銀世界のクリラ
銀世界のクリラ
第一章 星降り祭の夜
今夜は年に一度の星降り祭の夜です。金色の折り紙を星形に折った風車を持って、カラカラと音を鳴らしながら走る小さなおかっぱ頭の女の子が、
「わたちのお星様! 一番輝け! 」
と言っていますし、星形に削った石を川の水面に投げつけて、その飛ぶ数を競い合う坊主頭の男の子が、
「おいらの星は五つも飛んだ! おいらの願いをお月様に届けたよ! 」とはしゃぎ回っています。
今夜は銀河が綺麗に澄み渡り、星降り祭りに相応しい夜でしたので皆が陽気になって騒ぐのは当たり前でした。
そんな子供たちを横目にユキとコウタも今夜は飛び切りいい気分でした。星を見たてて飾り付けたように、赤や青色の豆電球が飾られた竹が立ち並ぶ七夕川の川辺に寝そべったユキが、子供から目を話すと銀河を見ながら言いました。
「綺麗だね。今夜の銀河は本当に綺麗…… 」
「ほんとだ。今夜の銀河はとても綺麗だ。広い銀河をまるで狭い空間に押し込められたように綺羅星がひしめきあって、シリウスなどは剣で刻んだように綺麗にWを描いているし、北斗七星は乳白色に煌めく最高級の真珠のように輝いてる。それに今晩は七夕だからか、天の川がやけに綺麗に見えるよ」
「そうね。まるで真っ白な川が流れているみたい。でもあれは要するに沢山の石の集まりでしょう」
「そうだね。ただの石の集まりだ。でも僕にはそうは見えない。ユキが言うとおり川が流れているようだ。そしてこうしている間にも何千何万の誰かが同じようにこの宇宙の下で、この宇宙を見ている。何か不思議な気分になるよ」
「そうね。同じね… でも… 」ユキはのどに何か喉に詰まったように急に黙り込むと、何か物思いにふけりながら言いました。
「でも、やっぱり同じじゃない。この前図書館で本を読んだ時、何処か貧しい国の戦争で、家族と一緒に子供が殺されている写真を見たの。金色の髪に青い眼をした女の子だった。きっと十歳位の子だったと思う… 」
「うん、僕も見た。学校の図書室だね。一番奥の隅の方にあった本だ。僕らと同じぐらいの子が、目を開けたままで何か訴えかけているように見えた」
「やっぱり不公平よ。見て、あっちの河原で小さな子が楽しそうに遊んでる。とても幸せそうに…… 」
「それは仕方ないよ。僕らは戦争も無くて平和な国に住んでるからね。でも父さんが言ってた。星降り祭りの夜、可愛そうな魂は銀河に行って新しい命を授かるんだって」
「銀河へ行くの? 」
「そう銀河だよ。銀河には新しい世界があって、それは銀世界と呼ばれてる。銀世界では魔法で誰もが幸せに暮らせるんだ。星には魂があって、星座も月も太陽も、皆魂を持っていて楽しく暮らせるんだ」
「そうなの? それは楽しそうでいいなー でも…… 」ユキはクスッと笑って言いました。
「もうコウタも十三にもなるのに…… そんな夢みたいな話を信じてるの? 」
ユキのとても嬉しそうな表情を見たコウタは、何か楽しくなって大げさに手をばたつかせながら陽気に言いました。
「信じてるさ! それで銀世界と僕らの世界では空間がねじ曲がってるんだ。それはもううんざりするほど銀世界は遠いからさ。こっちの時間であっちへ行くと、過去へ行ったり未来へ行ったりするんだ。もしも僕らが銀世界へ行って戻ったら、とんでもなくこちらでは大昔で恐竜に会えるかもしれないよ。化石でしか見たことのないティラノザウルスやステゴザウルスとかね」
「ティラノやステゴ? 恐竜? それは面白い。それで銀世界へ行けるのは可愛そうな魂だけなの? 」
「そうでもなくて良い魂もいける。要するに良い行いをした人も行けるんだ」
コウタは今夜の銀河のように綺麗な澄み切った瞳で言いました。
「そう。それでは悪い人はいけないね。でも悪い政治家などは賄賂を払って行くかもね」
ユキはそういってクスっと笑いました。するとコウタも笑いながら言いました。
「それはできないよ。良い行いを判断する人がいたら、その人は賄賂など受け取らない。きっと平等に判断して決めるよ」
「そう。無理なの。それならよかった。二人共貧乏だし、もしお金を払って行けるのならやっぱり無理だもの」
「そうだな。僕ら貧しいからな。でも僕らは幸せだと思う。貧乏でも幸せだよ」
「どうして貧しいのが幸せなの? 」
不思議そうに首をかしげるユキにコウタはとても穏やかな顔で言いました。
「だってもしお金が沢山あったらこんな気持ちならなかった。大変な目に遭っている人の為に何か出来ないか考えて悩んだり思わなかったと思うよ。それに貧しくても僕らは戦争などで酷く殺されることもないしね」
「そうだね。貧しくても不幸ではないよね」
「そうだよ。生活は貧しくても心は貧しくない。思いやりを持てるのはお金を持つよりとても大切な事だ。けれど本当に良い事をする為には身を挺してでもやり遂げない時もあるんだろうね」
「どうかな。でも本当にそうなった時、身を危険にしてやり遂げられるか自信ないな」
「そうだね。でも誰かを助けたいって気持ちなれたらとても良いと思う。もし僕一つの命で二つの命が救えたらとてもいいなと思うんだ」そしてコウタはちょっと意地悪そうな顔でユキの目を見てニコリと笑いました。
「それで僕ら銀世界へ行けるかもしれないよ」
するとユキは少しばつが悪そうな顔をして言いました。
「それならやっぱり良いことをしよう」
「そうだね。良いことをしよう。どんな人でも幸せになれるように。良いことをしよう」ユキとコウタはお互いに目を合わせこくりと頷きました。
「ユキ。僕はとてもお祈りがしたくなった。あの本に載っていた可愛そうな子のために、そして君のために、そして誰のためにでも。一緒にお祈りをしてくれる? 」
「うん、いいよ。コウタはクリスチャンでも無いのにお祈りが上手だもの」
するとコウタは少し照れて、両手を絡め胸の前に当てると慎ましく言いました。
「あの女の子がせめて銀世界にいけますように。全ての人が幸せでありますように。そして…… 」コウタは言いかけてふとやめました。そして上流にある大きな橋に目をやり、今から自分でもおかしな事を言うに違いないと思いながら口を開きました。
「ユキ。僕は目がとても良いんだ。だってこの前の目の検査では僕だけが二・〇で、ずるもしていなかったもの」
するとユキは怪訝そうに言いました。
「どうしたのコウタ。急にそんなことを言って。もうお祈りはいいの? 」
「いいから! ねえユキ! 僕は目が良いよね! 」
コウタがあまりに必死に言うので、ユキはしぶしぶがらコウタの目の良さを褒め称えんばかりに言いました。
「そうね。コウタだけがとてもよかった。しん坊なんてずるをしても一・〇だったもの」
ユキが笑ってコウタを見ると、まるで妖怪辞典で見たカッパのように顔が真っ青でした。
「そうだ! 僕は目が良いのだから間違いない! 」
「何、コウタ。どうしたの? 何が間違いないの? 」
「今、橋の上から落ちたのを見た! 小さな子が二人橋から落ちた! 」
「嘘でしょ? 間違いないの! ほんとうに人なの! 」
「そうだ! 間違いない! まだ小さな子供だ! 二人だった! 」
そう言うとコウタは頭が真っ白になり無我夢中で走りだしていました。そして何か叫びながら追いかけてるユキに見向きもすること無く七夕川に飛び込み、まるでシャチに追われるアシカのように必死で泳いでいました。
まるで胎膜のように優しくコウを包み込む七夕川に、月が優しい光を落とすと、七夕川を美しく見せるために、浅瀬の川底に敷きつめられた赤や黄や青色をした沢山のガラス玉が、星のようにキラキラと光り、銀河がそのまま水面に落とし込まれたように映り込んだでいたので、コウタはまるで銀河の中で泳いでいるかのようでした。
すると突然巨大な雲が現れ月をまるっと覆い尽くしました。一瞬にして辺り一帯が深い闇に包まれまたのです。七夕川もまるで墨を垂れ流したように真っ黒です。黒い川に向かってユキは必死になってあらん限りの声で叫びました
「あぶない! コウタ! 溺れてしまう! 戻ってきて! 誰か大人を呼ぶから! 」
でもコウタは竹に飾り付けられた豆電球のように小さくなり、豆電球のように光ることのないコウタは、川の真ん中辺りで突然導線の切れてしまった電球みたいに、ふっと消えてしまったのです。
それはまるで銀河に吸い込まれるかのようでしたが、それがちょうど雲がすっかり消え去り、黄金色の月が絵画でも見るようにくっきりと写っていたところでしたので、コウタは黄金色の落とし穴に落ちたように消えました。〝良い事をしよう〟コウタの声がユキの心に刻み込むように響き渡りました。
「コウタ! コウタ! 誰か助けて! 助けて! 」
ユキは身震いをしながら泣きじゃくり、狂ったように大声でわめきちらしながらコウタの後を追って川へ入っていきました。
すると川面に写り込んだ月から、まるで墨汁がしみ出るように、または黒い血でも流れ出すように真っ黒な液体がじわりと滲み出し月に黒い影を落としました。
竹に飾られた色とりどりの小さな電球が、銀河に浮かぶ無数の星のようにピカピカと光り、二人が消えた川面でゆらゆらと揺れながら映っていました。
第二章 銀世界のクリラ
『銀世界』で星々は皆魂をもって暮らしていました。星座も、それはサソリや魚や獅子や蟹や白鳥、水瓶や天秤すら魂を持っていて、星座早見図で見たら、季節も時間も関係なく何に縛られることもなく、永遠に続く銀河を誰もが自由に動き回っていたのです。
そして金の星に映り込んだ影さえも……。
黒い体に長い耳、金緑石の大きな宝石でも埋め込めこまれたように、まん丸な目をしたクリラが、月に座りこみ天の川を見つめながら言いました。
「綺麗だね。今夜の天の川はほんとに綺麗。あのエメラルドグリーンの川には、きっとトパズやガーネットや、ありとあらゆるたくさんの宝石が敷き詰められているんだね。でなければあれほど綺麗に光るはずないんだもの」
そしてちらりと自分の足に目を落とすと、絶望的な深いため息をつき、体中をしげしげと眺め、手も足も背中もお腹も見える限りに体をくねらせながら言いました。
「ボクはどうしてこんなにも上から下まで真っ黒なの? 」
まるで何遍も釜で焼かれた備長炭のように黒いクリラの体は、遠くから見ると月にこびりついた汚れのように見えたので、
「お月の陰!」だの「お月の汚れ!」と言われ、銀世界の仲間からバカにされていました。
(ボクは体が黒いだけで、誰の悪口も言わないのに。どうして皆ボクを馬鹿にするのかな)クリラは思わす泣きそうになり、目に雑巾でもるようにごしごしと腕をこすりつけました。
それでも今夜のクリラは少しご機嫌でした。それは今夜が七夕で、天の川の川底が〝光玉〟でいっぱいになるからです。
光玉は年に一度七夕の夜にだけ、天の川の底〝漆黒の裂け目〟と呼ばれる稲妻が走り抜けたようなギザギザの地割から現れるとても美しい光の玉です。
それは酸素や窒素が化学反応を起こし爆発したような光か、リチウムやナトリウムやカリウムなどが激しく燃え赤、黄、紫などに燃え上がった炎のような光にも見えたし、チカッと輝く度に水に溶け込み屈折した光りが、まるで氷の結晶のように様々な形に変わり、無数の色がチカチカすると、サファイアやルビーが一遍に輝いたかのようで、やはり天の川の底には様々な宝石が敷き詰められいると思われました。
「今夜は七夕。人間界では星降り祭りの夜。今夜くらいはよい気分でいよう」クリラは納得すると暗い顔を振り払い光玉を思い出しました。
「閃々と光り輝く姿はまるで星屑の海で岩壁に打ちつけられては飛び散る細やかな波しぶきのように繊細で、短い命の限りに光る星蛍のように、手にしたら消えてしまうような儚い光のよう。光玉は星の仲間か、それとも何かの卵?…… 」
クリラは目をとろんとさせて恍惚と言いました。ところで銀世界で光玉について詳しく知る者は誰もいませんでした。何処から来て何処へ行くのかも、そしてゆうに数千年はたつと思われる長老星でさえも、
「光玉がいつから現れるようになったか誰も覚えてはいない。気づいたときにはそこにあった。光に猛火の星があるように、闇に金の星があるように、ごくごくあたりまえに… 」そう言うだけでした。
ただ分かっていることは七夕川の夜、星降り祭りの夜に人間界で生まれていると言うことだけで、それも誰が言い出したのか分からない、はっきりとしない噂話でした。
クリラは銀世界の宝石と呼ばれ、銀世界で一番美しいと認められる光玉に心惹かれ、感極まって泣き出したくなるほどでした。
それというのも銀世界では誰もが美しい色をしていて、サソリはサファイアのように燃えるような美しい赤でしたし、白鳥はアクアマリンのように何処までも清らかな海のように鮮やかな藍青色で、また蛇ですらエメラルドのように冴えた緑色をしていて、広い銀河を隅から隅まで何処を探しても、黒い色をしたのはクリラだけだったからです。
「もしボクが光玉の色でどんな色にでもなれるとしたら何がいいかな。ルビーでもサファイアでも真珠でも、全て綺麗な色を体中、斑点のまだら模様でも面白いなーー 」
「へぇーー 斑だって? 君は黒一色がお似合いだなぁーー ヒヒヒヒヒ… 」
それはいつのまにかクリラの後ろにいた赤星で、赤星は火のように真っ赤に顔を腫らしてクリラを小馬鹿にしてせせら笑いました。クリラは光玉のように美しくなりたいと聞かれたことが恥ずかしくて、思わず顔を真っ赤にしました。
「おや? 真っ赤になった。お前さん、俺のように赤くもなれるんだな、ヒヒ… 」
すると顔から火が出るくらい恥ずかしくなり、クリラはもうどうでもよくなって月から勢いよく飛び降りると、大急ぎで走ってそこから立ち去りました。そして走りながら、
(ボクは悪くはないのに、どうして逃げるように走っているのかな)と思い、今度はとても悲しくなりました。涙が溢れ眼の中でちゃぷちゃぶと波打ち、曇った水晶から覗いたように、銀河の景色がいびつにぐにゃりと歪みました。
第三章 クマ五郎
涙を拭いながら何処へ行こうという訳でもなく走っていると、どがんと大きな岩にぶつかりました。けれどそれは岩ではありませんした。赤、橙、黄、緑、藍、紫色とそれは美しい六色をした大熊座のクマ五郎でした。
クマ五郎は数少ないクリラの話し相手で、その苦しい胸の内をよく分かっていたので、何とかしてあげられればよいといつも思っていました。
「どうした。またいじめられたのかい? 」
クマ五郎が心配げに訪ねましたが、クリラは何も言わず、頭を牛のようにくたりと垂れてうなだれました。
「そうか。それでもお前さんは姿は黒いが、そん中は美しい色をしている。眼には見えないが心がね。つらい思いした分だけな」
するとクリラは少し考えて不満そうに言いました。
「ボクは心が綺麗じゃなくてもいい… 姿が綺麗ならその方がいい! 」
「そんなこと言ってると、心まで黒くなっちまうよ」
「それでもいい! それで綺麗になれるならそれでもいい! 」
それを聞いたクマ五郎は、クリラが思っていた以上に悩み苦しんでいる事を知りとても悲しくなりました。そして何も言えなくなり石地蔵のようにむっすりと黙りこんでしまいました。するとクリラはクマ五郎の姿を見て思いました。
