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第72話 七海の迷いかた

 明日から、新学期。最終学年。七海と蓮は、3年になる。


 自宅、夜のリビングは静かだった。


 机の上に置かれた2つのマグカップから、暖かいココアの湯気が、ゆらゆらと立ち上っている。


七海「ココアでよかったの? 蓮くん、甘いの苦手なのに」


蓮「うん。たまにはね」


 七海は両手でカップを包み込み、ひと口飲んでから「ふう」と息をついた。頬がほんのり熱を帯び、指先まで温まる。


 隣に座る蓮が、肩にかかってしまった七海の髪を、指でそっとよける。


七海「ありがとう」


蓮「飲みにくそうだったから」


 七海は視線を落とし、少し黙ってから、意を決したように口を開いた。


七海「ねえ、蓮くん」


蓮「ん?」


七海「私ね、グリーフケアに興味あるの」


 グリーフケアとは、大切な人を失った人の悲しみに寄り添い、心の回復を支える支援のこと。圭吾との関わりの中で、知った言葉。


 七海の声は真剣だが、どこか揺れていた。七海はカップをテーブルに置き、両腕を自分の胸に抱き寄せる。


 蓮はすぐには答えず、ただ七海の横顔を静かにみつめる。その視線は、七海から逃げ場を奪うものではない。むしろ安心を与えている。少しして


蓮「詳しく、教えてくれる?」


 七海は少しうつむき、ゆっくり言葉を選んだ。


——自分が学ぶべきことを、疑う。


七海「大切な人を失ったとき。誰も、すぐには立ち直れない。自分でも知らないうちに、罪悪感とかが内側で育っちゃう。そういうのを、薬とか手術じゃなくて、寄り添うことで癒したい」


 話しているだけで、胸が苦しくなる。けれど、蓮が真剣に耳を傾けてくれている。それを感じると、七海の言葉は、不思議と止まらなかった。


蓮「医学部を、目指さないてこと?」


七海「わからない。でも、真剣に迷うべきだって感じてる。医学部の勉強は、入学してからもすごく大変だってわかってる。人体について学ぶのと同時に、グリーフケアの勉強、できるのかなって」


 七海がカップを再び持ち上げたとき、蓮はそっとその手を包んだ。


蓮「危ないよ、こぼしそう」


七海「うん。ありがと」


 蓮に触れられるだけで、安心が広がる。魔法みたいだ。


七海「蓮くんは、どう思う?」


 七海が小さくたずねると、蓮は、いつもの落ち着いた声で


蓮「いいと思う。七海がほんとうに知りたいのは、自分自身のことなんだって感じてる」


七海「私自身のこと……そうなのかもしれない」


蓮「七海は、自分のことがわからなくなる。『私、どうしちゃったの?』ってこと、よくあるよね。でもそれが、七海の強み。自分の心と身体のギャップを、鋭く正確に観察する力が、七海にはある」


 その確かな物言いに、胸が満たされる。七海の目頭が熱くなる。


——私のこと、私以上にわかってくれてる。わかろうと、してくれてる


七海「蓮くんって、ずるい。そんなこと言われると、また泣いちゃう」


蓮「七海こと泣かせるの、好きかも」


 そう言って、蓮はハンカチを差し出した。七海はそれを受け取りながら、思わず笑ってしまった。


七海「優しすぎる」


蓮「七海が、大切だから」


 短い言葉が、胸の奥の奥まで届く。七海は蓮の腕に身を寄せ、頬をそっと肩に押しつける。


七海「私、真面目な話してたはずなのに……こんな気持ちになるの、おかしい」


蓮「七海と、こうしていると、嬉しい」


 七海の心臓が高鳴る。ココアの香りが、溶け出すように広がっていく。


七海「ずっと支えてくれる?」


蓮「もちろん」


 蓮はそう言いながら、七海の指先を軽くなぞった。七海はくすぐったさを覚え、蓮の手を握り返した。


七海「私、グリーフケアについて、もっと調べてみる」


 肩に頭を預けながら七海がつぶやく。


 蓮は七海の髪に手をそえ、ゆっくりなでた。大げさな動作ではない。日常の一部のような仕草。


七海「ねえ。もし、色々うまくいかなくて、グリーフケアに進めなくても、笑わない?」


蓮「ごめん、笑うと思うよ。またなんかやってるって。でも、七海を馬鹿にして笑うんじゃない。頑張ったって、思うから。また、好きに迷えばいいって思うから」


 蓮の言葉に、胸が詰まる。七海は、蓮の胸に顔を埋めた。


七海「だいふひ」


蓮「知ってる」


 七海は顔を上げ、むっとしたように頬をふくらませる。


七海「ちゃんと言って」


 蓮は少しだけ目を伏せ、それから


蓮「愛してる」


 言葉のあと、蓮は七海の頬に指先で触れ、髪を耳にかけてやる。


 七海はたまらず、蓮の首に腕を回し、自分の胸に引き寄せる。


七海「ありがとう。ほんとうに、嬉しいんだよ。この気持ち、伝わるといいな。伝わるといいな」


 七海の頬を、大粒の涙がつたう。


 ふたりの間に漂う香りが、ココアよりも深くて、温度のあるものになっていく。


——蓮くんがいるから、私は、いくらでも迷えるんだ

第6章の終わり、第72話までお読みいただきました。本当に嬉しいです。ありがとうございます。


少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。


さて。


甘々エピソード、重ねました。より、落ち着いてきた感じでしょうか。罪悪感と向き合い、突破した七海は、進路に迷っています。


引き続き、よろしくお願い致します。

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