遠目に見れば絵本のような一幕
初登場からしてその扱いはダンの取り巻きでしかなく、思春期の男子がドギマギしちゃう展開を描きつつも結局歯牙にもかけられないという損な役回りとして、ただの記号でしかなかった男子テオ。
シャハル侵攻の渦中でさえモブポジションに収まり存在感ゼロだった悲しき同級生テオに目を疑うような変化が訪れた──もとい、変化が変化のまま生還してしまったのはもう疑いようのない事実としてアイシャたちの前に顕現している。
ゆるいウェーブがかかった栗色の髪の毛は肩甲骨の下あたりまで伸び、サイドバングに揃えられた前髪はアイシャたちよりも少し大人びて見える。
大人びているのは何も髪型のことだけではなく、豊かな胸とくびれた腰、丸みを帯びたお尻のラインは誰もが憧れる美しさをその身に宿している。
おかげでもとの男子革鎧が合わなくなった女の子テオは、先ほど失意の中にあるアイシャの手により新たな女の子向け革鎧を身につけてさらに魅力を引き出されていた。
「この女の子が……テオくんだって?」
にわかには信じがたい話に冒険者ギルドの頼れるお姉さんマケリは様々な角度からテオの姿をまじまじと眺めていく。
「拙者らは全員その性別の転換とでもいうのか、それを体験している」
「それってドロフォノスも? ねえアイシャちゃん。ドロフォノスはどっちになったの? 男? それとも女?」
「……ずっと覆面してるから分からなかったよ」
「やっぱりそうよねー。こいつならいっそそのまま姿をくらませてそうだもん」
普段から勤務中は姿を見せないことが多いドロフォノスという存在の秘匿性はマケリでなくともシャハルのギルドに所属する者なら誰でも知っていることだ。
その中身の真相に近づけるかもというマケリの思惑は外れたわけだが、そうして現実に起こった事象を冗談めかしたところでやはり元男の子は現女の子のままである。
「──何が起きたのか、わしらは事実を持ち帰るのみ。マケリよ、引き続きこやつらの監視を任せてよいかの」
「私が? そりゃあもちろんいいですけど──」
元々、消息が途絶えたアイシャたちの捜索に派遣されたチーム韋駄天だ。ターゲットが見つかったのなら速やかに帰還すべきであるが、アイシャたちの中にはドロフォノスもいる。
戦力で言えばマケリはドロフォノスには敵わないだろう。何を助けることがあるかという思いがよぎったマケリだが、少し考えてその意味を理解して頷いた。
そもそもの寄り道であった山道をくだり、進んだ先でアイシャたちが見つけたのは、シャハルの街と比べれば半分ほどしかない街だったが、それでも安心して寝ることのできる宿を備えており、部屋数もどうにか確保できた。
「てっきりテオちゃんの部屋で揉めるかと思ったけど」
「マルシャンさんが自腹で2人部屋を借りましたね」
「無駄金は使わないのが信条のあの子が、ねえ」
人数を考えれば男子と女子で別れる事になるだろう部屋割りはテオが女の子になったおかげで、誰も口には出さなかったものの、その扱いに困っていた。
なにせうら若き乙女である。
「今までずっと仲良くしてた男子仲間とはいえ──」
それ以上のことを口にするのは憚られる。友情を信じたい。ダンとルッツ、そしてテオが同じ部屋になったところで、子どもの頃からの友人だ。ともに研鑽を重ねてきた仲間だ。
万が一を、想像したくはないのに、どうしてもその不安を拭いきれなかった。
だからといって、心は男子であること間違いなしのテオを女子部屋に泊めるかとなるとそれはもっと抵抗がある。
しかしこんな考えを、その身に取り返しのつかない変化を与えられた元男子に告げて突き離すなんてことは、誰にも出来なかった。
