叩きつけられる現実
吐き気を催すひどいめまいを堪えながらも、マケリはなおも見張り番を続けている。
「テントの中のほうが快適であろうに」
「体を休めろっていうなら座っていれば十分ですよ。気を休めろって言うなら、それこそあの子たちから目を離さないでいるほうがいいもの」
韋駄天リーダーが手渡すカップを受け取るマケリの顔色は悲惨なもので、水を口にしたところで唇と喉の乾きを癒すだけでしかない。
龍人が去ったあとしばらくしてマケリは正気を取り戻していた。憔悴しきった瞳が映していた一連のことはまるで物語の一部かのように実感が伴わないものであり、今となっては夢だったのかもしれないとさえ。
韋駄天のリーダーも、そのメンバーたちでさえただならぬあの人物について言及することがない。それなのに、マケリがただの夢ではなかったと思えるのは、目の前に並べられたそれらのおかげである。
「まるで鉄鎖ですね、この膜は。引き裂こうとすれば爪を持っていかれ、斬ろうとすればこちらの刃が欠けてしまう」
そう愚痴るチームの男はマケリのひとつ後輩で、力比べをすればマケリやリーダーのスピードスターよりも強い。
そんな彼が苦戦し結果を出せない相手は、地中から掘り出されたらしいアイシャたちをまとめてひとつに包む薄膜だ。
「およそ強力な魔術の類であろう。破るにはそれ相応の魔術による干渉が必要であろうが……」
「今から魔術士をかっさらってきますか?」
半裸に無精髭の男が言うと物騒な響きのワードだが、ギルドの認定斥候部隊であるところの“チーム韋駄天”にそんな無頼者はいない。要するにシャハルに限らず頼れる魔術士がいれば要請し、その駿足でもって連れて来ようかという意味だ。
「是非に、と言いたいところだが……少し事情が込み入っておる。ここから離れることはあっても、今ここに誰かを連れてくるというのは、よろしくないの」
「不確定要素がまだ“いる”かも知れないから、ですね」
何が、とは口にしない。口にすれば、言葉にすれば呼び寄せてしまうというジンクスは命がけの偵察を生業にする彼らにとって大事なことである。
「あ、あの……魔力による干渉ということであれば、これを」
「無茶をするなマケリ。これは一体……?」
「──ほんの少し経緯の特殊な、魔剣です」
「魔剣──」
この人間族の世界で、鋼の剣はただの剣だし、何もない鏃が火を吹くこともない。技能はその本人から直接引き出される行為であり、ただの剣技が自然現象を撒き散らすこともない。
あるとすれば、武器や防具に道具そのものにそういったギミックが付与されている場合だ。
剣神の迅雷しかり、フレッチャの矢しかり。そのフレッチャの操る弓と同じ出自をもつ魔剣を、マケリも手にしていた。とあるアホの子からの贈り物として。
「ここを、こうすると……」
「──ぬっ、魔力が吸われて……⁉︎」
「魔力を乗せた斬りつけが出来るようになります。ただ消耗が激しいので私なんかじゃまだ5分も使えないですけど」
「5分……っ、これほどの消耗は物理戦闘職には荷がかちすぎる。こんなものを……」
「リーダー、早く……」
「ああ、この老骨が本当の骨になる前に、な」
物理戦闘職の適性を持つ彼らは基本的に魔力の伸びは少ないように見える。見えるというのはあくまでも増大した魔力が身体強化にのみ常時使われており、能動的に何かを成すには余剰魔力が少ないということだ。
これは魔術士のスキルツリーから魔力アップを取得したところで、使われる先は同じである。肉体の増強に大半が割かれて、結果としてやはり魔術はうまく使えないとなる。
その点、ギルドカードのシステム外から半ば強制的に魔力を取り込んだベイルは多少違う結果になっているが、あくまでもイレギュラーである。
長く働いてきたスピードスターでさえ使用を躊躇するのが魔剣であり、ノーリスクに圧倒的な強さを手に出来るわけではない。
チームリーダーの魔力の消耗に震える手でマケリの魔剣が薄膜に突き立てられる。それまでは食い込むことも叶わず表面を滑るか、力づくで押し引きし刃をだめにしていた行為が、明らかな手応えを感じる。
(いけるっ、これならひと息で切り裂くのが得策っ……!)
