1名様ごあんない
シャハルの街の復興は順調そのものである。
それもそのはずで、ほぼ全壊した街ではあるが魔族を撃退し危機を乗り越えた最大の要因は地龍のひと吠えだったのだ。
姿も奇跡も見せない神とは別に実在を匂わせ時には実力行使の記録を残す亜神のほうが畏怖と信仰の対象として広く認知されている。
つまり亜神が手を差し伸べ救った街。それこそが人間族はもとより話を伝え聞いた魔族たちの間での認識となっている。
長く生き、分不相応ともいえるほどの魔力を蓄えた魔物が到達する頂こそが亜神とされ、国家治安維持局のトップであるバラダーでさえひれ伏すし、マンティコアの亜神たちと気さくに接するアイシャとて戦闘になったら勝てるかと問われれば万に一つも可能性はないとして、せめてそんな状況にならないよう回避するつもりである。
そんな超常の存在に助けられた街の復興に、長い時間をかけるわけにはいかない。未だ完全な修復を見ていないギラヘリーを差し置いてでも。
亜神の影がちらつくシャハルに魔族はしばらくは手を出すことも難しくなるであろうことから、ある種の安全地帯と考えることも出来るからだ。そのうえで人間族は助けてもらったこととその奇跡を喧伝するためにも早期の完全復活が求められている。
「本当ならギルドの建物などあとで良かったのだがな」
「街の連中の好意でさあ。聖堂の次はギルドをってことで準備がされてました。とりあえずの平屋で中も手狭ですが、ここを中心に家屋を建てていくのと併せて増築していくつもりらしいでさあ」
「──で、連絡は来たのか?」
シャハルは精霊門がある山脈を背に聖堂を構える街であり、要となる聖堂の復旧は早期に完了しており、街の中もおおよその区画が分かるほどには整備されてきている。
順調な復興作業の視察にベイルを連れたバラダーが問いかけるのは自身が手配した案件についてのことだ。
「いえそれが……まだ到着の報せひとつ届いてませんや」
「長い。すでに3週間か。ドロフォノスがいれば問題などないと踏んでいたが、何かあったと見るしかないな」
「ええ。なのでマケリを遣いに出してまさ」
「マケリを、ということは斥候部隊“韋駄天”か」
「腕も立ちます。クラスペダの街までの行程なら問題なく進めますし、何かあっても即座にこちらに引き返し伝えることが出来るでしょう」
「何か、か。あのちんちくりんならドワーフとの交渉をどうにかしてしまえるかと思っていたが、その前に問題を起こしたか?」
「……そんなことはねえって、局長がよく分かっていらっしゃるでしょう」
ふざけていても、取り返しのつかない事態になるようなことはしないのがアイシャだと。
アイシャのある意味での信用はこれまでの行いで築かれており、やはり亜神の存在がそれを担保してもいる。アイシャと関わりのある亜神が魔族との架け橋にもなったし、部下の婚約さえ成立させている。
「もしまた亜神が現れていたら?」
「そうそう会えるものでもないでしょうが、あの子ならあり得ますね」
「今までが好意的な相手だったから良かったが、もし敵に回してしまっていたら?」
「……その場合“韋駄天”からの伝達も途絶えましょうや」
冒険者ギルドに籍をおくマケリは有事の際に組織される斥候部隊の一員でもある。
素早さに特化した物理戦闘職ばかりのチームはみな歳若く、マケリで副リーダーを務める立場にあるが、それこそが役割の困難さを表しているといえる。
必要があれば敵性集団の懐深くに単独で潜ることもあるために任務の失敗は生命を散らせることにかなり近い。それだけに前途ある若者をあの世に旅立たせるくらいならと古参が進んで犠牲になることを美学としている節さえあるチームで、マケリの上には顧問とでも言うべき生き残りがひとりいるだけだ。
「“スピードスター”も出張っているのか?」
「ええ。“韋駄天”が動く時にあの爺さんがおとなしく座って待ってるわけもありませんや」
「失った場合の損失を考えれば年寄りたちにはじっとしておいてもらいたいとこだがな」
「──いつもいつもひとりで呟いてますぜ。『みっともなく生き延びてしまってる』って」