いざとなればアイシャは小細工をしたくじ引きをしてでも偶然を装って男子ズに押し付ける腹づもりではあったが、意外なことにマルシャンが名乗り出て相部屋となったのだ。
「ママ、そこは全然意外じゃないんだけどね」
「──必然だと考えたときに、部屋の中で何が行われてるかって考えちゃうじゃん」
「そそそ、それはどういうことなんですか」
オユンの世界で、あのふたりほど絶妙に奇妙なコンビネーションを発揮したペアはない。
テオが新しく手にした技能がどういったものかを見抜き、即座にフォローしたマルシャンの働きは、その手ほどきというものは、アイシャたちにはどうしても別の何かに思えてしまう。
特に戦場を離れた今となっては。
「……考えても仕方のないことだろう。拙者は夜風に当たってくる。お前たちもしっかりと休むことだ」
「うん。ドロフォノスさんも、ミドリちゃんも、マケリさんも、おやすみ」
「ええ。また明日ね」
「──そのドロフォノスは結局どの部屋に……あっ」
ルミを含めれば6人の女子たちがさすがにひと部屋ということはなく、しかし中身の性別が不明であるはずのドロフォノスがマケリのいるところで同じ部屋に泊まるわけにもいかずに窓から外に飛び出していく。
「ちぇ、そのうちどっちか突き止めてやんだから」
結果として、アイシャとミラとルミ、ミドリとマケリのふた部屋に分かれた女子たちもこの日の夜は疲れからか、はしゃぐ事なく電池が切れたかのようにして深い眠りに落ちた。
何かを叩くような音がする。
柔らかく、粘りのあるものを、力強く叩く、そんな音がする。
「──餅つきじゃん」
不穏ですらない軽快な音に目を覚ましたアイシャは、杵と臼で餅をつくふたり組がいることに気づいて、なんの捻りもない事を呟くのが精一杯だった。
餅つきコンビがなぜウサギの着ぐるみを着ているのか、まるで月面に降り立ったかのような世界で目覚めたことだって突っ込むところならちゃんと用意されているというのに。
「やあ、おはよう。いやいやいや……おやすみなさいが正解かな」
「なんかひさびさに会ってもムカつくね」
「そう言うなよ。みんなの命の恩人に失礼だとは思わないかい?」
アイシャにとっては幼い頃から何度も聞いてきた他人の声だ。見ず知らずの他人で正体不明。顔だけは覆っていない着ぐるみから見えるのも相変わらずの濃い影で、アイシャに気づいて振り向いた顔の目鼻口の凹凸さえ窺えないのもいつも通りだった。
「──その場合、あんたのことだからまったくの善意でやったわけでもないんでしょ?」
昔からアイシャはこの存在に対して遠慮というものはない。悪態はいつものことで、蹴り倒そうとしたこともある。
それでも彼の口ぶりからすれば問いかけて、場合によっては感謝のひとことくらいあるべき、なのかも知れない。
お礼の言葉を口に出来ないほどに無知で無神経ではないアイシャだが、やはり素直に相対することは出来そうにないと思ったところだ。
『イデッ』
「ああ、ごめんごめん……けれど、手は止めないでくれよ?」
『ヒッ──』
アイシャにとってはお馴染みの影のやつ。どうせまた夢の中に這入ってきたのだろうと予想をつけたうえで、疑惑の視線を注がざるを得ない状況だからだ。
「で、なにしてるの」
「んー、ケジメをつけさせてるところかな」
着ぐるみから覗く顔が真っ黒というのも可愛げはないものだが、その相方が枯れ木色した肌を持つ、醜悪さを凝縮したような相貌だというのはもっと受け入れられない。
「己の享楽で、魂を変異させたことのケジメを、さ」
アイシャはこれから何が起こるのかと考えると憂鬱な気分になるのを禁じ得ない。
久しぶりの登場である影のやつと同じキュートでポップなうさぎの着ぐるみを着て臼の中の餅をこねていたのは、あの世界でさよならしたはずのオユンであったのだから。