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第52話 あたらしい日常

(注)


 9月の初め、空は薄く色を変え、校舎の窓に雲の影が流れている。


 始業式が終わり、ホームルーム。担任が黒板の前に立って、


担任「二学期は席替えからいきます。クラスのグルチャに『席替えルーレット』投げたから、みんなやって。で、席が決まった人から、荷物を持って、静かに動いてね」


 七海(ななみ)の新しい席は、教室の真ん中、通路側だった。近くの机には、どれも男子の名前が続いている。もう、男性に対する恐怖はほとんどない。それでも、七海は呼吸を整えた。


——面倒なこと、増える気がする


 教室の空気は、夏休み明け特有の「明るいざわつき」に満ちていた。


 男子。


 海で焼けた腕、部活の勝敗、彼女ができた話。1学期の頃より、大きくて遠慮のない笑い声が重なり響く。背が伸び、たくましくなっている。成長、している。自信を、増している。


 七海は椅子を軽く引き、座面に両手を置いた。威圧的な男子たちの、無理に張り上げられた声。そんな声を聞いても、七海は、自分の手のひらが汗ばんでいないことに気づく。


——もう、こわくない。大丈夫だ


 午前の授業が終わった。部室でお昼を食べようと、席を立つ七海。「今日は、蓮くんが大好物の卵焼きもあるよー」と、小声で独り言。その背後から、声がかかった。


男子A「藤咲さん、さ。彼氏いるのは知ってるけど、クラスメートなんだし。放課後にさ、みんなで一緒にファミレス行かない?」


 声は明るく、自信に満ちている。ふたりきりじゃなく、みんな一緒。誘い方もよく考えられている。彼氏がいることにも、配慮しているフリをする。「あいつ、行った!」「やべー、勇気あるな」「高嶺(たかね)ちゃん、無理だろー」


 簡単には、断りにくい。相手も、成長している。


 いつも守ってくれていた夢咲(ゆめか)美月(みつき)も、クラス替えでバラバラ、いない。


——面倒だな。でも、いい機会かも


 七海は、だいぶ前から、「男性からの誘いを断る方法」について、論文検索を終え、学んでいた。


 明確で丁寧な拒否は誤解を減らし、感謝も述べると相手の面子も守れる(※1)。誘う側は断りを過小評価しがちなので、短くはっきりが有効(※2)。『可能性がある』と読める曖昧(あいまい)さは、誘いの持続を助長しやすい(※3)。特に日本語には曖昧な表現が多いので、注意すべしという論文(※4)もあった。


——やってみよう


 振り返って、彼の目をまっすぐに見る七海。


 七海は、長い髪を片方だけ耳にかけ、手を後ろで組み、背筋を伸ばしつつ、身体をくの字に曲げ、上目遣いになる。あえてここで、かつて練習した「あざとい女子ポーズ」を取る。


 そして、聞き耳を立てている男子たちにも聞こえるよう、しっかりとした、しかし色艶(いろつや)抑揚(よくよう)のある声で


——明確で丁寧な拒否。感謝も()えて


七海「坂垣(さかがき)くん……だったよね? 女の子の誘い方、上手くなったねー。誘ってくれて、ありがとー。でも私、彼氏のこと、ほんとうに大事にしたいんだ。彼氏のこと、ちょっとでも、嫉妬させたくないの」


 七海だって、もう、気弱な美少女ではない。(すき)を、みせない。


 気弱な美少女ではなく、大人の女性であると認識させること。振る舞いによって、男性の表面に張り付いた「小さな自信」を砕くこと。


 (きびす)を返し、それから振り返る七海。群れる男子たちに、「ニシッ」と笑ってみせる。手をひらひらさせながら、七海は教室を後にする。


——短く、はっきり。


七海「じゃねー。ごめんねー。もう、誘わないでねー」


 御影のように、査読付き論文を通したわけでもない。たいした実績もない、男子高校生の自信くらい、いまの七海には簡単に壊せる。男子たちは、「自分には、可能性がない」と思い知らされた。


——あれ? いまの私、ちょっとお母さんに似てる? そうか、お母さんも同じ苦労したんだ

 


 次の日。


 2時間目と3時間目の間。七海が、集められたプリントを、職員室に運んでいるとき。


 以前、医学研究会に興味があると見学に来た高2の男子から、声をかけられる。この男子も、やはり以前より背が伸びていて、声にもずっと張りがある。


男子B「あ、七海ちゃん、LINEだけ交換しない? また、部活の見学に行きたくなったとき、連絡したい」


 ことばは優しいが、距離が近い。馴れ馴れしい。ただ、断りにくい。よく考えられている。


 普通に、「部活の公式連絡先から連絡できるから」と伝えるのは、まずい。連絡手段の問題になるからだ。それでは、「手段が別なら、連絡してもいいんだ」と、期待させてしまう。