(ボクは分かっている。ボクが黒いのは誰のせいでもない。もちろんクマ五郎が悪いわけでもない。それなのにボクはクマ五郎に悪いことを言ってしまった。どうしてボクはこんなことで腹を立て、つまらないことを言ってしまうのかな)そう思うとクリラはとても悲しくなって、大きな声でわぁーー っと叫びながら何処かへ走り去ってしまいたい気分になりました。
けれどもクマ五郎はクリラの気持ちをよく分かっていたので、クリラのために何かしてあげなくてはと思いました。そしてクマ五郎はしばらく何か考えると、
「そうだな。今しかない、今この時にやらなくてはならないな」そう言って懐をごそごそとまさぐると、
「どれクリラ。いいもん見せてやろうかなあ」
そう言って、ちらちらとクリラの顔を伺いながら何かを取り出しました。そのとたん、クマ五郎の大きな手がカッと光り、何かを包み込んだ手の隙間から、クリラの顔を突き刺すように、煌々と輝く煌びやかな白い光の矢が一斉に飛び出しました。クリラは光の矢を避けようと両手で顔を覆い隠しましたが、その白い光の正体がすぐさま知りたくなり、指を少しばかり広げるとその隙間からクマ五郎の手を覗き込みました。
するとクマ五郎の手の中に、☆型をした美しい石が一つ乗っていました。☆型にカットされ、全体がほのかに赤く、表面は一点の濁りもない清らかな水のようにどこまでも透き通り、上から覗くとクマ五郎の毛むくじゃらの手が綺麗に透けてしまうほどでした。
そして圧巻なのはその色彩で、月にかざして覗いてみると、何千何万という色が混ざり合い渦潮のようにゴーゴーと円を描き、発光する白露のような白い斑点が浮かんでは消えると、まるで石の中に小さな銀河が閉じ込められているように見えるのでした。
クリラは石の中に赤星や星座やら、終いにはクマ五郎や月に腰かける自分の姿まで見えたような気がして、本当に石の中に小さな銀河があるのだと思い、思わずわふーと溜息を漏らしました。
「なんて綺麗なの。まるで光玉だ」
まるで笑うことのないクリラがまだ年端もいかない子供のように、まるで感情を隠すことなくいい顔をするので、クマ五郎もなにか満足そうに言いました。
「そうだろう。これはヒトデ石といってな、おいそれと見えるものでないでな」そして大きな指でヒトデ石を挟み込んで頭の上にかかげると、くいくいと回して、その変わるがわる発光する美しい色の光を顔にあてながら言いました。
「じつはな、このヒトデ石は他ならぬ光玉なのさ」
それが光玉と知ったクリラは驚きりのあまり声も出なくなり、何か言いたそうにはうはうと口を動かしました。するとクマ五郎は落ち着けと言わんばかりにクリラの背中をさすりながら言いました。
「この☆型の硝子は月のしずくを集めて固めた物だ。この硝子と光玉が合わさるとこうなるのさ」
クリラはようやく息を飲み込み、はあーと大きな息をはきました。
「こ、これがあの光玉なの! 」
すると段々と体が熱くなり、体の中で打ち上げ花火が乱舞したように思われ、驚きのあまりガタガタと肩が震えだしました。するとクマ五郎は大きな顔をぶるんぶるんと振りながら言いました。
「いやいや、驚くのはまだ早いよ。これからか本題だがね。実は光玉に触れると全く同じ色になれるんだ」
「光玉と同じ色に!? 」
クリラは眼をぱちくりさせると、興奮して気持ちがうわずり、はーはーと息が上がってきました。
「そんなに興奮するな。お前さんも知っての通り、光玉は人間界と銀世界との狭間、つまり天の川の底にある漆黒の裂け目に現れる。けれども漆黒の裂け目に入ったら二度と戻れない。だから本来なら光玉を捕ることはできん。けれど大昔、南十字星のあの方がいなくなるちょっと前の事だ」
「え、クマ五郎はあの方を見たの? 」
「まあ、俺は銀世界でもかなりの古株だからな。そんでも本当に少しだけうっすらと影を見ただけだ。そうだな十日間ほどか…… 」すると熊五郎は目を閉じて、とても清らかな顔をしました。でもその方の話はしてはいけいと思ったのか、直ぐに妄想の遙か彼方にあの方を追いやったようでした。
「それで俺はまだ七つも星がなくて、星を一つばかりしか持ってない頃だがな。天の川に行ったんだ。そんとき漆黒の裂け目から飛び出す光玉があってな。何故かは分からんが、方角からしてどうやら南十字星に行こうとしていたようだ。俺はそれを天の川で待ち伏せして捕えたというわけさ」
それを聞いたクリラは興奮して叫ぶように言いました。
「そうか、クマ五郎はその十日の間に光玉を☆型の石に入れたんだ。それで光玉に触れて綺麗な六色になったんだね」納得しながらクリラはふと不思議に思いました。
「けれども見せてもらったヒトデ石は赤いのがひとつ。クマ五郎は六色、っと言うことはもしかしてヒトデ石はまだあるの? 」
「おお、察しがいいね。実はヒトデ石はあと五つばかりあるのさ」
「やはりそうなんだ。それでクマ五郎はボクに〟天の川へ行って光玉に触れろ〟と言いたいんだね」
「そうもいかんな。今は光玉が天の川から飛び出すことはないからな」
それを聞いたクリは一変に元気を無くし弱々しく呟くように言いました。
「では何でそんな事を言ったの? ボクをからかったの? 」
「まぁ、話は最後まで聞きなさい」
そうたしなめるとクマ五郎は、今度は長さ三十㎝、幅二十㎝、厚さが三、四㎝ほどの石板を懐から取り出しました。するとクリラの顔に虹でも架かったように七色の光が、すーっと照らしました。
「綺麗…… まるで虹が石の中に閉じこめられているみたいだ」
七色に輝く石板の表面は、極上の御影石を限界まで磨き上げたような光沢を放ち、幅三センチ程の厚みは八つの層で出来ており、それぞれ八つの色彩がありました。それは一の層が赤、二の層が橙、三の層が黄、四の層が緑、五の層が青、六の層が藍、七の層が紫になっていて、少し傾けると水面に細波がたつようのようにゆらりと揺らぎ、それが重なり合い美しい虹が架かったように見えるのでした。
そして最後の八の層には、霜降り糸のように色とりどりの斑点がまばらに彩色された糸がぴんと張りつめ、何本も何本も橋を架けるように渡されていて、小さく傾けると虹が見え、また大きく傾けると小さなあらゆる色がピカピカと光る、全く凝った作りでした。
そして中央には☆形の窪みが七つ、北斗七星の形に空いていました。
「これは七色石板と呼ばれるものでな。天の川で数万年に一度採れるか採れないかと言われる、大きな一枚岩の七色天然岩石から削りだして作られた、この世にふたつと無いそれは貴重な代物だ」
そう言うとクマ五郎はまた懐をごそごそとまさぐり、残りのヒトデ石を五つ取り出し、先程のヒトデ石と足して全部で六つになりました。そしてクマ五郎が北斗の形をした☆型の窪みに、六つのヒトデ石を上から順番に置くと、ヒトデ石は七色石板の窪みにぴたりとはまり綺麗に収まりました。
七色石板に収まった六つのヒトデ石はそれぞれに違う色をしていて、赤、橙、黄、緑、藍、紫と言う具合で七色石板の色彩でした。けれども順番に置かれたヒトデ石はひとつ足りず、それは五番目の青色でした。
「これはひとつ足りないね」
クリラが首を傾げると、
「そうだな。ひとつばかり足りないな。実はこの七色石板には秘密があってな。この通りにこの窪みに七つヒトデ石を乗せると、願いがひとつ叶うのさ。この窪みには名前があってな、アルファ・ベータ・ガンマ・デルタ・イプシロン・ゼータ・エータと言ってな、つまりはほれ、ここのイプシロンが足りないんだ。ここには青い光玉が欲しいのさ」
クマ五郎がパチリとウイングすると、クリラは直ぐさま言い返しました。
「つまりボクは青い光玉を見つけ☆型の硝子に閉じ込める。そして七色石板のくぼみに入れる。それでボクは青く綺麗になれるし願いもひとつ叶うと言う訳だね」
クリラは満面の笑みを浮かべ、とても出来の良い生徒のように答えたので、クマ五郎はそれを褒め称える先生のように言いました。
「ああそうだ、賢いね。願い事は解ると思うが〝銀世界へ帰らしてくれ〟だな。それでお前さんは綺麗な色になり帰ってこれると言うわけだ。それと〝ヒトデ石は願いが叶うと消えちまう〟が、それは気にせんでええからな」
クリラは大きな声を張り上げて嬉し泣きしたい気分でしたが、貴重なヒトデ石が消えてしまうと聞いてとても申し訳なく思いました。
「だけどそれは悪いよ。だってヒトデ石はとても貴重な物じゃない」
「それは気にせんでええ。お前さんの心に闇にかかる方が大変なことだからな」
クリラはクマ五郎の優しい心に触れて、何か胸がくすぐったいような、何とも言えない穏やかな気持ちになりました。
「それじゃ、行くかい? 」
クマ五郎が訪ねると、クリラは感極まり、真珠のような涙をころりころりと零しながらコクリと頷きました。
第四章 超特急列車星「ハリー彗星」
「いいかい。ひとつだけ注意しとくよ。ほれ、七色石板をひっくり返してみろ」
クマ五郎は七色石版をクリラに渡しました。そこでクリラが石板をひっくり返すと、裏側に丸い穴が一つあり、赤く丸い硝子の宝石のような物がぺかぺかと光っていました。けれどよく見るとそれは宝石ではなく、腹を赤く点滅させている虫でした。まるでルビーを埋め込まれたような赤い虫は、お腹を信号のようにぱかぱかとさせるとジジジジジと泣きました。
「その赤い虫はアカヒカヒタルと呼ばれる虫で闇が嫌いでな。漆黒の裂け目は暗闇の世界で、そこは生きた魂がそうそう永く居られる場所じゃない。それでアカヒカヒタルだ。アカヒカヒタルは闇を吸い込むたびにくすんだ赤色になり、最後には全く色味を無くして死んじまう。やばくなるとジジジジジと煩く泣いて、終わりに近づくと点滅が早くなる。つまりお前さんがあの漆黒の裂け目に居られるのはアカヒカヒタルが死ぬまでだ。それまでに青い光玉を見つけて願かけるんだ。いいな、忘れるな」
「分かったクマ五郎。アカヒカヒタルが死んでしまう前に帰ってくる」
「そうか、わかりゃぁええ。じゃぁ列車星を呼ぶでな。ちょっと待っとれなーー 」
そう言うとクマ五郎は、ほおずきのように頬を膨らせ、銀世界の隅々まで響き渡るような大きな口笛を吹き鳴らしました。
口笛はまるで山彦のように何度も何度もぴーぴーと返事を返し、あちらからもこちらからも聞こえてきました。すると遠くで小さな光がチカッと見えて、やがて光は箒のような尾を、風になびく旗のようにハタハタと揺らしながら近づいてきました。
光の尾の先に見えたのは大きな石の固まりで、銀河を猛スピードで飛び回る彗星でした。銀世界で彗星は列車星と呼ばれ、クマ五郎が呼んだのは超特急の列車星で、名前をハリーといいました。
ハリー彗星は銀世界で一.二を争う俊足で、風で言うなら疾風、馬で言うなら一日で千里をも走る名馬麒麟のよう、または軽快、迅速に優雅に天を駈けるペガサスのようで、列車星の中でも最高級の列車星でした。
猛スピードでやってきたハリーは、風を衣服のようにまといぎゅるぎゅると音を立てながらクリラに迫ってきました。クリラはひかれるのでないかと思い、思わず身構えましたが、ハリーは抜群のテクニックでクリラの前でぴたりと止まると、体の中で大量の爆薬が爆発したように、もの凄い量の煙を口から鼻からガゴーとはぎ出しました。
そして体中に溜めこんだ煙を全部はきおえるとじっとクリラを見つめました。けれどもクリラを見つめるハリーの顔は、うっすらと目に涙をため、まるで古い友人でも懐かしむようなとても優しい表情でしたのでクリラは、
(不思議だなー ボクは初めてこの列車星を見た気がしない。まるで遠い昔から知っていて、幼なじみに会ったような、そんな懐かしい気分だ… )と思い、
「あの、ボクのことを知っているのすか? 」と言おうとするかしないうちに、
「やあ、クリラ。元気そうだねえ」
ハリーが不意に話しかけてきました。
「え、あ、はい…。おかげさまで… 」
やっぱりハリーはクリラを知っているようでしたが、それを見たクマ五郎はまるでハリーがクリラを知っていては困ると言わんばかりにいやな顔をしました。けれどもクリラは初めて目にする超特急の列車星に興味津々で、クマ五郎の様子に気づくことはありませんでした。
クリラが釘付けになったのはハリーの頭でした。と言っても頭そのものではなく、頭に乗せた真っ白い上等な椅子で、二人ほどが座れる椅子は白露のようにキラキラと輝き、真っ白い最高級の毛皮が芝生のように敷き詰められ、そのあまりの白さにクリラは思わず溜息を漏らしました。
ハリーは気になってチラチラとこちらを見るクリラを見て、にっこりとすると直ぐさま振り返り、ゴオーっと火を吐きながら顔を真っ赤に腫らしてクマ五郎に言いました。
「クマ五郎さん、お呼びでしたか? 」
「ああ、すまないねぇ、ハリー。早速で悪いんだがね、クリラを乗せて光玉が現れる漆黒の裂け目の行けるところまで行ってほしいのだよ」
「ほぉ、漆黒の裂け目ーー? そりゃ、またたいしたところへ。こりゃ特別料金がつきますがあ、お代はしっかりといただきますよ」
にやりと笑うハリーを見て、クマ五郎は少しばかり苦い顔をすると、七色石板をハリーの椅子の上に置き、空っぽの☆型の透明な硝子をひとつ取り出して、クリラの手にしっかりと握らせました。
「それではお代は帰ってきたら頂きますので。さぁさぁ早く乗って」
ハリーが急かすように言うので、クリラは☆型の硝子をポケットに滑り込ませると、恐る恐るハリーの頭の上の椅子へと腰掛けました。
けれど彗星に乗るのは初めてだったので、クリラは嬉しいやら怖いやらで心臓が激しく鼓動を打ち、くらくらと目眩がするほどでした。そんなクリラの緊張が伝わったのか、ハリーは少しばかりクリラを見ると、からかい交じりに言いました。
「君、僕のシートを黒く汚さないでくれよ。それは上等な真っ白いペガサス皮で出来ているからね」
するとクリラはカーー っと顔を赤くして、しゃんと背筋を伸ばして姿勢を正すと、何事もなかったかのように足を組み頬杖を付いて、やっぱり赤ら顔でむすりとして何処か遠くを眺めました。
「おやおや少しばかりご機嫌をそこねたかな。でも悪気はないよ。君、少しばかり緊張しているようでしたのでね」
目尻を下げハリーが優しく笑って言うと、クリラはハリーに気を遣わせたのだと気が付き、自分の行動の浅はかさを恥じ顔を赤くすると、まるで蒸気機関車のように頭から湯気がほくほくと昇るようで、
(もし今ボクがハリーのような列車星なら、もの凄いスピードで立ち去るのに)と思いました。
ハリーは衣服の中に虫でもいるように、もぞもぞと体をくねらせ、恥ずかしそうにうつむくクリラを見ると、ようやくクリラも落ち着いたと思ったようで、
「それじゃぁ、クマ五郎さん。ひとっ走り行ってきますーー 」
そう言って光の尾を鞭のようにしならせ、ぱしりと音をたてると勢いよく走り出しました。そのとたん冷たい風が打ち付け、まるで湿ったタオルが顔に張り付いたかのように息苦しくなり、クリラはうんうんと唸りました。
「もうすぐ楽になりますよ。そう、今音速を超えましたからあと一秒か二秒くらい我慢して下さい。僕のスピードは光速ですからーー… 」
ハリーが言うとおり、しばらくすると不思議と風はクリラをさけるように左右へ流れ出し、クリラはほっと一息いれることが出来るようになりました。
ようやく落ち着いて振り返ると、クマ五郎は豆粒ほどに小さくなっており、クリラはクマ五郎に有り難うも行ってきますも言えず申し訳なく思いました。
