17話
アリシアにもラナが当時感じた絶望が伝わって来た。今まで努力していたことが弟が生まれた途端無に帰してしまったのだ、無理もない。
「つまり、弟さんが生まれたからもう跡を継がなくて良いと言われたと」
「しかも、さっさと婚約者を決めようとするとか追い出しにかかってると思うだろ」
「それは流石に」
実の娘相手にそんな仕打ちはないだろうとルーカスの発言を否定しようとしたら、当のラナから「大丈夫、私もそう思ったから」と返ってきたので言葉を失った。女性が爵位を継げると言っても、やはり男子優先の風潮が残っている。だが、生まれて間もない弟を早々に後継と決めてしまうと弟が成長して例えば学者になりたい、他国に行きたいと言い出したらどうするのか。その頃には恐らくラナは嫁いでしまっている。本人の意思を無視して後を継ぐことを強要しても良い結果にならないと思う。せめて弟が自分でものを考え意思を伝えられる年齢になるまで猶予を設けても良いのでは、と思うが。
「私、本当に跡を継ぎたかったかというと微妙なの。女性で爵位を継いで婿を取っている方に話を聞くとやっぱり苦労は絶えないし、お婿さんが自分を殺して家を乗っ取ろうとしたって方もいた。そういう話を聞くと両親の期待に応えたいっていうあやふやな動機の私には覚悟が足りないし、荷が重いかもって感じていたの。でも、でもね。弟が生まれた時の両親の安心した顔、お父様の言葉。ああ、私って簡単に代えが効く存在なんだって分かってしまったの。お母様が男児を産めなくてお父様達の親戚に責められて、お父様がそんな親戚からお母様を必死で守っていたのは知ってた。私じゃお父様達はずっと、心の底から安心出来ないんだって分かったら…顔を合わせづらくなっちゃった」
段々表情と声音が暗くなり、言葉に詰まったラナの後を事情を知ってるルーカスが引き継いだ。
「で、弟が産まれてすぐ叔母上がうちに話をもってきた。ラナを俺と婚約させてはどうかって」
「ええ…」
恐らくラナが納得していないうちに話をもって来たのだ。当時のことを思い出したのかラナの表情が更に暗くなる。
「勿論断ったぞ。ラナは妹にしか思えないし、ラナも絶対嫌だって抵抗していたからな」
「当たり前じゃない。兄様は兄様だし、異性として見るなんて無理。あなた、兄と結婚しろって言われたら受け入れられる?」
「…無理ですね」
子供の頃から実の兄妹のように育った相手を結婚相手として見ろと言われても、想像だけで無理だと分かる。そういう風に育った相手を異性として意識する人もいるだろうが、アリシアには難しい。
「でも、ラナ様はルーカス様を慕っている様子でしたから、そういう意味で好きなのかと」
「「絶対ない」」
2人揃って強く否定されてアリシアは肩を竦めた。ラナがアリシアに警戒心を剥き出しだったのも恋心故ではなく、慕っている従兄の近くに得体の知れない人間がいて心配だったからだろう。ラナに弟が生まれるまで互いに一人っ子同士だったのなら、相当に仲が良いのが分かる。
「父上も断ったが、叔母上がしつこくてな。思惑が分かりやすすぎて、母上がラナの気持ちも考えろって一喝したら気まずそうに帰って行った」
「本当、伯父様達には感謝してもし切れないわ」
跡取りの変更はその家の問題だから口出しは出来ないが、突然将来設計の変更を余儀なくされたラナの気持ちを無視して、強引に婚約者を宛てがおうとする妹夫妻の行動を公爵は快く思ってない。ラナを公爵夫人とルーカスに会わせることで、妹夫妻を牽制しているのではとルーカスは推察する。それでも侯爵夫人は頻繁にラナに婚約の話を持って来る。決して強制はしない。それでも母親の圧に負けて何人かと顔を合わせたことはあるが、誰も彼もピンと来ないらしい。
「誰だったかしら、婚約したら兄様と会うのは控えろって言われて。なら無理ってすぐに帰っちゃったの」
「相手からしたら、年の近い従兄と頻繁に会っているなんて良い気分じゃないしな」
「絶対邪なこと考えていたわよね。お母様も迷惑だから兄様達を訪ねるのは控えろって言ってくるし…私が我儘なのかしら」
「まあ我儘かもな」
「ルーカス様、もうちょっとオブラートに」
「良いわよ、兄様いつもこんな感じだから」
ストレートな言い草にアリシアが思わず口を挟むも、ラナは気にしてないらしい。
「我儘だろうが俺らが全く気にしてないなら問題ない。気にしてるのは叔母上だけだ。大方向こうの親戚にグダグダ言われてるんだろ。エグバート侯爵家って古臭い考え方の奴が多いからな。長女に婚約者が居ないのが外聞が悪いとかくだらないことほざいてるんだ」
「別に今決めなくても、学園に入学してから決める人の方が多いのに…」