のんびりとしている場合ではない。アイシャの胸元あたりでつまみあげた薄膜に一点の傷がつけれたのであれば、そこから真っ直ぐに気をつけて切り裂く。
つまみあげたことで空間の余裕はある。刃を差し込んでも問題はないはずだと、さらに魔剣を突き入れて救出を急ぐチームリーダー。
「ふあぁ、私また寝ちゃってたの……?」
「なっ、ばか、起きては──」
むくりと。疲労感に冷や汗を流し焦りを覚えるチームリーダーが意を決して突き入れた魔剣に、起き上がるアイシャの薄い胸がジャストミートした。
「いつだったか、似たようなことがあったのを私は忘れてない」
「そうなの?」
「あの時はマケリさんが私のお尻に……」
「ちょっ、それはもう忘れてよね」
「魔剣が……魔剣が刺さって……自力で……な、無事……だと……?」
ふわふわ毛並みの銀狐着ぐるみパジャマの胸元をさすりながら思い出話をするアイシャとルミとマケリ。
物理防御、魔力防御ともに高い水準の銀狐素材のパジャマは、眠りから覚めて起き上がるていどの動作で、危害を加えるつもりのなかった魔剣に当たって押し返すくらいでは傷つかない。
そんなこと知るはずもない韋駄天チームリーダーにとっては寿命が縮まる思いの出来事だが、さらに目覚めたアイシャが「なにこれ」と薄膜を何なく引き裂いて出てきたことでさらなる混乱を引き起こしている。
そしてちょうどアイシャが目覚めたタイミングでマケリの不調も瞬く間に回復したのだから、韋駄天メンバーたちの思考は全く追いつかないでいる。
「けどアイシャちゃんたちには何が起こっていたの……?」
「そうだ。わしらには全く全容が想像もつかん。一体どうしてお主らは揃いも揃って土の中に埋められておった」
「土の……なか?」
かつてアイシャのお尻をナイフでひと突きし、髪の毛をバッサリ切ってしまったことを軽く「ごめんごめん」と流したマケリとスピードスターの質問にアイシャとルミは顔を見合わせてしまう。
アイシャたちにすれば、多少の感覚の違いはあれど視界が暗転したあとにはあのオユンの世界にいたのだ。穴を掘って埋められた記憶などはない。ましてやじゃがいものようにまとめて袋に入れられた記憶も、だ。
「なるほどのう。イタズラ妖精オユンは実在した、と」
「おとぎ話みたいな話ではあったけど、そういった噂自体は前からありましたよ。けれど、実体験として語られたのはこれがはじめて」
「それを聞かせてきたのがこのちんまい女子だけならまだしも──ドロフォノスや、今の話に相違はないのじゃな?」
指であごをさすりながら問いかける老骨スピードスターに髭はないが、刻まれた深いシワと眼光がラプシスの娘であるはずのドロフォノスを射抜く。
もし何かしらの真実を誤魔化しているようなことがあれば、との睨みであり、その経験の差と実績からくる威圧はミドリになら多少は効果を発揮し、心拍数を高め、老骨の観察力がそれを判断材料としたであろうが。
「その通りだ。見ての通り拙者も同じ目に遭い──ずいぶんと愉しませてもらった、もとい散々な目に遭ってしまった、ふふ」
「──っ、そうか、なるほどの」
このドロフォノス、豪胆である。
旧知の仲で誤魔化しはきかないと知ってか、ラプシスは無理に隠すつもりもなく、韋駄天リーダーへと伝わるように返事をした。
それだけで、察したのだろう。ことの始まりと、その内容への裏付けがなされたことを。
「いや、まあ……すでに解決をみた話ではあるのだがな。アイシャ、気づいているか?」
「え、何に?」
くっくと笑いながら、ラプシス扮するドロフォノスが問いかける。
「拙者らは確かに無事に帰ってこれたらしい。なんの作用かは知らないが、それだけは確か。それだけは、な」
「えっと……」
確かにアイシャは起き抜けにナイフでちくりとなったものの、その体に傷もなく、気分がすぐれないなんてこともない健康体で今も無事だ。
アイシャだけではない、ルミも、ミドリもミラも見る限りにおいて異常はない。であれば、なんのことなのか。アイシャはさらに注意深くさぐる。ここには何かしらの、間違い探しのような異変があるのかと。
「そっ、そんな……ばかなこと……っ」
「ママっ⁉︎」
「アイシャちゃんどうしたのっ?」
そうしてラプシスが示唆するものが何かと、みんなの無事を祈りながら順番に眺めたアイシャは、まるで敗北を喫したボクサーのようにがっくりと膝をつき、ただならないアイシャのリアクションにルミとミラが心配する。
ラプシスが相変わらず意味深な笑い声を漏らし、ミドリが天をあおぎ、マケリが派手に驚いた。
その彼女らの中心には、誰よりも動揺を隠せない彼女がいた。商業ギルドのお姉さんが胸の中に抱きしめて、迎え入れる彼女が。