10話
(え?)
夕食の時間になれば確実に顔を合わせるのに、何故今なのだろうか。だが追い返すわけにもいかず、ランに言ってルーカスを部屋に招き入れた。
取り敢えずルーカスをソファーに誘導し、彼が座った向かいにアリシアも座った。
部屋の隅にはランが控えているが、ルーカスはそれが気に入らないようで「何で居るんだよ」と不機嫌さを全面に出した声で話しかけた。
「他家からお預かりしてる大切なお嬢様にルーカス様が失礼な事をしないよう見張れ、と奥様から仰せつかっております」
「自分の息子を獣か何かだと思ってんのか、あの人」
「有無を言わさず馬車に連れ込んだとお聞きしましたよ、奥様の懸念は最もだと思いますが」
痛いところを突かれたのかルーカスは仕方ねぇか、と零しつつもランを追い出すことは諦めたようだ。ランから視線を外した彼はアリシアの方を向く。
「…」
「…」
「…」
向いたは良いがルーカスは何も話そうとしない。その割に真顔でじっと見つめてくる。何がしたいのか彼の真意が分からず、少しばかり居心地が悪く落ち着かない。
(顔に何かついてる?そもそも何しに来たの)
アリシアもルーカスの視線を紛らわせるために、膝の上で重ねた両手を握ったり、緊張が伝わないように無理矢理微笑んだりした。するとルーカスが明後日の方向を向いてしまうので、見るに耐えなかったのか、とショックを受け無理に笑うのは辞めた。
時間にして数分ほど経った頃、ルーカスがやっとその重い口を開いた。
「…怒ってるか」
(はい?)
さっきまでの自信満々な様子は何処へやら、今のルーカスはしゅんとしていて、こちらの機嫌を窺っているようだった。
怒っているか、とは。聞くにしても遅い気がする。こんなに良くしてもらった後では怒るに怒れない。
(別に怒ってはいないんだけど、驚いて状況を理解するのに苦労しただけで)
もしかしたらシャルロットに叱られたのかもそれない。それとも、自分の行動を顧みて反省し、アリシアがどう思っているのか心配になったか。
「…怒ってませんよ、怒る理由ありませんし」
「馬車の中では怒っていただろう」
「あれは突然馬車に乗せられて困惑してたんです、誰だってああなります。怒ってたわけではないです」
怒ってない、と強調するとルーカスがホッとしたのか表情が柔らかくなった。
「…それを言いにわざわざ?」
「ああ、あの後母上に呼び出されてこっぴどく叱られた。よくよく考えなくとも、アリシアの意思を無視した行動だったと反省したんだ」
この人反省することあるんだ、ととても失礼な事を考えた。他の人から聞く限り、ルーカスはそういったことに縁通そうな印象を受けたので意外だった。
最初は驚いたし、何だコイツと反感を抱いたが今は違う。
「私はルーカス様に感謝してますよ。あのままだったらどうなってたか分かりませんし、無事に街に着いた後のことを一切考えてなかったので」
「無計画で飛び出したのか」
「勢いって怖いですよねぇ」
しみじみ呟くとルーカスが「その思い切りの良さがあれば案外…」と小声でボソッと零した後「いや、それはないな」とかぶりを振った。
「アリシアって割と逞しいって言われないか?」
「言われたことないです」
そもそも数年、まともに人と会話した記憶がない。その記憶もお小言か罵倒が大部分を占めているが。
「2年間碌な扱い受けてこなかったんだろ。そういう場合、もっと憔悴してるって聞く」
ルーカスはアリシアが強い、と思ってるようだ。
「そうですね。自分の境遇に絶望していれば、そもそも逃げる気すら起きなかったでしょう」
アリシアのような境遇で、もっと酷い目に遭っているものも少なくないと聞く。どっちがより不幸か比べる問題ではないが、アリシアの場合量は量は少ないが3食与えられていたし肉体的な暴力は受けなかった。言葉の暴力は聞き流せればどうということはない、と学んだ。
「逃げようと思えたのは運が良かっただけですよ、夫人の暴言もメイドの態度も父の無関心も身体的ダメージは与えないから耐えればどうにかなった。けど、ふと自分の行く末が不安になったんです。母を亡くした私にあの人が家族になろうと言ってくれたから、ついて行ったのに私どころか誰とも家族としての関係性を築いてない。このまま血が繋がってるだけのあの人の良い駒にされるのかな、と思ったら猛烈に嫌悪感が湧いてきて。気づいたら裏口から飛び出してました」
ルーカスが黙って聞いてくれるから、アリシアは飛び出した本当の理由を話していた。ルーカスはというと真剣な表情で耳を傾けている。
「アリシアは家族が欲しいのか」
「…そうですね、本当なら侯爵家とそういう関係を築ければ良いんでしょうけど」
義母は言わずもがな、父も期待は出来ない。唯一希望があるとすれば話したこともない異母兄だが、父親の愛人の子と仲良く出来るかと問われると微妙だ。そもそもあの義母からアリシアの悪評を吹き込まれてる可能性大だ。家族以前に仲良く話すことすら難しい。
「…」
「?」
ルーカスがアリシアをじっと見つめている。
「…じゃあ俺が」
その時ドアをノックする音が響いた。開いたドアからメイドが顔を出す。
「失礼いたします、夕食のお時間でございます」
(もうそんな時間なの)
早く行かなければと立ち上がり、ルーカスにも声をかける。
「ルーカス様、食堂に…どうしたんですか?」
何故か彼は眉間に皺を寄せ、形の良い唇を歪めていた。
「何でもない」
素っ気なく答えるとさっさと立ち上がり部屋から出て…行く前にアリシアが付いて来ているか確認している。
彼が何を言いかけたのか、気にする暇もないまま追い立てられるように部屋を後にした。




