第3話 実力テストとランキング
繰り返し実証されており、査読のあるトップジャーナルに掲載された研究によれば、恋愛が人間を成長させる(参考文献は第1話の後書きに掲載)。
この物語は、ある初恋のはじまりと、その当事者たちの成長に関する、私の研究成果をまとめたものである。
つきまして、浅学非才の身ながら、みなさまによる査読をお願いしたく、ご連絡差し上げた次第である。
夏休み明け、最初の週。
北川高校では、実力テストが行われている。朝いちばん、教室はシャープペンの音だけになった。時計の秒針がコツ、コツ、と、うるさい。
北川高校を志望する受験生は、年々減っている。
なんとか受験生を集めるため、北高は「進学校化」を目指している。この「進学校化」の戦略として、北高は、手厚い奨学金を準備していた。
この奨学金が目当てで、七海のように学力のある生徒が「特待生」として各学年に30名程度いる。
テストは、こうした特待生に合わせて作成されている。そのため、特待生ではない一般の生徒にとって、北高のテストはむずかしすぎる。
結果として、一般の生徒の多くが赤点になり、補習を受けることになる。補習を受ければ、実質的には、単位がもらえる。それが、赤点の生徒たちには救いだ。
七海のすぐ後ろの席では、転校生の御影 蓮が、静かにペン先を走らせていた。
答案用紙を、後ろから前の席に送るとき、普通は、白い裏面を上にして送る。御影も、そうしていた。
ただ、生物の答案だけは、様子が違った。
御影の生物の答案は、裏面までびっしりと小さな字で埋められていたのだ。しかも、よく勉強をしている七海でさえ、見たことのない数式が多数、並んでいた。
昼休み。
クラスメートの元気がない。七海は水筒のお茶を飲んで、無言で、テスト内容を振り返っていた。
——国語の記述はもう一文足せた。地理はケアレスミスが一つ。
夢咲は机に突っ伏し「脳が溶けた、補習決定」と言い、美月も「補習決定」と続けた。
実力テストから一週間後。
結果が出た。成績上位者の一覧は、いつも昇降口の掲示板に貼られる。
総合上位20名の名前が総合点とともに並ぶ。その横に、教科ごとの上位3名の名前も、得点とともに張り出されていた。
藤咲 七海の名前は、総合4位のところにあった。七海の胸が、少しだけ軽くなる。奨学金の条件は“学年上位”。大丈夫。まだ、北高にいられる。肩の力がぬける。
夢咲「さすがだね、七海!」
美月「知ってた」
七海は、まだ掲示から目を離さない。総合順位の掲載されている紙から、次の紙に視線を移す。教科別のランキングがある。
英語 1位 御影 蓮 98点
2位 藤咲 七海 82点
3位 赤山 鈴鹿 80点
数学 1位 御影 蓮 98点
2位 佐藤 隆弘 72点
3位 井上 あかり 71点
理科(生物分野)1位 御影 蓮 100点
2位 高松 明日香 70点
3位 藤咲 七海 68点
御影 蓮の名前が三つ、1位に並んでいた。かなり難しいテストなのに、御影の得点はかなり高い。2位、3位との点差が目立つ。
掲示板の前に集まっていた生徒たちがざわつく。
生徒A「マジ?あの背の高いやつだよね?」
生徒B「白嶺からの転校生? さすが白嶺」
生徒C「髪が長くて、ちょっとキモい感じの子だったよね?」
だが総合順位には、御影 蓮の名前がどこにもない。20位まで見ても、ない。
生徒A「え、御影ってやつ、総合にいない?」
生徒C「英数生物、ぜんぶ1位なのに?」
生徒B「他、やらかした? っていうか、白紙で出してる?」
ささやきが重なって、七海の耳に入る。
総合順位は、全教科の得点の合計で決められている。つまり、英数生物で学年トップの御影の国語と社会は、ほぼ0点でないと、計算が合わない。
廊下の向こうで、黒縁メガネが光った。御影だ。順位の掲示は見ない。ゆっくり歩いて、図書室の方へと消えていく。
夢咲「やっぱり、あの転校生、変なやつだな……」
七海の胸に、心配とは、別の何かが生まれる。
教室に戻る途中、七海は、ペンケースから小さな付箋を出した。『以前、どこかでお会いしましたか?』と、前に書いたメモ。きっと御影には、渡さないメモ。
放課後。
教室は西日に染まる。七海は、返却された答案を見ていた。国語77、英語82、数学75、理科68、社会82。テストが難しいため、この点数でも“総合4位”になる。
窓の外に、渡り廊下を歩く長い影が見えた。御影が図書室から戻るところだった。彼が図書室から借りてきた本の背表紙が見える。
御影が手にしていたのは、分厚い、英語の科学誌。『こんなの、誰が読むの?』と、以前、みんなで笑ったあの本。
生徒D「御影くん、総合に名前なかったらしいよ」
生徒E「でも三教科一位ってやば」
生徒F「あの人、何者? キモいけど、気になるよね」
そんな声が、七海の背後で飛ぶ。でも、まだ誰も御影には直接、話しかけない。話しかけにくい雰囲気というより、強烈な"異物感"があった。
七海もまた、御影を、「これまで出会ったことのない、普通ではない人」として認識した。
——警戒しないと……いけないのかもしれない。