第66話 神戸、御影邸にて
2月。
北川高校の医学研究会は、部活として、小児がんの子どもと遊ぶ、ボランティア活動に参加するようになっていた。(注)
安藤の紹介を起点として、連携する小児病院、ボランティア団体も増えそうだ。
ボランティア団体も、個人のボランティアを探すより、部活と連携した方が好都合。安定的に高校生がボランティアに来てくれる。ボランティアの「量」が稼げる。
ただ、それ以上に、部活として、先輩が後輩にボランティア教育(特にプライバシー保護の観点が重要)を行ってくれる点が大きい。ボランティアの「質」も高まる。
北川高校は、もともと地域ボランティアが盛んな高校。ボランティア担当の教員も3名いて、基本的な指導はもちろん、渉外の場に同行してくれたりもする。
医学研究会の活動としてのみならず、北川高校の活動としても価値が高い。将来的には、医学研究会のメンバーでなくても、希望する生徒を派遣することも検討したい。
そんな話を、七海は、自分が神戸に行くことと合わせて、白嶺学院の医学研究会、皆川 桜、元・部長(44話)にSMSでメッセしていた。
七海「というわけなんです」
皆川「すごいね! それ、白嶺の医学研究会で披露してよ」
七海「ご迷惑では?」
皆川「みんな喜ぶよ! あと、新しい部長も紹介したい! 北高と白嶺の連携、すすめよ!」
七海「わかりました。日程調整しましょう」
皆川「あとあと、私、来月から東京で一人暮らし」
七海「えー! じゃあ、北高にも遊びきてください! 大学ですか?」
皆川「そそ。春から、念願の医大生! 北高、いく!」
七海「うわ、おめでとうございます! 医大生の先輩が、北高の医学研究会に遊びきてもらえたら、部員のみんな、聞きたいことたくさん!」
皆川「東京に友だちいないから、色々、助けて!」
七海「もちろんです!」
◇
土曜日の朝。
新神戸駅の新幹線口改札、御影母がいる。
御影「母さん、お待たせ」
七海「お母様、お久しぶりです」
御影母「七海ちゃん、本当に綺麗ね。さ、車待たせてるから、こっちこっち!」
ロータリー脇、黒のアルファードに乗り込む一行。運転手の村上が、七海に丁寧な挨拶をする。
御影、やや大袈裟に喜びをみせて、その村上に
御影「息子さん、第一志望に合格されたと伺いました! これ、つまらないものですが、合格祝いです。よろしくお伝えください! よかったですね!」
——夢咲スキルだ。蓮くんも、頑張ってる
村上「そ、そんなとんでもない! ぼっちゃん、いけません、こんな」
御影「なにおっしゃってるんですか。こっちがいつもお世話になってるんです。こんな、めでたいときくらい、お祝いさせてください!」
御影母「蓮、あなた、できるようになったじゃない。大人になったわね。関心した。そういうこと、ほんと大事よ。きっと、七海ちゃんのおかげね」
七海「え、違います! 蓮くんが、すごいだけです! 蓮くん、なんでもできちゃうから——」
御影母「蓮は、小頭がいいだけよ。中身は、まだまだ、偽物だわ。でも、村上さんに対して、正しく、きちんとできた。本当に、変わったわね。七海ちゃんのおかげ。今日は、たくさんお話ししましょ!」
あからさまに上機嫌になった村上が、車を出す。
七海が神戸に来るのは2度目。前回は、色々と緊張していたこともあり、あまり神戸の街を楽しむ余裕がなかった。でも今回は、違う。
新神戸駅を出ると、すぐに山の緑が近づいてくる。トンネルを抜けると光にあふれた街が広がる。坂を下るごとに、視界が開けていく。
東京ではみない、異人館の屋根が並ぶ。その雰囲気に、驚かされる。通りにはおしゃれなカフェや並木がある。それから近代的なビルと、その向こうに、青い海が見えてくる。
東京から来た七海には、山と海に抱かれた街並みが新鮮だ。景色が少し変わるたびに、心をつかまれる。神戸には、自然と異国情緒の調和があった。
御影母「さ、ここよ。七海ちゃん、ようこそ我が家へ」
白い壁に黒い瓦がのり、広い庭には松や灯籠がある。格子の窓からは、やさしい灯りがもれる。落ち着いた雰囲気の、上品な日本家屋だった。
七海「すごい……すてき」
築70年以上にもなる。かつて、商家の主人が家族と暮らした屋敷とのこと。当時は、季節ごとに庭で客をもてなしたそう。