「ふっ、ならば今回も生き延びて朗報を届けてもらうとするか」
アイシャたちがいるはずの東の空は分厚い雲が光を遮り、まるで全てを包み隠しているのではないかという不安を覚えてしまうがそれでもバラダーは部下たちの働きを信じて待つことにした。
「ドロフォノスたちが訪れた形跡はない、ですね」
息をはずませたマケリがリーダーへの報告に立ち止まる傍を同僚のひとりが走り抜ける。彼にはこれから夜通し走ってシャハルで待つベイルとバラダーへひとまずの報告をする役目がある。
シャハルから出発したアイシャたちが予定していたルートの先にはドワーフたちが暮らす山中へと続く道の手前に位置するクラスペダの街がある。
魔族領へと続く山道には門があり、そのふもとのクラスペダでは同じ人間族の出入りを記録して許可のある者以外の山道への通行を制限しており、同時に身分証と資格証が提示されれば所属の街へと伝達されることになっている。
伝達の手法は通常は魔術士たちが使う紙飛行機を飛ばすものとなっているが、目的地へ確実に届けるための指向性と外乱から守る防御膜、そして飛び続けるためなど魔力のつかい道が多く速度はそれほどには出ないものである。
十分な人数を確保出来ているのであれば疲労とコストを考慮せず速度を重視すれば足の速いものを酷使するのがより速く伝えることができる。俊足ばかりで構成されたチーム韋駄天の運用方法のひとつがそれである。
「アレがついていながら魔物風情に遅れを取ることはない。恐らくは何かしらの手がかりを残しておるはず」
「報告──山中に裸馬を2頭発見。シャハルで飼っている馬たちと見て間違いなさそうです」
「馬、だけを?」
「ほぅれ、やはりの。とすればその馬たち、あるいは……周辺にメッセージなどを置いているはず」
聴力強化の付与がなされた軽鎧を着るマケリも敵意ある魔物の索敵ならともかく異界に連れ込まれたアイシャたちの痕跡を探すのはひと筋縄ではいかない。
それらしいものを見つけることも出来ずリーダーに相談を持ちかけるつもりだったが、馬だけが発見されたという報告には心がざわつくのを覚えずにはいられない。
そんなマケリとは対照的に道端の岩に腰を下ろしたリーダーはひとつ真相に近づいたとばかりに口の端をあげてみせるだけだ。
年相応よりは多めのシワとすっかり白くなった頭髪に小柄な背格好のリーダーはバラダーに言わせれば年寄りらしいが、それでもやっと50歳をすぎたばかりでまだまだ現役を自負する男である。危険と隣り合わせの物理戦闘職の中でも単独で先行することの多い彼らとしては長く生きたほうで、このリーダーがいるというだけでマケリたちは安心して心置きなく活動できるというもの。
「たしかにドロフォノスは高い能力を持っていますけど……ずいぶんと信頼されてるんですね?」
マケリ自身がギルドに加入してからずっとお世話になっているリーダーだ。まだ現場を見てもいない状況でも確かな信頼を寄せているのだと見て取れる落ち着きようには軽い嫉妬を覚えて口をついて出てきても仕方ない。
「なに、当代の局長補佐は良くやっている……それだけのことよ」
「当代? つまりドロフォノスの前のあの立場の人物も知っているということですか?」
黒装束に身を包んだ男とも女ともつかない年齢不詳。ベイルをはじめとして殆どの人はドロフォノスのその中身を知りはしない。
「あー……まあそんなところよ。先代はとにかく腕は立つが変わりものでな。アレに比べたらむしろ面白味がないほどに真面目なのが当代のあのドロフォノスでの」
「先代、ですか。私はいまのドロフォノス以外には知らないですけど、それほどに?」
「それはもう──視察に監査に執行。なにかと忙しく街から街へと飛び回る局長の身を守る役割のあやつなのに、敢えて魔物の群れをおびき寄せて乱闘をしたり、普段は見ないような敵を見つけてはちょっかいかけたりと、守っているのか危険に晒しているのか分からぬほどだったの」
「たしかにいまのドロフォノスならそんなことにはならないですね」
