得体がしれないからこそ
まだまだなりたてで未熟な女王様テオに仕えるべく現れた有能な大臣が耳打ちしている。
「ミラちゃん、見ちゃだめだからね」
「アイシャちゃんもね」
それは、きっとイケナイコト。
アイシャたちが見るまでもなく、自動迎撃マシーンとなったテオは確実に敵を始末していってくれるのだから、ふたりとも耳から入ってくる情報だけBGMのように聞き流して意味を考えないようにすることで両手の自由も手にしている。
アイシャたちが見ていないところでマルシャンがテオの背中にピタリとついて息を吹きかけるようにして耳打ちするセリフがどんなであれ、聞くひとが理解するつもりがなければそれは理解できない異国の言葉と変わりはない。
時折身震いまでさせて恍惚とした表情になる、今は男のマルシャンに操られるようにして繰り出される罵倒とムチで打ちのめされるオユンが心なしか哀れに思えるだけだ。
「さて、と。私たちはどうするべきなのかな」
「けどぼくも魔力はほとんど使い切ってるから戦えないし」
「俺は……俺は……」
「ルッツくんはこんなだしね」
「思い入れのある剣だったんでしょうね」
欠けた剣を胸に抱きしめて打ちひしがれるルッツ。まだ大人の一員となったばかりの頃に新調した装備が特別だったりするのはルッツに限らず多くの新成人に共通のことである。
ミラもそれが分かっているからルッツの落胆のほどは痛いくらいにわかるのだが、現実問題としてここにある戦力を眺めて不安は増すばかり。うなだれたルッツにメレンゲ量産機でしかないのだと現実を突きつけられたダン、それに戦えないはずのお昼寝士。
殺傷能力に乏しい幻術士ミラも剣を装備してはいるものの、その技量はオユン1体ならともかく群れとなるとどうしようもないものでしかない。
「もしかしたらって期待してた元戦闘職ふたりはダメだし」
泡立て器が武器の女の子は戦意喪失したのだろう。さきほどからぴくりとも動いていない。
「ナイスバディなだけの女子よりも変態女王様のほうが無双してるなんて」
性別が変わってアイシャ的に1番スタイルのいいのがテオでなおかついまのエースなのだから、ほかの元男子たちはアイシャの女の子の尊厳を危うくするだけの存在でしかない。
本人が戦いもしないのだから無理強いするつもりのないアイシャでも、ついため息も出るというもの。
だがそれがいけなかった。
「俺は、俺は……っ、もう──」
女王様のようにプレイとして相手を罵倒することは不得手であろうアイシャではあるが、その気なしにぐさりと刺すのは特に男子に対しては割とよくあることで。
それが今回はとりわけルッツに刺さった。
適性・職業ともに“メンヘラ”のルッツに。
「もぅマヂ無理。。ちょぅ大好きなアイシャちゃんに見放されるなんて。。。しのぅ。。。」
「え、ルッツくん⁉︎」
それは“深い絶望に支配されるほどに効果が高まる”らしいルッツの新しい技能。
平時に作り出したのがかわいらしい安全カミソリだったなら、今は大鉈ほどのサイズもあるカミソリを手にしたルッツは虚ろな瞳をさまよわせながら刃を左手首に押し当てて、アイシャが止める間もなく引いた。
足元にいよいよ柄だけとなった剣の名残りを残し膝立ちのルッツが仰け反りながら手首から真っ赤な噴水をあげる。
涙さえ出ない絶望の奥深くにあるルッツは痛みくらいで躊躇うことはない。
2度3度と立て続けに自傷行為を繰り返すほどに出血量は確実に増えていき、噴水は広範囲にばら撒かれてやがてあたり一面に降り注ぐ血の雨となる。
「ルッツくんっ⁉︎」
「助けないと!」
これにはさすがのアイシャもたまらず全力でルッツを羽交い締めにして止めに入る。
それでも技能によるものだからか、アイシャをして止めるまでにさらに数回の自傷を許す結果となり、噴き出す出血はひどくなって止血どころではない。
「ぁぁぁ。。。ゃめて、とめなぃで。。。ァィシャちゃん。。。もぅしぬしかなぃの」
「ルッツくんっ、生きて!」
「だめですっ、血が止まらないです!」
「一体どんだけ──どんだけ出るの、人間て」
「いまはそれどころじゃないですよ⁉︎」
「え、いや、なんていうか……さすがに多すぎるっていうか」
「……え」
そう、雨のように降り注ぐルッツの血というのはまったくその通りであり比喩ではない。
