第25話 翼を得た少女
七海の生活に、変化が起こっている。
まず、七海は御影にお願いして、在宅でできる、中学生向けの模擬試験の「問題作成のバイト」をはじめた。このバイトなら、復習をしながらお金を稼げる。実質的な勉強時間を減らさずに、バイトもできる。
次に、御影のお下がりのスマホをもらって、固定料金プランで、スマホの利用をはじめた。
当然、七海の母親に相談した。お下がりとはいえ、はじめは、難を出された。スマホは、高額だから。そこで、その代わり、七海が御影のお弁当を毎日作る条件で、七海母とも、御影とも合意できた。
七海は、安い食材でも、美香に「ひもじい思い」をさせぬよう、毎日の食事を作ってきた。食材の力ではなく、味付けの力で、「美香のお弁当、いつも美味しそう」と、美香の友だちに言わせてきた。
御影「美味しい! これ、あきれるくらい美味しいよ」
七海「好きな人の胃袋、つかめてる? やった!」
御影は、自分のための重たいお弁当を、七海に持たせ、通学させるのは嫌だ。そこで朝も、七海と御影は一緒に登校することになった。頼り、頼られることで、自然と関係性が深まっていく。
御影「お母様、美香ちゃん、おはようございます」
美香「れん兄ちゃん!」
七海母「蓮くん! 今日も、イケメンねー」
七海母は、夜勤が多いため、朝は遅くまで寝ていることが多い。とはいえ、夜勤のないときは、こうして顔を出す。七海母にとって、娘の彼氏について知る機会になっている。
美香は毎朝、保育園の送迎バスの停留所まで、七海と御影、ふたりと一緒に行くようになった。美香もまた、御影に影響を受け、理科に興味を持ち始めた。
ドミノ倒しみたいに、関係性が、深まっていく。
◇
御影「娘さんたちをお預かりします。間違いのないように気をつけますので、ご安心ください」
七海母「むしろ、間違いもしてね! 七海、『私、魅力ないのかな』って、自信なくしちゃうから!」
七海「や、やめてよ、お母さん! もう、蓮くんも、嫌なら嫌って言ってね!」
これまでの七海なら。
なにか問題があっても、一人でなんとかしようとしていた。相手の迷惑になるから。しかし、いまの七海は、違う。信頼できる人を頼る。そのために、信頼できる人を増やす。
——なんだか、身体が軽い
学校で、色々と話ができる友だちも増えた。親友と呼べるのは夢咲と美月のふたりだけだ。それでも、ちょっとしたことなら、お互いに頼れる友だちは、いる。
男性への感じかたも、以前とはだいぶ違う。七海の身体に触れられのは、御影だけ。それは変わらない。ただ、男子に話しかけられても、いまの七海は、不自然な距離を取らなくなっている。
美月「七海、ちょっとお願いがあって」
七海「なに?」
美月「うちの弟と妹なんだけどさ。これまで家庭教師してくれていた大学生が、就職で」
七海「あ、家庭教師がいなくなるのね?」
美月「うん。それでさ、七海、家庭教師やってくれないかな?」
美月の家は、そこそこのお金持ちだ。とはいえ、家庭教師の選定には、本来であれば学歴や実績が問われるはず。
七海に白羽の矢が立った。おそらくは、七海の家の事情を知っている、美月による配慮だろう。
七海「え? でも、美香いるし……」
美月「美香ちゃんも、一緒に来てもらっていいから。あと……ついでに、私も家庭教師やってもらえって、お父さんが……お父さん、私に大学行ってもらいたいみたいで」
七海「美月と、美月の弟さん、妹さん、3人同時の家庭教師ってこと?」
美月「まあ、同時でなくてもいいんだけど」
七海「私は、家計の足しになるから、すごく嬉しい。でも……これって、私の家のこと考えて、わざわざ、私に都合のいいようにしてくれてるんだよね?」
美月「そういう配慮がないといえば、嘘になる。でも、七海なら是非っていうのは、うちの両親の本音」
七海「わかった。とにかく、一度、試しにやってみる」
◇
七海は、在宅でのバイトに加えて、家庭教師の仕事も得ることになった。これで、七海が抱えていたお金の問題は、かなり楽になるだろう。