それでもハリーの見事な走りっぷりと、初めて乗る列車星の快適さに感動し、素晴らしい爽快感と共にそんな思いも忘れていきました。
「どうですか乗り心地は? 」
「とても快適です。こんなに気持ちが良いのは初めてです」
「それは良かった」
「けれど大丈夫かな、こんなに早く飛んで。なんだかボクは時間も飛び越して、何処か違う空間に行ってしまいそうな気がする」
「時間を飛び越す? 」何気なく言ったクリラの言葉にハリーは興味を示し、目を見開くと片方の頬を思い切りつり上げてにやりと笑い、
「実は前にこんなことがあってね」そう言って何か自慢げに話し始めました。
「あれはいつ頃だったか。自分がどれくらい早く飛べるのか試したくなってね。思いっきり飛ばしたことがあったのさ。それはもの凄いスピードで、何十万キロも先の星が一瞬で後ろにさがってしまうほどでしたね」そこでハリーはいきなり声を荒げました。
「ところが! 一瞬周りの空気がぐにゃりと揺れたと思ったと時。僕の前に彗星が突然現れてね。そう! 僕より早く飛んでいる彗星がいたんだよ! 」ここでハリーは興奮をおさえるように一息ついて少しだけ目を閉じました。
「驚きはしましたがね、僕はすぐさま我に返り冷静になると、すぐさまそいつを追い越した。後ろを振り返るとそいつはもういない。僕は勝ったと思い自信満々に前を向いた。すると!! 」ハリーは目をまん丸にして大げさに騒ぎ立てました。
「するとだよ! また! 僕の前を飛んでいる彗星がいたんだ! いつ抜かれたのかってびっくりでね。それで頭にきた僕はすぐさまそいつを抜き返した。が、抜いても抜いても、いつの間にかそいつは僕の前に現れる。それで僕はそいつがどんな奴かと思い顔を見たくなってね。並び際に見たのさ、そいつの顔をね。誰だったと思う? 」ハリーは鼻にかけて言いました。
「僕だったのさ。僕の前を飛んでいたのは僕だったのだよ。つまり僕はあまりに早く飛びすぎて同じ空間の時間を行ったり来たりしていたというわけさ!! でも今はそんなことになったら困るからね。いつまでも目的地に着けないから少しばかりゆるりと飛ぶよ」
武勇伝を語り終え、少しばかりご満悦なハリーにクリラは半信半疑で一言ばかり言いました。
「すごいですねぇー… 」
そんなたわいのない会話をしながら、どれほどの時間が過ぎたのか、しばらくするとそよ風が肌にあたるかのように、何処からかまるで一流のオーケストラが演奏していかのような美しい音色が聞こえてきました。
「とてもいい音色が聞こえる。心が何処かへ飛んでいきそうだ」
クリラは目を閉じ美しい演奏に聞き惚れていました。
「この音色? これは南十字星から聞こえてくる音色だよ。何でもあの真っ白な十字の白光が震えて音色を奏でてるそうだ。〝賛美の音色〟と呼ばれているね」
「賛美の音色。どうしたらあれほど美しく奏でられるのかな? 」
クリラはローレライで髪をくしげする妖精の歌声に魅せられて、おぼれ死ぬ舟人のように賛美の音色に身も心も虜にされました。
「随分とお気に入りのようだね。どうしてか知りたいのかな? 」
ハリーが何か意味ありげに勿体付けて言うので、クリラはどうにも気になり、ハリーを見ながらこくりと頷きました。その姿を見たハリーは、してやったりといった風で喋り始めました。
第五章 魂の洗い場
「南十字星は人間の魂が集まる場所、それも汚れて真っ黒な魂だ。賛美の音色は薄汚れて真っ黒になった人間の魂を洗うために奏でる。そして美しい音色に清められて人間の魂は真っ白になるそうだよ」
「南十字星は人間の魂の洗い場? それでは音色は洗剤のようなもの? 」
「洗剤とは上手いことを言うね。元々この銀世界も猛火の星も金の星も、僕もクリラも皆塵で出来ている。何でも銀河はぐつぐつと煮え立つばかでかい鍋に塵を入れてかき回して造られているらしくて、今でも誰かがかき回しているそうだよ」
「銀河は鍋の中に浮いているの? 」
クリラはもしこの鍋でホシカボチャのスープでも作ったら、いったい何人分のスープが出来るのかと思い頭がくらくらしました。
「勿論人間の器も塵で出来ている。だけど人間の器は頑丈じゃなくて、百年も保たんと腐るんだ。器が腐ると魂だけが銀河に飛んでくる。邪な真っ黒い魂は南十字星で洗われ真っ白な純粋無垢な魂に生まれ変わる。そして新しい器を貰い人間界に帰ると言うわけだね」
「でも人間の魂が銀世界にきたなんて聞いたことないね」
「それは大昔の話だよ。何でもあの南十字星の白い光の中には、真っ白な白装束に身を包み、足につくほどに長い白髪と白髭を生やした人間に似た老人がいて、その方が人間の黒い魂を洗っていたと言われているよ」
「ボクも知ってる。クマ郎はそのお方を見たそうだ。ボクも是非あってみたい。だって魂を洗うことができるなんてとても良いことだ。ボクはその方に会えるのならどんな事でも出来る。それは真っ赤なサソリの毒を何万回もうけて、体が今よりもっと真っ黒になっても良いと思うほどだよ」
「それはすごい覚悟だ。けれども君も知っているとは思うけど、あの方はある日ぱったりと姿が見えなくなってね。それ以来人間の黒い魂はひとつも来なくなったそうだよ。噂では人間の魂は黒くなりすぎて洗えなくなったそうだ」
「そうか。それでは南十字星は今は空っぽなんだ。でもなんだか気の毒だ。それに真っ白い魂を持った人間はどうなるんだろう… 」
「そうだな、従兄弟のハレーも言ってたよ。ハレーは八十年に一度は人間が住む地球星のけっこう近くまでいくそうだが、人間の子供は雪みたいに真っ白い魂を持ってるそうだ。それでハレーが思うに白い魂を持った人間の魂は選別されて、何処か違う世界に行ってるのではないかとね」
「それもなんだか…… 気の毒な気がするーー 」
クリラは黒くなっていく自分の魂と人間の黒い魂を重ね合わせて、何とも悲しく切ない気持ちになり、今にもわーー っと大声を張り上げて泣きたい気分になりました。けれどもハリーの前で泣くのは何だか恥ずかしくて、クリラはぐっと下唇を噛みしめると、もう賛美の音色についてハリーに聞くこはありませんでした。
寂しげなクリラをちらりと見るハリーの顔もどこか寂しそうで、二人の間に永遠に感じるような長い長い沈黙が続きました。
そうしてますます賛美の音色にのめり込むクリラの魂に、賛美の音色の美しい音色がまとわりつくように染み渡ると、クリラの眼球に十文字を刻むように、目映く白光する威容を誇った十文字の塔が見えてきました。
その存在をうやむやにするように、塔の周りを薄暗い霧が立ちこめ、十文字の塔をぼんやりと霞んで見せています。真っ白な霧の中でゆらゆらと白く揺らめく十文字の光が近づいてくると、クリラは目も口もこれ以上ないとばかりに大きく開け放ち、感動に胸をふるわせながら言いました。
「ハリー、南十字星が見えてきた。あの白光は何処までも白いんだねー 」
「そうだね。何でも大昔南十字星で魂が洗われていたときには「ハレルヤー 」やら「アーメン」と言った声が賛美の音色に混ざって聞こえたそうだよ」
「ハレルヤ、アーメン? それはどういった意味なの? 」
「何でも「すばらしい」とか「その通りです」とかそういった意味らしいがね。本当のところはよく分からないんだ」
「そう、よくは分からないの。でもきっとそういった意味だと思う。だってこの十文字の白光は本当にすばらしくその通りじゃないかーー… 」
十文字の塔から発せられる白光、そして白光が揺らめくたびに奏でられる美しい賛美の音色は、クリラの黒くなりつつあった魂を焼き払うかのように、魂の隅々まで響き渡るのでした。
「ところでクリラ。あの白光、ぱっとみ光のようだが実は白い炎なんだよ」
「白い炎? 」
「そうだよ。それは凄まじい灼熱の白い炎でね。魂を洗うと言っても人間の魂を洗うには普通のやり方ではとても綺麗になるものではなくてね。最初の頃は賛美xの音色だけで洗われたらしいが、段々と間に合わなくなり、いつしか白光は白い炎に変わったのさ。つまりあの光はとてつもない熱さで光る白熱でね。綺麗にするには焼くしかなくて、何度も何度も、十文字の塔の白い炎の中を行ったり来たりして何度も焼かれたそうだよ」
「何度も何度も焼かれるの? 」
クリラはどきりとしました。今し方クリラもあの賛美の音色と白熱に魂を焼かれた気がしたからです。それをハリーには言えなくて、ごくりとつばを飲み込み口を真一文字にすると、十文字に燃えさかる白い炎をその眼に焼き付けて、何処か心も上の空に惚けながら思うのでした。
(ボクは自分が人間でなくて良かった。ボクの魂は何遍も焼かれる事がないし、でもそれでよいのかな。ボクでなくてよかったと、そう思ってよいのかなーー )するとそんな事を考える自分がどうしようもなく悲しくなり、
(ボクはもう微細な滴となって銀河にとけ込み綺麗に消えてしまいたい)と思うのでした。そして離れるほどに小さくなる十文字の白熱の炎に手招きされているように思われぼそりと呟くように言いました。
「白熱の炎に呼ばれてるようだ。ボクはいつかもっと近くで、とても間近で南十字星を見るような気がするー…… 」
そして遠ざかる思いと一緒に十文字の白熱も賛美の音色も小さくなっていき、全てが全く消えて無くなると、またぺかぺかと小さな星が光る銀河の中を飛んでいくのでした。
第六章 乳の川
「どうかな、天の川はもうすぐ? 」
南十字星もすっかり見えなくなり、水銀灯のようにぼやけて発光する小さな星が連なる全くおなじ景色が続くと、それはもう五分が一時間にも二時間にも思えたようで、クリラは飽き飽きして言いました。
「もうすぐ。漆黒の裂け目がある天の川はもうすぐだよ」
「どうして漆黒の裂け目というのだろう? 」
「それは光玉と同じで、気づいたときにはその名前だったのだから仕方がないよ」ハリーは突き放すように言うと今度は脅かすように言いました。
「それでもやっぱり名前の通り真っ暗なのは確かだし、恐ろしいというのも確かだね」
クリラは少し怖くなり、小刻みに体を揺らすと、それをごまかすように、また気を紛らすように話をすり替えました。
「ところで人間も天の川を見るの? 」
「うん、見るそうだよ。でも人間界では雲でもかかったように白くしか見えないんだ。だから人間は本当の天の川は知らないだろうね」
「そうなの…… 」
クリラが何か物思いにふけながら遠くを眺めると、真空の銀河にあってまるでそよ風に乗るように何処からかあまい匂いが漂ってきました。
「なんだろうこの匂い。とっても甘くて良い匂いがするーー 」
「これは天の川から漂う香りだね。乳の匂いだよ」
「乳? 乳って人間が子供に飲ます、あれのこと? 」
「よく知ってるね。そうだよ、その乳だよ」
クリラは首を傾げました。乳の匂いが天の川から漂ってくるとは、どうにも信じられないのです。
「どうして天の川から乳の匂いがするの? 」
「そうだな、どう話していいかねー…… 」ハリーは少しばかり考えると、まあとりあえず聞いてくれ、といったふうで話し始めました。
「人間は子供を育てるのに乳を飲ませるがそれは子供が生まれてからのことでね。子供が生まれる前はお腹に入れて育てるわけだよ。お腹はまん丸な金の星のようになるのさ」
クリラは驚いて自分のお腹を見ると、お腹に金の星が入ったことを想像して、お腹がちぎれて落ちてしまうのではないかと思い、ぶるぶると首を左右に振りました。
「それでね。何でも子供を入れた人間のお腹と天の川は空間がねじれてつながっているそうだよ」
「人間のお腹と天の川はつながっているの!? 」
クリラは驚いて目をまん丸にしました。
「そうだよ。まぁ、それでーー… あぁ… あとは天の川を見て説明した方がいいかなーー 口だけではどうにも物わかりしずらいねー 」
クリラは先が聞きたくてうずうずしましたが、ぶつぶつと何かつぶやきながら眉間にしわを寄せるハリーを見てその先が聞きたいとはどうにも言えませんでした。
「そうか。それじゃぁ続きは天の川に着いてからだねーー 」
そう言ってまた乳の甘い香りを嗅ぎながら遠くを眺めるのでした。
第七章 白い森
どれくらい飛んだのか、しばらくすると目の前に辺りの空間を歪ませながら、ぐるぐると渦を巻く台風のようなものが現れました。その中心は真っ白に輝いています。ハリーはその白い中心を見つめて言いました。
「さあ、あの中へ飛び込むよ」
「飛び込むの? まさかあれはブラックホールではないでしょ? 」
クリラが心配げに訪ねるとハリーはくすりと笑って言いました。
「よく見てごらんよ。あの渦は白いだろう。言うならホワイトホールだ。〝白い森〟と呼ばれている。天の川には白い森を通らないと行くことはできないんだよ」
そのときクリラは光り輝く白い森の中に、ぼんやりと霞む小さな人影のようなものを見た気がしました。
「ハリー、白い森には誰か住んでるの? 」
「さあ、そんな話は聞いたことがないよ」
「そう、それじゃあ気のせいだ。森の中に動く者が見えたから」
「真っ白だからね。目がよく見え無いんだよ。でももしかしたらそれは君の姿かもしれないよ」
「ボクの姿? それはどういう事? 」
首をかしげるクリラにハリーは言いました。
「実は白い森は不思議な場所でね。森の中は空間がねじ曲がり、過去や未来がいったりきたりするそうだ。つまり過去や未来が見えるそうだよ。まあ、これは噂だがね」
「過去や未来が… 」
クリラは白い森に入るのがとても怖くなってきました。でも白い森の入り口はどんどん迫り、クリラのそんな気持ちを知りもせず、
「さあ、クリラ。森に入るよ」
そう言ってハリーは躊躇せず勢いよく白い森の中へ飛び込みました。
そのとたん、真っ白い光が目の前を覆い尽くし、クリラはまるで自分が白い光と一体となり、体が微塵な光となってそこら中に飛び散ったように思われました。
白い光は波のようにユラユラと揺れ始め、まるで水中に沈んでいくような感覚を覚えました。すると今度は小さな二つの陰がばたばたと激しく動いているのが見え、その小さな陰に向かって少し大きな陰が必死になって向っているのが見えました。
けれど三つの陰が一つになることはなく、小さな陰は二つのまま水中の奥底へと消えてゆき、やがてもう一つの大きな陰もゆっくりと沈み始めました。水面では黄金色の丸い光がチラチラと光ながら揺れていましたが、突然黒い影が現れ黄金色の丸い光は陰と重なり黒く丸い陰となって沈み始め、クリラの体に落ちてきました。
クリラはその黒い影と一体になり、そのまま水に溶けていくように思われました。
(ボクはこのまま小さな何万もの泡となって、ぶくぶくと音を立てながら水面へとのぼり、そのまま全く消えてなくなるのか)と思い、なんだかとても怖くなってばたばたと手足を動かしました。その時、
「おい、クリラ! クリラ! 」誰かがクリラを呼びました。
「起きろよ、クリラ! 」
ハリーが自分の頭をぐらぐらと揺さぶるので、クリラはかくんかくんと真っ赤なあかべこのように何度か頭を振り、けだるそうに口を開きました。
「ボクは眠っていたのか… 」頭に手を置いて二三回頭を振ると、
「ハリー。ボクはとても不思議な夢を見た。白い森で未来か過去でも見たのかな? 」そして光の水の中で見た出来事をハリーに話して聞かせました。