 周囲に、誰もいないことを確認する七海。相手のメンツを潰すと、攻撃を呼び込んでしまう可能性があるから。相手に、侮辱されたと感じさせてはいけない(※5)。


——誰もいないから、短く、はっきり。でも、侮辱にならないよう、優しく小声で、丁寧に。


七海「ごめん、無理」


男子B「そ、そうだよね」


七海「ごめんなさい」(申し訳なさそうに、丁寧に)



 同じ日の放課後。昇降口に向かう通路から、一度「無理」と伝えた男子Bが、七海の靴箱の前に立っているのがみえた。七海に駆け寄ってくる男子B。


男子B「七海ちゃん、さ。ほんとに、LINEもだめ? 通知オフでもいいし」


——これは、危険なやつだ。「壊れたレコード戦略」をとりつつ、段階的な対応が必要。


 断っても、あきらめてくれない相手は、ストーカーになる可能性がある。


 重要なのは、同じメッセージを繰り返し伝える「壊れたレコード戦略」をとること。理由を追加したりしないこと。難しくなったら、その場を離れ、相談や通報をすること(※6, 7)。


七海「ごめん、無理」


男子B「なんで? ただ連絡先を交換したいだけだよ?」


——繰り返すときは、理由を追加しない。理由を追加すると、相手に交渉のとっかかりを与えてしまう。「理由は述べず、交渉しない」ことが重要(※8)。


七海「ごめん、無理」


男子B「ちょっと、理由くらい教えてよ。俺だって、傷つくよ」


七海「ごめん、無理」


男子B「もう、いいよ! 部活見学なんて、行ってやらないからな!」


 言いながら、男子Bは、この場を離れようとしない。脅して、七海との会話を続けようとする意図がみえる。まず、この場を離れるべきと判断する七海。そして、相談する。通報も考える。


 無言で、その場を離れる七海。


男子B「なんなんだよ!」


 ゴミ箱を蹴り上げる音。


——こわい。危ない。



 七海は、職員室にいる。生活指導の教員が、七海の話を聞いている。


七海「というわけです」


教員「またか。藤咲も苦労するなぁ。わかった。その男子に言っておく。もし、繰り返すようならすぐ親に連絡。それでもダメなら警察に通報するって段取りでいいかな?」


七海「すみません、ご迷惑をおかけして」


教員「ただ、警察に通報しても、安心ってわけじゃないからな。しばらくは、校内で、御影と一緒にいる時間、増やせ。他の教員にも、伝えておく」


七海「あ、近藤さん」


教員「近藤さん? だれ?」


七海「私の家族、何度かストーカー被害にあってます。それで、家の近くの交番にいる巡査の近藤さんに、いつも助けてもらってるんです」


教員「ああ、それは話がはやいね。お願いしておこう。個人情報もあるから、この段階で、男子の名前は出せないけど。でも、身長とか髪型の特徴は、伝えておく。この後すぐ、俺からも電話しておく。『藤咲さんがストーカーされてる可能性あるので、警戒してほしい』って」


七海「ありがとうございます。よろしくお願いします」



 すでに近藤さんが、自宅付近を、警戒レベルを上げて見回ってくれている。とはいえ、24時間、監視できるわけではない。


 2日後。


 男子Bが、七海の靴箱をあさっていたと、クラスメートの女子からの情報。別の女子からは、靴箱だけでなく、七海のロッカーもあさっていたとの情報があった。


女子A「あれ、完全にストーカーだよね?」

女子B「危ないよ。ちゃんと先生に相談した?」


 情報をくれた、ふたりの女子と一緒に、生活指導の教員のところに行く。


 生活指導の教員から、男子Bの親に、一連の事実が伝えられた。その上で、「彼がストーカー行為を続けるなら、次は、警察に通報することになります」と、キッパリと述べられた。


 警戒レベルを上げる必要があると判断した教員たち。緊急で、職員会議が持たれた。


 結果として、「御影くんを、藤咲さんのクラスに入れる」「御影くんには、可能な限り、藤咲さんと一緒にいてもらう」「藤咲さんがトイレに行くときは、女性教員と一緒にいく」ことが決まった。


