表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/58

第4話 商店街の夕方と青い目

 繰り返し実証されており、査読のあるトップジャーナルに掲載された研究によれば、恋愛が人間を成長させる(参考文献は第1話の後書きに掲載)。


 この物語は、ある初恋のはじまりと、その当事者たちの成長に関する、私の研究成果をまとめたものである。


 つきまして、浅学非才せんがくひさいの身ながら、みなさまによる査読をお願いしたく、ご連絡差し上げた次第である。

 放課後。今日は、実力テストで赤点を取った生徒たちにとって、「補習のある日」である。


 赤点の楢崎 夢咲(ならさき ゆめか)矢入 美月(やいり みつき)は、まだ教室でグダグダしている。


 ふたりは、いつもなら、学校から商店街が終わるところまで、藤咲 七海(ふじさき ななみ)と一緒に帰る。


 仲が良いから、でもある。けれど、七海(ななみ)に声をかけてくる"チャラい男たち"から七海(ななみ)を守る意味もある。


 けれど今日は、七海(ななみ)ひとりの下校になってしまう。補習のせいだ。


 七海(ななみ)は、急いでいた。


 妹の、保育園のお迎えの時間がせまっている。時間に遅れれば、延長料金を支払わなければならない。家計に余裕がないので、延長料金は、払いたくない。


 北高から保育園までは、商店街を抜けてからも、少し距離がある。寄り道はできない。


 七海は、すぐにでも、学校を出たい。ペンケースと水筒をしまい、鞄のジッパーを確かめて、七海は、廊下を小走りに進んでいく。


夢咲「七海(ななみ)、大丈夫かな?」


美月「バカの夢咲(ゆめか)はともかく、平均よりも上の私まで赤点があるって、北高のテスト、どんだけ難しいんだよ」


 商店街は、夕方のにぎわい。焼き鳥屋の煙、たこ焼きのソースのにおい、閉店セールのスピーカー、自転車のベル、子どもの笑い声。


 七海(ななみ)は、見た目だけはツンツンしている"ギャル"なのに、商店街を、コソコソと歩いている。


チャラ男A「ねえ、ちょっと待ってよ」


 七海の前に回り込む影が三つ。髪を明るく染めた、年上っぽい三人組だ。派手目のカジュアルな服に、ジャラジャラと多めのアクセ。口は笑っているけれど、目は笑っていない。


チャラ男B「一人? どこ行くの」

チャラ男A「時間あるでしょ」

チャラ男C「かわいいじゃん、話そうよ」


 七海(ななみ)は立ち止まる。すくんで、声が出ない。鞄を胸に寄せ、半歩さがる。


——まずい、早く逃げないと……


 保育園で七海のことを待っている妹の顔が浮かぶ。七海(ななみ)は短く、そのギャルっぽい姿には似つかわしくない、とても小さな声で言う。


七海「急いでます」


チャラ男B「ちょっとくらい、いいじゃん」

チャラ男A「とにかく、LINE交換しよ」

チャラ男C「写真一枚だけ。ね?」


 七海(ななみ)はさらに半歩さがる。肩が固くなり、指先が冷たくなる。チャラい3人は七海との距離をつめる。通路の向こうに人の波はあるが、誰も、ここに介入しない。


 暖かく響いていた夕方の音が、遠くなる。


御影「嫌がってるでしょ? やめなよ」


 低い、通る声がした。


 黒縁メガネの長身が立っている。御影 蓮(みかげ れん)だ。もう白嶺(しらみね)の制服ではなく、北高の制服を着ている。表情はよく見えない。


チャラ男A「はぁ? なにお前?」

チャラ男C「彼氏?」


御影「違うけど」


 御影(みかげ)の声は静かで、本来の力を(おさ)えている。3人のうちのひとりが舌打ちをし、御影の胸ぐらをつかみに行く。


チャラ男B「調子乗るなよ」


 どん、と鈍い音。肩で押され、御影(みかげ)の黒縁メガネがずれた。


 次の瞬間、拳が飛ぶ。(ほほ)に一発。黒縁メガネが飛んだ。


 それでも御影(みかげ)は、手を上げない。やり返さない。ただ、ゆっくり顔を上げ、相手の目を、まっすぐに見る。


 沈黙。通路の空気が固くなる。


 御影(みかげ)の視線は動かない。怒鳴らない。近づかない。けれど、彼と目が合った相手は、一歩ひいた。もうひとりも、肩をすくめる。


チャラ男A「……行こ」

チャラ男C「つまんね」


 3人は舌打ちを残し、足早に去っていった。夕方の音が、急に戻ってくる。


 七海(ななみ)(かばん)が、地面に落ちている。御影(みかげ)はそれを拾い、優しくほこりを払って七海に差し出す。御影(みかげ)の手つきは、ていねいだ。


 七海(ななみ)御影(みかげ)に近づこうとして、足を止めた。やはり、体が勝手に距離をとってしまう。まだ、こわい。それでも気持ちだけは、殴られた御影(みかげ)(ほほ)を心配していた。


七海「……ありがとう」


 七海(ななみ)の声は小さい。


 御影(みかげ)は軽くうなずく。七海(ななみ)の目線は、赤くなった御影(みかげ)の頬から、自然と、黒縁メガネに隠されていない、御影(みかげ)の目に吸い込まれる。


七海「目……青い」


 教室で見た、黒ではない。


 透き通った水に、空の色を一滴たらしたみたいな、薄い青。ガラスのコップ越しに見える朝の空みたいに澄んで、光を受けるたび、すこしだけ色がゆれる。


御影「あ、さっきので、カラコン飛んだか」


 七海(ななみ)は驚いて、すぐに視線を落とす。心臓がきゅっと固くなる。こわいからじゃない。


御影「俺の目の色のこと、内緒にしておいて」


 七海(ななみ)はこくんとうなずく。そうだ、お迎えまで、時間がない。


御影「行って。大丈夫だから」


 御影(みかげ)が短く言う。優しい。


 七海(ななみ)は「うん」とだけ答えて、駆け出した。


 商店街のアーケードを抜け、点滅する信号を超え、子どもたちの列をよけていく七海。


——走っているから? 心臓が、うるさい。


 角を曲がる直前、七海(ななみ)は振り返った。


 遠くに見える御影(みかげ)は、落とされた黒縁メガネを拾っていた。


 長い前髪が風で揺れる。青い目は、もう見えない。御影(みかげ)の手にしている黒縁メガネのレンズが、夕日を反射して、一瞬だけ光った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