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6話






(…おお…っ)


正門を通り、敷地内を進んだ馬車から降ろされたアリシアが見たのは、ロンヴァート侯爵邸よりも、来る途中で見かけた邸よりも遥かに広い敷地を誇る、荘厳な邸だった。


侯爵邸から出た時は遠くて、はっきりと見えなかった王城が、ここからだとはっきりと見えた。高位貴族ほど、王城の近くに邸を構えると聞く。侯爵邸ですらあの距離なのに。格が違うのだ、とアリシアは慄き今更ながら腰が引けていた。


「あの、やはり私」


「ロイ」


ビビりながら隣に立つルーカスに話しかけると、皆まで言う前に「失礼します」と断ったロイに抱き上げられて悲鳴を上げた。逃げられないように、だろうがこれはどう見ても本で見たお姫様だった。アリシアはパニックに陥った。ジタバタ暴れるアリシアを、子供1人抱き上げるくらい造作も無いロイは上手いこと宥めにかかる。


ロイの手腕で落ち着いてきたアリシアだったが、何故かルーカスの機嫌が悪くなる。


「…おい、それ止めろ。肩にかつげ」


「はい?ご令嬢をそんな荷物みたいなかつぎ方出来る訳ないでしょう?…ルーカス様、心が狭い男は嫌われますよ」


「うるせぇ」


突然悪態をつくルーカスと、彼をニヤけ面で煽るロイを交互に見やり、アリシアは1人キョトンとしていた。


…その後ロイにお姫様抱っこをされたまま、長い長い廊下を歩く羽目になったアリシアは恥ずかしさのあまり顔を覆い、それを横から見てるルーカスはずっと不機嫌だった。



やっと解放されたのは、客間に辿り着いた時だ。ロイはアリシアを下ろすとどこかに行ってしまった。既に疲れ切っていたアリシアだが、客間に足を踏み入れると一気に元気を取り戻した。


客間は落ち着いたデザインの家具で飾られており、派手過ぎず地味過ぎない絶妙な空間に仕上がっている。義母の趣味であろう、華美な家具や小物で纏められていた大広間や地味一辺倒の離れとは大違いで、この空間にいるだけで不思議と心が休まる気がした。


座るように促されたソファーもフカフカで座り心地が良く、いつの間に連絡していたのか扉をノックして入ってきた使用人がお茶と焼き菓子を準備していた。仕事が早すぎる。そして使用人に気を取られ、当然のようにルーカスが隣に座ったことに疑問を抱かなかった。


お菓子なんて久々だ。はしたなくも欲張りそうになる自分を抑え、ゆっくりと焼き菓子を手に取り口に運ぶ。


(美味しい…!)


置かれた状況も一瞬忘れ、パァァと顔を輝かせ焼き菓子に舌鼓を打つアリシアに、ルーカスが息を呑んだことに気づいたのはいつの間にか戻って来ていたロイだけだ。


ルーカスはニコニコしながらお菓子を食べるアリシアを見つめている。ロイは笑いを必死で堪えて、その度にルーカスに睨まれていた。


バン、と突然ノックも無しに扉が開かれ、丁度紅茶を飲んでいたアリシアは驚いて咽せてしまった。


「大丈夫ですか⁈」


ルーカスより早く、向かいに座ったロイがこちらに素早く移動し、ゆっくりと背中をさすってくれた。それを見たルーカスの眉間に薄らと皺が寄ったことには、誰も気づかなかった。


「ルーカスが女の子を攫ってきたってどういうこと!」


シンプルながら品のあるドレス、結い上げられた輝くような金髪にルーカスと同じ碧の瞳。思わず見惚れてしまう程の美しさを持った女性がカツカツとソファーに近付いて来た。


「攫ったんじゃない、拾ったんです」


「尚更悪いわよ!元の場所に返していらっしゃい」


「嫌だ」


「嫌だって、何を子供みたいなこと…」


敬語ながらアリシアに対してと同じ態度を貫くルーカスをハラハラと落ち着かない気持ちで見守っていた。


女性の視線がアリシアに向けられる。その瞬間、アリシアの身体が極度の緊張で強張った。


何故なら女性と義母は年齢が近そうだったから。アリシアは義母を彷彿とさせる人が苦手になっていた。この人も義母のように自分を蔑み、罵倒するのではないか、と心の奥に根付いた恐怖心が顔を出し始める。


