第76話 最後の体育祭
6月。体育祭。
七海は、運動が苦手。なので、過去の体育祭では、いつもひっそりとしていた。
けれど、これが最後の体育祭。七海も、変わっている。どうせなら、この特進クラスのメンバーと優勝を喜びたい。そう思えるようになった。
空は抜けるように高く、夏の気配をはらんだ風が、校庭を渡っていく。
白線が引かれたトラックのまわりには、色とりどりのテントが並ぶ。そこからクラスごとの旗がはためいていた。
スピーカーから流れる音楽とアナウンス、笛の音。そこに生徒たちの歓声が入り混じり、校庭全体が熱気に包まれている。
七海はクラスTシャツの裾を整えながら、隣に立つ蓮を見上げた。
七海「ねえ、なんか緊張してきた」
蓮「走るだけだろ」
七海「そういう問題じゃないの。最後の体育祭なんだから」
蓮はわずかに苦笑し、タオルを差し出す。汗ばみ始めた額をそれで拭いながら、七海は小さく笑った。落ち着いた表情の蓮を見ていると、不思議と緊張が和らぐ気がする。
校庭の中央付近では、カイオが仲間と談笑していた。
カイオの体格は、遠くからでも目立つ。ユニフォームの袖をまくった腕は、日差しを受けて光っている。カイオが笑うと周囲もつられて笑い、場が一層明るくなるようだった。
スタンドでは、美月がカイオのクラスの旗を掲げ、声を張り上げている。美月、カイオとは別のクラスのはずなのに。
蓮「美月、なんであっちのスタンドにいるの?」
美月「カイオー! がんばれー!!」
その声にカイオは大きく手を振って応え、クラスメイトたちからも笑いが起こった。
夢咲は、友だちと写真を撮り合っていた。派手にデコレーションした髪を揺らしながら、スマートフォンを掲げてはポーズを決める。遠くから七海をみつけると、満面の笑みで手を振った。
夢咲「七海! あとで一緒に撮ろう!」
七海「うん!」
七海も笑って手を振り返す。
トラック脇では長谷川が係員の腕章をつけ、整列の誘導をしていた。真面目に声を張り上げるその姿は、夢咲を乙女モードに変えていた。
やがて「クラス対抗リレー」のアナウンスが響いた。スタンドがざわめき、生徒たちがトラック沿いに集まる。七海の心臓は早鐘を打つように鳴り始めた。
七海「次、私の番……」
バトンを握りしめる手に汗がにじむ。スタート地点に立ったとき、蓮が短く声をかけてきた。
蓮「大丈夫だ」
その一言で、胸の奥にあった不安がすっと軽くなる。七海は小さく頷き、キッと前を向いた。
笛の音が響き、リレーが始まった。歓声の波の中、バトンが次々と繋がれていく。七海は受け取ると同時に全力で走り出した。風が髪を後ろに流し、足音がトラックに響く。
応援の声が遠く近く重なり合い、美月の姿が前方に見えた。美月の笑顔に向かって、七海は最後までスピードを落とさず走り切る。
——これが私の人生で、最後の、リレーの記憶になる。
美月にバトンを渡すと、彼女は勢いよく飛び出していった。肩で息をしながら振り返ると、スタンドから夢咲が手を振り、大きな声で叫んでいる。
夢咲「七海、ナイスラン!」
その隣でカイオが親指を立てて笑う。長谷川は走者の整列を整えながらも、ちらりと視線を寄こして微笑んだ。
アンカーがゴールを駆け抜けた瞬間、クラス全員が立ち上がる。歓声と拍手が、響き渡った。特進クラスの順位は、真ん中あたりだった。でも勝敗以上に、「みんなで走り切った」ことが誇らしかった。
午後、七海と蓮は競技を終えて校庭の隅に腰を下ろした。風に吹かれながら、七海は持参した冷たいお茶をふたりで分け合う。
七海「最後の体育祭、思ったより楽しい」
蓮「そうだね」
七海「来年は、もう、こういうのないんだよね」
少し寂しさを含んだ声に、蓮は黙って七海の手を取った。
蓮「だから、今日を覚えておこう。ずっと」
その言葉に、七海が微笑んだ。握った手が温かく、胸の奥までじんわり広がっていく。
グラウンドの中央では、カイオが仲間に肩を組まれ、笑顔で写真を撮っていた。美月はその様子をスマートフォンに収め、SNSにアップしている。
夢咲はクラスメイトを引き連れ、次の種目に向かって走っていった。長谷川は腕章を直しながら、真剣な顔で、なにかの準備を続けている。
校庭の熱気と歓声の中、それぞれが自分の場所で輝いていた。
七海は、蓮の肩に軽く頭を預ける。
七海「今日のこと、絶対忘れない。絶対」
蓮「ああ。忘れない」
七海は、泣かない。ただ穏やかに、笑っている。
最終章。第76話までお読みいただき、ありがとうございます。嬉しいです。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
自分に興味のなかったことまで、七海は、頑張れるようになっています。それは、興味のないことでもやれるという意味ではありません。そうではなくて、いまの七海は、自分の興味を「育てる」ことができるのです。だから、過去にはつまらなかった体育祭を、いまは楽しめています。
引き続き、よろしくお願い致します。




