空っぽの失せ人
月明かりが照らす夜は少し肌寒く、韋駄天のメンバーがかわるがわるの警戒の供とした焚き火はみなの体が冷え切るのを防ぎはしたものの、不審な影のひとつも見つけるには至らないまま、夜明け頃に全て灰となって消えてしまった。
「──どーしよ。ベイルのお嫁さん、なんてのは悪い冗談としても、亜神の娘を行方不明にしましたってなったらどう詫びればいいの」
交代で休まねば仕事に支障をきたすし、他の者までもが休みづらくなるからと、決められた時間を横になって過ごしていたマケリだが、ただの一睡も出来ていなかった。
唯一発見された馬たちに変化はなく、残された手がかりは微かに存在していた澱みらしきものと、澱みに吸い込まれるようにして消えたハナコしかない。
野営をするにあたってマケリが準備した焚き火は寝そべって眺める先に設置され、マケリから見てその少し手前にハナコの消失したポイントがある。
もしも何かのきっかけで同じ場所からハナコが帰ってきたなら焚き火の光を背にして陰となり、すぐ発見出来るであろうというのがマケリの主目的であった。
どうあってもあのメスモグラを連れ帰らねばハナコパパに八つ裂きにされかねないと、不安で不安でこの場を離れることも眠りにつくことも出来ないでいた崖っぷちお姉さんマケリがむくりと体を起こして見た朝日に「出てくんなぼけなすー!」と叫んだ気持ちを理解出来る仲間は残念ながらどこにもいなかった。
「試しに掘ってみるかね?」
「物理的な穴が空いてるわけでもなかったし……リーダーはもう少し休んでいてください」
「目の下にクマを作った部下よりは元気なんだがの」
「クマが作れるならモグラも作れますよね……?」
「──少し寝たほうがよくないかね?」
心配する韋駄天リーダーに自分の心中を見抜かれて優しく尋ねられたマケリだが、さも迷惑そうにリーダーをぐいぐいと外に押しやって座らせようとする。
ただそれは人より少し脚が速いくらいしか取り柄のなかった小娘が冒険者ギルドに籍を置くことになった頃から世話を焼いてくれた現リーダーの変わらない思いやる態度に気恥ずかしくなってのことで、別に邪険にしているわけでもない。
リーダーもマケリのことを分かっているからこそ、力づくでどうかしようともせず、されるがままに追いやられたが、だとして放置するつもりもない。
普段から活発なマケリが意味の通らない返事をしているだけに、その消耗がどれほどのものかは誰の目にも明らかである。
連日の捜索にくわえて他よりも余分な心的負担。体力を消耗したうえで心配ごとを抱えての徹夜の番は平時のそれよりもずっと辛いものであったはず。
(だとしても──ここまで消耗しているのは“普通”ではないのう)
頑なに眠ろうとはしないマケリを改めてどうにか座らせ楽な姿勢をとらせた韋駄天リーダーは、この辺りにはやはり尋常じゃない何かがあるのではないかと警戒のレベルをあげる。
昼夜問わずの捜索とはいえ休みなしでひっきりなしに動き続けているわけではないし、睡眠が取れない環境でもない。
多少疲れたとしても食事に困るわけでもないし、激しい戦闘をこなすわけでもない。
あえて目のクマだけを指摘したリーダーだが、マケリの年齢を思えば多く見える目元のシワやうっすら存在感をあらわにする頬骨、乾きかけた唇に細いのどは皮ばかりがやけに目につき、老いているとさえ感じられるほどだ。
(疲れを通り越してやつれておるように見える。食事も睡眠も普段通りであったはずなのに、たったひと晩でこれほどに変わるものか……?)
