第57話 なんか、話せない
文化祭まで、残すところあと2週間。
朝。七海と御影は、登校している。
御影「文化祭だけどさ、俺は、ポスターで数理研究を発表するだけ。だけど七海たちは、消防署の方に来てもらって、『普通救命講習』の簡易版、やってもらうんだよね?」
七海「うん」
御影「医学研究会らしい出し物。大変だけど、頑張って」
七海「ありがと」
御影「カイオ、張り切ってるみたい。なんか、消防隊員にも興味あるみたい」
七海「美月に聞いてる」
御影「カイオ、パテシエじゃなかったのかと」(笑う)
七海「……」
御影「どうしたの? 元気ない?」
七海「違う」
御影「俺、何か、いけないことした?」
七海「してない」
御影「……」
無言で歩く二人。
——どうしたの、私? なんか、蓮くんと話せない
七海「あ、あの」
御影「うん」
七海「なんだか、変なの、私」
御影「我慢してる? 爆発しちゃいそう?」
七海「違う……と思う」
御影「わかんない感じ?」
七海「蓮くんのことだけ、大好き」
御影「ありがとう。嬉しい。俺も、七海のこと、大好き」
七海「だめ。また、泣いちゃう」
御影「やっぱり、我慢してる?」
七海「違うの。なんだか、大好きなのに、蓮くんと話すのがこわい」
御影「こわい?」
七海「男の人、こわくなくなった。でも、蓮くんと話すのだけ、こわい」
御影「どうしてだろう。七海も、わからないんだよね?」
七海「いつも、そう。私、自分のこと、わからない」
御影「今日はちょっと早いから、教室行く前に、部室、寄ってみるか」
七海「調べてみる?」
御影「七海のことが、大切。だから、助けたい」
七海「うん」
七海は、泣いてしまわないよう、頑張っている。御影は、それがわかるから、優しい声をかけないようにする。そうして御影が無言でいる理由が、七海にもはっきり伝わる。
——こんなに、私のことわかってくれてるのに。私、どうして?
◇
朝の部室。ホームルームが始まるまで、30分くらいの余裕があった。
医学研究会の部室。七海と御影がいる。
早速、パソコンを立ち上げる御影。
御影「俺がこわいんじゃなくて、俺と話すのがこわいんだよね? 七海」
七海「うん」
御影「わかった」
七海は、窓際の席に座り、髪を指でクルクルしながら、外をみている。いまの気分では、論文検索など、できそうにないと思っているから。御影も、そう感じている。
しばらくして、キーボードを叩きながら
御影「俺たち、なんでも話し合ってきたよね」
七海「うん」
御影「どんどん好きになる。そう、一緒に努力するって決めた」
七海「うん。運命には任せないって決めた。好きになる努力するって」
御影「そうして、お互いの秘密とかも、どんどん減っていった」
七海「うん」
御影「それが、こわい。そういう論文がこれ」
御影が、目の前のスクリーンを指差す。七海が、駆け寄ってアブストラクトを読み始める。
七海「どんな論文?」
七海が自分で読むのを待つことなく、御影が話し始める。
御影「関係性が深まると、お互いの自己開示が進む。そうして、より本当の自分が相手に知られる。すると、『本当の自分が、相手から評価されなかったらどうしよう』と不安になる(※1)」
七海「そう……かも」
御影「あった。これも」
七海も読み始める。が、御影が早い。
御影「人は『否定的に評価されるかもしれない』という恐れを持つと、自己表現や会話に抑制がかかる(※2)」
七海「それ……かも」
御影「これも。社会不安が大きな人ほど、親密な関係においても自己開示を避け、自然な会話がしにくくなる(※3)」
七海「社会不安ってなに?」
御影「他人から否定的に評価されることへの恐怖、かな?」
七海「私、蓮くん以外の人から、どんな風に思われても、気にしない」
御影「七海の場合は、逆かもしれない」
七海「逆?」
御影「見知らぬ男性から肯定的、もっとはっきりいうと、性的に評価されることへの恐怖」
七海は、「性的」という言葉にびっくりした。ただ、びっくりしたことを御影に悟られたくない。なんとか平静を装う七海。それでも、少し頬が赤くなってしまっている。
七海「いまは、昔みたいには、こわくないよ。蓮くんが守ってくれてるもん」
御影「俺に心配かけまいとして、無理してるんだよ。きっと」
七海「そうなのかな」
御影「七海は、魅力的にすぎる。それで、男性からこわい思いをいっぱいさせられてきた。だから、男性から肯定的にみられるのが、潜在意識でも、こわい。それが、七海の社会不安」
七海「そうかもしれないけど、わからない」
御影「でも、俺から否定的にみられるのも、こわい」
七海「それは、間違いない」
御影「つまり、七海にとって俺は、肯定的にも否定的にも、評価されるのがこわい。普通なら、否定的に評価されることだけがこわい。でも、七海の場合は、どちらも。つまり、評価されること自体がこわい」
七海「……」
御影「七海にとって俺は、『世界でただ一人の、こわい人』なのかもしれない」
七海「そ、そんなこと、ない! こんなに、大好きなんだよ?」
御影「これから、俺たちは、もっと一緒にいる。それは、約束する。でも、これ以上の自己開示が進むと、七海は、俺からもっと肯定的にも否定的にも、評価されることになる」
七海「だから……話せない。自己開示できない」
——どうして!
七海の口角が、自分の意志を離れ、勝手に下がる。
情けなく、口を半開きにし、子どものように泣き出す七海。七海の、七海自身でさえ聞いたことのない悲しそうな泣き声が、他に誰もいない部室を満たす。
——どうして!
御影が、きつく七海を抱きしめる。
御影「焦らなくて、いい。ゆっくり。無理にしゃべらなくていい。ずっと、一緒にいるから」
チャイムが鳴る。もう、ホームルームの時間だ。
七海が、泣き止めない。止まれない。
御影「今日は、このまま、家に帰ろう。今日はずっと、家のソファで、一緒にいよう。家に帰ったら、ココア、入れてあげる」
七海は、こんなにも、傷ついていた。こんなにも、傷つけられてきた。
こうして、第57話までお読みいただけたこと、本当に嬉しいです。ありがとうございます。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
こういうこと、本当にあります。大切な人だからこそ、普通の自分ではいられないのです。恋愛とは、自分が知らない自分と出会うことでもあります。だから、素敵なのです。
引き続き、よろしくお願い致します。
参考文献;
1. Altman, I., & Taylor, D. A. (1973). Social penetration: The development of interpersonal relationships. New York: Holt, Rinehart & Winston.
2. Watson, D., & Friend, R. (1969). Measurement of social-evaluative anxiety. Journal of Consulting and Clinical Psychology, 33(4), 448–457.
3. Kashdan, T. B., & Wenzel, A. (2005). Psychological flexibility as a fundamental aspect of health. Clinical Psychology Review, 25(7), 865–878.