「あれはなんだったのかな、ハリー」
「さあ、僕にも分からない。ただの夢だと思うけどね」
「そう…… ただの夢…… 」
そうして落ち着いて周りを見渡すと、壁という壁全てが真っ白で、まるで白いトンネルの中を飛んでいるようでした。天井や地面からは、氷柱のような物が垂れ下がり、あるいは突き出ており、まるで鍾乳洞のようでした。けれども地面から突き出ているのは石灰岩のようで、白い石灰岩の柱が木のように立ち並び森のように見えました。
真っ白な石灰岩の並木は不思議とゆらゆらと揺れているかのようで、クリラとハリーをどこかへと誘っているかのようでした。
第八章 天の川
白い森はどこまでも続いているようでしたが、しばらくすると白い光が爆発したようにばっと目の前が明るくなり、そこらじゅうチカチカと光ると、小さな白い光がミサイルのようにびゅびゅびゅっと飛び出してきました。
その眩いばかりの光は全く純度の高い、何万個ものダイヤが一斉に輝いたような光で、クリラの瞳に穴を開けるかのように輝くのでした。
あまりの眩しさにクリラが目をしばたかせているとハリーが言いました。
「着いたよクリラ。ここが天の川だ」
ハリーの声に促されクリラは痛む眼をこすりながら無理矢理こじ開けると、何ともおかしなため息まじりの声を漏らしました。
「ふわーー これが天の川。何て素晴らしく美しいんだーー…… 」
数え切れないほどの宝石が水面にばらまかれたように、あちらこちらでチラチラと光る小さな光。最高級なエメラルドのように明るく冴えた、美しく黄色かかった緑色の水。絵画かパノラマ写真を見ているような情景は、ぴたりと時が止まったかのようで、広大な川の水面は降りてしまえばすいすいと歩けてしまうのでないかと思われ、終わりの見えない遙か先が緩やかに湾曲しているのが見えると、美しいエメラルドグリーンの土地が何処まで果てしなく広がっているように見えました。
「ハリー見てよ。川の先があれほどに美しく湾曲して。まるで弓のようだ。オリオンはきっと壊れた弓をここに来て直すんだね」
風など吹かない銀河にありながら不思議と川面が緩やかに細波をたて、甘い匂いが風に舞う木の葉のようにふわふわと漂っていました。
クリラが何の抵抗も無く甘い匂いに身を寄せると、とても心地よく、深い愛情に包まれているような穏やかで優しい気持ちになり、頭の中でオリオンに追いつけないサソリが悔しそうな顔をしながら、そのうちにオリオンもサソリも何処かへと消えてしまいました。
クリラは心もどこか上の空で魂の抜け殻のように、ぼーーっと天の川を只々見つめるのでした。
「クリラ。天の川をよく見てごらん」
ほんわりと朗らかな気分でいたクリラはハリーの声に驚愕し、授業中に居眠りを注意される生徒のようにびくりと肩を上げ、あたふたとしながら身を乗り出すと、何か恥ずかしさを隠すようにあわてて天の川を見つめました。
「ほーっら、川の中… まぁるぅい、小さかったり大きかったりする乳白色の気泡が見えるだろう」
ハリーに促されクリラが天の川底をのぞき込むとハリーが言うとおり、乳白色の気泡が数え切れないほどくるくると回りながら漂い、気泡の中で何かがぐにょぐにょと動いているのが見えました。
「あ、あぁ、あ、あの… 動いているのは、あれは何? 」
クリラができの悪い生徒のようにあたふたと聞きくと、ハリーは神妙な面持ちで、とても優しい顔つきで言いました。
「あれが人間の器だ。人間の赤子だな」
「赤子? 何とも可愛らしい…… 」
「そうだな、全くその通りだ」ハリーは深いため息をつきゆっくりと目を閉じました。
「あの気泡の乳白色の液体、あれが甘い匂いを出すようだ。あれが乳だね」
「あれが乳なの。それなら赤子は乳に浸かっているの? でも気泡の中にあったら乳の匂いはしないと思うよ」
奇妙なものでも見るように天の川を覗き込むクリラにハリーがぼそりと言いました。
「今に分かるよ… 」
するとはち切れんばかりにぱんぱんに腫れあがった直径五十センチほどの気泡が突然ぱちんと割れ、とたんに中にいたはずの赤子の姿は消えさり、中から乳白色の液体が溶け出し、水面にすーっと雲のように流れだすと何とも言えない甘いの匂いが漂ってきたのです。
「気泡が割れた! 赤子が消えて甘い匂いがするよ! 」
すこしばかり興奮気味のクリラにハリーは言いました。
あれは今赤子が生まれ、人間の世界に出たのだよ
乳白色の液体はすぐに溶けて無くなり、割れた気泡が何千という数の小さな泡になり散らばりました。それはまるでたくさんの蛍がとたんに飛び回るように、瑠璃色の小さな淡い光がてんてんとエメラルドグリーンの水に溶け込み消えていくのでした。それを見たクリラは何とも熱いものが胸の中にこみ上げ、ブルっと身震いをしました。
「胸が熱い。体が焼けるように熱い。今ボクの魂は南十字星に行き、烈火のごとく燃えさかる白熱の白い炎に焼かれているかのようだ…… 」
「それは心の奥底から感動しているんだ。ひとつの器が生きた魂を持ち、今君の目の前でこの世に生まれたのだからね」
クリラはハリーの言葉に静かにコクリと頷きまました。
「ほら、見てみろ。あの小さい気泡」
ハリーが見つけた気泡は、今、まさに器ができ、魂が宿る瞬間の小さな気泡であり、気泡の中で沸騰するかのように小さな泡がぶくぶくと泡立ち、薄紅色の丸い真珠のように美しい、それは小さな小さな丸い固まりがぽくんとできたのです。
「あれが全く全ての始まりなの? 」
余韻を残し目頭を熱くしたままクリラが言いました。
「そうだな、あれから始まりゆっくりと少しずつ少しずつ、十ヶ月ほどかけて器の形を変えていくんだ」
ハリーの言葉を裏付けるように、天の川のエメラルドグリーンの水に守られるように浸されている乳白色の気泡は大小様々で、中の器も気泡の大きさに合わせておのおのに形が違い、それは日が経つことに器が大きくなっているのが見て分かるのでした。
この夢幻的で美しい光景は、何処までも広がる銀河を探しても、おいそれと見つかるものではなく、クリラはただただ清虚な心で天の川を見つめていました。
「このような平等があるんだ」クリラはふつふつとこみ上げる思いを、銀河の隅々、全ての生ける者、全ての魂に刻み込むように届けばよいと思いました。
「みんな一緒、人間は全く同じ場所で生まれる。何一つ変わらない。全く平等で、何ひとつとっても良いも悪いもない…… 」
平等、その言葉が震えるように、魂に焼き付けるように刻み込まれ、それは何とも不思議な気持ちで、ただただ心の底から爆発するようにわき出る喜びを感じずにはいられませんでした。そしてその思いをかみしめるクリラの顔は、疲れを知らずにはしゃぎ回る幼子のような幼稚で汚れない表情で、ハリーは思わず目を見張り清廉潔白な全く清くよい顔だと感心するのでした。
「なあクリラ。これは全く美しいものだろう」
「うん、全く美しい。完全に尊く清らかなものはこれほどにも美しいんだね」
クリラがとろめくような眼で恍惚として言うと、ハリーは何とも優しい顔つきで言いました。
「僕はね、これを初めて見たとき思ったんだ。人間の魂は黒く汚れ南十字星で洗うこともできず消えて無くなってしまうのに、どうして今でも美しく清らかに生まれてくるのか。僕が思うに良いにせよ悪いにせよ、人間は特別に創られたのだよ」
「そうだね、全く特別だ。これほど清らかに生まれて来るのに、どうして清らかなまま生きられないんだろう… せっかく特別に生まれるのにーー… 」
そう言うと二人共すっかりと黙り込み、おのおのに思いにふけりながら、もう一言も発することもなくただただしこりがついたように何処までも続く天の川を眺めるのでした。
第九章 漆黒の裂け目の入口
乳の匂いが漂う天の川は下れど下れど終わりは見えず、弓のようにしなった先端にはどうにも追いつけず、ただただ乳白色の気泡が、延々と遙か彼方まで帯状に広がっているのでした。
「ハリー、光玉が現れる漆黒の裂け目はもうすぐ? ボクはあまりにも素晴らしいものを見過ぎて本来の目的を忘れてしまいそうだよ…… 」
「全くだ。もうクリラの魂は全く清らかだ。もう姿など気にもならないだろう」
ハリーの言葉がぐさりと胸に突き刺さり、クリラは不意に黙り込みました。確かに南十字星を通り過ぎた辺りから、姿を美しくしたいという思いが薄れていたのです。
けれどもクリラはどのようなことをしても、何もかもを犠牲にしてでも光玉を見なくてはならないと思え、それはとても不思議な気持ちでした。
「ハリー、ボクは行かないといけない。どんな代償を払っても、それはボクの腕がちぎれ、足がもげ、そして首が腐り落ち、全く五体全てを差し出してでも光玉を見ると、そう思えてならない。きっとボクの魂は南十字星を通ったとき、烈火のごとく燃えさかる白熱の白い炎に、何遍も何遍も焼かれたんだよ。そして焼かれて真っ白になった魂が、何故か光玉に強く引き寄せられているんだ…… 」
クリラの返事にハリーはとても驚いたようで、眼を見開き何度もぱちくりとして、
「それではクリラはどうしても、どうあっても漆黒の裂け目へ行くのだね… 」そう言ってとても悲しい顔をしました。
「実は僕はクマ五郎さんに言われたんだ。きっとクリラは南十字星と天の川を見たらもうどうでもよくなって、光玉なんていらないよ、と笑って帰ってくる、とね」
「えっ、そ、それじゃぁーー… 」
クリラが思わす声をつまらすと、ハリーは否定するように慌てて頭を左右にぶるぶるとふりながら言いました。
「いやいや、それでも光玉に触れて同じ色を得ること、そしてヒトデ石も七色石板の話も、それは全て本当の事だよ。それはクマ五郎さんにとってはもしもの時、万が一、それで君が漆黒の裂け目へ行くようなことがあればーー… とね」
するとクリラはまるで身震いをするほどの暖かいものが、心の奥底からふつふつとわき出し、体中が焼かれたようにホクホクと熱くなりました。
「そうなの。クマ五郎はボクのことをそんなにも心配して…… 」
「そうだよ。クマ五郎さんはクリラのことを気にかけていたからね」
クリラは誰かから思われる事の大切さを心の底から知りました。それはとても心地のよいもので、冷たい北風にさらされ冷え切った体を、ほってりと暖かい春の日差しに照らされて暖められているような、そんな穏やかな気分でした。
「クリラ、念を押すが本当に行くのだね。漆黒の裂け目へ」
「行くよ。天の川の底にある漆黒の裂け目への入口へ」
クリラの覚悟を見たハリーも同じく覚悟を決めたように言いました。
「漆黒の裂け目は天の川の底にあって、傍目には見えないが一本道が通っているんだ。その道を外れたら決してたどり着けない。漆黒の裂け目は何処までも続いてる。道があるのはその小さな一カ所だけだ。だからこれから通る道にも、たどり着こうとする入口からも光玉が現れる事はない。僕だけが通れるとても細い道だ。目には見えないトンネルを通るようなものかな」
するとクリラは優しくハリーを見つめて言いました。
「ありがとうハリー。ボクは嘘偽り無くあの白熱の炎に誓って思う。ハリーとこうして話ができ、漆黒の裂け目へ行けることがとても嬉しいんだ」
それは全く言葉の通り嘘偽りのない喜びであり、それが嘘でないことを神文鉄火で身の潔白を証明してもよいほどの至誠な思いで、ハリーにはクリラの顔が南十字星で見た白熱の炎のように光り輝いて見えるのでした。
するとハリーの魂の奥底で何とも言えない暖かいものが、清らかな湧き水のようにごぼごぼと湧き上がり、胸が何とも暖かくなると、無意識に目から涙をぼろぼろと零しました。
「なんだろう、この涙は。こんな気持ちで涙を流したのは初めてだ。でも、悪い気持ちじゃぁないな」
そしてしばらく二人の間に長い沈黙が続くと、ハリーがせきをきったように言いました。
「さあ、着いたぞ! この下だ! クリラ。いいんだね? 」
「うん、行こうよ、ハリー」
「よし行こう! クリラ! 」
ハリーはクリラの声に端を発したように急降下し、勢いよく天の川へと飛び込みました。
バッシャーーン!! 大きな音と共に、視界を遮るように目の前にキラキラと美しく光るエメラルドグリーンの水柱が、パルテノン神殿の柱のように悠然と立ちのぼりました。飛び散りこぼれ落ちる水飛沫が、大粒の真珠のように顔にぱちぱちと当たり、ほんの少し瞬きをすると、もう目の前はエメラルドグリーン一色に覆われていました。
周りでは大小乳白色の気泡がくるくると回っていましたが、不思議とどの気泡もクリラにあたることはありませんでした。クリラは天の川の何とも気持ちの良い水に浸りながら、今までに感じたことのない至福の一時に耽り、例えこれが千年説の至福であってもよいと思われました。
幼子が母の胸の中で安堵に包まれて静かに寝息をたてるように、すーすーと鼻息を漏らしながらのどかな気分で目をつむるクリラの耳に、喜びに満ち溢れた囁くような声が聞こえてきました。
ーー私の赤ちゃん、元気で生まれてねーー お前は愛されて生まれてくるんだよーー あぁこれほどの喜びがあるのだろうかーー 思いやりのある優しい子にーー 優しさと誠実を持ち誰をも愛せる子になっておくれーー… まちまちに聞こえる声はどれも優しく、愛情に溢れていました。
「ハリーこの声はなんなの? 」
「これは人間がお腹の中の赤子に語りかけているんだ。早く生まれて欲しいってね」
(これは人間の声。みんな暖かく、優しい声だ。それになんだか懐かくしくて… 遠い日に何処かで聞いたような、そんな気がする… )そう思うと頭の中で、南十字星の白く揺らめく十文字の塔が、永遠に立ちつくすようにぼぉーうとそびえ立ち、黒く汚れた魂を持った人間の悪い行いが、様々な思いとなって頭を巡らせました。
「これほどに愛されて生まれるのにーー… 」
何とも説明のしにくい不思議な感情がこみ上げ、クリラは深いため息をつくと、もう何も言えずすっかりと黙りこみました。
ハリーも申し合わせたように一言も発することなく、一心不乱に天の川の奥へ奥へと潜りました。長い沈黙がどれほど過ぎたのか、しばらくするとチカチカと小さな光が底の方で見えてきました。それは天の川の底に敷き詰められた、黄金色に輝く砂金のようなものであり、円を描き敷き詰められた砂が時折小さな光を放っていました。
黄金色に輝く砂山の周りには、巨大な緑柱石が山のようにそびえ立ち、さらさらと溶け出していて、この山脈のように連なる緑柱石が、天の川のエメラルドグリーンの色を作っていたのでした。
そして緑柱石にはダイヤやルビーや、あらゆる宝石が細かく散りばめられていて、天の川底には本当に銀河のように輝く宝石がいっぱいに敷きつめられていました。
「ハリー、あの黄金色の砂、あの砂、あれは何? 」
「あれかい。あればかりは僕にも分からない。星が砕けて底にでも溜まったのかな」
(ハリーにも分からないことがあるのかー )とクリラがおかしなことに感心していると、黄金色の砂の中心に黒い豆粒ほどの点がぽつりと見えました。始め小さな黒い点は近づくにつれどんどんと大きくなり、ハリーが金の砂山の頂まできたときには、黒い穴はクリラが楽に入れるほどの大きさになっていました。
