第16話 ほんとうの私、ほんとうのあなた
昼休みのチャイムが終わるころ。校内の空気が少しだけ張り詰めた。
御影 蓮が、髪を後ろで束ね、黒縁メガネを外し、カラコンも外して校内を歩き、教室に戻ってきたからだ。
生徒A「え、ヤバ、誰? あれ、御影くんなの?」
生徒B「あの目、カラコン? 天然?」
生徒C「あんな超絶イケメン、みたことないんだけど!」
女子たちの囁きが、さざなみのよう。そのさざなみが、勝手に撮影された御影の写真とともに、同心円状に校内に広がっていく。
驚くほど短い時間で、七海と御影は「釣り合っている」と、判断された。
男子の肩から、無駄な力が抜けた。「あんなのから奪うの、無理だわ」という半笑い。今後、七海にアタックする男子は、減るだろう。
女子には、別の安堵が伝播する。これまでの七海は、女子からすれば、好きな男子を奪われる危険性の高い、警戒すべき存在だった。その存在が、やっと「売却済み」になった。
ほんとうは、誰も、悪くなかった。ただ、七海が魅力的にすぎた。
それから、七海に対する女子の態度が、急にやわらかくなった。
七海の隣を歩こうとする女子が増えた。スマホを持たない七海のためにと、グルチャの内容を教えてくれる女子も出てきた。そしてなにより、七海に声をかけてくる女子が増えたのだ。
これまでずっと、女子から距離を取られてきた七海。そんな七海にとって、こうもあっさり状況が変化するのは、それが良い変化だったとしても、どこか許せない。
ただ、それも御影に言わせれば「生物として自然なこと」なのだそうだ。
加えて御影は、「生物の特徴に過ぎないことを、嫌うべきではない」という。それを上手に利用すべきだとも。
しかし、実害を受けてきた七海は、御影とは少し別の考えに至っていた。「自然であることは、ただ自然であるというだけで、よいわけではない」と。
自然災害は、どうか。天然素材が、かえって健康に悪いこともある。そんなに自然が好きなら、狩猟採集生活に戻ればいい。
夢咲「なんか、すごくモヤモヤする」
美月「七海にとって、いいことなんだろうけど……当の七海が、なんだか不機嫌」
夢咲「うちらと七海との時間も、減りそう。でも、これでよかったのかな」
御影は、隠していた正体をさらす前に、慎重に、みんなに意見を求めた。それは、御影には、こうなることが、みえていたからだ。しかし御影以外のみんなには、それが、みえていなかった。
だから、こうしてモヤモヤしている。
◇
この日は、補習のある日だった。
チャイムが鳴る。補習が行われる教室へ、生徒の流れが生まれる。なのに、御影は、動かなかった。
御影にも、補習がある。そこで夢咲と美月は、態度を変化させた女子たちに、商店街を抜けるまでの七海の護衛を頼むつもりでいた。
御影「サボる」
前の席に座っている、七海に向けられた言葉。
驚いて、七海が振り向く。すると、御影の表情は真面目で、優しかった。
夢咲たちは、この御影の言葉を聞いて安心した。同時に、それ以上の、なにか別の不安を感じる。
七海「だめだよ、補習ちゃんと受けないと、進級できない」
御影「進級とか、別に、興味ないんだ。どうせ、日本の大学に行くつもりもないし」
七海は、御影の近くにいれば、御影について「知っていること」が増えると思っていた。でも、そうではなかった。
むしろこうして、七海の知らない御影が、どんどん増えていく。御影が外国の大学に行ってしまったら。七海は、御影とは会えなくなる。
——私のために、補習をサボってくれるのは、嬉しい
——外国の大学には、行って欲しくない
——ああ、私は、なんて自分勝手なんだろう
——私は、こんなに性格が悪い
——こんな私のこと、御影くんが好きになってくれるはずない
七海は、泣いてしまうのをこらえている。保育園のお迎えの時間が近づいている。それを精神的な支えとして溢れ出そうとする涙を止め、七海は席を立った。
——御影くんは、私の隣を歩き始めてくれた。他人からみれば、自慢の彼氏
——でも、ほんとうは
学校の昇降口を出る。ふたりの影が並ぶ。その幸せそうな情景に反して、七海は、少しも嬉しくない。
降り注ぐ生徒たちからの視線は、祝福であり、暖かさを持っていた。しかし、その熱が上がれば上がるほどに、七海の心はより冷たく、固くなっていく。
——もう、御影くんと、なにを話せばいいかわからない