きゅっ、と唇を引き結び、膝の上で手のひらに血が滲みそうなほど両拳を強く握り締める。


女性がソファーに座るアリシアに近づき、腰を落とし膝を曲げて屈む。突然のことに動揺するアリシアに女性が目線と合わせると、柔らかく微笑んだ。


「初めまして、シャルロット・ヴァレンシュタインです。この子の母親なの、貴女のお名前は」


訊ねられるままに、アリシアが名乗ろうとすると。


「アリシア」


隣に座るルーカスが答え、女性…シャルロットが呆れたような眼差しを向ける。


「貴方には聞いてないわよ、黙っていなさい」


「アリシアが怯えているから、フォローしただけです」


「怯え?」


「母上が来てから明らかに表情が強張り出しました。一緒に住んでる奴らと折り合いが悪いと言ってましたから、何か思い出したのかもしれません」


ルーカスの言葉でアリシアの状態を察したシャルロットはハッとした後、再びアリシアと目を合わせた。


「嫌な思いをして来たのね、私は貴女…アリシアさんを傷つけるようなことは絶対にしないわ。すぐに信じることは無理だと思うけど、覚えておいて」


アリシアはうまく声が出せず、口をモゴモゴと動かす。公爵夫人、元王妹殿下に話しかけられているのにすぐに答えることが出来ずアリシアは焦る。失礼な奴だと思われたらどうしよう、と内心ビクビクしていたがシャルロットのアリシアを見る目には呆れも、義母やメイド達から向けられる嘲りも無かった。ただただ、アリシアを案じてくれているのが伝わってきた。


そんな気遣いのおかげか、アリシアの中で頑なに燻っていた諦念の感情がゆっくりと解けて消えていくのを感じる。会ったばかりの、碌な言葉も交わしていない人達なのに。アリシアの中では父とは名ばかりのクラウスよりも、彼女達への信用が既に上回っていた。


(何かを期待してるわけじゃない、ただ聞いてもらえれば少しはスッキリするかもしれない)


アリシアは改めてシャルロット、ルーカスとロイに自己紹介をし、初めてロンヴァートの名を名乗った。


「アリシアさんロンヴァート侯爵の娘なのね。確かに目の色が良く似ているわ」


シャルロットは公爵夫人という立場上、それ以前から社交の場でクラウスとその妻…義母と顔を会わせる機会は何度か合ったと語る。彼らの間には息子が1人だと公表されているので、ルーカスの「折り合いが悪い」発言と照らし合わせダニエルと年の変わらないアリシアが「ロンヴァート」を名乗る意味を理解したようだ。この国では婚外子でも、当主が届け出をすれば正式な子供として扱われる。義母が日課のいびりをしに来た時、心底憎々しげに吐き捨てていたから間違いない。つまりアリシアは侯爵の正式な娘として登録されているのだ。さぞ気に食わないことだろう。


「侯爵と夫人は…こう言ってはなんだけど仲は冷めてるように見えていたわ。貴族間の結婚は愛情の伴わない政略結婚が殆どだから珍しいことではないけれど…夫人は侯爵のことを愛していると言って憚らない人だった」


夫を愛していると、愛されていると周囲に知らしめる一方、侯爵のまるで義務感だと言わんばかりの素っ気ない接し方。チグハグな夫婦は裏では暇を持て余す貴族達の話の種だったと言う。


「夫人は…少々気位が高い方だわ。それに侯爵を慕っているから貴女に対して辛く当たっているのではないの?」


恐る恐る、だが確信を持った聞き方だった。それ程付き合いがないシャルロットでも、義母の性格を熟知していた。彼女の行動を予測することは容易なのだ。愛人へと憎悪と嫉妬からその娘を虐げてもおかしくない、という認識。


(赤の他人にそう思われるって…)


貴族として、侯爵夫人としてどうなのだろう、と疑問を抱く。公爵令嬢だったと聞くから、それなりに甘やかされて育った結果かもしれない。アリシアが本当のことを知ることは、恐らくないだろうが。


シャルロットは具体的に侯爵邸でどのように過ごしていたのか、辛いのなら無理はしなくていいと労わりながらも問うてくる。


逃げ出すくらいだから、相当辛い目に遭っていると思われてる。確かに侯爵邸に来たばかりの頃は辛かったし、枕を涙で濡らしたことも多々あった。


だが2年も経てば、慣れてしまった。一々反応しないように、考えないように心を殺して生きるようになった。耐えて心を乱さなければ、辛くないから。言い返しても、良いことはないから。逃げ出したのは義母達の仕打ちに耐えかねて、よりあのまま飼い殺しのような環境に置かれ、道具のように利用されることに嫌気が差したから、というのが大きな理由なのだ。


大層心配してくれているシャルロット、そして事の発端ルーカスは肩透かしを喰らうだろうが、アリシアは母との生活からこちらに来てからの生活を、自分がどう受け止めているか話すことにした。



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