穴の中は深い闇が広がっているようで、穴の中からは子供のすすり泣くような、また苦しむような何とも例えようのない、うめき声のようなものが聞こえてきました。けれども入り口の周りには、それとにつかないほどに水晶が山のように突き出し、あるとあらゆる加工されてない宝石の原石も突き出していて、これ以上ないとばかりに美しく輝いていました。
「ここが漆黒の裂け目の入口だ。ほんとうに行くのか? 今なら引き返せるぞ」
「ハリー、ボクは行く。どうしても行かなければならない気がするから」
それを聞いたハリーは何か思い詰めたように、そして愛おしむように言いました。
「クリラ。僕は月の近くで初めて君を見かけたとき。何故か君を初めて見た気がしなかった。遠い昔から仲のよい友達でも見たかのように思えた。それもやっと探して見つけたような親友をね」そしてじっとクリラを見つめ悲哀に満ちた顔をしました。
「だからクマ五郎さんにクリラのことを頼まれたとき二つ返事で決めたよ。僕は今でも止めなくてはいけない気持ちでいっぱいなんだ。でも、どこかで… 君を行かせなくてはならないような… そんな思いもするんだよ」
「ハリー、不思議だね。実はボクも思っていたんだ。ハリーとはずっと昔から知り合いだったような気がしてならなかった。こうしてハリーと一緒にここへ来たのは当たり前のように思えてならない。ハリー、ボクと本当の友達になってくれる? 」
「勿論だクリラ。もう君は僕の友達だよ。ああ、僕はやっぱり君を止めなくてはならないような気がする。君がどうしても行くのなら、僕も連れて行ってはくれないか? 」
「ハリーありがとう。でもボクは一人で行くよ。一人行かなくはならない気がするから」
クリラの固い決意をその顔に見たハリーは、もう何も言えず、クリラを送り出すしかありませんでした。
「そうか。でも必ず帰ってくるんだ。七色石板は必ずひとつだけ願いを叶えてくれるからね。いいね。ひとつだけ。願い事は銀世界へ返る! だよ。いいね」
「分かったよハリー。ほんとうにありがとう。それじゃぁ、ボク行くよ」
クリラは七色石板を懐にしまい込むと、目をつむり慎ましく静粛にして、一言二言、何かぶつぶつと言うと、それはお祈りのようでしたが、クリラも無意識に口にしたようでした。そして意を決したようにハリーの頭から、漆黒の裂け目の入口に向かって飛び降りました。真っ黒な入口は不気味なうめき声をあげながらも、同士を迎え入れるかのようにクリラを迎え入れ、クリラは吸い込まれるように深い闇しか見えない暗い暗い穴の中へと入っていくのでした。
第十章 漆黒の裂け目(番人)
小さな光さえない闇の中を沈むうち、クリラはどちらが天なのか地なのか分からなくなり、行き止まりなのかまだ沈んでいるのかそれすら分からなくなりました。
わずかな光さえ見えない真空の暗闇を彷徨う内に、クリラは永遠にこの暗闇から出られないのではと思い、不安に胸が押しつぶされそうになり、逃げるようにばたばたと手足を動かしました。すると、
「うたぎさん、うたぎさん」
暗闇の中から、舌っ足らずの甘えた声で誰かが話しかけてきました。
「うたぎさん、うたぎさん」
「だれ? 君はだれ? 」
片言な言葉からそれが幼い子供であることは察しがつきましたが、寂しさからか、話しかけてくる声にクリラはすがるように話しかけていました。
「ぼくぅ、まもれなかった… いもぉとぉまもれなかった…」
悲しそうなその声はすすり泣いているようで、何とも切なく聞こえるのでした。
「おじたん、ぼくをなんどもぶったの。でもぼくなかなかったの。だってぼくがなくとおじたんおこって いもおともぶつから・・ぼくねがまんしてね はい、はい、っていってね。よいこにしたよ。」
クリラは何て話しかけていいか分からず、ただただ小さく口を開けるだけでした。
「でもね、おじたんゆるちてくなくてぇ… ぼくといもおとを たかいたかいはちのうえからおとちたの ぼくいもおとさがちてねぇ いもおとのてをにぎったよぉ それでいたくてくるちくてバタバタちたの――…」
クリラは胸が苦しくなり、もがくように何か話しかけようとしたその時、ゴゴゴゴと穴が唸りだし、それはまるで竜が鳴き声でも上げたかのようで、上からも下からも辺り一帯に響き渡り、穴全体が生き物の腹の中のようで、それが悲しくて泣いているようにガタガタと震えだすと、滝のように水が大量に押しよせてきたのです。
水はまるで大蛇のようにとぐろを巻きながら、一瞬にしてクリラを呑み込みました。あっという間の出来事で、クリラは何をするでもなく渦に巻かれながら、気が遠のいていくのを感じました。すると、
「うたぎさん、うたぎさん」
頭の遠くの方で、返事をしては返す山彦のように先程の声が聞こえました。気が付くとクリラはまるで何事もなかったように立ちつくしていました。
そのとき、ぎゅっと小さな手がクリラの手を握りしめました。暗闇の中でも手はちゃんと見え、いつの間にか人間の子供がクリラの横に立っていて、クリラの手を握りしめていたのです。
「き、君は… 」
クリラは何か言いかけて声に詰まりました。クリラの手を握りしめる子供は黒い髪に茶色の瞳をしたふっくらとした男の子で、背丈はクリラの腰ほどしかなく、全身がびしょぬれで頭からも服からもぽたぽたと滴をたらし、余った片方の手には同じように全身びしょぬれのさらに小さな女の子の手を、二度と離さないと言わんばかりに力強く握りしめていました。不思議とクリラにはこの二人が兄妹だと分かりました。
クリラは何か話したいと思いましたが、氷でも押しつけられたように胸が冷たくなり、よい言葉が思いつかず哀れみばかりを顔に浮かべまていました。
何も言わずにただこの上ない微笑みを浮かべながら、じっとこちらを眺める二人の幼い兄妹を見つめるうちに、クリラは何とも例えようのない、心が震えるほどの愛おしい気持ちがふつふつと沸き立ち、今すぐにでも二人の子供を抱きしめたくなり思わず手をのばしました。そのとき、
「誰だお前は!!(誰だお前は!!) 」
威圧するような大きな声がふたつ重なって聞こえました。地の裂け目からわき出るかのような太く恐ろしい声にクリラは恐れおののき、まるで砂山に立てられた棒が砂を取り去るたびに倒れていくようにゆっくりとその場に崩れ落ちました。
「なんだお前は! ん? お前器をもっとる。生きたままここへ来たか。(来たか)何とも珍しい。(珍しい) 」
すると大きな蝋燭に火を灯したかのように、ぼーー っと赤オレンジ色の仄かな灯りが灯り辺りが少しずつ明るくなりました。辺りの壁がうっすらと見えだすと、ここが大きな洞穴だと分かりました。鋭く何本もの太い爪でひっかけられたように削られた地層には、花崗岩かガラス質の流紋岩や黒溶岩、それに白雲母か黒雲母のような様々な色をした岩石がそこら中に並べられたように張り付いていました。そして地面には孔雀石や滑石葉蝋石など美しげな模様をした岩が、誰かに掘り出されたように、ごろごろと無造作にころがっていました。
やがてその岩肌や地面に転がされた沢山の岩から、小さな光がてんてんと灯り、それは銅やカルシウムやバリウム、リチウムやナトリウムやカリウムが、ぽっと一瞬に燃える緑やオレンジや赤や黄や紫の炎のようで、美しく壁や地面を彩り、洞穴が溢れんばかりの小さな光に包まれると、まるで銀河に浮いているかのように思われました。
すると背中からまた怒鳴り声が聞こえました。
「お前は何者だ!(何者だ!) 」
クリラが驚いて体をびくりとさせ振り向くと、鋭い目つきをした二体の化け物がクリラを睨み付けていました。一体は頭が馬の化け物で、もう一体は頭が牛の化け物でした。二体とも上半身裸でしたが、体に毛は無く、腰には布を巻き、筋肉隆々の立派な体格をしていて、右手には大きな無数のとげのついた棍棒を持っていました。二体の化け物はちらりと兄妹を見ましたが、後はもうそこに兄妹など見えないといったふうでクリラだけを睨み付けました。
二体の恐ろしく不可思議な姿にクリラはおののきぶブルブルと震えだしました。けれどもクリラとは対照的に、兄妹は相変わらず何とも穏やかで愛くるしい微笑みを浮かべながら二体の化け物を見つめていました。
兄妹の穏やかな微笑みを見たクリラは、穏やかで優しい気持ちになり、よくよく二体の化け物を見ることができました。すると二体の化け物が、その姿とはにつかないほど澄んだ美しい目をしていることに気がつき、クリラは気を落ち着かせ優しく穏やかに話すことができました。
「ボクはクリラです。銀世界からきました。訳あってこの漆黒の裂け目に来たのです」
「銀世界だと牛頭。(銀世界だと馬頭)」「気にくわんなぁ! くっちまうか牛頭!(くっちまうか馬頭!)」
そう言うと二体の化け物はクリラの前と後ろに立ち、鼻息をふーふーと荒立てて大きな口を開けてクリラを威嚇しました。クリラは頭からかぶりつき喰われる自分の姿が目に浮かび、恐ろしさのあまりまたブルブルと震えだしました。
けれどもクリラの気持ちを落ち着かせるように、幼い小さな手を握りしめた手がじわりじわり温かくなり、兄妹から「大丈夫、大丈夫だよ」と聞こえてくるようで、クリラは兄妹を見つめると、「そうだね」とうなずきあとは少しも恐れることもなく、優しく穏やかな目で二体の化け物を眺めました。
「ん? なんだお前、わしらが怖くないか。(怖くないか) 」
「ボクは怖くありません」
「何でだ? 普通はわしらの姿を見たら、みーんなカニ見たく泡吹いて逃げ出すがな」
首を傾げる二体の化け物にクリラは全く屈託のない笑顔を見せて言いました。
「目を見れば分かります。あなた方はとても優しい心を持っています。姿形はそうでも貴方方の魂は全く清らかです。とても生きた魂をとるようには見えません」
それを聞いた二体の化け物は、恥ずかしいやら嬉しいやらで何ともおかしな気分になったようで、合わせ鏡を見るように互いに顔を合わせると頭をぼりぼりと掻くのでした。
「なんか拍子抜けした。(した)わしは牛頭だ。(馬頭だ)お前一体全体こんなところに何しに来た」
「ボクは光玉を探しています。牛頭馬頭さん、知らないでしょうか。」
すると牛頭馬頭はまた互いに顔を見合わせ、沈黙の中で何やら考えているようでしたが、しばらくすると互いに眼で相打ちするように片目をぱちぱちとさせて言いました。
「まぁ、知らんでもないで。とりあえず着いてこい。ちょうどわしらも仕事の時間だで。そっちの童も行くとこ行かんといかんしなぁーー 」
そう言うと牛頭馬頭はクリラの返事も聞かずのっしのっしと歩きだしました。クリラはどうしたものかと思いましたが、牛頭馬頭がよい魂を持っていると分かっていましたし、兄妹がぐいぐいと腕をひっぱってせがむので、つれられるようにその後について歩き出しました。
第十一章 漆黒の裂け目(罪深い子鬼)
歩くたびに辺りの岩肌はまるでころころと表情を変えました。様々な色や模様をした岩肌はそのままでしたし、相変わらず足下にはきれいな石がごろごろと落ちていましたが、周りの岩肌にはあきらかに様々な年代の層が入り交じっているように見えました。
しばらくすると足下には孔雀石などに混じって、貝やら葉っぱや何かしらの生き物の化石が増え始め、クリラが興味深く魚の骨の化石を拾い上げまじまじと見つめると、上の方でかつかつと岩を叩く音がして、
「ああ、それは新第三期中新世頃のヘミクルターだなあ。ずいぶんと保存のよい化石でしょう」
掠れたようなガラガラ声が聞こえてきました。けれども声はすれども姿は見えず、クリラはきょろきょろと周りを見渡しました。すると馬頭がくいくいとあごを突き上げ天井を指しました。クリラがよく目をこらしてみると、天井に背丈十センチほどで頭に一本の角を生やし、小さな丸めがねをかけた子鬼が、これまた小さな鏨とハンマーを持ってかつかつと岩をたたきながら、時折めがねを外しルーペを取り出し、ふむふむと顔をしかめながら岩を見つめていました。
「まったくもってここの地層は変だ。年代がさっぱりだ。鍵層などあちらこちらにバラバラで。放射性年代測定も役立たず。まったくもって困ったもんだ」子鬼はしかめっ面で乱暴にかつかつと岩をたたきながらも、
「おお! これはいい。これはいい鉱物を見つけた。このコランダムの何とも美しい赤。まるで血のようではないか。これはよいルビーが出来るに違いない。これをエゲリスの女王陛下の胸にお飾りしたら、それは美しく輝くなあ」
うれしそうに笑ってにこやかに優しくかつかつと岩をたたいたりもしていました。よく見るとその子鬼は一匹ではなく、何百も何万匹もいて、それは銀河の星の数ほどいるのでした。一匹がひすい輝石や紫水晶や天河石などの鉱物を見つけると、ほかの子鬼が群がりその鉱物を小さなハンマーでかつかつとたたき掘り出し、くりぬかれた紫水晶などが勢いよく天井から落ちてきました。そのなかには化石などもあり、
「これはイノセラムスだ。ジュラ紀から白亜紀の二枚貝だ」とか、
「これを見てみろ。三葉虫。これこそ古生代の代表する生物だ」とか、
「これは生痕化石だ。う?ん、三葉虫のはいあとだなあ」とか、
「微化石だ。大きさは数ミクロンか。珪藻か有孔虫か放散中か。それか歯か骨か植物かな? 」などとそれぞれに言っては、そのたびに子鬼がたかりかつかつとハンマーを振り下ろしましました。
「頭に石があたらんようきいつけろや」
馬頭がだるそうに言いました。
「あの子鬼は何をしているのですか? とても賢そうですけど」
「賢い? そいつらは生きていた頃に悪いことをした邪な魂だ。ここで鬼になってああやって珍しい石を掘り出すんだ。どれくらいかわからんが納得するまで石を掘り出すと不意に消えてしまうよ」
「そう。珍しい石を掘ってー… それにしてもここは珍しい石が多いのですね」
「ああ。ここはありとあらゆる時間が混ざっている。過去も未来もいっぺんに集まるで。珍しい石ができやすいようだ。だから生きた魂がここへ来たら大変だ。いっぺんに化石になっちまうか、それとも卵に戻ってあっという間に消えちまうか。どっちかだよ」
「え? でもボクは何ともないです。どうしてボクは平気なんだろう… 」
もしかして足下から化石になり始めてはいないかと心配になり、クリラはまじまじと黒い体をなめ回すように隅から隅まで見ました。
「お前は心配ないようだ。お前さん、七色石版をもっているだろう」
「ええ、もっています」
「それのおかげだ。それについている虫がお前のまわりの時間を吸い込んで正常にしているのだろう。そいでもそれにも限界があるがなあ」
(そうかアカヒカヒタルのおかげでボクは化石にも卵にもならずにいられるのか)クリラはそう思いながらも、急いで光玉を見つけてはならないと焦りました。
まわりではせわしく子鬼たちがかつかつハンマーを振り下ろす音が鳴り響き、相変わらず天井からは雨のように岩がぼとぼとと落ちてくるので、クリラはそれを上手に避けながら歩きました。
第十二章 牛頭馬頭の過去
いつからか子鬼たちの姿は消えてなくなり、騒がしかった雑音は周りの岩肌に吸い込まれたように、がやがやとせわしく話す子鬼の声や、かつかつとハンマーを振り下ろす音も、どさどさと岩が落ちる音なども一切無くなりました。
星のように光っていた光も消え去り、岩壁には燐光だけがぽつぽつ弱く鈍く光っており、五人は一言も発せず、ただ牛頭馬頭のどすんどすんという足音だけが洞窟の中に響き渡りました。すると長い沈黙で牛頭が何か手持ちぶさたで困ったように言いました。
