第2話 北川高校と七海
北川高校(北高)は、駅から歩いて15分。校舎は古いけれど、窓が大きくて風がよく通る。
校則は、かなりゆるい。髪色もメイクも、ネイル、ピアス、アクセも、派手すぎなければ問題ない。アルバイトも、原則として許可されている。
大学に進む生徒は、全体の20%程度。就職や専門学校に進む子のほうがずっと多い。
"底辺高"と言われることもある。しかし、生徒によるトラブルは少ない。北高の生徒は、地域のボランティアにもよく参加する。このため、周辺の住民からは"良い高校"と認識されている。
そんな北川高校1年B組には、特に目立つ3人がいる。
楢崎 夢咲、矢入 美月、藤咲 七海。
ギャルっぽい彼女たち。夏休み明けの"いま"となっては、クラスメートたちにとって、3人は、"もう"近づきにくい存在ではない。
夢咲は元気で、前に出るタイプ。美月は、よく気づくタイプ。七海は、そのふたりに守られているようでいて、一番、芯の強いタイプだ。
高校入学の直後は、高校デビューに焦る生徒が多い。なのでこのクラスでも、夏休み前の1学期には色々あった。
しかし、"いま"となっては、この3人がクラスの中心である。それを、クラスのみなが、内心、認めている。
美月「七海、またナンパされてたでしょ?」
七海「うん……」
夢咲「あんた、もっと声かけずらい雰囲気だしなよ。周りを威嚇するくらいでないと、やばい」
七海「うん……」
夢咲「押しの強いギャルっぽさを強調すんのよ。『話しかけんなよ!』って空気つくんの」
七海は、夢咲と美月から、ずっと、こんなことを言われ続けている。そこで七海は、夏休みにイメチェンしてみた。
ふたりから教わって、髪を脱色した。カーラーを巻いて髪をクルクルにし、余った化粧品をもらって使ってみた。お下がりのアクセも、身につけてみた。
それでも、"見た目と中身がまったく違う"ことを隠せない七海。結局、カーラーを巻いて化粧をする時間もなくて、すっぴん。髪もストレートに戻っている。
美月「七海って、『サイズぶかぶかの特攻服』を無理やり着せられてる子どもみたい」
夢咲「わざわざ、『ギャップ萌え』をばら撒いてる感じ」
美月「ほら、内股でお嬢様みたいにしないの! もっとガニ股!」
夢咲「もっと、つり目メイクにすっかな」
七海「ごめん。朝、メイクしてる時間、ない」
美月「じゃあ、学校でやろう」
◇
七海が暮らしているのは、古い安アパートの2階。小さな六畳部屋一つで、風呂もない。学校まで歩いて40分ほど。バス代を節約するため、毎日歩く。いまどき、スマホも持っていない。
父親の闘病生活で借金があり、節約しなければならないから。
毎朝、自分と妹の分のお弁当を作る。放課後は、妹の美香を保育園まで迎えに行く。母親は看護師で、夜勤が多く、朝は遅くまで寝ている。ギリギリの状態で暮らす、3人家族である。
七海は、隠れていても周囲に見つかってしまうほど、目鼻立ちが整っている。そのせいで、小さな頃から男性にしつこく絡まれてきた。
さらに七海の声は、声優のように澄んでいて、とても可愛らしい。男性に好意を持たれてしまうので、自分の声もまた、彼女は、なるべく隠さなければならなかった。
それでも声を出さなければならないこともある。そうして少し話をすると、また、男性の好意を集め、声をかけられてしまう。
そうしたことが長年に渡り重なって、七海は病的に男性を恐れるようになった。
周りの女子からは、やっかまれ、無視されてきた。嫌なうわさを流されることも多い。先輩の女子たちから校舎裏に呼び出され、小突かれ、嫌なことを言われたことも数知れない。
そういう経験が、七海の心身に積み上がっている。
七海は、勉強が得意だ。ずっと、七海の成績はよい。それなのに、お世辞にも偏差値の高くない北川高校への進学を選んだ理由は二つあった。
まず北高は、自宅アパートから歩いて通える距離にある。そして北高は、奨学金の内容が、学費免除だけでなく生活援助もあり、とても良かった。
そして七海は、希望通り北高に入学した。上位の成績を維持し、奨学金をもらっている。
男子A「七海ちゃーん、今日の放課後、一緒にカラオケ行こうよー」
男子B「おごるからさー」
七海「む、むり……です」
夢咲「あんたたちじゃ、可愛い七海に釣り合わないでしょ! 鏡、みてこいや!」
そんな北高での毎日は、安定したルーティンに入り始めていた。
そこに、神戸、白嶺学院からの転校生、御影 蓮がやってきた。
白嶺は名門校として、誰もが知っている学校だ。いま人気の高校生クイズ番組で、何度も優勝していることが大きい。
白嶺は、毎年、東大や医大に多数の合格者を出す。そんな名門の生徒が、夏休み明けに、東京の北高に転校してきたのだ。
それは、珍しい。というか、おかしい。七海も、不思議に思った。
白嶺からの転校生は、なにかの合図のよう。
——きっと、なにかが、起こる。
七海の心の奥にしまわれていた針が、小さく揺れ始める。