第60話 告白
北川高校の文化祭「北灯祭」当日。
七海たちのクラスの出し物は、お化け屋敷。
医学研究会の仕事を切り上げ、七海と御影は、クラスの出し物の仕事をしている。それは「広告塔」として、首から宣伝のプラカードを下げ、校内を練り歩く仕事である。
白装束に天冠(頭につける三角形の布)をつけた七海は、顔ペイントはしていない。後に予定されている医学研究会の仕事があり、ペイントを落としている時間がないためだ。
御影は、フランケンシュタインの被り物をする予定だった。しかし女子から「御影くんの顔がみえない」と不評。顔ペイントも、女子の大反対によって、却下された。
そのため御影は、素顔にキバをつけただけの「オオカミ男」になっている。黒い長髪を束ねておらず、薄青い目の色と合わせて、御影はまるで、シベリアン・ハスキーのよう。
しかし眼光の鋭さは、シベリアン・ハスキー以上だ。ある男子が、思わず「フェンリル(北欧神話に登場するオオカミの幻獣)がいる」とつぶやく。
この「北灯祭」以降、御影のあだ名が「フェンリル先輩」になることを、このときの御影はまだ知らない。
さて。
昨年の「北灯祭」と同様、異様なまでに艶やかな七海と御影。
ふたりが、来校者たちと、すれ違う。来校者は、このふたりをみて、歩みを止め、無言にさせられている。来校者のみならず、在校生たちも、身体を硬直させ、無言になる。
そうした視線を、ふたりは、気にも止めない。校内は撮影禁止。勝手に撮影されることもない。
七海「蓮くん、ほんとうに、オオカミみたい」
御影「オオカミ、俺、大好きな動物なんだ。だから、この格好、嬉しい」
七海「この格好って、それ、ほとんど素のままの蓮くんじゃない」
御影「そうかな?」
七海が笑う。それだけで、周囲が華やぐ。
七海「でも、オオカミが大好きって、初めて聞いたよ。もっと、聞かせて」
御影「オオカミって聞くと、七海は、どんなイメージある?」
七海「『アルファ』って呼ばれる『強いリーダーが、群れを統率』する、みたいな?」
御影が、皮肉っぽく笑う。それで「なによ」と、プク顔になる七海。
御影「ごめん。でもそれ、間違った俗説なんだ。実際のオオカミは、そのイメージとは全然違う」
七海「そうなの?」
御影「うん。人間の管理下にないオオカミを、13年も追い続けた研究者がいるんだ(※1)」
七海「ほんとうに、オオカミのこと、知りたかったんだね」
御影「すごいよね」
七海「すごい」
御影「オオカミはね、生涯、ただ一人のパートナーといる。一夫一妻制」
七海「なんか、いいな」
御影「それでね。自然状態だと、ずっと家族でいるんだ。もちろん、死別して孤独になったりもする。あと、子どもが独り立ちして、出ていくこともある」
七海「うん」
御影「オオカミの家族はさ、言葉なんてなくても、深い愛でつながってるんだ」
七海「言葉を必要としない、深い愛」
御影「七海、イヌは好き?」
七海「うん。飼ったことはないけど、昔、ご近所に『小梅ちゃん』ってイヌがいてね、よく遊ばせてもらった」
御影「イヌ(Canis lupus familiaris)は、分類学的には ハイイロオオカミ(Canis lupus)の亜種。遺伝的に、イヌは、オオカミなんだよ(※2)」
七海「そ、そうなの?」
御影「世界で最も権威ある科学誌、Natureに載ったほどの事実」
七海「Nature、私でも聞いたことある」
御影「うん。でさ、七海。『小梅ちゃん』から、愛を感じなかった?」
七海「感じた。『愛してます!』って、まっすぐ、伝わってきた」
御影「言葉を持たないからこそ、愛の表現が上手くなった。それが、オオカミ。人間はむしろ、言葉で表現しようとするから、大事なことを伝えるのが下手になった」
七海「……」
御影「『愛してる』って、言葉だけもらっても、信じられないでしょ? 七海が苦しんでるのは、俺たちがオオカミじゃないからだよ」
七海「オオカミだったら、よかったのに」
御影「イヌ、すなわちオオカミはね、生物学的にも、極めて『誠実な』生き物だってみなされてる(※3, 4)」
七海「……」
七海の様子がおかしくなる。なにかが、起こる。覚悟する御影。
首にかかっていた宣伝プラカードを外し、七海は、それを花壇のところに置く。
ふたりは、昇降口の近く、北高の前庭にいる。
なにかを感じた、周囲にいる人々の目線も、七海に釘付けとなる。
いつの間にか、七海は、天冠をどこかに落としていた。
七海は、ただ、白い浴衣を着ただけの、艶やかな女性として、いる。
ますます凛とする七海。遊びのない、張り詰めた感覚が伝播していく。
白い浴衣が、白無垢の優美な和装にみえる。目をこする人々。
七海「誠実とは、嘘いつわりなく、心の底からの思いで人と接することです」
七海「夢咲に言われ、やっと、気づきました。私は、蓮くんと結婚してると思っていました。ですが、私の気持ちは、結婚には、とても追いついていなかったのです」
七海「心の底では、不安ばかり感じていました。蓮くんの愛を、信じきることができませんでした」
七海「愛を信じきれない結婚なんて、結婚じゃありません。私は、精神的に、とても結婚しているとは言えない状態だったのです」
七海「私は、オオカミでありたい。極めて、誠実でありたい」
秋の終わり、枯れた谷間を2頭で進む、誇り高きオオカミの夫婦が、みえる。
七海「蓮くん。あなたのことが好きです。好き。好きです。私と、お付き合いしてください。恋人から、やり直させてください」
七海「私に、『あなたの妻として胸を張れる自分』になるための時間をください。私は、変わりたい——」
七海「私は、オオカミでありたい!」
第5章の最後、第60話までお読みいただけたこと、本当に嬉しいです。ありがとうございます。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
フェンリル先輩のことは、ひとまず、置いておいて。可能なら、このときの七海のイメージを持って、再度、第1話の七海を見ていただきたいです。人間は、恋愛を通して、ここまで変化するのです。
引き続き、よろしくお願い致します。
参考文献;
1. Mech, L. David. (1999). "Alpha status, dominance, and division of labor in wolf packs." Canadian Journal of Zoology 77(8): 1196–1203.
2. Lindblad-Toh, K., Wade, C. M., Mikkelsen, T. S., Karlsson, E. K., Jaffe, D. B., Kamal, M., Clamp, M., … Lander, E. S. (2005). "Genome sequence, comparative analysis and haplotype structure of the domestic dog." Nature, 438, 803–819.
3. Miklósi, Á., & Topál, J. (2013). "What does it take to become ‘best friends’? Evolutionary changes in canine social competence." Trends in Cognitive Sciences, 17(6), 287–294.
4. Topál, J., Miklósi, Á., Csányi, V., & Dóka, A. (1998). "Attachment behavior in dogs (Canis familiaris): A new application of Ainsworth's (1969) Strange Situation Test."




