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第77話 ボランティア団体の課題

 7月。


 午後、チューリップの事務所には、書類の山が積まれていた。


 七海はプリントアウトされたアンケート用紙をまとめながら、蓮に視線を向けた。


七海「これで、査読、通せるかな……」


蓮「やるしかない。十分可能性はあると思うけど、決めるのはジャーナル側だから。運もある。ダメなら、狙うジャーナルを変更する」


 蓮は落ち着いた声で答え、ノートパソコンの画面を指した。そこには研究計画の草案が映っていた。


 テーマは「ボランティア定着の規定因(=結果を左右する要因)」。


 チューリップをはじめとした小児がんの子どもと遊ぶボランティア団体。それらに共通する最大の課題は、人が来てもすぐに辞めてしまうことだった。


 活動に共感してもらえても、継続してもらうのは難しい。どこのボランティア団体も、代表の負担が重く、運営はぎりぎりだった。


蓮「ちゃんとデータを取ろう。ボランティア参加者の動機、それと、感謝のメッセージが本当に効果を持つかどうか」


 蓮が指で画面をスクロールすると、表が現れた。


蓮「この尺度を使って測るんだ。ベースライン、8週、16週、24週。6か月で縦断」


 七海は少し身を乗り出す。


七海「でも、感謝のメッセージって、そんなに効果あるの?」


蓮「ある。ボランティア研究の古典的な論文。組織から認められているって感じてもらうことが大事(※1)」


 淡々と説明する蓮の横顔を見て、七海は小さく笑った。


七海「ほんとうに、そういう結果になるといいな」


 七海は、アンケート用紙の束を両手で抱えた。そこには「活動をしていて、自分が役立っていると思いますか」「今後も続けたいと思いますか」といった質問が並んでいた。


七海「でもね。もし、それが重要じゃないって結果になったとしても。『ありがとう』って伝えること、それ自体の大切さは失われないって思うの」


蓮「うん。それは間違いない。でも、ここで問題にしているのは、それがボタンティア定着の規程因かどうか。規程因じゃなかったからといって、意味がないという結論にはならない」


 蓮の声は変わらず静かだった。



 翌週、北高と白嶺のボランティア担当教員、合計5名。そこに白嶺学院の数学教員も交え、ボランティア班のメンバー8名が、オンライン会議をしている。


 スクリーンに映し出されたスライドには、「感謝表明介入」「リーダーシップ」「VFI動機-役割マッチング」といった難しい言葉が並ぶ。


蓮「つまり、こういうことです」


 説明を続ける。


蓮「仮説は、こうです。ボランティア参加者の動機が満たされるほど、エンゲージメントが高まり、定着率が上がる。そこに感謝のメッセージや質の高いリーダーシップが加わると、その効果が増幅される」


 すかさず、白嶺、医学研究会のメンバーが質問を投げる。


生徒A「参加者の動機の測定は、どうやるのですか?」


蓮「VFIを使おうと思う」


生徒B「VFIって? すみません、不勉強で」


蓮「Volunteer Functions Inventory(ボランティア機能インベントリー) の略。ボランティア研究で広く使われている、ボランティアに参加する動機を測定するための国際標準の尺度なんだ(※2)」


 七海は横で聞きながら、胸の高鳴りが大きくなる。


——蓮くん、かっこいい。


 自分たちの活動が、数字や理論で確かめられる。論文になれば、もっと多くの人に届くかもしれない。


——蓮くんがいてくれたら、私たちの活動が、学問の発展にも貢献できるかもしれないんだ



 白嶺と北高、それぞれのボランティア現場での試行錯誤が開始された。


 定期的に、ボランティアの各代表から、ボランティアへ短い感謝のメッセージを送る。


「昨日も、本当に助かりました。子どもたちの笑顔が増えたのは、あなたのおかげです」

「今日も、一緒に遊んでくれて、ありがとうございました。助かってます」

「子どもたちも、あなたにまた会えること、楽しみにしているようです」


七海「効果が、もう実感できてる。白嶺の方でも、良い感じって報告受けたよ」


蓮「良い感じ。それを、数字で出したい。実際に、何%の定着率改善につながるのか」


 蓮は冷静に答える。七海は、その声の奥に確かな手応えを感じていた。


 同時期に、ボランティア各代表にリーダーシップ研修も行われた。白嶺の教員が「リーダーシップ」の要素を解説し、各代表たちは、真剣にメモを取った。


 残すところは、現場でのデータ収集のみとなった。ただ、このデータ収集は、長期になればなるほど、価値を持つ。だから、今年の文化祭には、間に合わない。後輩に引き継いでいくことになるだろう。


 そして集められたデータを統計的に処理すれば、論文となる。それをジャーナルに提出する。


 文化祭に間に合わないことは、残念である。ただ、この活動に価値があることは、みんな、はっきりと感じていた。世代を超えて研究が続くことも、誇らしい。


——私たちの活動が、いつか本当に、論文になる。


七海「これって、ボランティア団体を支えるために始めたことだった。でも結局、私の方が支えられてるって感じる」


蓮「そう。研究ってさ、研究者の方が救われたりするんだよ」

最終章。第77話までお読みいただきました。ありがとうございした。とても、嬉しいです。


少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。


さて。


やはり、蓮の存在は大きいですね。現場で行われている様々な活動は、統計処理さえできれば、立派な論文になるものも多いのだと感じています。いまはまだ難しくても、近未来、こうした統計処理は人工知能が行なってくれるようになるでしょう。そうなれば、世界はより良い場所になる……と、いいな。


引き続き、よろしくお願い致します。


参考文献;

1. Eisenberger, R., Huntington, R., Hutchison, S., & Sowa, D. (1986). Perceived organizational support.

Journal of Applied Psychology, 71(3), 500–507.

2. Clary, E. G., Snyder, M., Ridge, R. D., Copeland, J., Stukas, A. A., Haugen, J., & Miene, P. (1998).

Understanding and assessing the motivations of volunteers: A functional approach.

Journal of Personality and Social Psychology, 74(6), 1516–1530.

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