第54話 ある日、放課後
放課後の図書室は、雨の匂いが薄く残っていた。
窓ガラスに小さな滴が点々とついて、光が柔らかく散っている。
七海は問題集を閉じて、向かいの御影をみた。
七海「ねえ……ちょっとだけ、眠い」
そう言って、自分の腕に頬をのせる。御影はペンを止めた。
御影「寝るなら、20分ね。俺が、時間、みてる」
七海「ん……じゃあ、20分だけ。蓮くんのほうみて、寝てもいい?」
御影「ご勝手に」
言葉はそっけない。
御影はノートを少し横へずらし、七海の視界に当たる明かりを専門書の山でさえぎった。
七海は目を閉じる。御影の気配を近くに感じると、心臓が落ち着く。
しばらくして、七海の腕がすべって、机に額が触れそうになった。
その瞬間、御影の手が、七海の頭を静かに受け止める。
御影「……重いよ」
七海「ごめん」
御影「別に、いいけど」
つぶやいて、御影は自分のカーディガンを、半分だけ七海の肩にかけ、身体を寄せた。体温だけでなく、布の重さが安心を作る。
七海は目を閉じたまま、小さく、幸せそうに笑う。
七海は自然と目を開けた。御影は数式を書いている途中で手を止め、横を見た。
御影「起きた?」
七海「うん。蓮くんの声、大好きだよ」
御影「意味不明」
そう言いながら、御影はカーディガンの端を整えた。七海は少し背中を丸め、机の下でそっと彼の袖口をつまむ。御影は何も言わない。
◇
帰り道。どちらも傘を持っている。でも、ふたりは、傘を一本だけ開く。七海が何かを言う前に、御影が自分の傘を開き、このリード争いを引き受ける。
御影「俺が外側ね」
七海「うん。ありがと」
横断歩道の手前で、信号が赤に変わる。赤信号は、ふたりでいる時間を長くする。赤信号が、嬉しい。七海は、傘を少し外側へ寄せた。御影の袖に指が触れる。
七海「ねえ、手」
御影「なに?」
七海「冷たい」
御影「お前のほうが、冷たいだろ」
七海は、指先だけ重ねるつもりだったのに。気がつけば肩ごと、御影に包まれていた。御影に全体重を寄せる七海。
御影「……少し離れて。歩きにくい」
七海「いまだけ。いまだけ、こうしてたい」
青になっても、七海は身体を御影に預けている。御影はため息に似た呼吸を一つして、七海の肩の抱き方と、傘の持ち方を、歩きやすいように変えた。
御影「歩くための、調整」
七海「ありがと」
信号を渡り切ると、風がふっと強まった。御影の前髪が持ち上がり、七海の大好きな薄青い御影の目が、光を拾う。七海はなにも言わない。ただ、満足そうに、傘を少しだけ、御影のほうへと、また傾けた。
コンビニの前で立ち止まる。七海はガラス越しの棚を見て、首を振った。
七海「今日も、寄らない。欲しいものがあるなら、スーパーの特売、狙う」
御影「コンビニは、高い商品ばかりで、目の毒。でも、新しい商品の情報を仕入れるだけなら、有用だよね」
七海「うん」
御影が、自販機の前で足を止めた。
御影「ここは、贅沢しよう。温かい飲み物を、七海と共有したい。なんか、七海と一緒に、自販機の音が聞きたい」
七海「ココア?」
御影「俺が嫌いな、甘いものなら、なんでもいい」
七海「私、甘いの好き。でも蓮くん、甘いの嫌いなのに、いいの?」
小さなココアの缶が落ちる音。御影は、その音を大切に楽しみつつ、熱い缶を手に取って、プルタブを開け、七海に渡した。
御影「熱くない?」
七海「うん……すごく、おいしい。はい」
七海は、缶を両手で御影に渡す。ここぞとばかり、御影の肩に、額を当てる七海。御影は身じろぎひとつしない。堅固な身体が、七海を安心させる。
御影「甘っ! まずっ!」
七海「なんで、ココアでいいって言ったの? 蓮くん、甘いの、嫌いなのに」
御影「こういうやりとりを、七海とするため。そのためなら、スーパーで安売りされてるココアじゃなくて、自販機で、こうして経験を買いたい」
七海「じゃあ、次は、甘さ控えめでいい」
御影は短く笑ったようにみえた。
歩き出すとき、御影はまた、傘の守備範囲を七海に寄せる。車の音が近づくたび、七海の手がわずかに御影の袖を探す。御影はそのたびに、意識して、七海に歩幅を合わせた。
七海「もう、家に着いちゃった」
御影「……俺たちは、一緒に住んでる。ここで、お別れじゃない」
七海「でも、なんか。ここで、一区切りな気がする。ふたりきりじゃ、なくなるし」
御影「一緒に歩くだけ、一緒に自販機から温度を買うだけ。そういうの、大切にしたい」
七海「うん。蓮くん、大好き」
御影「こ、これは、護衛だからな?」
七海「うそつき。でも、嬉しい。蓮くん、ありがとう。大好き」
第54話まで、お読みいただきました。本当に、ありがとうございます。嬉しいです。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
七海と蓮の、暖かい日常です。これまであまり、こうした甘々シーンは描写してこなかったのですが、そろそろ必要かと思いまして。
引き続き、よろしくお願い致します。




