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第20話 白嶺の伝統、父の遺した宿題

 金曜日の放課後。


 いまはもう護衛ではなく、将来を約束しあったカップルとして帰宅している。


 都合よく今日は、6時間目が休講となった。そのため、美香を保育園にお迎えに行くまで、まだ時間に余裕がある。


 七海(ななみ)御影(みかげ)は、昇降口を出てすぐ、歩幅を合わせた。走らない。余裕を持って、ゆっくり。時間を楽しみながら、歩く。


 七海はずっと、御影のワイシャツの脇腹あたりを、親指と人差し指でつまんで歩いている。


 どうやら七海は、腕を組みたいようだ。でも、そうすると顔が真っ赤になってしまう。真っ赤な顔を、御影にみられたくない。なので、腕を組むのは自重している。


 商店街は、いつも通り。


 揚げ物が(はじ)け、新鮮な果物が積み上がり、パン屋のほの甘い香りが(ただよ)う。


 七海(ななみ)にとっては、この商店街を、ゆっくり落ち着いて楽しむ、はじめての経験である。


——普通って、こんなに嬉しいんだ


他校生A「あのカップル、やば……あの動画の人たちだよね?」

他校生B「目の保養だー、お幸せにって感じだよねー」

他校生C「あいつ、超イケメンじゃん。目の色、なんだよ、反則だろ」

他校生D「俺の彼女には、みせたくないわー」


 相変わらず、引きつける視線は多い。ただ、七海を「モノとして奪おう」とする目線は、どこにも感じられない。御影が予見した通りだった。


七海「ねえ、(れん)くん」


御影「はい」


七海「蓮くんのおかげで、いろいろ、良いことばかり。ありがとう」


御影「俺のほうこそ、七海(ななみ)がいてくれないと、もうダメな身体になってる」


 七海は、また赤くなる。


七海「ねえ。蓮くんは、すごく頭いいのに、なんで国語と社会は赤点になっちゃったの?」


御影「白嶺(しらみね)学院の伝統——『自分が学ぶべきことは、自分で決める』ってやつ」


七海「自分が学ぶべきことは、自分で決める?」


御影「白嶺では、テストで点を取るための勉強は、『もっとも恥ずべき勉強』だと言われてる」


七海「別世界だー」


御影「白嶺でも、一応、普通のテストがある。でも、伝統に従って、それが自分に不要なテストだと判断したら、名前と『不要である理由』を答案に書くんだ」


七海「なんですか、それは?」(ポカン)


御影「その理由に説得力があれば、点数がついて単位が認定される。でも、これが結構難しくてさ。必要ないと言い切るには、その分野の勉強をしていないと、とても理由を形成できないんだ」


七海「国語のテストは自分には必要ない。なぜなら、海外の大学に行くから……ではダメ?」


御影「母国語は思考の基礎だよ。だから国語を学ぶこと自体に疑義を申し立てるのは、筋が悪い。そうじゃなくて、『自分にとっての国語の勉強とは、こうあるべきだと考える。このテストは、その勉強の進み具合を評価するものではないから、このテストは不要と判断した』みたいな感じになるかな」


七海「もしかして、そういうこと……北高のテストでも、国語と社会の答案用紙に書いたの?」


御影「そう。国語と社会は、そのように対応した。そしたら、北高(こっち)だと、0点だってさ」


七海「白嶺(しらみね)には、テストの総合順位とか、ない?」


御影「ないよ。だって、意味ないから。テスト範囲を勉強するんじゃなくて、自分が勉強したいことを勉強するのが、白嶺の伝統だし」


七海「(れん)くんは、何を勉強したいの?」


御影「自己組織化・空間パターンの一般理論を研究したい」


七海「なんですか、それは?」(ポカン)


御影「シマウマの縞模様(しまもよう)を生じさせる数式には、チューリング・パターンという名前があってね。そういう数学的な考え方を用いて、この宇宙をより深く理解する……みたいな感じ」


 御影(みかげ)は、続けて、チューリング・パターンの面白さや自己組織化の概念、その拡張性の高さなどを話した。七海(ななみ)は、解説の最初からほとんど意味不明だったが、黙って聞いていた。


