そのお味は
アイシャたち一行も慣れたもので、危なげな場面もなくシャハル出発からすでに3日を経過している。といえばまるで新人ばかりの一団のめざましい活躍によるものと思えるが、実際はそうではない。
「魔物がおらへんってのは異常事態っつーてもええんちゃうか?」
「そうだね……街の周りだって毎日巡回してたら何件かは報告あるもんね」
「矢が減らなくて俺はラッキーだけどなー」
「もしかしたら商業ギルドのお姉さんあたりがなんかこう、高級な魔除けでも持ってるのかな」
「あるかもー」
とうぜん男子ズのすることは修学旅行ではなく仕事であり、その内容はアイシャとミドリ、それにマルシャンが乗る馬車の警護だ。その警護でどうにかいいところを見せたいダンたちだが、この3日間で魔物との遭遇戦ひとつ起こってはいない。
「──そんな魔物除けは持ってきていませんよ。全く魔物に出会わない性能のものなんてそうそう持ち出し許可も出ませんからね」
「そんなに希少なの?」
「希少というほどではないにしろ、値のはるものですから」
「ママも魔除けは出してないから、本当になんでだろうね」
「はは、なんでなんでしょうね……」
護衛をつけてまでの移動となるマルシャンだが、商業ギルドとして金銭的な利益が見込めない今回の件ではなるべく出費は控えたいところである。
アイシャも弱体化してるとはいえ、ダンたちの成長の機会となる仕事を奪うような真似をするつもりもなく、いつもの“呪い人形カーズくん”はストレージのなかでぐったりお休みしたままにしている。
だったら何故魔物と出会わないかといえばだが、その理由はミドリだけははっきりと感じとっている。
(馬車を見失わない範囲で母さんが先回りしてどんどん魔物を狩っている……ひたすらポイントに換えてアデルとの再戦を意識してるんだ……)
人間族の領土内、その地上に現れる普通の魔物にラプシスの敵となるものはそうそういない。ただどんな小物でも狩ればスキルポイントとなり、戦闘職にとってのメインの収入となり財産となるものだ。
ミドリがこのままだと帰ってから男子たちの報告の修正をする必要が出てくるなと考えながらアイシャたちとの会話に空返事をしていると、馬車の屋根に何かが降り立つ気配を微かに感じ取り、独特の暗号めいた言葉を聞き取って考えを改めた。
(“魔物の様子がおかしい”……お母さんはあの異常の調査もしてくれてたんだ──)
アイシャがサヤやクレールたちとアンケリアスの湿地帯に赴いた際に出会った鈴虫の魔物たちの普通じゃない強化状態。その原因は未だに不明のまま、解決はしていない。
(それなのに私は馬車のなかで悠々と……うんっ、ここは私も外に出て──)
一念発起。出発に際してメンバーが集まったところで出てきたマルシャンや男子ズによるこの人だれの指摘に“ドロフォノスの知り合い”という設定だけで非戦闘職として同行を認めさせたミドリがやはり表に出て働こうと考えたとき、再び屋根の上に微かな気配が音もなく降り立って告げる。
(“楽しんでるんだから邪魔しないで”って……お母さんならきっと、そのままの意味なんだろうな……)
ミドリは浮かせかけた腰を下ろしてアイシャたちとの会話に戻ることにした。
「それでルミさんはその人に?」
「そうなのよねー。もう昔のはなしだけどさ」
「はは……ミドリちゃんはどう思う?」
「どうって、もうそれは……ううん、なんでもない」
女子たちが集まれば恋バナがあったりもするわけだが、やはりタイムリーな話題としてルミのことになる。
当然その話にはドワーフをボコにした尖った人間が出てきたわけだが、それが誰だろうかなんて推測をミドリも軽々しく口には出来ない。
(“お母さんはどう”……っと)
「なに、口笛?」
「あー……私も恋がしたいなぁ、なんて」
「じゃあ次はミドリさんのお話でも聞かせてもらいましょうか」
「ええっ、私のですかあっ⁉︎」
煮炊きの火を囲んで行われる昼休憩は男女別にされている。なにせ魔物がまったく出てこない異常事態ということで、むしろ普段よりも警戒の必要性が高いとしてダンがテオとルッツを道連れにいまも周辺の警戒をしているからだ。
「なあーっ、大丈夫だって。もうすぐ街も見えてくるんだしよ」
「そうそう。俺たちもアイシャちゃんたちと仲良く休憩しようぜ」
「あほか。そういう油断が現場では命とりに……おい、なんだあの影は」
「──近づいてくるっ、構えろ」
この日もまだ会敵する気配のない中でもきちんと仕事をこなそうとするダンはなんだかんだ真面目に働くことが身についているようだ。
どうせ魔物にも出くわさないのだからと座ってのんびり過ごそうと提案するルッツたちではあったが、何かを見つけたダンとともに臨戦態勢へと入るのにそう時間はかからない。
ギルド支給のおそろいの革鎧を着たダンたちの緊迫はミドリにもすぐさま伝わり、アイシャとミラ、それにマルシャンをいつでも退避させれるようにと後ろにかばう形で立ち上がれば、ミドリにも全容が見える。
