5話
アリシアは困惑した面持ちで少年を見つめた。当の少年は不遜な表情のまま堂々とした佇まいで座っている。ちなみにアリシアは縮こまりオロオロと俯き、馬車の床を凝視していた。
「あ、あの、どういうことでしょうか。私のことは放っておいて欲しいと」
「あ?お前みたいな如何にも貴族ですって為りした子供、1人でフラフラしてたら誘拐されるか人買いに攫われて売られるのが関の山だろうが」
寧ろ感謝しろ、と言いたげだ。
誘拐、人買い。アリシアには一度もそういう目に遭う、ということに思い至らなかった。そして想像して、ブルリと震える。先生も言っていたではないか、この国では人身売買や奴隷を禁止しているが非合法な組織は確かに存在しており、子供や若い女性…特に貴族と一発で分かる身なりのいい者は高値で取引されると。
何故忘れて、時間はかかっても平和的にあの街に辿り着けると思い込んでいたのか。アリシアは小柄で年齢の割に肉付きは悪いが、一応食事も入浴もさせて貰ってるのでみずぼらしくは見えない。そして質の良い服を着ていれば、貴族の娘だと目を付けられ攫われる危険性は高いのだ。
恐らく未だにあの人の娘、だという自覚が芽生えてないのだ。死ぬことのない環境を与えられてはいるものの、外には出れず周囲からは蔑ろにされ父親は無関心。これで自覚しろというのが無理な話だろう。
それはそれとして、どうやら少年はアリシアが危ない目に遭わないように馬車に引っ張り込んでくれたようである。
「あ、ありがとうございます…」
余計なことを、という気持ちは消えないが少年の目を見て、一応軽く頭を下げ礼を言う。すると少年が目を見開き咳払いをする。
「…別に。で?お前が昔住んでた街の名前は?」
(はい?)
前触れなく質問され、疑問を拭えないながらも尋ねられるまま「…ラバです」と答えると眉根を寄せた。
「ここからだと丸一日かかるな…なあロイ」
「無理ですルーカス様」
少年が青年に声をかけ、間髪入れずに断られた。彼の名前はロイというらしい。少年より先に名前を知ってしまった。
(まさか、送ってくれようとしてた…?)
ますます意味が分からず、アリシアは混乱の境地に陥る。名前も知らない少年は初対面のアリシアの世話を焼こうとしてるように思えたからだ。
「けっ、結構です!見ず知らずのあなたに迷惑をかけるわけにはいきません!」
ブンブンと首を振り必死で断るアリシアに少年は唐突に、ポツリと呟いた。
「ルーカス・ヴァレンシュタイン」
「…え?」
名乗った少年…予想通りの名前を口にしたルーカスはポカンとするアリシアに焦れたように促す。
「お前の名前は?」
「え、あ…アリシア…です」
言われるまま名前を告げるも、敢えて家名は名乗らなかった。ルーカスもアリシアの複雑な心情を察したのか「アリシア、ね」と名前を繰り返すだけで家名を教えろとは言わない。
「よし、これで見ず知らずの他人じゃないな」
満足げに口角を上げるルーカスと「は?何言ってんだこの人」と思ったことをそのまま顔に出すアリシア。
「ま、待ってください」
「あと堅苦しいの嫌いだから、もっと砕けた感じで話せ」
アリシアの訴えを華麗にスルーし、恐ろしいことを命じるルーカスに本気で困った。
「そんな無茶な、恐れ多いです」
「俺が良いって言ってるんだから良いんだよ」
(本当なんなのこの人)
アリシアは面倒臭くなってきた。強引と言うか、人に命じることに慣れているのだ。自信満々で少し羨ましいと思った。
王家に次ぐ権力を持つ公爵家の息子に砕けた口調で接するなんて、アリシアにとっては難易度が高い。どうやっても萎縮してしまうので、いきなりは無理だと懇願すると渋々と言った体で引き下がってくれた。本当にホッとした。
「それで、何で私を馬車に引っ張り込んだんですか。これから王都に行って馬車に乗りたいんですけど」
「金持ってるのか」
「家から持ってきた服やアクセサリー売ろうかと」
「子供が持って行っても安く買い叩かれるのがオチだな」
アリシアが懸念してたことをルーカスも言う。そんなこと言われなくとも分かってる。自分が如何にも無謀なことをしようとしているのか、なんて。
「…じゃあどうしろって言うの…」
段々苛々としてきて、隣で訳知り顔をしてるルーカスを睨んだ。ただの八つ当たりで、考えなしで飛び出した自分が悪いのに。ルーカスは現実を教えてくれているのに、自分は何て感じが悪いのだろう。
「そんなに家に帰りたくないのか」
「そうですね、帰りたくない。馬車が駄目なら何日掛かっても歩いて行きます」
駄々を捏ねる幼子のように出来もしないことを口にする。虚しさだけがアリシアの胸の中に広がっていく。鬱々とした気持ちになりかけていた時。
「…じゃあ、うちにこいよ」
「「は?」」
ルーカスのとんでもない発言にアリシアとロイの声が見事に重なった。呆然とするアリシアと対照的に向かいのロイは急に立ち上がり、ルーカスの前まで移動してその場に跪いた。
「ルーカス様、何をおっしゃってるんですが駄目に決まってるでしょう。彼女は家に帰すべきです」
「嫌だ、もう決めた」
「嫌だじゃないです、下手しなくても誘拐だ何だと騒がれます、帰しましょう」
「そんなの揉み消せばいいだろ、公爵家なら簡単だ」
「簡単ではないです揉み消すの旦那様なんですよ…!ルーカス様本当どうしたんですか、こんなこと初めてです…!」
自信満々に無茶苦茶なことを言うルーカスにロイは文字通り頭を抱えていた。この人苦労してそうだな、とアリシアは他人事のように思う。
アリシアを置いてけぼりに、ルーカスとロイの話し合い、という名のルーカスの一方的な主張はやがて決着を迎えた。
「…」
話し合いを終えたロイがアリシアの方を向く。その表情は疲れ切っていて、ほんの少し気の毒に思えた。
「…アリシア様、でしたね。ルーカス様、我が主があなたを公爵邸に連れて帰ると言って聞かない上に脅しまでかけてしたので…このまま公爵邸に向かいます異論反論は聞けません申し訳ありません。あ、ご実家の方はご心配なくルーカス様が旦那様に頼み込めばどうにかなるので」
おずおずと、それでいて一気に言い切ったロイは終始気まずそうだった。どうやっても、小さき主には逆らえないようだ。そして当の本人はしたり顔である。なんかムカつく。
こうしてアリシアの意見は一切考慮されず公爵邸に連れて行かれることが決定した。
「いや、おかしいでしょ…!やっぱり帰ります降ろして!」
「往生際悪いな、いい加減諦めろ」
真っ当な主張をしてるはずのアリシアが非常識なことを言ってるルーカスに嗜められながら、そして「あー、奥様になんて報告すれば…」と遠い目をして呟くロイ、無茶苦茶な状況に陥っている中で馬車はゆっくりと進み続けて行った。
道中、どうにか降りれないか拝み倒し、時にはやや強気な態度でルーカスに頼んだが、彼は一度決めたことは覆さない頑固な性格だった。やはり護衛騎士だというロイも微力ながらアリシアの援護に回ってくれたが、結局彼の意思を変えるには至らず。
最終的にドナドナされる家畜の気分で死んだ目をしたアリシアは馬車に揺られて行った。