この家屋は、世代を越えて持ち主に恵まれてきた。受け継がれ、時代に合わせて手を加えられてはいる。しかし、和の趣だけは、大切に守られてきた。
御影母「維持するの、大変なんだけどね。でも、それも楽しいのよ」
御影「あれ? 灯篭、なおってる」
御影母「ちゃんと、そういうの、気づけるようになったのね。ずっと生物にしか興味なかったのに。全部、七海さんのおかげ」
七海「お母様、かいかぶりすぎです!」
御影母「お母様はやめて。美穂子でいいわ」
美穂子に「あんた、邪魔だからどっか行ってなさい」と言われた蓮は、白嶺時代の親友、南 隆信(39話)と連絡を取る。蓮は、夕食まで帰らないと行って、家を出ていった。
七海は、美穂子とふたりきり。緊張する七海。
美穂子「コーヒーか、紅茶。どっちがいい?」
七海「紅茶で、お願いします。あ、私が淹れます!」
美穂子「だめ。私に、やらせて。お砂糖とミルクは?」
七海「す、ストレートでお願いします」
美穂子「無理してるでしょ?」
七海「いえ。蓮くんのお母様のことです。きっと、こだわりのある紅茶なんだと、覚悟してます。だからまずストレートで楽しんでから、お砂糖とミルク、考えたいなと」
美穂子「さすがね。でも、お母様はやめて」
七海「み、美穂子さん」
美穂子「はい!」
笑う。
キッチンで、美穂子は、紅茶を淹れている。その間、失礼ながら、七海は、御影邸の内装を観察させていただく。
広い和室を改装したリビングには、大きなガラス窓。家の中が、外の庭と一体に感じられる。白壁と木の梁に調和して、モダンな家具や照明が映える。伝統の中に、近代的な息づかいがある。
動線も家具の配置も、考え尽くされている。さすがだ。
美穂子「はい。お口に合うと、いいんだけど」
七海「いただきます」
焼きたてのパンみたいな、ほのかな甘い香りがする。それに、焙煎した木の実を思わせる香ばしさをあわせ持っていた。甘さだけでなく、力強い余韻が舌に残る。ただのお茶とは違う「豊かさ」を感じる。
七海「すごい……」
美穂子「イギリス統治下のインド時代に開拓された、紅茶の産地、アッサム。王道であり、力強い。その中でも、初夏に収穫されるセカンドフラッシュ。それが、この紅茶よ」
七海、言葉が出てこない。七海はこれまで、安売りの紅茶パックばかり買って飲んできた。そんな七海には、鮮烈にすぎる体験だった。
——こんな、こんな飲み物が、この世にあるんだ!
美穂子「王道の中の最高峰。この茶葉の評価よ。お砂糖やミルクを足しても、まったく、本来の味は負けないわ。だから、大丈夫よ。好きに、お砂糖もミルクも足してみて」
七海「なんだか、もったいなくて、足せません」
美穂子「それは違うわ。『ありのままの軸』がしっかりしてる茶葉だからこそ、何を足しても大丈夫だし、楽しいのよ。もちろん、限度は、あるけどね」
七海「じゃあ、お砂糖を。私、甘いものが好きで」
砂糖を少し、足してみた。アッサム、セカンドフラッシュの力強さに、まろやかな甘みが重なる。味わいが、一段と深くなる。
香ばしさの角がやわらげられる。キャラメルを思わせる、優しい甘苦さ。余韻には、蜂蜜のようなやわらかい甘さが「ふわり」と遠慮がちに残る。
甘さが主役ではない。紅茶の厚みを引き立てる手段としての、砂糖。
美穂子「この茶葉が、私が感じた、七海ちゃんなの」
七海「?」
美穂子「あなたは、王道、誠実な人。その最高峰。だから、面白いのよ。論文を足しても、医学を足しても、蓮を足しても、きっと何を足しても。ぜんぶ、大丈夫。もっと、もっと面白くなるのよ」
七海「私、誠実じゃないです」
美穂子「なに言ってるの。茶葉の味を評価するのは、茶葉じゃないわ。茶葉に、味がわかるはずないじゃない。茶葉みたいに、七海ちゃんの価値を認めるのは、あなたの周囲にいる人たちよ」
七海「……」
美穂子「ご、ごめんなさい。私、無神経で……怒った?」
七海「いえ。ありがたいです。でも私、どうしても自分のこと、好きになれなくて……」
美穂子「私は、あなたのこと、好きよ。大好き」
七海「ありがとうございます。頑張ってみます」
美穂子「そうだ! 蓮の小さいころの写真、みる?」
七海「み、みたい!」
紅茶のお代わりを準備しつつ、美穂子は、用意していた写真アルバムを七海に渡す。