「あぁなんだ、その」
牛頭はどうやら話すのが苦手のようでしたが、どもりながらもクリラとの間を縮めるかのように一生懸命話しました。
「あぁ、な、なんだ。わ、わしらを見てこわがらなんだものはーー わしが思うにお前が、は、初めてだなぁ。わ、わしらのことを清らかで優しいと言ったのはお前で二人目だなぁ。うん」そして満天の綺羅星が散りばめられたよな天井を見つめました。
「仕事場にゃぁ、もすこしかかるでぇ… あぁ、わ、わしらの昔の話でもしようかのう、なぁ、馬頭」
「そうだなぁ、牛頭。いいんじゃねえか」馬頭はちらりとクリラを見ました。
「おまえさん、聞くかねぇ。わしらの昔の話」
「え、ええ、お願いします。牛頭馬頭さん」
すると牛頭はぶるぶると口を左右に揺らし馬頭に言いました。
「そんじゃぁ、馬頭。お前さんが話しなぁ」
どうやら牛頭よりは馬頭の方が話し上手のようで、牛頭にうながされた馬頭はどもることもなく、流ちょうに話し始めました。
「元々わしらはな、人間界に住んでいたのだよ。まぁここに来る前だ。その頃はたくさんの緑があって、多くの動物がおってのう。そりゃぁまぁのんびりと暮らしておったわ。人間もおったがわしらは森の奥におったで喧嘩することもなかった。そいでも人間が爆発的に殖えてなぁ、畑やら家やらを作るためにたくさんの森を切り始めた。それでついにはわしらの住む森にまで手を付けた。わしらは話し合いでなんとかしようと人間に近寄った。だけどあいつらは話どころかわしらを見たとたん、化け物だと叫び有無もいわんとわしらに襲いかかったんだ。わしらはもともと戦うのは嫌いだで、逃げて逃げて逃げまどうばかりだったよ。そりゃぁ、その時の人間の顔ときたら、わしら以上の化け物の面だった。人間はわしらを追って追って追いまくり、弓を放ち刀で斬りつけた。それでも何とか人間の手から逃れたときには、わしらはもう虫の息でな。まるで魂がどっかへいっちまったみたいだった。意識が遠のきながら、もう死ぬんだぁーー と思って倒れ込み仰向けになって空を見たら、眩しいばかりの光が現れた。するとな、光の中から声がした。
「牛頭馬頭、お前たちの魂はこの上なく白く清らかだ。お前たちには私のために働いてもらう」すると光がわしらに飛び込んできて、わしらの体を包み込んだ。それでまぁ気が付いたらここにいたというわけだ。それからもその声は聞こえてな。ここでやるべきことを教わった」
馬頭は一気に話し終えると疲れたのか、もう一言も喋ることもなく、何とも悲しい眼をして歩くのでした。クリラはそのような話を聞いて思いました。
(牛頭馬頭さんをお助けになったのはきっと南十字星のあの方に違いない。そのような事が出来るのは、素晴らしくよいことを知っている方に違いない。その方の声を聞けるのならオリオンの矢を何百本と受けても永久に立ちつくしてみせるー… )
けれどもクリラはそれとは別に、牛頭馬頭があの方の声を聞けるような思いをしながらも、これほどに悲しい眼をしているのは、悲しい出来事を思い出し、あまりにおぞましい人間の行いのためだと思い、なんとも悲しくなり、かける言葉も見つからず、つらい話をさせてしまったと少しばかり後悔しました。
そして姿形の違いだけで生きた魂をもとろうとする人間の醜い行いが、姿形を気にしていた自分の思いと重なり合い、何とも憂鬱な気持ちにさせるのでした。
第十三章 写しの洞窟
いくらか歩くと兄妹がきゃっきゃっと騒ぎだし、 さーー と砂か何かが落ちる音がしました。それは規則正しく一定の間合いで、滝のように上から下へと落ちているようでした。クリラには漆黒の闇に響き渡る、何てことのないこの音が何とも心地よく思えました。
無意識に足は音の鳴る方へと向かい、クリラは魔法にでもかかったかのように、左右にゆらりゆらりと振り子のように体を揺らしながら歩きました。
牛頭馬頭の後を歩いていると音はどんどん大きくなり、どうやら牛頭馬頭も音のする方へ向かっているようでした。
すると遠くに黄金色の針のようなものがきらりと光るのが見えました。近づくうちに針はどんどんと太くなり、やがて数百年はたつと思われるほどの大木になると、それは天井から黄金色の砂が滝のように落ちているのでした。
砂は少し落ちてはぴたりと止まり、また少し落ちてはぴたりと止まるという具合で、全く寸分の狂いもなく一定のリズムで落ちていました。先程から聞こえていた音はこの砂が落ちる音だったのです。
「あそこがわしらの仕事場だ。(仕事場だ)塵の滝だ。(塵の滝だ) 」
牛頭馬頭は誇らしげに胸をはって言いました。
「砂だと思ったのは塵だったのですね。それで牛頭馬頭さんはどのような仕事をしておられるのですか? 」
クリラが訪ねましたが、牛頭馬頭は周りのことなど目に入らないといった様子で、一心不乱に塵の滝に向かって歩き出しました。やがて塵の滝まで来ると、突然あたりが夕映えの何処か寂しいオレンジ色の空のように薄暗くなりました。
「もう来るかなぁ。(来るかなぁ)今日は空のもんだなあ(空のもんだあ)」
何か待ちわびるように牛頭馬頭が洞窟の天井を眺めていると、辺りはますます暗くなり、灯籠の火のように霞むオレンジ色の空に、宇宙雲のように希薄な霧が現れ天井を覆い尽くすと、霧に歪む天井のオレンジ色の空が赤い空へと変わっていきました。それは赤い様々な形をした何かが大量に寄り集まって出来ているようでした。
クリラにはその赤い空が清らかでとても美しく見えたようで、
「何て美しいんだろう。あれほど美しい赤い空は見たことがない」
名画でも見るように赤い空を眺めて言いました。すると牛頭が不機嫌そうに言いました。
「あれは魂の色だからかな。よーく、目をこらしてみてみろ」
牛頭馬頭の仕事場に広がる美しい景色を褒めたつもりでしたが、何か言い方が悪かったのかと思い、クリラは少し怪訝な顔をしました。
やがて赤い空から血のような真っ赤な雨がまるでこの空間だけ時間が遅くなったようにゆっくりとポタリポタリと大きな真珠ほどの水滴となってゆっくりと降り始めました。
止めどなく落ちる赤い雨は、洞窟で輝く青や黄色や様々な光りと重なり合って、時折キラリ強い光を放ちまるで星のようでした。
クリラにはそれが銀河を見立てて創られた最高の舞台ように思え、舞台で踊る踊り子のように優雅に踊ってみたいと思いました。
そして兄妹も喜んでいるだろうと思い、幼い兄妹を見つめました。けれどクリラと違い、兄妹は哀れむような何とも悲しそうな顔で赤い空を眺めていました。その綺麗に澄んだ美しい瞳は深い悲しみへとクリラを誘いました。
クリラは舞台の上で足を折ってしまった踊り子のようにその場にくったりとしゃがみ込み、深い悲しみと哀れみを顔に浮かべました。
そして気づいたのです。
赤い空はとても綺麗で美しく見えます。確かに美しいのですが、何故が見つめていると苦しく切なく感じるのです。まるで誰かに心臓を握られているように胸が痛み、咽に何か詰まったような息苦しさを感じ、クリラは苦しそうに顔を歪めました。
馬頭は苦しむクリラの姿を見て感心したように言いました。
「ここは写しの洞窟だ。霧に隠れてよう見えんかもしれんがな。あの赤い空を作っているのは人間に酷い目に遭わされて死んでいったもんの器だ。ここへはありとあらゆるもんの魂が、みな絶命寸前の哀れな姿で運ばれる。今日は空のもん、明日は水のもん、そしてまた明後日は違うもん… みいんなあ、全くそのまま絶命した姿を鏡に写したように、真っ赤な血で器を染めて現れるのさ」
そして牛頭もまたクリラに感心したように続けて言いました。
「お、お前さんにも、わ、わかったの、だろう。あ、あの赤はな、た、魂の色だ。悲しくも儚く美しい、魂の色だ」
「魂の… 色ーー… 」そのとき、不意にクリラの頭の中に蠍が現れ、自慢の毒針をぎらりと見せました。
(あれはまるで蠍の赤と同じだ。そう言えば蠍が自慢げに言ってた。
『俺様は銀世界に来る前にこの毒針で生きた魂を幾つも捕ったのさ。魂を捕れば捕るほどに体の色が赤くなり、それはつまり血の色で、そして全身が真っ赤になったときおっちんで銀世界へ来たんだ。俺様の体は魂の色。だからこの赤より美しい赤はないのさ。だから欲の突っ張った人間のオリオンはこの美しい赤を欲しがって俺様を狙いやがる。だから俺様もあいつを追い回すのさ!』蠍が言ったのも満更では無いのかもしれない…… )
クリラは不思議と気持ちも穏やかに落ち着いて思いました。
「あの赤は特別… 清らかで綺麗な赤色… 真っ赤な服を羽織っているようだ。独りぼっちが嫌で、慰めあうように隙間無く寄りそっている」
クリラは何とも切なく悲しい気持ちになり、抑えきれない感情が涙となってぽろぽろとこぼれました。
第十三章 牛頭馬頭の仕事
深い霧に覆われ魂の色で彩られた洞窟は幻想的で神秘的な独自の世界を創り上げていました。するとうなだれるクリラの姿を見かねたように馬頭が言いました。
「そう悲しむものでもねぇ。これからみぃーなぁ新しい器に魂を移すんだから」
「魂を移す? 」
奇妙な顔をするクリラを横目に、牛頭馬頭は互いに向かい合うと両手を高々と天高く上げました。すると霧が渦潮のようにぐるぐると回りはじめ、真っ赤な空を巻き上げたのです。渦に呑み込まれた赤い生き物は、やがてきらきらと黄金色に輝きだし、ばらばらと崩れると微粉となって、さらさらと風に舞う桜の花びらのように、踊りながら天井へと吸い込まれていきました。黄金色に輝く微粉を見て馬頭がクリラに言いました。
「あの黄金色の塵はな、天の川の底の土になるのだよ」
クリラはハリーと一緒に天の川で見た黄金色の砂を思い出し、あの砂は器が塵になったものだと知り、何とも清らかな思いがしました。すると牛頭馬頭が塵の滝の真下に手をあてて言いました。
「穴さこい! 哀れな魂器さ移すぞ!(穴さこい! 哀れな魂器さ移すぞ!)」
すると地べたがぼこぼことうなりだし、直径五十センチほどの穴が左右にふたつ、眼鏡の形で塵の滝の真下に現れると、それはさしずめ塵の滝の滝つぼといった具合で、塵の滝から寸分叶わぬ一定のリズムで落ちる塵は、新たに作られた右の穴にサーサーと音をたてながら落ちていきました。
「さぁ、始めるで。(始めるで)」
牛頭馬頭がそろってクリラに言いました。それで三人は塵の滝の真ん前に仲良くしゃがみ込み、牛頭が眼鏡の穴の左に手をやると、穴の中から乳白色をした真珠ほどの可愛らしい小さな玉がぽんと飛び出しました。牛頭は上手にそれを受け取り馬頭に言いました。
「それ馬頭、受け取れ! 」
「おぅ牛頭、受け取った! 」
馬頭は言い返し、乳白色の玉に塵の滝から落ちる塵を少しばかり入れました。すると乳白色の玉は生命を宿し、美しく白光し真っ白に光り輝きました。その輝きはあの南十字星の白熱の炎と同じぐらいに美しいとクリラは思いました。
乳白色の玉が白く輝くと牛頭はその玉を塵の滝が流れる右の穴へと入れ、玉は白く輝きながら吸い込まれるように穴の中へと消えて行きました。牛頭馬頭の作業は少しも休むことはなく、黄金色の塵を詰めては穴に落とし、また詰めては穴に落とし、深く暗い穴に落ちる無数の真っ白に白光する玉は、まるで雪のように穴の中に降り注ぎました。
(もしこの穴に地べたがあったら、真っ黒な地べたを真っ白にしてしまう。それはまるで汚れたものを隠すように…… )クリラがしんみりすると、玉を穴に落としながら馬頭が言いました。
「動物たちの体は塵となって上へ行き、眼には見えんが魂は下へと沈んでいく。乳白色の玉は哀れな動物たちの魂でえ。それに塵を少しばかり入れる。すると魂が覚えている器の形に塵が姿を変えるわけだ。魂は自分の器の形をしっかりと覚えていて、全く初めとおんなじ器を創るんだ。そいでこの右の穴はあ、それぞれの動物たちのお腹につながっているわけだーー… 」
黙々と作業を続ける牛頭馬頭の顔は喜びに満ち溢れていました。
いつまでも終わることのない作業を続ける牛頭馬頭を見ていると、懐で闇を切り裂かんばかりの大きな声で、アカヒカヒタルが『ジジジジジッ』と叫びました。
クリラが思いついたように懐から七色石板を取り出すと、七色石板の裏側のアカヒカヒタルはいつの間にかすっかりと色あせ、腹の赤い点滅も早くなっていました。それは漆黒の裂け目にいられる時間が残り少ない事を教えていました。
「牛頭馬頭さん。ボクはここに長くはいられません。光玉を見つけなくてはならないのです。光玉は何処に現れるのでしょうか」
そわそわと焦るクリラを尻目に、馬頭がのらりと言いました。
「そう言えばお前さん、そんなことを言ってたなぁ。何で光玉を見たいんだ」
するとクリラは一瞬声をつまらせ思いぶかけに言いました。
「姿を… そう、初めはこの黒い体を美しい色にしたいと思いました。けれど…ーー 」そして少し黙り込み一息つきました。
「けれど今は違います。姿は黒くて良いのです。南十字星の白熱の炎、天の川で見た乳白色の気泡。そして塵の滝。ボクは真っ白な魂ならそれで良いと思うようになりました。でも光玉を見てみたいのです。そうしなければいけない気がするのです」
強い意志を持ち、なんの恐れも迷いもないクリラの表情に、馬頭は驚きながらも、作業の手を休めることなく坦々と言いました。
「ここは写しの洞窟。光玉を見たければ、光玉を見たいと願えばいい。心に強く念じて真っ直ぐ歩け。もともとここには入口も出口もない。永遠と闇が続いている、始まりも終わりもない。強く心に念じて歩けばそのうちに光玉は現れる。それがお前にとって良いにしても悪いにしてもーー 」
そう言うと牛頭馬頭はクリラの顔を少しも見ること無く、黙々と作業を続けました。
七色石板に埋め込まれたアカヒカヒタルの赤い腹は益々と色あせ、危険を知らせるように点滅が脈打つように早くなりました。クリラは時間が無いことを改めて知り、牛頭馬頭を拝むようにして深く頭を下げると、馬頭に言われたとおり光玉を強く心に念じながら、幼い兄妹をつれて何処ともあてもなく歩き出しました。
第十四章 青い目の少女
それからしばらく歩くと、まるで昼からいきなり夜になったように、ふっと辺りが暗くなり、瞬きする間もなく写しの洞窟も、塵の滝も、牛頭馬頭の姿までもが消えて無くなり、牛頭馬頭の作業を見ていた先程の出来事が、全て嘘のように思えてきました。
けれども寸分の狂いもなく、一定のリズムで落ちる塵の滝の音だけは消えることはなく、牛頭馬頭の作業が夢でも幻でもないことを証明していました。
すると突然辺りがぼーー と月明かりに照らされるように明るくなり、濃い霧がさーー と立ち込め、冷たい風がびゅんびゅんと吹きつけてきました。クリラが肌寒さを感じブルブルと震えると、兄妹も同じように震えていたので、クリラは兄妹の体を暖めようと強く抱きしめました。すると突然妹が虫を起こしたように、わんわんと泣き始めたのです。
クリラは戸惑いどうしたものかとおろおろしていると、兄が妹を見つめて言いました。
「こわがらないでね、なかなくてよいよ。みずのなかで、かみたんがいっててね。すぐにおかあたんとおとうたんにあえるってね」
「とんなのいや、あたち、こわいの。こわいのよー 」
「だいどうぶ、かみたんがね、たんとちてくれるからね」