「愉快犯──先代の局長付きはその立場なら所属地域に縛られずに愉しめるからやっているという節があったからの。さすがに20年以上やって飽きたのか辞めて転職したらしいが」
少なくともマケリには人知れず局長のそばに待機して守り通すドロフォノスがそんな愚行に走る姿を想像出来ない。
ただ今回街から見送った黒装束の中身が当代の人物ではなかったことも知る由はないが。
「周囲には魔物の姿も少なく、馬車を守るドロフォノスの仕事ぶりの凄まじさを物語っているかのようでしたけど、なぜ山に」
「それも行ってみれば分かることであろう。ゆくぞマケリ」
「はいっ──」
リーダーを先頭に馬を見つけたという山中へと駆けつけるマケリたち。ただそこには報告のとおりに馬が2頭いるだけで他には部隊員がひとりでマケリたちの到着を待っているばかりであった。
「なにかメッセージのようなものは残っておらんかの」
ベイルたちが“スピードスター”と呼ぶリーダーの問いかけに部隊員は「何も」と首を振り、それから少し離れた地面を指さす。
「リーダー……これは」
「澱みかのー? それにしてもずいぶんと小さいし、それに──」
大気中の魔力が堆積して濃く渦巻く黒い塊。以前にはバラダーがアイシャを伴い調査をしたものも澱みで、それについては狐の亜神が貯め込んでいたものであったうえに、魔力とともに亜神が持つ共有空間の技能をアイシャが取り込む結果となっている。
ただ今回に関しては韋駄天リーダーが疑問を覚えるほどに色も薄く小さく、そして脅威を感じるものではない。
「消えかかっている……?」
「なるほど、そう見るか」
「あ、いえ……ただそんな気がしただけで」
「澱みは解明されていないことばかりであるからの。溜まっていたものが何かのきっかけで霧散するとしてもおかしくはない」
それでもアイシャたちがいただろうと思われる地点での出来事であるなら、と報告書に記しているマケリの腰につけたポーチがひとりでに開いてその中身が飛び出てくる。
「ん、お前さんのペットかの?」
「いえ……ですが私の連れではあります。今回だけは」
革製のポーチのふたを内側から開けて出てきたのは小さなモグラのハナコである。
「ベイルから預けられて──」
噂にはなっているものの、多くのひとはハナコをその目にしていない。良妻は夫の仕事について回るようなことをせず静かに家で帰りを待つものだ、というベイルの教えを素直に信じて普段は室内土竜として引きこもりまっしぐらとなっているからだ。
そのハナコがマケリに預けられていたのは、バラダーとの会話がなくとも万一亜神と遭遇するようなことがあったならと用心したベイルが気を利かせてつけたボディガードである。
ハナコの丸く愛らしいふわふわ魅惑のボディはあらゆる衝撃を吸収し無効化する。状況把握を目的とした韋駄天を逃すためであれば大抵の局面でその役割を全う出来ることだろう。
(──なんて言ってベイルが預けてくれたけど、頼むから面倒な事にはしないでよねー)
大人しく狭いポーチに収まっていたハナコだが彼女自身がモグラの亜神の娘である。ごく一般的な戦闘職のお姉さんでしかないマケリとしては亜神とは畏怖の対象であり馴れ合うことなど考えられないものである。
それが自発的に動き出したなら挙動のひとつひとつが警戒の対象となる。
ポーチから出て鈍臭く地面に落ちたことさえ何か恐ろしいことの前触れではないかと動けなくなるマケリ。韋駄天リーダーもマケリの変化を敏感に感じてこれ以上の追及を避け口を閉ざす。
とてとてと歩く小さなモグラは澱みらしきものに近づいて鼻をそっと当てる。
「あ──」
誰かがやったかもしれない不注意をハナコが代わりにしたといえばそうなのかも知れない。
小さく渦巻く薄墨のような澱みに触れたハナコは、捻れるようにして引き込まれると跡形もなく姿を消してしまった。
一部始終を目撃していたマケリが声をあげたときには、何事もなかったかのように澱みもすでにそこにはなくなっていた。
韋駄天リーダーと顔を見合わせたマケリは、ハナコの不注意がもたらした結果を咎めるように森や山がざわめくのを感じてその場にへたり込んでしまった。




