ、自由にならないのかと。


「やめ、ろ」


俺は、“普通”でいたいんだ。

異質は排除される。

強い力で否定される。


「君はとっくに限界だよ」


なんで、瀬川はそんなに強いんだ?

堪えきれずに涙が溢れた。


「普通でいたいんだ」


ぼろぼろと、泣きながら俺は言った。

瀬川が満面の笑みで頷く。


「うん」


「だけど、俺は男だ」


心と体の不協和音。何時だって否定したかった。

俺は、異端ではないと。

だけど、どうしたって俺の身体は女で心は男だし、女子の制服を着る自分は異常に思う。


「君は男の子だし、それが君の普通なんだよ」


瀬川は、笑った。

風が瀬川の長い髪を遊ばせて、

それは、言葉じゃちょっと言い表せないくらい、

とても美しかった。


俺も、涙でぐしゃぐしゃの顔で笑った。



***


髪を切った。

クラスの女の子にショートカットも似合うね、と言われて曖昧に笑った。

スカートも女の振りも前と相変わらずだ。

俺は、このまま普通の女子生徒としてこの学校を卒業するだろう。


外面的には殆ど何も変わってない。だけど俺の心は、やけにさっぱりしていた。


俺はただ、誰かに打ち明けたかっただけなのかも知れない。


ただ、一つ。大きく変わったこと。

俺は瀬川とよく話をするようになった。

瀬川と話すことで、少しずつ自分の周りから人が減っている気がするが、俺はそのことを気にしなかった。


「なあ、お前男寝取ってるって本当か?」


屋上で二人弁当を広げながら、俺は不躾に瀬川に聞いた。

瀬川は、口に運びかけたタコさんウインナーをピタリと止める。


「・・・男?」


「寝取って嫌われてんじゃねーの?」


俺の不躾な質問に瀬川はその美しい眉を一瞬顰めて、そしてすぐ妖艶に笑った。

ドキリ。と心臓が鳴る。

瀬川の笑顔は心臓に悪い。

いや、あれだ。つまり不可抗力。


「佐恵子の好きだったサッカー部の城谷。由美が告白したバスケ部の飯田。佐川さんが密かに想っていた生徒会長の宮城先輩。香苗がバレンタインで本チョコをあげた・・・」


つらつらとクラスの女子と、その好きだった相手を挙げていく瀬川。

どうした、行き成り。暑さにやられたのか?

俺が唖然と声も出せずに居る間に、軽くクラスの2/3の女子の名前と、その思い人が挙げられた。


「なん・・・」


「全部、私を好きだからという理由で振られたらしい」


「は?」


「つまり、クラスの殆どの女子の恋敵。宿敵。憎き相手」


This is me. とばかりに自分を指さす瀬川。

指のチョイスが親指なのが、なんか格好いいぞ。

な、なんだ?つまり、瀬川がハブられてんのって、ただの女の逆恨み?

つーか。瀬川モテすぎだろ。


「じゃあ、寝取ったっつーのはデマかよ。つか、お前が特定の彼氏作んねーから、んな根も葉もねえ噂言われるんじゃね?」


こんだけ、モテる瀬川は、誰とも付き合わないことでもまた有名だ。

美人でフリーとあらば、そりゃ男もほっておけんのは世の摂理。

誰か一人に決めてしまえば、男子も女子もそうそう騒ぐまい。


俺が、イチゴジュースをズルズル吸いながら提案すると、少しだけ首を傾げて(そんな姿も可憐だ)瀬川が言う。


「ねえ、古田に私の秘密を教えようか」


「っな、んだよ」


俺の耳に顔を寄せてくる瀬川。

甘い匂いが鼻腔をくすぐって不覚にもドキリとした。



「私ね、実は男なんだ」


俺は目を見開いて瀬川を見る。

何処からどう見ても完璧な美少女が、満面の笑みを浮かべていた。



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― 新着の感想 ―
[良い点] はじめまして、湊といいます。 空野さんの書く文章が大好きで、ここにあげられているものは全部読ませていただいてます。 「夏目さんと私」も大好きですが、このお話も大大好きです! 感想を書くのは…
[良い点] この物語の世界観にぐぐっとひきこまれました。読んでいて情景がうかぶみたいですごかったです。 [一言] 文章の書き方すごく上手でスラスラと読めました!このストーリーもとてもおもしろかったです…
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