「うとよ、かみたんなんて、いないのよ。だっておいたんが、いっぱいいっぱい、ぶったのに、あたいたちをおといたのに、かみたん、たつけてくれないーじゃないの」
「かみたんのことを、わるくいっちゃだめだない。おかあたんとおとうたんが、かなしむじゃあない」
「だって… だって… 」
兄妹の言葉を聞いてクリラは不安になり、兄とつないだ手を強く握りしめました。けれど兄を握る手の感触が次第と薄れていくのを感じ、クリラは握られた手を慌てて見ました。すると兄妹の体が少しずつ薄くなっていたのです。それはまるで霧に溶け込むように、だんだんと少しずつですが、確実に薄くなっていくのでした。それを見たクリラは、
(この子は消えてしまうことに脅えているんだ。これほどに小さいのに。まるで魂に刻まれているように、自分が消えていくことに耐えられず、これほどまでに怖がり泣いて嫌がっているんだ)と思い心の底から叫びました。
「消えないで! 消えないで! クマ五郎! ハリー! この子を助けて! 」
クマ五郎、ハリー、そこらじゅうでふたりの名前が壁に反響して、たくさんの声が引き締め合うように、暗闇の中にこだましました。クリラは兄妹がどうなるのか、そればかりが気にかかり、妹の泣き叫ぶ声で胸が張り裂けそうになりました。すると兄が言いました。
「うたぎさん、ありがとう。ぼくたち、たきにいったおとうたんと、おかんたんのところにいきまつぅ」
そして兄は、目に手をこすりつけて泣きじゃくる妹の体をしっかりとその小さな胸に抱き寄せると、妹の小さな頭に顔を押しつけて、まるで安らかに眠るように目を閉じました。
そうして相変わらずずぶ濡れのまま、ぽたぽたと滴を落としながら兄妹は、ゆっくりとゆっくりと霧に溶け込み消えていきました。天井からは兄妹の体から滴が落ちていたときのように、ぴとぴとと露がしたたり落ち、クリラの顔に落ちました。そうするとクリラはまるで狂気になって泣き叫びました。
「ボクはあの二人を助けられないの! また助けられないの! 」そしてふと我に返り呟きました。
「えっ、また?… 」
その時霧の中からちりーん、ちりーんと鈴の音が聞こえてきました。そして天井にぽつぽつと小さな青い光りが現れ、あちらこちらをてんてんと灯しました。そして青い光は申し合わせたようにひとつにまとまると、とりわけ大きな青く淡い光りになり、霧の中で霞みながら、ぼーー と辺りを照らしました。
それはまるで銀河に浮かぶ猛火の星のようでありましたが、猛火の星のような燃えるような赤ではなく、冷たく凍えそうな青色でした。けれども不思議と辺りは春のようにほくほくと暖かく、天井から落ちてくる露が心地よく感じるほどでした。
すると霧の奥からまたちりーん、ちりーと鈴を鳴らす音が聞こえてきました。それは先程よりもはっきりと聞こえ、あちらこちらに反響してそこらじゅうから聞こえました。
「あぁ、何て心地がいいんだろうーー…… 」
クリラが感心するように鈴の音は心の芯まで染み渡り、何とも清らかで、傷心を癒してくれるような優しい音色でしたので、先程の取り乱した様子が嘘のように、穏やかに静かに心を落ち着かせることが出来ました。
すると鈴の音はだんだんとクリラに近づき、薄明かりに霞む霧の中に、すーー と小さな少女の顔が浮かびあがりました。それは見るからにまだ幼く、髪は金色で青い瞳をした少女で、頬が痩せこけたその顔から見るに十くらいの年頃でした。透き通るような真っ白な肌をした少女は、白装束に身を包み、手には金色の小さな鈴を持ち、何か慈しむようにひとつ歩くたびにちりーん、ちりーんと鈴を鳴らしゆっくりと歩きながら、少しずつクリラに近づいてくるのでした。
その姿を見たクリラは一瞬ドキリとしました。
(ああ…… ボクはこの子を知っている。どこかで…… でもどこで…… ボクはこの子に会いたかった……? )
クリラは戸惑いました。全く知らない少女になぜこれほどに惹かれるのか分からないのです。少女は始め何事もないように歩いていましたが、クリラの横に来るとちらりと眼をやりまして言いました。
「まぁ、珍しいですわね。人のような姿をしたウサギさんがおられるとは… 」
それは何とも清らかな声で、鈴の音のように透き通るようにクリラの耳に響きました。すると一瞬にして不安も疑問も消えさり、クリラは思わず思ったことを口にしていました。
「この鈴の音色は何とも美しいです」
すると鈴を褒められたのが嬉しいのか、少女は何とも純粋で屈託のない笑顔を見せて言いました。
「これは〝お清めの鈴〟ですの。とてもよい音色でしょうー 私はこの鈴を持つことを任せられましたの。全く清らかな魂がこの音色をたよりに集まりますから、とても大切なお役目ですの」
クリラは少女が牛頭馬頭と同じように何かとても大切で清らかな役目を賜ったのだと思い、尊敬の念を抱いて心から敬服して言いました。
「いったいどなたが貴方にそのようなお役目を? 」
「ええ。ええ。私にもそれははっきりとわかりませんの。けれども、私とても幼い頃からバイブルをいただいてお勉強をしておりましたから。ですから私しが思いますにそれは神様ですの。ああなんて素晴らしいのでしょうか」
少女はは指を優しくからめ胸にあてると、礼儀正しく慎ましく深く頭をたれて二言三言お祈りを捧げました。
(この子もきっと南十字星のあの方に、特別なお役目を頂いたに違いない。ボクもお役目をいただけるならどんな事でもする。あの烈火のごとく燃えさかる南十字星の中を、この黒い器が灰になるまで焼かれてもかまわない… )
そしてクリラは少女を昔から知っているかのように、深い親しみを込めて古い友人にでも話しかけるように、牛頭馬頭のこと、幼い兄妹らの話を丁寧に聞かせて訪ねました。
「あの兄妹は何処へ消えたのでしょうか? 」
すると少女は少しばかり悲しそうな顔をして言いました。
「何処へ消えたのか、それは誰にもわかりませんの。けれどもここへ来たのはつらいことですけどよいことですの。私の世界では肌の色が違うとか、眼の色が違うとか、住んでる国が違うとか、信じている神様が違うとか、財が有るとか無いとか、そのようなことで争いますの。全くの不平等でお互いを傷つけますから。それで弱く儚く清らかな美しい魂はここへ来ますから。それでわたくしもーー… 」
少女はそう言うとうつむき頭を垂れました。
「不平等? けれどボクは天の川でこれ以上ない平等を目にしました。人間は皆全く平等で全く同じ美しい場所で清らかに生まれるではありませんか」
「平等? 天の川? ですか? 」少女はうって変わりにこにこと笑い手遊びをしながら言いました。
「私は、私たちがどのようなところで生まれるかは存じませんの。けれども生まれ落ちるところは皆まちまちですの。そのところによっては先程のような争いごとがおきますの。もちろん皆が争うわけではありませんで、わたくしたちの家族は誰も憎みませんでしたし、誰も殺しませんでしたし… わたくしはただただおと様とおか様とあね様たちと一緒にいるだけでよいの。けれども争うものもおりますから、そのような方にわたくしたち家族はみんな殺されてしまいましたの」
そのような惨い話を何とも清らかな顔で、また全てを悟ったように話す少女がクリラにはとても神々しく見えるのでした。
「けれどもここが写しの洞窟の続きでなくてよろしいわぁ。絶命した死に様で皆が現れたなら私、とてもこの鈴を穏やかな気持ちで鳴らせませんし、とても大切なお役目を果たせませんしー… 今でもおと様とおか様とおね様の死に様が目に焼き付いて離れませんのにーー 」
悲しい身の上にあっても誰を恨むこともなく、全く汚れを知らない純粋無垢な幼い少女が、クリラは何とも哀れで可哀想に思え、せめてこのような少女の清らかな魂が、南十字星へと導かれ、焼かれる事無く生まれ変わようにと祈るような気持ちになりました。少女は遠くの、まるで故里でも思い出すような目で天井を眺めました。
「私今でもおか様の声が頭から離れませんの。おか様は絶命寸前に私に言いましたの。か細く小さく悲しい声でして、それは一言「ごめんね」と言いましたの。でも私が思いますに、私がこうして惨い目にあいましたのは、勿論おか様のせいではありませんし、ましておと様のせいでもございませんし、それでは私たちを追いやり殺した人なのでしょうか。それともそれを命令しました将軍様なのでしょうか。でも私はそうは思いませんの。もし私がその方たちを憎み、その方たちの罪だと心から思ったなら、私このような清らかなお仕事は賜ることはなかったと思いますの。ですから… つまり私が本当に罪を背負っていると思いますのはーー… 」
言いかけて突然少女は何か感じたようで、ブルブルと身震いをしました。
「あぁあぁ… 」
唇をふるわせ目からは涙がなみなみとあふれ出しました。そして両手を高々と上げると、鈴を思い切り振りながら、もう、驚喜になって大きな声で叫ぶのでした。
『ちりちりちりちりーー ん… 』
「ハレルヤァーー ハレルヤァーー 」
壊れんばかりに揺らされる鈴の音は激しく鳴り響き、少女の美しい声が響き渡ると、突然天井がぽつぽつと光りだしました。それは蛍石や鶏冠石が張り付いたように、ガラス光沢の美しい紫や赤色でキラキラと光っているのでした。
気がつくと地面は鏡のように磨かれた大理石が、邸宅に敷き詰められた床のように広がっていて、クリラの手のひらに乗るほどの蛍火のような淡く儚く丸い光が、あふれんばかりに、かたことと走る夜汽車からこぼれる車窓の光のように、さーー っと真っ直ぐと北に向かって順々に少女の足下でぽつぽつと光だしたのです。
「ハレルヤァーー ハレルヤァーー ハレルヤァーー ハレルヤァーー 」
少女は感極まったように、真珠のような美しい涙をぼたぼたと零しながら、歓喜に満ち溢れ、それはもう惜しげもなく恥も外聞も捨てるかのように、全く全ての感情をあらわにして、美しく透き通るような声で叫び続けるのでした。
ハレルヤァーー ハレルヤァーー……
第十五章 光玉
絶倒しそうになりながらも、ひたすら声を荒げる少女の顔が白い光に包まれました。
それは南十字星の白熱の炎のような清らかな光であり、少女の表情はとても穏やかで慈愛に満ちていて、クリラはこの行いがとても神聖で清らかなものだと思い、今この場にいられることがとても幸せで、とても有難い事だと深く感謝し、この行いは決して邪魔をしてはいけないことであり、今自分の泣き叫ぶ声や汚らしい涙で汚されてはならないと思い、溢れる涙を抑えながら嗚咽を漏らすのでした。
すると少女はもう気持ちが絶頂に達し、最後にアーメン… と一言、残されたわずかばかりの力を絞りだすような、か弱くかすれた声で発すると、両腕を天高く上げたまま昏絶したように佇みました。
クリラはもうぴくりとも動こうとしない、石像のようにたたずむ少女の前にひざまずき、無意識に両手を組み胸にあてると変わらず声を押し殺しむせび泣きました。
すると地べたをかんかんと照らしていた蛍火のような無数の光が、地の底から這い出るように、または流れ星が逆さまに落ちるように、ひゅんひゅんと光の残像を残しながらいっせいに飛び出したのです。クリラは目を大きく見開き、光りの残像をその瞳に焼き付けると、光の帯が残したカーテン越しに静かに呟きました。
光玉ーー…
クリラが振り返り少女見ると沢山の夜光虫がとりついたかのように、少女の体は青白い光でぽつぽつと光り輝いていました。そして少女の口元が一瞬微笑むように緩んだその瞬間、少女にとりついた夜光虫が飛び立つように、一斉に無数の青白い小さな光がばらばらに散らばったのです。
そして少女の姿は青白い光と共に何処へともなく消えて無くなり、その胸の辺りに、まるで海のように真っ青な、どこまでも真っ青に美しく青光りする、それは美しい青白い光玉がふわりふわりと浮いていたのです。
その何とも美しい青白い光玉を、クリラが食い入るように覗き込むと、黄金色の塵がキラキラと光り、細波が静かに波打つように波状にうねりながら、何か様々な感情が入り交じっているように思われ、それは喜びであり、悲しみであり、また苦しみなどの持てる全ての感情が小さな玉に詰められているかのように思われました。クリラは青白い光玉を見つめながら慈しむように言いました。
「光玉は全く清らかな魂を持った人間の魂。だからあれ程に儚く、美しく、清らかなに見えたんだね」
クリラは何とも切ない気持ちになり、ぎゅっと下唇を噛みしめながら地べたに目をやりました。するといつの間にか懐から滑り落ちた七色石板が、アカヒカヒタルの腹をみせて足下に落ちていました。赤かったアカヒカヒタルの腹は全く色味を無くし、もう風前の灯火といった具合で、今にも死んでしまいそうに、弱々しくも激しくぱかぱかと点滅していました。
けれども不思議とクリラの心は落ち着いていました。それはとても穏やかでまるで銀世界で月に乗って天の川を眺めていた時のようでした。
その時空中を彷徨っていた無数の光玉が天井に向かって一斉に飛び始め、天井に吸い込まれるように次々と消え始めました。それはひとつたりとも残すことは無く、ただ青白い光玉だけを残して全く全ての光玉が天井へと消えたのです。
するとクリラの眼から、天の川で見た丸い気泡のような美しい粒の涙が、ぽろりとこぼ落ちました。眼の中に涙が溜まり、ちゃぶちゃぷと波打つと、まるで天の川の美しいエメラルドグリーンの水の中にいるようでした。
クリラは膝をつき強く拳を握りしめると、歯を食いしばり心の中で、わぁーー っと、あらんかぎりに歓喜の声を張り上げました。そしてようやく一息つくと深く頭を垂れて言いました。
「汚れを知らない美しく清らかな光玉は天の川に昇っていった。そしてエメラルドグリーンの水に浸かり、小さな小さな気泡の中で新たな器を授かり生まれ変わるんだ」
すると少女の清らかな行いが目に浮かび、お清めの鈴の音が聞こえた気がして胸が熱くなりました。そして今度は何も我慢することなく、涙や声を抑えることもなく、心の底からあらんばかりの声を張り上げて泣き叫びました。
そして無上の喜びに胸を震わせながら改めて思うのでした。
(ボクは今まさに死んだ魂が生きた魂となるその瞬間を見たに違いない。天の川の乳白色の気泡に入れ込まれた魂はここにあった。器を無くした全く清らかで無垢な魂はここに現れ、天の川へと昇り、清らかな魂のままに生まれ変わった。清らかな人間の魂は消えることなく、南十字星の白熱の炎に焼かれることもなく、新しい器を授かり、人間界へと戻っていった)
そして魂が震えるほどの深い感銘を受けながら、かたかたと震える手でポケットから☆型の空の硝子を取り出すと、青白い光玉を硝子越しに覗きました。
すると☆型の硝子に青白い光玉が遠目に重り、七色石板にはめ込まれたヒトデ石と同じように、硝子の中で小さな銀河が渦巻いているように美しく見えました。
「なんて綺麗で、なんて儚く清らかでーー… 」
美しいーー
無邪気な笑顔で嬉しそうに☆型の硝子を覗き込むクリラの様子は、変わるがわる色や形を変える万華鏡を覗き込み、陽気にはしゃぐ幼子のようでした。
どれくらい覗いていたのか、それは一瞬であり、また永遠の時間のようにも想えました。けれど止まったかのような時間は、暗闇を引き裂くようにして聞こえる、パキンと鈍く響く音と共に動き出し、その音はクリラの手の中から聞こえました。
