16話
ラナと紹介された令嬢は声に不機嫌さを滲ませてアリシア達を呼び止めた。面倒臭そうに振り返ったのはルーカスだ。
「何だ?」
「何だ、じゃないわよ。今の何?ちゃんと説明しなさいよ!」
最もな指摘である、とアリシアは思った。用は済んだからと帰ろうとするルーカスの方がおかしいのだがアリシアも流れに身を任せて、さっさと帰ろうとしていたから何か言う資格は無い。
「説明?今話したので十分だろ」
「不十分よ!拾ったって何?そもそもこの人誰よ!」
「アリシア」
「名前じゃなくて、何処の誰かって意味よ!」
声を荒げ追求を緩めないラナに、ルーカスはアリシアにチラリと目配せした。身の上を明かすかどうか、アリシアの判断に委ねているらしい。勝手にペラペラ話すことではないと判断したのだ。彼の気遣いは嬉しい。アリシアはここで素性を黙ったまま部屋を出て、これがきっかけで従兄妹の間に不和が生まれてしまうのは忍びない、と思った。だから警戒心剥き出しのラナに向かって歩き出す。その後ろを当然のようにルーカスが付いて来る。
ラナから少しだけ離れた場所で立ち止まったアリシアは礼をしながら簡単に自己紹介をした。
「初めましてラナ・エグバード様。私アリシア・ロンヴァートと申します。訳あってヴァレンシュタイン公爵家にてお世話になっております」
険しい表情だったラナは「ロンヴァート?」と首を傾げて呟いた。
「ロンヴァートって侯爵家?あそこって嫡男が1人だけじゃなかったかしら。あなた私と年変わらないわよね。娘がいるなんて話、聞いたことないわ」
ラナは貴族の名前と家族構成を覚えているらしい。考え込んでいたがやがてハッと、何かに気づいたように顔を上げた。
「…身体が弱くてずっと引きこもっていたの?確かにあなた痩せてて不健康そうだし…」
同情するような眼差しでアリシアを見る。不健康そうなのは事実だがそれ以外は違う。ラナの勘違いを正さない方が楽だとは思うが、嘘を吐く意味はない。寧ろ嘘を吐いたら同情的な彼女は怒りを露わにしそうであった。正直に話した方が得策だろう。何となく彼女は人の事情を面白いおかしく風潮しないという、根拠のない予感がしていた。
「引きこもっていたのは本当ですが、邸の外に出してもらえなかったからです。2年前に母が亡くなって、父親を名乗る侯爵に引き取られたんですが…侯爵は私に無関心、侯爵夫人には大層嫌われてますしメイドも碌に仕事をしてくれません。暴力を振るわれた訳ではないのですが、そんな生活に嫌気が差して邸を飛び出したんです。けど、無計画に飛び出して途方に暮れていたところを通りかかったルーカス様に助けられまして」
自分の名前が出たルーカスは少し誇らしげな顔をラナに見せつける。ラナはそんな従兄に何とも言えない眼差しを向けると、今度はアリシアの方を向いた。物凄く気まずそうな顔をしている。
「…あの、ごめんなさい。感じの悪い態度を取って。動揺してしまったの、兄様が人助けのようなことしたことなかったから…」
「感じが悪い?さっきのことですか?従兄が急に知らない人間連れて来たら、ああいう態度になります。気にしてないですよ」
最初から「あなた誰?是非友達に!」なんて言い出したら警戒心がなさすぎて寧ろ心配になってしまうし、他人に無関心(シャルロッテ談)なルーカスが家出娘を拾って来たことが直ぐには信じられないのも無理はない。
「…つまりあなた、お母様が亡くなってすぐ全く知らない環境に放り込まれたのに、父親は無関心、その上義理の母親や使用人に嫌がらせを受けて来たの?苦労して来たのね、それは逃げたくなるわ」
賛同してくれてホッとした。「愛人の子なんだからその扱いは普通よ。逃げ出すなんて恩知らずね」と非難される可能性も無きにしも非ずだったからだ。
「私の場合、ほら良くあるじゃないですか。憂さ晴らしに暴力を振るわれたり使用人扱いされてボロボロになるまで働かされるって。そこまでの扱いを受けなかったから逃げる気力が残っていたんです。運が良かったんですよ」
「身体的な暴力がなくても、味方が誰もいない場所に放り込まれた挙句放置されて、虐められて過ごしたら逃げる気力もなくなるわよ。あなた、弱そうなのに意外と強いのね」
「だよな、俺もそう思った」
突然成り行きを見守っていたルーカスが話に入って来た。驚いたのはアリシアだけで、ラナはそれを当然のように受け入れ話を続ける。
「もしかして、彼女がここに滞在してるのは」
「そう、父上が向こうにアリシアの待遇改善を要求してる」
「…ねぇ、痩せてるのって…」
恐る恐る、といった様子でラナが尋ねてくる。身体が弱いと思い込んでいたが、軽く話を聞いただけでアリシアの境遇を察したのだ。この際隠すことでもないので正直に話すことにした。
