2話 人生の後悔はばあちゃんだけ
普段であれば事務所の扉をノックし一言声をかけてから入室するだろう。
なにしろ俺はブラック企業で働いていた社畜サラリーマンなのだ。
ちゃんとしないとパワハラ必須なのだ。まあ、ちゃんとしなくてもパワハラだったけど。
中に入ると十代前半の少年が一人、ダークオークで作られたアンティークデスクに座っていた。同じくアンティーク調の赤いソファーは狭い部屋に不釣り合いな程、高級感を醸し出している。
金色の髪に緑の目。
生まれてこの方30年弱、モテとは無縁の容姿をしていた俺は、神様の不公平さに愕然とした。
何がと言うと超が付くほどの美少年だったのだ。
見惚れた。何秒か何分か、時間を忘れるくらいその少年の顔を見続けていた。
別に俺は男色でもショタコンでも無い。だけど、素晴らしい芸術品を見せられているようだった。
そんな俺を現実に引き戻したのは少年の一言だった。
「俺は見つめられるのは嫌いでは無いが、出来れば美女に見つめてもらいたいものよのう」
ハッとして現実に引き戻されると、少年の浮世離れした言葉使いに違和感を覚えた。
日本のアニメや漫画に影響されておかしな言葉を覚えたのだろうか。
それにしては流暢に喋っているけど…。
それにしてもあんなに小さいのに見つめられなれてるなんて、さすがは絵に描いたような美少年だ。
「あの、広告を見て来たのですが、責任者の方はいらっしゃいますか?」
ブラック企業で鍛えられた俺は、子供だからと言って言葉使いは崩さない。
だって社長のご子息だったらまたパワハラ受けちゃうもんね。
だから高卒の俺がここまで生き残ってこれたのだ。
そう、長いものには巻かれるタイプなのだ。
「あの広告の責任者という意味ならそれは俺だ」
「はっ!?」
「俺だと言ったのだ」
なんと子供のイタズラだったのか。そりゃそうだ。
よく考えられる頭があれば『この世に未練の無い者…』なんて文言を常識ある大人が広告に使う訳がない。
でも少し安心した。自暴自棄になっていた頭を冷やすと、これからの事を前向きに考えようと思えたのだ。
フゥ…
息を吐き気持ちを落ち着けると、ここからお暇する挨拶を考え始める。
だが、俺が一言発する前に超絶美少年が口を開く。
「お前がこの世で最も欲した物、後悔した事はなんだ?」
開きかけた口を閉じ、聞かれた内容を反芻する。
上長の話は遮ってはいけないし、必ず答えなければいけないのだ。
どうやらあの広告は、人生が嫌になった人へアンケートを取る為の広告だったらしい。
もしかしたら夏休みの研究なのかもしれない。
(これに全部答えたらお金貰えたりして…)
そんな考えが一瞬過ったが、それよりも何よりも誰かに聞いて欲しくなってしまったのだ。
俺の欲を!!
「俺はまず愛情深い親が欲しかったんだ!優しくしてくれて、ご飯をくれて、それから俺と一緒に喜んだり悲しんだりしてくれる!!それから金は有れば有るだけ欲しかった!金が無いと結局何も出来ない。一家離散も家庭不和も原因は金が理由でおこる事が多いんだ!!後は賢い頭も欲しい!俺がもっと賢ければ自分の頭で奨学金を貰いながら大学にも行けた!!それに顔は美形が良かった!美しい眉のライン、幅広い二重、通った鼻筋と花びらのような唇。形の良い耳と滑らかなフェイスラインと、それを引き立たせるような美しく艶やかな髪!!それから……」
俺はしばらく口が止まらず喋り続ける。
何も持っていない者は何でも欲しくなる。俺には煩悩を抑えるなんて到底無理だ。聖人聖者なんてまっぴらごめん!!俺は欲のままに生きたかったのだ!!
よく見たら超絶美少年は話を聞いてる顔をしながら別の事考えてるようだ。
あの顔はそうだ。絶対そうだ。目線が俺の顔を通り過ぎて後ろのドアを見ている。
…っていうか、あくび噛み殺してる。聞かれたら言っただけなのに、やはりその辺は子供と言うべきだろうか。
自分の欲を垂れ流し終えた所で、ふと一つの後悔が頭を過った。
「ばあちゃんに家賃、渡したかったなぁ…」
全ての店子に平等に、自分の子供のように接していたばあちゃん。
俺に後悔が有るとすれば、唯一俺に愛情を向けてくれたばあちゃんに何も返せなかった事だ。
「あいわかった。お前の希望をこの俺が叶えてやろう」
超絶美少年がそう呟いた瞬間、視界がグニャリと歪む。
「ばあちゃんとやらには家賃を渡しておいてやろう。だからお前は安心して行くがよい」
「え!?安心してどこに??え?えーーーーーっ!!!」
かくして俺の人としての人生はそこで途切れたのだった。