第14話 走る、つながる
放課後のチャイムが長く伸び、校舎の影が通学路に倒れていく。
七海は、鞄を握り直し、深呼吸した。
これから、御影とふたりで下校する。ゆっくり並んで話したい。けれど、保育園のお迎えの時間が迫っている。
七海「……」
言わなきゃ。「御影くん、時間ないから——」。喉まで上がった言葉が、消えた。
御影とふたりでいるだけで、とにかく恥ずかしい。
——こんなに恥ずかしいこと、他にあるだろうか
御影は、そんな七海の戸惑いを察して、あっさり
御影「走ろう」
七海は小さくうなずき、ふたりは並んで駆け出す。
校舎の2階。
廊下の窓に肘をついた楢崎 夢咲と矢入 美月。ちょっと距離を空けて走る七海と御影をみて、同時にため息をつく。
夢咲「初日は、ロマンチックの『ロ』の字もないな」
美月「延長料金を回避するためだから……まあ初日だし」
ふたり、走る。
七海の呼吸が荒くなっていく。御影が手を伸ばし、七海の鞄をするりと奪った。
御影「俺が持ったほうが、はやい」
勝手に、だった。でも乱暴ではない。七海は、それだけで顔が一気に熱くなる。
七海「じ、じぶ——」
「自分で持つから大丈夫」の一言が、口元まで上がって来たが、また、声にならない。
御影には、顔を赤くした美人が、なにかをワーワー言っているようにしかみえない。
御影「この鞄、重っ!」
七海には、スマホがない。だから、辞書アプリもない。英和辞典、和英辞典、国語辞典、古語辞典。七海はそれを説明したいのに、どうにも言葉にならない。
御影「これじゃ、俺が藤咲さんのこと、追いかけてるみたいだよ」
御影は、少しだけ笑っている。
——なんで、そんな余裕なの? 私は、こんなに恥ずかしいのに!
七海は、息の乱れとは別の理由で、目の奥をにじませる。
——御影くんは、私のこと、なんとも思ってないんだ
そのときだった。
走りながら、御影が七海の手を取った。てのひらが、汗で滑る。滑るたびに、お互いの手を握りなおそうとする、動作。
御影「ごめん。こうしないと、俺が警察に捕まっちゃうから」
七海は、御影が自分の手を握ったことに驚きすぎて、かえって冷静になる。
——こわく、ない
この手を離したくない。けれど、恥ずかしくて、死にそう。手汗がひどくなる。
御影「行こう」
ふたりは、歩道ブロックの継ぎ目を、同じリズムで踏んでいく。
七海が「もう、色々な意味で無理!」と思ったころ、やっと保育園の門がみえた。
美香「ねえね!」
美香が駆け寄って来る。いつもなら七海に抱きつくところ。
美香は、七海の手前で急に立ち止まった。パチパチと瞬きを数回して、
美香「男の子がこわい、ねえねが。男の子と、手をつないでる」
七海はパッと御影の手を放す。顔の温度が、さらに上がる。
七海「こ、こここ、ここで、大丈夫ですっ!」
そう言いつつ。七海は、やはり、自分が御影のことを「こわい」と感じていないことに驚いている。
あれだけ走ったのに、御影の息は、まったく上がっていない。
御影「……なにも、話せなかったね」
と、残念そう。
その言葉に、七海の胸の奥が、じんわりと暖かくなった。
——蓮くん、私のこと、ほんとうに知りたいんだ
美香は、御影の長髪と、背の高さに怯え、一歩、後ろに下がる。
御影はゆっくりとしゃがみ、黒縁メガネを外し、髪を後ろで束ねる。それから、左のカラコンを指先でそっと外した。
青い目。
刃のように整った輪郭に、澄んだ青が差し、みているだけで少し恐ろしくなる。
それなのに、目を離せない。
七海も、御影の顔を、こんなに間近でみたのは、はじめてだった。
——なんて、きれい
御影「はじめまして。美香ちゃんだよね? 俺の目、青いんだよ。すごいでしょ」
美香の目が丸くなり、
美香「すごい! すごい!」
その声に釣られて、ほかの園児たちも集まってくる。「みせて!」「きれい!」「ほんとだ青い!」。賑やかな輪の中心で、御影は、子どもみたいに、「すごいでしょ」と、無邪気に笑ってみせた。
——ず、ずるい! 御影くんのこんな笑顔、私でさえみたことないのにっ!
腹立たしくて、プク顔になる七海。
御影は片目の青を、もう一度だけみんなにみせてから、そっとカラコンを戻した。
御影「みんなごめんね。美香ちゃん、もう帰らないとだから」
美香は、御影をじっとみてから、ぱっと笑って
美香「青い目のお兄ちゃん、いっしょに帰ろ!」
御影は七海を見上げる。目線で「どうする?」と聞いていた。
七海は、御影にみつめられて恥ずかしい。目をそらしてから、うなずいた。
行きつけのスーパーに向かう。夕方の匂い。
御影は、自分と七海の鞄を、左肩にかけている。美香は、右手を七海と、左手は御影とつないでいる。
美香ばかりが話をしている。七海と御影の間に、会話はない。
美香が、ふたりの手にぶら下がろうとする。御影は、美香の体重がかかっても、身体の軸が少しもブレない。七海は、しかし、そのたびに身体が大きく傾く。
スーパーで特売品を探しながら、七海と御影は、お互いの距離を縮めていく。どうみても、惹かれあっているふたり。
美香がそれを見て、年不相応に「若いって、いいねぇー」なんて言う。それから
美香「私たち、ほんとうに家族みたいだね!」
美香にそう言われたとたん。意識してしまい、お互いの顔をみることができなくなる七海 (顔真っ赤)と御影(頬が少し赤い)。
美香(あらあら、あらあら)
3人は、買い物袋を手にスーパーを出る。
七海は、美香の発言を、まだ意識している。それでも七海は、勇気をひと匙すくって
七海「次は、走りたくない……です」
御影は短く「そうだね」とだけ答え、黒いカラコンの奥で、青い目を細めた。
夕方のざわめきが、3人のリズムに、同調していく。
もう、第14話です。かなりの文章をお読みいただいております。つなない文章で、申し訳ないです。本当に、ありがとうございます。
少しでも、読めるところがあったなら、是非とも☆評価をお願いしたいです。執筆の励みになると同時に、明日もまた頑張っていこうという気持ちになります。
さて。
手をつなぐという行為には、とても大きな意味があります。ただ、御影は少し天然っぽいので、ここで、どこまで七海を意識しているのか、筆者である僕にも、読み切れないところがあるのです。小説を書いていると、登場人物が勝手に動き始めることがあります。このシーンも、書いていて「えっ、御影っち、そこで手をつないじゃうか?」と思いました。
引き続き、よろしくお願い致します。