——蓮くんと一緒にいられるのは嬉しいけど、蓮くんが、なにかされたらどうしよう……


御影「今日から、このクラスに『転校』してきました。御影 蓮(みかげ れん)です。一応……じゃないな。七海と将来、結婚することを約束してる、七海の彼氏です。よろしく」


 ざわつくクラスメート。御影の低くて優しい声が、性別を超えてクラスメートたちに刺さる。


御影「個人情報もあるから、俺がこのクラスに『転校』してきた理由は、いえないんだ。本当に、すまない。誠実じゃないよな」


 深々と頭を下げる御影。


 その姿に、本当はすでに「転校」の理由を知っているクラスメートたちが、団結する。先日、七海を誘おうとしていた男子たちも、ひそかに、自分たちの過去の行為を反省した。


 御影が七海のクラスに「転校」させられた理由は、すぐ校内に広がった。そして男子Bは、東京ではない、どこか遠くの高校に、「ほんとうの転校」をし、いなくなった。


 建前上、御影のクラス変更の理由は秘密だ。だから御影は、男子Bが学校からいなくなったことを、元のクラスに戻る「きっかけ」にできない。なので御影は、そのまま七海のクラスに残ることになった。


 男子Bが悪かったのだろうか。七海が魅力的に過ぎたのだろうか。誰にも、わからない。


 とにかく。今回のことを受けて、七海と御影は、自分たちの関係性について、周囲にアピールしておく必要があると判断した。もう少し、周囲から「バカップル」に見える必要がある。


 クラスのグループチャットで、みんなが夏休みの報告をしている。そこに七海が、オランダでの「新婚旅行」の写真を貼り付けて、発言する。この写真と発言が、抑止力として機能することを願って。


七海「ふたりで、オランダ旅行。親公認」

【筆者注】今回のストーリーでは、ストーカー被害に関する情報を取り扱います。あくまでもフィクションの一環であり、筆者はこの道の専門家ではありません。この点、注意してください。実際に、ストーカー被害に合われている方は、ここの情報を鵜呑みにすることなく、専門家や警察に相談するようにしてください。ここの情報を元にした判断をしないでください。よろしくお願いします。


第52話まで、お読みいただ来ました。本当に、嬉しいです。ありがとうございます。


少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。


さて。


好きな人ができると、ストーカーとまではいかないまでも、その人のことを知りたいと願い、追いかけてしまうのは普通かと思います。問題は、それが病的なレベルに至ってしまうことです。ここの線引きは、自分では難しいのかなと思います。素朴実在論と言いますが、この世界は、自分が見ている、認識している通りではありません。他人から見てどうかという視点がないと、客観性は担保できないのです。


引き続き、よろしくお願い致します。


参考文献;

1. Sinclair, H. C., Ladny, R. T., & Lyndon, A. E. (2011). Adding insult to injury: Effects of interpersonal rejection types, rejection sensitivity, and self-regulation on obsessive relational intrusion. Aggressive Behavior, 37(6), 503–520.

2. Bohns, V. K., & DeVincent, L. (2018). Rejecting Unwanted Romantic Advances Is More Difficult Than Suitors Realize. Social Psychological and Personality Science, 9(7), 851–859. https://doi.org/10.1177/1948550618769880 [PDF: https://journals.sagepub.com/doi/pdf/10.1177/1948550618769880]

3. Spitzberg, B. H., Cupach, W. R., Hannawa, A. F., & Crowley, J. P. (2014). A preliminary test of a relational goal pursuit theory of obsessive relational intrusion and stalking. Studies in Communication Sciences, 14(1), 29–36.

4. Beebe, L. M., Takahashi, T., & Uliss-Weltz, R. (1990). Pragmatic Transfer in ESL Refusals. In R. C. Scarcella et al. (Eds.), Developing Communicative Competence in a Second Language (pp. 55–73). Newbury House.

5. Dennen, V. P., & DeWall, C. N. (2014). Rejection perceptions: Feeling disrespected leads to greater aggression than feeling disliked. Journal of Experimental Social Psychology, 55, 10–21.

6. Speed, B. C., Goldstein, B. L., & Goldfried, M. R. (2018). Assertiveness Training: A Forgotten Evidence-Based Treatment. Clinical Psychology: Science and Practice, 25(1), e12216.

7. Spitzberg, B. H., & Cupach, W. R. (2014). Managing Unwanted Pursuit. In *The Dark Side of Relationship Pursuit* (2nd ed.). Routledge.

8. San Diego County District Attorney. “Security Tips for Stalking Victims.” https://www.sdcda.org/preventing/stalking/security-tips

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