ラナが溜息を吐いた。昔は兎も角今は幼い頃から婚約させるより、ある程度の年齢になってから婚約者を決める家が多いと聞いた。何故なら、学園や社交の場で「運命の出会い」をして婚約を解消または破棄しようとする者が一定数現れるからだ。婚約関係を解消するのはそこそこ大変だし、女性側は瑕疵がなくとも解消されたとなると次の婚約者を見つけるのに差し障りがある。幼い頃から婚約していても気持ちが芽生えるとは限らないし、そうなると別の異性に目を向ける者もいる。双方の不幸を防ぐために婚約者を決める時期は高位貴族でも遅くなっている。躍起になって今ラナの婚約者を決めようとしてる侯爵夫妻の方が珍しいのである。
「入学してから出会いがあるかもしれないけど、結婚するより働くことの方が興味あるのよね」
「お前、前の教師から優秀だって言われてたもんな。その頭を生かさないで何処ぞの貴族夫人に納まるのは勿体ねぇ」
「結婚してからも働かせてくれる人の方が少数よね。兄様は好きにさせてくれ…やっぱ無理」
「おい、何も言ってない俺が振られたみたいな言い方止めろ」
「…いっそ結婚しないで働くのも一つの手よね。結婚しない代わりにお給料を家に納めれば許してくれないかしら…」
ラナは将来を見据えて思考モードに入ってしまった。ルーカスはこの状態のラナを見慣れているのか、さらりと無視して紅茶を飲む。釣られてアリシアも喉を潤す。
「…凄いですね。私と年変わらないのにちゃんと将来のことを考えて。考えなしに飛び出した私とは大違いです」
「確かに」
ここで「そんなことない」とフォローしてくれないのがルーカスである。本当にルーカスに偶々出会わなかったらどうなっていたか分からない。気まぐれだろうが何だろうがルーカスには(公爵夫妻にも)心から感謝している。嘘ではない、決して。
「私も、将来のこと考えないといけませんね。侯爵、絶対何も考えてませんから。ルーカス様、私にはどういう仕事が向いてると思います?」
「急に聞いてくるな。まあ、1人で飛び出す行動力があれば何でもやれるんじゃ」
「そういうのではなく、具体的に」
「……」
我ながら面倒臭い聞き方をしたと思う。ルーカスの表情にも「面倒臭い」と書かれていた。しかし、それでも暫し考えた後答えてくれた。
「…家庭教師、教師、侍女、女官、文官」
「兄様、それ向いてる向いてない関係なく一般的に令嬢が就く仕事を挙げてるだけよね」
考え事が終わったラナが話に入ってくる。図星だったのかルーカスが押し黙った。今度はアリシアの方を向く。
「そもそも令嬢が就ける職業が少ないのよねぇ。あなた、将来的に自立したいって思ってる?」
「え?そうですね、今のところは」
「私もよ、どうしても結婚しなければいけなくなったら仕方ないけれど。何があるか分からないもの、やれることはやっておきたいわ。それで、その」
ラナは言い淀んだと思ったら黙ってしまった。モジモジと手を擦り合わせながらチラチラとアリシアを見てくるが、何も言わない。そんな微妙な空気を壊したのは。
「要するに、アリシアと友達になりたいってさ。丁度良いな、ラナもアリシアも友達居ないって言ってたし」
「え?」
ルーカスである。アリシアの耳元で大きい声で教えてくるので、当然ラナの耳に入り彼女は慌てて顔を上げた。当たっていたのか分かりやすく狼狽えている。
「は?私は友だち居ない訳じゃないわよ!ただ勉強ばかりしてて流行の話題が分からなくて、皆の話に入れなくて、段々とお茶会の誘いも無くなっただけで」
「それを友達居ないって言うんだろ」
オブラートに包むという言葉を知らないルーカスの言葉がラナのプライドを傷つけたらしく、真っ赤な顔をしてプルプル震えている。
「ほんっっとう!兄様デリカシーないわね!そもそも兄様だって友達居ないじゃない!偉そうにしないで!」
「俺は居ないんじゃなくて必要ないから作らないだけで…」
言い争いはあっという間にヒートアップしていく。ルーカスは冷静に言い返してるが、ラナの方が頭に血が昇っているのか口論は激しさを増していく。彼女にとって「友達が居ない」は地雷だったようだ。さて、ラナの頭が冷えるまで待つのも一つの手だが、人の喧嘩は見ている方も疲れてしまう。ルーカスだってラナを怒らせたくて彼女の気持ちをバラしたわけでなく、ラナも分かっているだろう。中々言い出せないラナを気遣ってのこと、のはずだ、恐らく。ルーカスなら黙ってる時間が無駄だとか、そういった理由も考えられるが…。
それはそれとして喧嘩は自分から始めてしまうと、中々引っ込みが付かないのだ。
ラナは言葉がきついところはあるが、悪い子ではないのは短時間話しただけでも分かる。家に居たくないという境遇も、自立したいという夢を持っていることも何処か自分と似ていると思った。
アリシアは決心し、口を開いた。