校門を出ても、無言のふたり。御影は当然のように、七海の速度になるよう、歩幅を調整している。七海の重たい鞄も、御影が持っている。しばらくして
御影「聞いてもいいかな?」
七海「うん」
御影「男の人が『こわく』なった、その最初のきっかけ、覚えてる?」
七海「覚えてない。嫌なことが、たくさんあったから……だと思う」
七海は、御影とふたりきりで、話までしている。それなのに、無邪気にドキドキできない。
七海には、「きっとこの恋は成就しない」という、根拠のない勝手な予感がある。それが、七海から生気を奪っていく。
七海「でも。御影くんのことだけは、こわくないんだよ。恥ずかしくて、いつも、うまくしゃべれないけど、それは、御影くんがこわいからじゃない」
御影「今は、うまくしゃべれてるのはどうして?」
七海は、必死だった。
七海「御影くんのこと、好きになっては……いけ…な……い……んって……」
——言葉にしてはいけない。また、泣いてしまう
それでは、御影に優しくされてしまう。そうしたら、もう、七海は「ほんとうの自分」を止められない。
——自分勝手で性格の悪い、醜い私をみられてしまう。御影くんに、嫌われる
七海が壊れそうになるその瞬間、御影は、低くて優しい声で話し始めた。
御影「俺には……この世界で、藤咲さんにだけ、知られたくないことがある。それを、いまも隠してる」
なぜか、七海の泣きたい気持ちが軽くなる。
七海「どうして? それは外見に関すること?」
御影「外見だけじゃない」
七海「いま、私がその秘密を知ったら、どうなるの?」
御影「それがわからないから、こわいんだよ」
しょんぼりした御影をみて、七海はなんだか可笑しくなった。
七海「赤点も、高校を退学することだって平気な御影くんにも、こわいことがあるんだね」
御影「そうだね」
七海「ま、まさか……人を殺したことが……ある……とか?」
御影「ないよ」(食い気味に)
七海「じゃあ、いいよ。私にだって、ずっと秘密にしたいこと、あるもん。秘密のままで、いいよ」
御影「そうじゃなくて。俺の秘密は、いつか絶対に藤咲さんに明かさないといけないんだ」
七海「?」
御影「その結果がどうなるか、アクションを起こす前に、少しでもヒントが欲しい。だから、こうして藤咲さんといる時間が必要だと思っている」
——ああ、もう保育園に到着しちゃう。この時間がずっと続いてほしいのに
御影「俺がほんとうに知りたいのは、藤咲さんが、男の人を『こわい』と感じるようになった、その最初のきっかけなんだ」
美香「ねえね!」
保育園に到着してすぐ、美香の声が飛んできた。他の園児たちもすぐに御影をみつけ、「青い目のお兄ちゃん!」「ねえ、よくみせてよ!」「一緒に、遊ぼうよ!」と駆け寄ってくる。
カラコンをつけていない御影の目は、薄青く、鋭く輝いていた。
美香「だめ! 青い目のお兄ちゃんは、美香だけのお兄ちゃんなんだから!」
七海「美香、そんな意地悪、ダメだよ」
美香「だって、ねえねは、このお兄ちゃんと結婚するんでしょ? そしたら、このお兄ちゃんは、美香のほんとうのお兄ちゃんになるんだよ!」
七海「な、なに、なに言ってるの! 御影くんが困るでしょ!」
御影はこのとき、自分の目が園児たちからよく見えるように、しゃがんでいた。七海は、不安と、少しの期待を抱きつつ、御影の表情を読みにいく。
逆に御影は、表情をみられまいと、顔だけあちらを向いていた。しかし、長髪を髪ゴムでしばっている御影の頬は赤く露出しており、さらに首や耳まで真っ赤にしている。
七海は、そんな御影をみて。
なにかを考えるよりも先に、全身の血を沸騰させた。「ほんとうの自分」を隠すことは、もうできない。七海には、それができなかった。
七海は、急に、保育園前のアスファルトに生膝をつく。
それから七海は、御影の頬を強く、強く優しく両手にし、長い口づけをした。
なんと、第16話までお読みいただきました。本当に、本当に、ありがとうございます。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
大変なことになりました。七海の生膝、このとき、すりむいてしまっています。その記述を入れようか何度も迷って、結局、蛇足という結論でカットしました。七海は、すりむいた膝の痛みを感じないほど、この状況に没入していました。後になって「あれ?なんか膝が痛い」みたいに気付きます。
引き続き、よろしくお願い致します。