オランダで生まれ、赤ちゃんだったころの御影。家族と、友だちと、オランダの幼稚園で。そして5歳のとき。あのとき。
七海「こ、これ!」
キッチンにいる美穂子に向かって、七海は思わず、声を投げかける。美穂子は、七海が何に驚いているか、わかっている。七海の方を振り向きもせず
美穂子「そう。それ、七海ちゃん、あなたよね?」
写真の中で、5歳の七海と蓮が、ふたり、笑っている。
鮮明な記憶が、七海の身体に流れてくる。
◇
夕方から夜になろうとする時間。
保育園の教室には、5歳の七海とRené、ふたりだけが残されていた。先生と警備員は、別室にいる。
René「七海ちゃんって、いつも、お片付けしてるよね」
七海「うん。だって、みんな、ちらかしっぱなし。先生、困るでしょ?」
René「七海ちゃん、えらいって思うよ」
七海「ありがと!」
René「手伝わせて。僕も、七海ちゃんみたいになりたい」
七海を手伝って、お片付けを始めるRené。
七海「レネーだって、えらいよ。日本語も、オランダ語もできる」
René「ちがうよ。色々、言葉ができても、誰も、助けられない。でも七海ちゃんは、先生のこと助けてる」
七海「そう? レネーは、私のこと、気づいてくれる。いつも、いつも大切にしてくれる。だから——」
そう言いながら、5歳の七海は、René の方を向いた。
お片付けをしていたRené は、その手を止めて、窓の外をみる。
夕方の光が消えかけるころ。短い銀色の髪が、かすかに残るその光を拾い、オレンジに輝く。
青い瞳がゆれる。遠くをみつめ、その姿はどこかさびしくも、とてもキレイに映った。
◇
——あのとき。あのとき、私は、蓮くんに恋をしたんだ
七海「み、美穂子さん、この写真、コピーさせてもらってもいいですか?」
美穂子「もちろん、いいわよ。あっちにスキャナあるから、自由に使って」
七海「パソコン、パソコンのパスワード、パスワードを——」
美穂子「あわてないのよ。ちょっと待ってね」
七海「美穂子さん、この写真のこと、いつ、気づいたんですか?」
美穂子「先週……だったかしら?」
七海「蓮くんは、この写真のこと、知ってたんですか?」
美穂子「たぶん、知らないわね。あの子、神戸に移ってからは、生物のことばかりになっちゃって。その頃から、あの子、変わったのよ。感情がないみたいな、冷たくなったの。それまでは、元気だったのに」
七海「私のせいだ」
美穂子「なに言ってるの。七海ちゃんとお付き合いするようになってから、蓮、あんなに笑うようになったじゃない。七海ちゃんが、蓮のこと、人間に戻してくれたのよ」
七海は、スキャナで取り込んだ写真を、自分のスマホに転送した。
紅茶のお代わりができた。それを持って、
美穂子「さ、アルバムの続き、一緒にみよ!」
七海「もしかして……なんですけど。蓮くんの笑顔の写真って、これが最後なんじゃ……」
美穂子「そうね。そもそも、あの子、写真が嫌いで、枚数も多くないわ。修学旅行とかの集合写真か、体育祭とかでカメラマンが撮った写真がメイン。全部、ブスッとしてるわね」
七海「……」
美穂子「あ、でももう1枚だけ、笑顔の写真、あるのよ。私の宝物」
そう言って、美穂子は、スマホに保存された写真を、七海にみせた。
悪ふざけをしている蓮と南 隆信の写真だった。このときの蓮は、七海もみたことのない、長い銀髪である。
南に無理やり肩を組まれている蓮。笑顔の南が、蓮に顔をくっつけようとしている。同じく笑顔の蓮は、南の顔を手でつかんで、引き離そうとしていた。
七海「蓮くん、こんな顔するんだ」
美穂子「白嶺に入って、南くんとお友達になってからかな。蓮がまた、少しは笑うようになったの。でも、いまみたいに人間らしくなったのは、あなたのおかげなのよ」
七海「南さんに、会わないと」
こうして、第66話までお読みいただけたこと、本当に嬉しいです。ありがとうございます。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
北川高校は、ボランティアにも力を入れていると、第2話に書きました。その背景と意義について、お伝えすることができたのではないかな、と思います。これから、北高と白嶺の連携が始まります。
引き続き、よろしくお願い致します。