脚を伸ばして座るマケリは浅い呼吸で落ち着いて休めているように見えてはいるものの、ひどく儚い印象もある。
その姿はまるで今なおなにかを削られていくかのようで。
「あまり無茶をするものじゃないわ」
「──おぬし、何者」
もしかして、と嫌な想像をしてしまい、より深く観察しておこうかと韋駄天リーダーは木に背を預ける形でしゃがむ。しばらくしてそこに聞こえてきた言葉に素早く反応してみせた韋駄天リーダーだが、すでに遅きに失していたと悟り全身に汗をかいた。
どうかすれば戦いに発展する距離にまで近づかれた上に、立っている相手に対して自分は腰を落とした状態というのは何が始まるにしても不利でしかない。
目にしたのはそんなことを考え悔やむ必要がある相手であり、誰何したのは敵意ある相手かどうかの問いかけ以上に隙が生じればと期待してのことだ。
見た目は人間とそう変わらない。しかし皮膚を覆うエメラルドグリーンの鱗は決して鎧や衣服のものではないし、腰から生えているであろう爬虫類らしき尻尾も人間に備わっているものではない。
白のシャツに黒いスカートはとても頑丈そうには見えないが、そんなものがなくても強者なのだろう。
頭部から生えている2本のツノは飾りではないし、黒の双眸は人間のものと少し異なり縦長にスリット状の鋭い瞳孔は見る者の根源的な恐怖を引き起こすことだろう。
美しい女の、しかし明らかなほどに強者の側の魔族である。
「誰と言われても、答えるつもりはないわ。それと面倒だから妙なことはしないでおいてね」
「面倒、か」
「そう。面倒なの」
踏み出した魔族の足は物音ひとつ立てることなく、同時に異様なまでの歩幅。
背丈はそれほど高くもない人間サイズにもかかわらず、そう錯覚するほどにたった一歩の移動距離が長く正面に捉えていても不意を突かれそうだというのが韋駄天リーダーの正直な感想だ。
どんな魔族かは分からない。そもそもこの周辺はやはり地龍が棲む山脈であり、洞窟内にこもっているはずのドワーフを除けば、先の騒動がまだ記憶に新しくいまわざわざ山越えをして人間族を襲うような魔族がいるといった情報もない。
そんななかリスクを承知で単身現れた魔族がその腕に覚えがないわけがない。
面倒とは、軽く仕留められる獲物が見苦しく抵抗するのを御する手間のことを指しているのだろうか。
「わしの番がいよいよ来たというだけ、か」
この老いぼれは覚悟を決めるのが早い。幾度となくそうして、それでも生き残ることを願われてきた男は変わらずいつでも命を捨てる覚悟がある。
育てた若者を逃すことが出来るのであれば惜しくもないと。
マケリの師らしく、両手に取った武器はナイフであり、栗鼠人族並の速さで斬りつける軌道は確実に喉を搔き切るもの。明らかな殺意をもって攻めることで敵に強く印象づける。
自分こそが命を狙う者だと。優先して倒すべき獲物であると。
初撃を防がれたとしても構わない。その時は即座に離脱し、相手が追跡してくるよう誘い出して残ったメンバーが逃げ切る時間を稼ぐ。よく言い含めてある部下たちはきっとマケリを担いで逃げおおせてみせることだろう。
韋駄天リーダーの急襲に、魔族は両腕で上半身を庇うようにして腰を引き身を守るらしい。
となれば韋駄天リーダーの次の行動は相手の反撃を待つことなく予定通り身を引くことになるのだが、魔族にナイフが届くよりも先に見えない壁に弾かれてノックバックさせられる。
どれほどの衝撃だったのか、握るだけの力を維持できない手からはナイフがこぼれ落ち、耐えることで精一杯だった足は地面に根を張ったのかというほどに動かせない。
驚愕に目をむいた韋駄天リーダーは、ガードしただけの魔族に起きた変化に気づいた。
変化と呼ぶにはあまりに普通で、ただの見落としでしかないのだろう。しかしその見落としこそが韋駄天リーダーのなかで相手の格を大きく変化させ見誤っていたことを表していた。
高速のナイフに反応して守りの構えを取った魔族の背中には、コウモリのそれに似た翼が生えていたが、決してコウモリのものではない。
あまり目にすることなどない翼は他に比類なき強者の背に生えているとされる翼。
「りゅ、龍人──」
個のチカラが突出しすぎている種族なだけあって、種の生存本能に由来する繁殖力が極めて低い魔族のなかの絶対強者。
この種族と実際に出会ったことなどない韋駄天リーダーであったが、背中に翼を持つ魔族の中でも羽を纏わない剥き出しの皮膚と骨格は龍を、あるいは竜を連想させるには十分であった。
事実、この魔族は龍の血を色濃く受け継いでおり、防御姿勢をとるまでもなく無自覚の防壁だけで並の人間では傷ひとつつけることは叶わない。
それでも守ろうとするそぶりを見せたのは驕ることなく立ち向かう精神がそうさせたのだろうか。
だとすると万にひとつも勝ち目がないどころか、囮役さえ満足に果たせない、と韋駄天リーダーは理解する。
「ここには、何をしに……」
「別に、探しものを求めていたのだけれど……その辺の話はいいわ」
「無駄話というのも悪くはないものだとは思わないかね?」
「女の子で囲むティータイムならね」
「この老骨では退屈しのぎにもならぬと」
「時間を浪費しにきたわけじゃないもの」
とりつく島もないとはこのことで、突如現れた魔族はこのリーダーに興味がないとばかりにそっけない返事をするだけで目を合わせることすらしない。
それどころか完全に背を向けてしまった姿には、強い拒絶の意思さえ感じられる。
(女の子……まさかこやつ、マケリに)
疲労を通り越して衰弱と呼ぶべきマケリは、いまのやり取りのあいだも目を見開いてはいるが、大きな反応は見せていない。