「誰かが指示したのか、放置されてる娘にまともな食事は必要ないと勝手に判断されたのか、小さなパンやサラダ、具のないスープといった食事しか運ばれて来ませんでした」
ラナと既に知っているはずのルーカスは揃って不快感を露わに眉を顰めていた。その顔がとても良く似ている。血の繋がりを感じさせた。
「碌でもないわね。侯爵家の使用人って下級貴族の出身ばかりでしょ?仕えている家の令嬢にそんな馬鹿な真似して、バレたら即クビだし今後まともな働き口なんて無いわよ。実家からも追い出されるでしょうね」
「誰が好き好んで、主人に危害を加える奴を雇いたいって思うんだって話だ」
「仮に命令されたとしても、当主に報告することなく嬉々としてやってる人なら同情の余地無しね。そういう人って自分より身分が高い人間を虐めて優越感を満たすのよ、本当人間性が終わってるわ」
吐き捨てられたラナの言葉にアリシアは離れ担当だったメイド達の顔を思い出した。ノックもせず部屋に入り、乱暴に食事を置いて帰る。掃除もちゃんとせず「平民として育って来たなら、自分で出来ますよね?」とヘラヘラと笑ってた彼女達。そうか、侯爵令嬢であるアリシアを蔑ろにすることで、使用人である自分達の方が立場が上だと実感したかったのか。それに何の意味があるのかアリシアには今一理解出来ないが、そういう人間もいるらしい。
「伯父様が掛け合っているのなら大丈夫よ。どうせなら使用人何人か引き連れて別邸に引っ越したいって、要求したら良いわ。侯爵家ならいくつか所有してるでしょう。あなただって侯爵夫人と同じ邸に居たく無いでしょ?」
「侯爵との話し合いがどうなるかは分かりませんが、そうなったら嬉しいです」
思わず本音が漏れた。義母と離れて暮らせるのなら是非そうしたいが、実際難しいと思ってる。精々アリシアと夫人が接触出来ないように取り決めるとか、ちゃんとした使用人を入れ替えるくらいだろう。
「私もね、暫く領地の邸に行きたいって言ったのに駄目だって反対されて。だからここに入り浸ってるの。伯父様達の厚意に甘えて。邸に居たくないのよ、あなたと少しだけ似てるかも。まあ、あなたの方が何倍も大変で、同列に語られるの嫌かもしれないけど」
ラナは悲しげに呟く。先程ルーカスから軽く事情は聞いていた。確か年の離れた弟が生まれて以来両親や使用人が弟にかかりきりで邸に居辛い、と。しかし、何となくそんな単純な問題でない気がして来た。意図せず自分の境遇を話してしまった後だ。ラナも聞いて欲しそうな雰囲気を発しているので、尋ねても問題ないだろう。
「シャルロッテ様に刺繍や楽器を教わりに来ていると聞きました」
「それもあるけど、両親と顔を合わせたくないのが大きな理由。あの、初対面の人に図々しいと思うけど聞いてくれないかしら。あなた話しやすい雰囲気あるから」
「アリシア、面倒なら断って良いぞ」
「兄様黙って」
空気を読まないルーカスにラナがピシャリと言い放つ。この従兄妹が普段どんな風に話しているのか、よく分かる。
「良いですよ、私も自分の話聞いてもらいましたから。聞くくらいしか出来ませんけど」
アリシアの承諾を得たラナは自らの境遇を語り始めた。
ラナが産まれた際、酷い難産だったようでエグバード侯爵夫人はもう子供は望めない可能性があると医師に言われたらしい。それでも諦めなかったがラナが5歳になる頃には彼女に家督を継がせることに決めた。この国では女性も家督を継げる。しかしやはり男性が継ぐ場合より周囲に侮られ、舐められやすい。
だから侯爵達は心を鬼にしてラナに教育を施した。親戚から男子を養子にもらう案もあったが、やはり直系に継いでもらいたかったのだろう。それまで許されていた友人との茶会や買い物も酷く制限され、厳しい家庭教師に朝から晩まで扱かれる日々だった。しかし両親の期待に応えたい、女に産まれた自分に出来ることはこれくらいだと、自責の念もあったらしい。聞いてて心が痛む。同じく家督を継ぐ立場のルーカスはそんなラナの悩みや愚痴をよく聞いていたらしい。だからこんなにも懐いているのだ。
しかし、そんなラナの努力の日々は突如終わりを告げた。数年前エグバード侯爵夫人が妊娠し、産まれたのが男の子だったのだ。それを知った侯爵は残酷な宣言をした。
『男児が産まれたのだからこの子を後継にする。ラナ、今まで苦労を強いてすまなかった。もう家督を継ぐ勉強はしなくて良い。早急に婚約者も探そう』
罪悪感の欠片も感じさせない、寧ろ良いことだと言わんばかりの父親の態度にラナは足元から崩れるような絶望感に襲われた。