遠くから走り寄ってくるシルエットは近づくほどにその大きさを増していき、色味も揺れる毛並みもがはっきりと認識できる頃には、誰の目にもそれが黒色の虎であり、大きく開いたままになった口と、赤い飛沫が舞っていることから普通の状態でないこともわかった。
「うっ、うわあああ⁉︎」
「ルッツ!」
軽く上下しながら浮いているかのように近づいてきた黒虎に、たまらずルッツが矢を射かけるが、黒虎はひらりとかわして男子ズの目の前に着地……否、捨てられた。
「少し大きいが、虎はシャハルあたりでは見かけないからな。勢い狩ってしまったが捧げることも出来ないから持ってきた」
「おか……ドロフォノスさん、それを担いでここまで?」
「もちろん。少し大きい個体だったが、わけもない」
黒虎がすでに絶命していることは、首に深く刻まれた斬り口と捨てられてなお微動だにしない体で分かるが、その大きさが尋常ではなかった。当然として重さも規格外に1トンをゆうに越えそうなものだったが、担いで走ってきたラプシスには息を切らす様子さえない。
「わざわざ背負ってきたってことは、魔物じゃないんですね?」
「ああ、正真正銘の動物だ。少し大きいが──」
魔物であればラプシスなら捧げたことであろう。
体高にして通常の3倍はあろうかという虎はミドリの目で見ても魔物ではないし、アイシャとルミも魔力を感じないから動物だと断じて珍しいものを見る目で眺めて触れている。
ドロフォノスに扮したラプシスがミドリに「これも普通ではないですね」と耳打ちしたことでミドリも母が奇行に走ったわけではなく、現状の確認と安全の確保をした結果だと思いドロフォノスに軽く頷くだけで返事としたのだが。
「少し大きいが、その分食べるところも多い。ミドリも食べたいらしいから男子たちには手間をかけさせるが捌いてくれるか」
「ええっ、俺らがあ⁉︎」
「まじかよー」
「うええ、なんか出てるぅ」
「……」
前言撤回、ミドリは母が虎肉を食べたいがために持ってきただけだと確信した。
〜あとがき劇場〜
「徹甲鳥の肉はなかなかに美味しかったですねえ」
「ラプシスさんはあれを食べたんだ」
「他人のお残しを頂くというのも躊躇われましたが、口にしたことはなかったものですのでつい」
「私も鳥なら魔物のやつが1番好きだよ。アデルのやつも喜んでたしね」
「アイシャさんは他にも魔物肉を?」
「うーん……まあ、たまに?」
「欲がないのですね」
「欲? むしろ食欲に負けてる気もするけど」
「もちろんここで言うのはスキルポイントの話ですよ。わたくしも散々魔物は狩りましたが、それでもたまに気が向いたとき以外は全て捧げてますから」
「それならそんなに変わらないんじゃ──」
「現役で働いている時間が違いますよ」
「たしかに。ちなみにいちばん美味しかったお肉は?」
「そうですね……魔物化した豚でしょうか」
「豚肉派かー」
「全身をきのこに寄生されていたので鍋の具材を集める手間が省けて良かったですよ」
「なにそれグロ」
「見た目はよろしくないですが案外馬鹿に出来ないもので、豚に寄生したキノコたちが空気中の魔素を取り込んで豚の生命力を充実させつつ、血肉を自らの栄養に変えるらしい種類で、ある人から『出会って仕留めたなら捧げるよりも食べたほうが良い』なんて聞かされていたものですから」
「そんなに美味しいってこと?」
「明言はしてなかったですけど、間違いなく美味しいお肉でしたね」
「んー、じゃあさ」
「今度はアイシャさんのことを聞かせてくださいな」
「ん。私の食べた中の1番?」
「いえ、それだと面白くないので、食いしん坊アイシャさんが食べて美味しくなかった、或いは食べれなかったものとか」
「まずい、食べれない……あっ、あのサカナマンかな」
「サカナマン?」
「話せば長くなるから省略するけど、二足歩行する頭が魚の魔物」
「それは……是非とも感想を聞きたいものです」
「いやいやー、さすがに食べようとは思えなかったよ。なんだか人間に似てるし」
「あら異世界ものなんてみんな“オーク”を豚肉扱いして食べてるじゃないですか」
「本編の外だとメタ会話しなきゃいけないルールでもあるの? まあ、豚とはいえ二足歩行してるやつを食肉に見立てるって割と異常に思えるよね」
「ふふ。そういえば私小鬼もいちど……」
「えっ、あいつらこそ緑色の欠食児童みたいなやつじゃん!」
「ええ……私も己の倫理観と好奇心を天秤にかけてみてどうするかと悩んだのですが……」
「その天秤は修理に出したほうがいいよ」
「それはともかく、味の感想聞きたくないですか?」
「いや、ちょっと遠慮しとこうかなー」
「そういわずに、まずはどこから食べたかを話しましょうか、それとも調理方法か……あ、締め方を──」
「助けて、助けてだれかああああ」