ミラが手首に巻きつけたハンカチによって空へと噴き出すことはなくなったが、いまもなお止まらない血は地面に大きな血溜まりを形成している。
ただこの惨状でありながら、出血量に疑問を抱いてお互いの顔を見合わせたアイシャとミラの姿はなぜかきれいなままである。
「ミラちゃん、ルッツくんの手首って」
「もうひどいですよ。ほら」
「うわ、血が止まらない──え、あっさ!」
「あっさ?」
「傷が浅い」
「えー、こんなに血が出てるのに? ほんとだ」
今もアイシャに固められながらもトリップしたままのルッツだが、巨大なカミソリで繰り返し傷つけたはずの手首は見事に皮一枚ほどの浅いもので、手首をしっとり濡らす血が静かに垂れていたりする。
「こんな傷からどうして……」
「なにあれ」
「え?」
噴き上がった鮮血は多くのオユンを赤く染めているが、そばにいたアイシャたちはもとよりダンとテオ、それにマルシャンを見ても少しも濡れてはいない。
そんなことを気にしていたアイシャは、赤く濡れたオユンたちに起こりだした異変に気づく。
まずほとんどのオユンに共通するのが、濡れた耳を手で抑えたり掻きむしり、ひどいものは引きちぎろうと躍起になっていたりしていることだ。
さらにそこから時間が経過したものは物理的にも視覚的にも強い拘束を受けることになっている。
「あれは、幻影⁉︎」
「ミラちゃんのとは違って攻撃してるようにも見えるよ」
「え──上位互換とかもっといやですっ」
ミラが騒ぐのも無理はない。オユンたちを赤く濡らした箇所では徐々に血の跡が盛り上がっていき、血みどろの腕となり肩となり上半身となっていき、それがオユンの首を締め関節を極めて身動きをとれなくするどころか、そのまま仕留めてもいるのだ。
せいぜい実体化させて盾にするくらいしか出来ないミラの幻術士の技能よりも優れてると言われてもおかしくない。
「なにあれこわ。よし、もっと血を出させよ」
「だめですアイシャちゃんっ!」
「ちょっとだけ、先っちょだけだから」
「よく分かんないこと言わないでくださいっ!」
女王様テオに引き続き、明確に効果もあり広範囲にわたって戦える技能だと見抜いたアイシャは謎の出血を利用することに躊躇いはない。
オユンたちに襲いかかっている現象は、ルッツが発動させたリスカの副次効果として出血を浴びた対象に“束縛”“かまってちゃん”“ヒステリック”“寂しがりや”を具現化した呪言を与えた結果で、その効果は絶望の度合いに比例して大きくなる。
そのための血の雨でさえもが本物の血ではなく、代償を払って打ち出された別物であり、ルッツ本体についた本物の傷は絆創膏でどうにでもなる程度のものでしかない。
ちなみにその代償とはギルドカードに捧げて貯めていたスキルポイントであり、それが無くなれば今度は自前の魔力を消費し続ける。
その特性を考慮すればルッツのメンヘラは魔術士寄りの職業である。
そうこうしているうちにルッツのお粗末なスキルポイントは枯渇し、乏しい魔力が消費され続けてみるみるうちに顔を白くしていく。
「ああっ、血が出過ぎて顔が真っ白に!」
「え、なんで! これってどう考えてもルッツくんの血じゃないのに」
「魔力欠乏じゃない?」
「──ルミちゃんっ、どこにいたの」
「それよりもなんで魔力が無くなってるんですか?」
「そんなの、魔術を使ってるからでしょ」
いつの間にやら消えていたルミが騒ぎを目にして帰って来ていたらしく、早く技能を止めるべきだと言う。
「でも肝心のルッツくんがこんなだしっ」
「技能を無理矢理止めるなんて──」
「ぶん殴る?」
「──えいっ!」
「もっと!」
「えいえいえいっ!」
戦闘力が高くないとはいえそれでも戦闘職ミラの拳はルッツの顔に青あざを作り鼻血を出させるくらいにはなったが、それでも出血魔術が止まる気配はない。
「どうしようっ!」
「ルッツくんごめんなさいっ!」
止まらない技能に焦ってさらなる追い打ちをするミラだが、やはり出血魔術は止まらずルッツはいよいよ呼吸も浅くなっていく。
「ミラちゃん……帰ったら自首しようね。私がついていくから」
「ママだけじゃ不安だから私もいくよ」
「──ぼくはやってないっ」
薄れゆく意識のなかで、ルッツは女子3人に囲まれて看取られて行く最期を思い、心の中でふっと微笑んだ。