美香も、みんなが勉強しているのをみて、勉強をするようになった。行動が、周囲の人に似るのは、ミラーニューロンという脳内細胞のせい(※1)らしい。
御影が、七海と美香の、バイトからの帰り道が危険と言い始めた。そして、護衛を申し出る。そこで、御影のバイトと重ならないように、家庭教師の曜日を設定した。
家庭教師をしている間、家の外で御影を待たせているのも良くないとなった。そこで、御影には美月の家の中で待ってもらうことに。
はじめのうちは、御影は、美香の遊び相手をしていた。美香がみんなの真似をして勉強に興味を持ち出すと、御影は、美香の勉強をみるようになった。
美香「レン兄ちゃん、なんでこれって——」
御影「ああ、これはね、動摩擦係数と静止摩擦係数の違いで——」
御影は、相手が保育園児であろうと、知的に容赦がない。ただ、その説明は相手に合わせて丁寧に行う。美香が、徐々に、かなり高度な知識を理解するようになっていく。美香も御影も、楽しそうだ。
七海が誰かに勉強を教えていて忙しいときは、御影のほうに質問がくる。結果として美月と美月の弟と妹、3人同時の家庭教師も、御影の支援によって、無理なくこなせるようになった。
——なんだか、身体が軽い
◇
ある日の放課後。
七海「蓮くん、お願いがあるの」
御影「なんなりと」
七海「結婚指輪が……欲しい」
御影「いいね、欲しい。ずっと欲しいって思ってた」
七海「実はね、もう、これって決めてるのがあるの」
御影「うん」
七海「1つ8,000円もするんだけど……いいかな。もちろん、自分の分は、自分で払う。そのほうが、嬉しいから、そうさせて」
御影「問題ないよ。それが欲しいんでしょ?」
七海「うん。これがその指輪なんだけど……」
七海は、使い慣れていないスマホで、御影に指輪の写真を見せた。
その指輪の色は、御影の目の色。淡い、光をうちにたたえている青をしていた。
御影「この色……」
七海「蓮くんの目の色。私、これを身につけていれば、なんでもできる気がする」
御影「それにしよう。今から、一緒に、お店に行こう」
七海「今から? 保育園のお迎えに、間に合わないよ」
御影「延長料金、支払わせて。すぐ、欲しい」
七海「だめ。そういうのは、だめ」
御影「じゃあ、延長料金を支払うのは、俺たちふたりの都合ということで、半分ずつでどう?」
七海「わかった。それなら……」
——なんだか、身体が軽い。どこまでも、飛んで行けそう
◇
御影の目の色をした指輪は、サイズ直しを終えて、七海と御影の左手薬指に収まっていた。名前の刻印に、別料金1,000円が必要だったことは、想定外だった。
とにかく、嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて。
御影「七海のことが、大好きだ。一生、大事にする」
——私が、私の知らなかった私に、変わっていく
七海「わたしもです、旦那様!」
第3章に入りました。ここまで、お読みいただき、本当に、本当に、嬉しいです。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
物事が上手くいくときって、こういう、ドミノ倒しみたいな感じ、ありませんか? 後のエピソードでも重要な概念として紹介しますが、こういうの、自己組織化って言います。自分の知らない自分になっていくことは、誰にでも起こり得ます。
引き続き、よろしくお願い致します。
参考文献;
1. Di Pellegrino, G., Fadiga, L., Fogassi, L., Gallese, V., & Rizzolatti, G. (1992). Understanding motor events: a neurophysiological study. Experimental Brain Research, 91: 176-180.