 まだまだ続きそうな御影の話を、七海は、ついに断ち切って


七海「(れん)くん。私は……蓮くんのことが知りたい。いまは、蓮くんのこと以外に、知りたいってことがみつからない。でも……」


御影「自分が、『ほんとうに知りたいこと』はなにか、知りたくなった?」


七海「なんだか、楽しそうだから」


御影「すごく、すごくびっくりすること、言っていい? いつか七海に話せる時が来るのを、楽しみにしていたんだ」


七海「ちょっとこわいです。でも、聞いてみたい」


 御影は、一枚の紙を七海に差し出した。白嶺(しらみね)の校史、その抜粋コピーだ。


 それは、「自分が学ぶべきことは、自分で決める」という伝統を作った生徒たちの記録だった。古い写真と、当時の苦労話などが(しる)されている。


御影「この白嶺の伝統を作った中心メンバーは、『第64期卒業生』の生徒たち。白嶺飛躍の立役者で、伝説の生徒たち。そのメンバーの中に、藤咲 勝美(ふじさき かつみ)って名前、あるよね」


 御影は、得意げな表情を浮かべている。


七海「お父さん? え、お父さんなの?」


御影「そう。君のお父様だ。あの病室で、七海のお母様にお会いした時にも、年齢とか生年月日まで含めて確認したから、間違いない」


 七海(ななみ)は、今日もまた、泣いてしまう。


七海「(れん)くん、また、私のことを泣かした……女の子を泣かせちゃ……ダ……よ」


御影「俺が白嶺(しらみね)を退学するとき、せめて白嶺のこの伝統を継承したいって思った。そこで校史をコピーさせてもらって、こっちに持ってきてた。時間のある時に、それを熟読してたら——」


七海「ちょっと……もう、いったん……ストップ。このまま……だと、脱水症状になる」


 七海は、父親の厳しい闘病生活を思い出していた。父親は、かなり衰弱していたにも関わらず、病床で、難しそうな本をたくさん読んでいた。どこかに連絡しては、資料を集め、一生懸命それを読んでいた。


 七海には、そんな父親が、理解できなかった。考えたくないけれど、残り少ない人生なのだから。もっと家族で会話すべきだと、七海は、怒ってさえいた。


 だが、父親は、残り少ない人生だからこそ、愛する娘たちに「学ぶとはどういうことか」を伝えようとしていたのではないか。言葉ではなく、死を前にしてなお(つらぬ)かんとする自らのその姿勢をもって。


——恥ずかしい。自分はなんて、恥ずかしいんだ


 七海はこれまで、「自分が学ぶべきこと」など、考えたこともなかった。テスト勉強をして奨学金を得て、高校を無事卒業したら就職して、借金を返済しながら、妹のために生きようと思っていた。


——こんな私のことを、お父さんが知ったら、どう思うだろう?


 商店街の片隅、シャッターの閉まっているタバコ屋の前で、七海は御影の胸に顔を押し付けた。


 そのまま七海は、「ヒーッ、お父さん、ヒーッ、お父さん」と、誰にも聞かれたくない、情けない声を立てて泣き始めた。悲しいからではない。嬉しいからだ。


——愛されている。私は、いまも、お父さんに愛されている


 御影は、七海を強く抱きしめたまま、じっとしている。七海は、もはや自分の涙の止め方がわからない。止める必要性も、感じなかった。


——このまま、世界が終わってしまってもいい。この胸の中に居られるなら


御影「七海。君の偉大なお父様は、白嶺(しらみね)を偉大な学校にした人だ。俺は、白嶺には中学から入学してる。だから俺は、中学のときから3年半、君のお父様の教育を受けてきたことになる。この事実を、いま、誰よりも誇りに思っている」


七海「も……やめ……て。これ……以上……泣い……ら……死んゃ……う」


 自分にとって大切な人が、大切にしていることを、理由を問うことなく、大切にする。


御影「俺たちの初デートは、お父様のお墓参りっていうの、どうかな?」

第20話です。ここまで、お読みいただき、ありがとうございます。心の底から、感謝致します。


少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。


さて。


これも驚きに対する意味づけの失敗です。七海と、七海父のすれ違い。切ないのは、このすれ違いは、七海父が亡くなっている以上、もはや改修することができない点です。七海と御影の10年にも及ぶすれ違いは、改修されました。そのコントラストとして、七海と七海父は、すれ違ったままとしています。ええと、お恥ずかしいですが、泣きながら執筆しました。


引き続き、よろしくお願い致します。

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― 新着の感想 ―
ヒーッって泣き声が最高ですね
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