何かしらの使命感か、あるいは意地のようなもので無理矢理に目を開けているだけなのだろう。
(ティータイム……まさかこの龍人は婦女子の肉を肴に酒をかっくらうことをそう呼んでいるのでは……っ)
未知の相手に、危険だといわれる魔族を相手に韋駄天リーダーは最悪の方向で龍人を定義つける。常に最悪を想定することこそが、有事の際の備えになると信じているからだ。
「ひどくやつれてるわね」
「その子は抵抗するチカラもない。やるならわしをやれ」
「温かい食事と十分な休息があれば元の瑞々しさを取り戻すかしら」
「そうしてから食べるつもりかっ……」
「食べる?」
龍人はマケリの乾いた唇に軽く触れてみることでまだ生きているのだと知る。
聞いてもいないのに身代わりを申し出る韋駄天リーダーには、さっぱり分からないとジェスチャーだけで応えるが、そんな何でもない仕草にも老人は警戒して後ずさる。
「でも彼女のおかげで……見つかったわ。私だけならきっと見逃してしまっていた、探しものが」
呼吸するのでやっとのマケリがしていることなど、ただ目を見開いたまま一点を見つめることだけだ。そこは昨夜のうちに澱みがハナコを飲み込んで消えた場所。
龍人は振り返りまたも韋駄天リーダーに向き合うかたちになるが、決して気が変わって戦おうというつもりではないらしく、3歩だけ前に出て足元の地面を凝視している。
リーダーとマケリを囲うようにして他の韋駄天メンバーも隠れて様子を見守るなか、龍人は目を閉じて固まったのち、手刀の形にした右手を地面に突き刺してそのまま持ち上げた。
「なにが、一体なにが……どうして」
「まだまだあるわね」
龍人が地面から引き上げた手には黒いベールに包まれたハナコが握られていた。
魔力溜まりである澱みが物質に対して直接干渉するなどと思っていなかったといえば言い訳にしかならないが、彼らの誰もが地面に消えたハナコを掘り起こそうなどとは考えなかった。
そこには元々穴など空いてなかったし、埋めた形跡だってなかったのだから。それ以上にやはり未知に対して追求する覚悟がなかったのかもしれない。生き物を取り込んだ澱みがあった場所に手を加えて何か不吉なことがあってはと無意識に避けていた。
韋駄天リーダーが呻いてみせたように、ハナコがどうやってその手に握られてきたのか分からないことからも、地面を掘り返したところで同じ結果が得られたとは考えられない。
龍人の彼女が手を突き刺した地面には小ぶりな抉れがあるものの、ハナコを抜き出しただけの穴もなく、ハナコを包むベールからはヒモのようなものが地面に続いており、龍人がヒモを手繰り寄せて引き上げるほどに尋常ではない結果をもたらしたのだから。
ハナコから伸びたヒモは、その先に商業ギルドのお姉さんマルシャンがやはりベールに包まれた状態で繋がっており、さらに引き上げるごとに男子ズにミドリ、ドロフォノス、そしてミラとまさに芋づる式に引き上げられていく。
「──これで全部。とにかく生きてはいるようね」
「これは、澱みがこんなことを……?」
「きっと別の現象ね。けれどそこの彼女が影響を受けているのは間違いないわ」
「わしらはこの者たちを助けなければ……」
「……」
龍人が引き上げた芋は最後にルミとタロウくん、そしてアイシャが出てきたところで全てであった。折り重なって山のようになったアイシャたちを見て龍人の彼女はひと息つくことが出来たらしい。
リーダーにしても何を優先すべきか分からない。チーム韋駄天が捜していた人物たちはまとめて見つかったのだ。しかし目の前にいるのは近づくことさえ困難な強者であり、敵か味方かも区別つかない。
さらには衰弱が激しいマケリのことも気がかりではあるが、近づこうとすればアイシャたちを見て何かしら思案している龍人がその身をこわばらせ接近を拒むオーラを放つのだからどうしようもない。
だが韋駄天リーダーとしては自らの命よりも任務を優先する。龍人に敵わなくとも、やっと見つかった捜し人たちを担いで逃げることは可能だろうか。韋駄天リーダーが龍人に見えないように背中に回した手で合図をだせば、メンバーは即座に配置につく。
もちろんその際に伝令は走り出しており、どんな結果であれ彼らの行為が全くの無駄になることはない。もし彼らが犠牲になったとしても、その積み重ねが人間族という種をこれまで存続させてきており、今回もそうなると信じている。
とうに覚悟が決まっている面子に囲まれてると知ってか知らずか、龍人はアイシャを包むベールを引き裂くつもりでいた手を止めて、それからそっと地面に下ろした。引き上げたときよりもずっと、大事なものを扱うようにして。
「この膜自体が何かの意思で作られたモノのようね。中にいるこの子たちはこれ以上なにもないけど、効果を維持するために周りから魔力ごと生気を奪っているはずよ」
まるで降参するかのように両手を挙げて敵意がないことを示した龍人は、静かにその場を離れていく。
「せいぜい無事に帰ってくることを祈ることね」
「帰ってくる、とは」
「そこにあるのはみんな抜け殻よ」
「抜け殻……」
抜け殻と聞いて彼らが思い浮かべるのは夏のセミや蝶などのさなぎ、あるいは蛇だっただろうか。そのどれと比べても、見つかったアイシャたちは確かに生きていて、どこにも傷ひとつない。
誰もいまさら戦闘に発展するなどと思わなくなったのだろう。彼らの視線がアイシャたちに奪われているあいだに龍人はその存在を彼らの意識から薄れさせていき、消えていく。
「出来ることはもうしたから。ちゃんと戻ってきて。大丈夫──この繋がりは儚く切れたりはしないから、ね」
その呟きは誰の耳に入ることもなかったが、彼女だけは届いていると確信していた。