クリラの血だらけになった手の中で、粉々になった☆型の硝子が赤い血と共に真っ赤に塗り潰され、小さくなった硝子の破片は砂時計の砂のように、さらさらとクリラの手から落ち、足下の七色石板に上に霜降りのような斑点模様を描きました。
「まるで真っ赤な雪だ」
そう言ってクリラは七色石板を拾い上げると、血の斑点は水のように流れ、また違った模様を描き、クリラは移り変わる模様を眺めながら、残り六つのヒトデ石を七色石版から取り外し、手から転がすように次々とヒトデ石を落としました。ヒトデ石はクリラの手を離れると、まるで時が遅くなったかのようにゆっくりと落ちていき、地べたでパキンと音をたて粉々に砕け散りました。
「みんな自由だ。七色石板は願いを叶えるとヒトデ石を消してしまう。それは清らかな魂も消してしまう事になる。ボクは美しい魂を犠牲にして銀世界へ帰ろうとは思わない」
幼い兄妹を思いだし、鈴を持った青い目の少女を思い出すクリラの顔は、我が子を見つめる母のような慈愛に満ちた表情でした。そしてクリラの前で青白い光玉と窮屈な硝子から解放された六つの光玉は、目映いばかりに光りながらゆっくりと、ふわりふわりと浮き上がり、申し合わせたように天井で北斗の形に並びました。
七色の光玉を静かで穏やかに見つめるクリラの心とは反対に、七色石板の警告はもう絶頂にまで達したようで、アカヒカヒタルはジジジジジと悲痛な叫び声を上げ、その腹はすっかりと色味を無くし点滅も消えてしまいました。
やがてすっかりと色味をなくし灰色になったアカヒカヒタルはガラスのように砕け散り、微塵となって空中に舞い散ると、ちらちらと光りながら時雨のようにクリラの頭の上に降り注ぎました。クリラは微粉となって故郷にでも帰るように飛んでいくアカヒカヒタルを見上げながら思いました。
(ボクはこれからかちかちの石になって化石になるのか、それとも卵になって全く消えてしまうのか。けれども化石になって、子鬼に掘り出されるのなら、ボクは全く消えてしまいたい… )
すると突然天と地がひっくり返るのではないかと想われるほどに地面が大きく揺れだし、猛烈な音と共に天井に向かって大きな亀裂が稲妻のように走りぬけました。
クリラが天井を見上げると、朝日が差し込むように、ぽっかりと空いた真っ黒な亀裂から、真っ白い神々しいまでの光りが差し込みました。それはまるで漆黒の宇宙を切り裂いて白い宇宙が現れたかのようでした。
クリラが白い光りの中を覗き込むと、白い光り中に七色の光が何処までも延びているのが見え、それは遙か遠く天の川をつき抜け、銀世界の金の星にある虹に入り江へと延びていました。
クリラから解放され北斗の形に揃った七色の光玉がクリラの願いを叶えたのです
「こんな遠くから月がはっきりと見える… まるで夢のようだ。せめて最後に月が見えるようにとしてくれたのかな」
クリラは願いが叶い銀世界に戻れるとは思っていませんでした。もう全てが終わり化石か塵になるのだと思い、体中の力が抜け落ちていくような言いようのない脱力感に襲われた時、まばゆい光の中でぼやりと霞みながら、真っ白い何かが流れ星のようにこちら向かってきました。
「クリラ! クリラ! 」
光の中から現れたのはハリーだったのです。ハリーは勢いよく飛び出すといつもと寸分変わらぬ抜群のテクニックでクリラの前にぴたりと止まりました。クリラはあまりに突然の出来事に驚いて、何も言えずぶっきらぼうに立ちつくしました。
「天の川で君を待っていたら大きな光が差してね。覗き込んだら君の顔が見えたのさ。それで気がついたら光に飛び込んでいた。君の願いが叶ったんだよ。さあクリラ一緒に帰ろう。銀世界へ… 」
ハリーは興奮して上手には喋れず、鼻やら口やらからばうばうと煙を吐き出しながら、これ以上ないというほど頬をつり上げにっこりと笑いました。
「ハリー… そうか、願いか叶ったのか」
けれども不思議とクリラに大きな喜びはなく、まだやるべきことがあるような複雑な気持ちでいっぱいでした。そして喜びにむせぶハリーの自慢の真っ白なシートを眺め改めて思いました。
(ボクの体は本当に黒い。まるで燃えて無くなるためにあるかのようだーー… どうしてボクはどのような代価を払ってでもここに来ようと思ったのだろう)クリラはそんな思いに囚われて深い思いにふけるのでした。
すると何処からか囁くように、まるで魂に触れるように美しく優しい声で、何者かがクリラの心に話しかけてきました。
「ああ、これは! 」
声を聞いたクリラは心を熱くすると、とても愛おしそうにハリーを見つめました。
「ハリー、これからボクがすることを許してくれる? けれどボクはこうする為にここに来て、またこうするしかないような気がするんだ」
「何を言うの、クリラ」
ハリーは一変に不安そうな顔になりました。クリラはハリーから離れると両手を付き、地べたにつくほどに深く頭を垂れました。
すると天井から目も眩むような目映いばかりの一本の光が矢のごとくのびてきて、クリラを讃えるかのように明るく照らしだし、その光はハリーの顔までもきんきんと照らしました。白い光のもやでぼやりと霞みながらハリーが驚愕して叫びました。
「いけない! そこから離れろ! こっちに来るんだ! 」
クリラに向かって必死に叫びながら光に照らされて霞むその姿、それは超特急の列車星、ハリー彗星の姿ではなく、人間の男の子の姿でした。
「さあ、こっちに来いよ。一緒に帰ろうよ」
人間の子供は優しくクリラに手を伸ばしました。でもその手の先に立っていたのは真っ黒な姿をした銀世界の住人クリラではなく、とても優しい目をした人間の女の子でした。
「ごめん、コウタ。ボク、行けないよ。ボク、よいことをするよ」
「ユキ…… 君は女の子なのに、また自分の事をボクって…… 」
「フフ… そうだね。うさぎになってもやっぱりボクって自分の事言ってたね。ごめんねコウタ。ボクもう一緒にいられなくて…… 一緒に大人になれなくて…… 」
「どうして? どうしていくの? 誰のためにいくの? 汚れてしまった魂はその人の責任だろう。悪い行いをした人は罰を受けるべきだ。ユキには関係ないじゃないか」
「そうかコウタ。あのお方の声を君も聞いたんだね。ねえコウタ。真っ白な魂を持つ人のために祈る必要はないじゃない。だってその人はもうちゃんと綺麗なのだから。むしろ黒い魂を持つ人のために祈る必要がある。白い魂になるように祈ってあげる必要がある。ボクは今その尊い役目を言い渡されたのだから」
「なぜユキなの? それに先に川に飛び込んだのは僕だ! ユキじゃない! それは僕の役目だよ! 」
「それは誰にも分からない。でもボクなんだ。ボク、よいことがしたいんだ」
それを聞いてコウタは顔をこわばらせながら言いました。
「だ、だめだよ… ユキ。ユキが行くのなら僕も行くよ。だって、僕たちいつまでも一緒だよ。いつまでも一緒だよ」
必死に感情を押さえ込むように喋る声は、寒さに凍えているのか、または恐怖に脅えているのか、小刻みでとぎれとぎれに震えていました。ユキはそんな気持ちを悟ってか、大きな声で叫びました。
「だめ! こっちへ来たらもう二度と戻れない! コウタはお父さんとお母さんのところへ帰るんだよ。よい人だもの。悲しませないでよ」
優しいユキの声にコウタは操り人形の糸がぷつりと切れたようにがくりと膝をつき、もうあらんばかりに声を荒げて泣きじゃくり、それは気が遠くなるほどで、本当にコウタはそのまま倒れ込んでしまいました。
ユキはそれを見届けると、矢のごとく貫かれた一本の目映いばかりの光の下で指をからめ両手を胸に組み、頭を深くたれて謙遜しながら言いました。
「ボクは貴方様の声を聞きました。そして願うのです。全ての人、それは全く汚れた黒い魂を持つ人たちの魂を、あの白熱の炎が燃えたぎる南十字星へと導き、全く昔と同様に、黒い魂を真っ白に焼き尽くし清らかな魂にしてほしいとーー…
ボクは今理不尽について考えます。姿形が違うとか、立っている大地が違うとか、祈る対象が違うとか、そのようなことで不幸になる様々な理不尽です。いつかどの人も全ての理不尽ついて心の底から悩むことがあるのなら、きっとその魂は南十字星の白熱の炎に焼かれることなく清らかなになることでしょう。
その魂を導くのに代価がいるというのなら、ボクの魂を捧げます。それはこの体であり、この魂をもです。ボクの魂を全く消滅して無にしてよろしいのです。
それはボクが今まさに愛を知ったからです。愛を宝石に例えるのなら、自分に与えてもその輝きは小さく鈍いもの、他人に与えてこそ素晴らしく光り輝くのです。その光は猛火の星よりも熱く、金の星よりも明るく、そして南十字星の烈火のごとく燃えさかる白熱の炎のように美しく光り輝くのです」
ユキは無我の境地に達し、その顔はまるで聖人のようでした。すると矢のごとく貫かれた神々しいまでの光が爆発したかのように膨張し、ユキをすっぽりと包み込みました。
コウタは光に吸い込まれるように消えていくユキを薄目で見つめながら、涙でびしょ濡れになった顔で、独り言でも呟くように言いました。
「ユキ、ユキ… よい… ことをしよう… よいことをしよう… 」
ユキはそれを聞くととても嬉しそうに笑い、ゆっくりと光の中へと消えていきました。
「ユキ… よいことをしよう… よいことを… しよう… 」
そしてコウタはいつまでもいつまでもそう呟きながら、意識がどこかへと飛んでいくのでした。
第十五章 購い
ユキはいいようのない至福の時を感じていました。目映いばかりに輝く光の中は暖かでどこか懐かしく、誰かに抱かれているような、ほんわりとした何とも心地のよいもので、それはまるでうららかな春の日に、季節に関係なくありとあらゆる美しい花が咲き乱れる高原で、千年は経つであろう大木の桜木の下で絡み合う太い根の上に座り込み、舞い散る桜の花びらを薄目で見上げ、何処からか聞こえる小刻みに震えるマンドリンの心地よい演奏に耳を傾けながら、上等なシルクにくるまりうたた寝をしているような、そんな穏やかな気分でした。
目蓋は重りがついたように重くなり、それに逆らうことなく目を閉じると、クマ五郎や銀世界の仲間たちと過ごしてきた懐かしい記憶、そして人間の頃の記憶までもがセピア色に染まりながら蘇り、走馬燈のように頭をぐるぐると駆けめぐるのでした。
きっと全てが終わるとき、全ての記憶がこのように思い出されるのだー 魂が離れれば体は脱け殻で、ボクの体は塵となり全く消えて無くなるのだー と思い、ユキはこれで全てが終いになり、全ての終わりが来たのだと悟りました。光の光沢は絶頂に達し、あまりの目映い光に一瞬気を失いそうになりましたが、全てを見届けたいと正気付き、下がる目蓋を無理矢理にこじ開けました。
すると目の前には煌々と十文字に光り輝く白い光の塔がそびえ立っていました。それは紛れもなく南十字星であり、白熱の炎だったのです。
「ハリーと、いえ、コウタと共に遠くで眺めた白熱の炎が、今まさに目の前で煌々と燃えている。美しいーー 本当に美しいーー 」
ユキは今まさに幸福の絶頂にありました。自分がなす事を考えるなら、それは決して幸福でないのかもしれません。けれどもユキに恐れや悲しみや後悔などは、心の隅々のどこを探しても微塵もありませんでした。それが証拠にユキの顔はそれは穏やかでとても美しいものでした。
白熱の炎は勢いを増し、ユキを誘い込むようにちらちらと火の粉を飛び散らせ、何とも美しい音色を奏でながら賛美の音色を奏でます。すると白熱の炎の中に白装束に身を包み、足まで延びた髭と髪をした神々しい老人が現れユキに手を伸ばしました。
ユキは老人の手をとりました。
そして真っ白に燃えさかる白熱の炎にその身を投げました
ユキは光の十字架に架けられ、両手を横いっぱいに広げたまま身動き一つとる事も出来ません。すると白熱の炎は加減も遠慮も無しにメラメラと燃えながら、生き物のようにユキの体にまとわりつきゆっくりと焼き尽くしていきました。
白い炎に焼かれていく体の色はどんどんと黒くなり、まるで真っ赤なサソリの毒を何万回もうけたかのようです。そして体中を稲妻のように走り抜ける激痛は、オリオンの矢をその身に何百何千本と受け卒倒するような痛みでした。
そうやって白熱の炎は何時間もかけて、ユキの足の指の先から頭のてっぺんまで、その器を余すことなく激痛を与えながら綺麗に焼き尽くすと、残った魂、それは美しい真っ青な海のような色をした神々しいまでの清らかな魂までも、少しばかりの灰を残すことなく、文字通り真っ白に焼き尽くしたのです。
第十六章 生還
『コウタ… コウタ… コウタ…』どこか頭の奥の方で声がしました。それは遠い昔に聞いたような、どこか懐かしく聞き覚えのある声でした。
「誰? 誰? 」
コウタはエメラルドグリーンに輝く水の中で、まるで胎児のように足を抱え浮いていました。川面で揺らめく白い光がまるで風に揺れるカーテンのように揺らめき、見覚えのある顔が同じように揺れながらぼやけて見えました。
「ボクだよ。コウタ。よいことをしよう。よいことをーー… 」
コウタは正気付きました。
「ユキ… ユキ… ユキ!! 」
コウタは叫び飛び起きました。
「おお、大丈夫か、コウタ? 」
朦朧とする意識の中で目を開けると、目の前に、まるで魚眼レンズからでも覗いたかのように、丸くぐにゃりとゆがんだ顔が浮かんでいました。コウタは夢中で目の前の顔に抱きつきました。
「ユキ! あれは夢だったんだ。全てが悪い夢だったんだね! 」
けれどもコウタが抱きしめていたのはユキではなく、コウタのお父さんだったのです。
「おい、コウタ! 大丈夫か! しっかりしろよ、コウタ。 コウタ! 」
気がつくとそこはエメラルドグリーンの水の中ではなく七夕川の河原でした。河原に寝かされたコウタの周りに、たくさんの大人たちがまるで蟻のように群がっています。コウタはまるでマネキンのように表情一つ動かすことなく、長い悪夢から醒めたように辺りを見渡しました。
「おお、よかった。目を覚ましたぞ。もう大丈夫だな」
コウタのお父さんは冷たいコウタの体をもう一度強く抱きしめました。そして悲しそうに言いました。
「あの橋から幼い兄妹が投げ捨てられたんだ。全く惨いことだ。でもお前ら本当にたいしたものだよ。この真っ暗な川に飛び込むなんて。でもなぁー お前は運良く助かったんだが……… 」
コウタのお父さんはそう言うとうつむき、後は何も言えず声を押し殺して泣いていました。コウタは変わらず無表情のまま天の川を見つめると一粒の涙をこぼして言いました。
ユキはよいことをしたんだよ……
そして悔しそうに血が滲むほど下唇をかみ締めながら言いました。
「力を持った者は何処までも残酷な選択を求め、何処までも躊躇無く決断を下し、何処までも無慈悲に遠慮なく実行する…… 僕はもうお祈りをしない… 盲目にならず、何者にも頼らず、決して何者にも頭を下げない… でも… ユキとの約束だ… 僕は…ー 」
よいことをしようーーー……
今日は年に一度の星降り祭りの夜。遠くで子供達の笑い声が聞こえます。ユキと幼い二人の兄妹が消えた七夕川は何もなかったように、北斗七星や満天の綺羅星がひしめき合う銀河を写し込み、まるで川面に浮かぶ銀河のようにキラキラと輝いていました。
おわり