気まぐれの捕食者
ラプシスが両手に持っていた針は長さ40センチで鉛筆ほどの太さを持ち、人体に対しても並の魔物に対しても充分有効といえるだけのものだ。
それが計8本、大きく広げた両手から放たれた針は、かわされたときの保険など期待しないと言わんばかりで、すべてがアデルの肩や鎖骨、胸元に首筋から斜めに通されて突き抜けていた。
ただ、勝利の手応えを感じたのは普通の目を持っていて、かつてアデルだったものが起こした現象も知らないクラッヒトだけで、一連の流れを見ていた剣神は異様なものを盲目ゆえに得た魔力視に映していた。
『驚かないところを見ると……おぬし、試したあとかえ?』
「ええ、好奇心を抑えられずに」
『人でなしか、おぬしは』
「人でないのはあなたですよ。それにしても……」
ラプシスが狙い定めて投げた針は、アデルの体に刺さることなく突き抜けて地面に突き立っている。それなのに、アデルの体のどこにも穴はおろか出血のひとつもない。
クラッヒトの打撃に顔を歪めたようなリアクションのひとつさえない平然としたアデルの問いかけに着地したラプシスは応じるも、想定とはいくらか違った結果に無表情を保つのがせいぜいである。
「まるで水……のようじゃったの」
「水、ですか? 糸ではなく?」
『ははっ。さすがはおじいよの』
「その呼び方を許した覚えはないんじゃがの」
『そう言うな。妾とおじいの仲ではないか、のう?』
アデルが人でなしと非難したラプシスの過去の行いとは、アイシャが押し込められた抜け殻に対して針を突き刺したことだ。あのときは抜け殻に守られて中のアイシャに届くことなく排泄され、針も形を変えていた。
(けれど、今回は違いました……剣神の言うように水であったとすれば説明もつくのでしょうか)
糸の細工に針を突き立てれば密度の高い網目の抵抗により簡単に突き抜けたりはしないだろう。ラプシスは少しの思考ののちに剣神がどう出るのかを伺い視線を投げる。
アデルの物言いに眉をひそめて不快感を表す剣神ではあったが、アデルは『ついてまいれ』とだけ口にして歩き出す。地面に刺さったままの針を体ごと素通りしながら。
「あ、あの……俺も行きたいのだが」
『暑苦しい男はいらぬ』
「……ということらしいですね」
「残念じゃろうが……どうしようもないのぅ」
「そんな……」
去りゆくアデルの背中を寂しげに見るクラッヒトは、未だに全身を糸で拘束されており、その姿はギラヘリー近郊での遭遇戦で敗北した息子のクレールと変わらない。
剣神としてはひとりで戦いたい気持ちが強いことからクラッヒトを助けようと試みることもなく見捨て、ラプシスは投げた時と変わらない形で地面に刺さっている針を回収するだけして、クラッヒトを残しててふたりともアデルについて行った。
剣神とラプシスがアデルについて行けば、程なくして樹木生い茂る森が日差しを遮り初夏に差し掛かった気温をやわらげてくれる。
年間を通して薄暗いであろう森には小さな川も流れて分岐し辺りを常に湿らせてもいるのだろう、自然とその足元は水気を蓄えた雑草が苔とともに埋め尽くし、木の根の隆起もあいまって盲目の剣神にはそれだけで不利になりそうなフィールドを作っている。
『そんな事を期待して場所を変えるわけがなかろう』
「この程度のことでわしの動きを封じれると思っておったらとんだ愚か者じゃよ」
この世界には魔力が満ちている。草木にも水の一滴にも。
目から光を失った剣神がそれでも一線で戦うことを望み研鑽した末に得た魔力視は映す景色こそ普通とは違う色味を帯びているが、こと自然のなかにおいては不自由したりしない。
むしろ人の手の加わった街中こそが朧げにしか見えず、時にはアイシャが振り返り様子を伺うほどの視覚障害におちいる。
『水とは、まさにその通りなのかもしれぬな』
「全身が糸で出来た魔族なんてものを予想してましたが、外れたようですね」
『──惜しかったの』
会話こそするものの振り返りもしないアデルが濡れるのも気にせず足を浸からせて渡る小川でラプシスが針を自身の足元に突き立てれば、さほどの抵抗もなく水を素通りして柔らかな地面に針の中程までが埋まる。
『よく手入れのされた鋭い針よ。それゆえに妾には効かなかったがの』
相手を貫通する細い針は剣神が水のようだと言うアデルの体に対して実に少ない抵抗で突き刺さり、そのまま素通りしたということらしい。
『あの暑苦しい男の剣は分厚い板じゃったからの。通すにしても体のいくらかは弾けてしまうからまともに受けてしまったわ』
「通すも通さないも自由ということですか」
『存在として不完全とも言えるの』
口調に敵意を感じさせないアデルにラプシスが「無敵ですね」と返せば、真っ赤なドレスを翻してアデルが振り向く。
『無敵ということなどないよの。あの剣を受ければ痛みを感じたし魔力を帯びた攻撃ならいずれにせよ命を削ってくるであろう……ほれ、見よこの痛々しい色を』
それは本当のことなのだろう。不安そうで不満そうで悲しげな顔でアデルが左腕をあげてすべすべの脇を指差して見せつけたところには、少しだけ緋色に色づいたところがある。どうもそれが痛みを感じるほどの負傷だと言いたいらしい。
「あのひとの渾身の一撃が虫刺され程度ですか」
『痛かゆい』
「ほっほ……」
ルミならどんぐり1個ぶんと表現しそうなくらいの赤みにはラプシスも呆れるほかなかった。
「……して、ここらで戦うということかの?」
『まあ、待て。少し整えてやるから……の』
立ち止まるアデルに我慢できない剣神が問い掛ければ、アデルは全身から糸をいくつも噴き出し舞うように回転して瞬く間に周囲を巻き込む嵐となる。
実に穏やかに何にも配慮することなく優雅に舞うアデルに、敏感に悟った魔物は早々に逃げ出して遅れたものから動物や木々とともに輪切りの憂き目にあった。
その惨状たるや、いつかアイシャが男子ズの中に放り込まれてキファル平原を目指した野外活動で、ルミを隠れ蓑にして猿やその他魔物たちを一網打尽にしたときに似ているが、それ以上に広範囲で無差別のものである。
もちろんラプシスと剣神もアデルの円舞の範囲にいる対象ではあったが、剣神は折れた魔剣でどうにか全て斬り捨てて、ラプシスは得意の針で器用に絡め取りふたりとも無傷で凌いでみせた。
『さて、舞台も整ったことだし……はじめるとするかの』
はじめから整地するつもりだったアデルがにこやかに宣言することで、剣神対アデルの戦いが始まった。
「それから、どうなったのですか……?」
クラッヒトと剣神の口から語られる一連の出来事を聞きながらも周囲への警戒を怠らないドロフォノスは、今いるここがアデルにより切り開かれた舞台なのだと確かめるようにして観察する。
「どうもこうも、それで終わりましたよ」
「終わり……はい?」
渋る剣神が答えるよりも早くラプシスが告げた言葉にドロフォノスも素っ頓狂な声をあげてしまう。剣神の口ぶりでは今まさに戦いが始まろうとしていたようにしか聞こえなかったと剣神に視線を戻せば、思い出し笑いなのかニマニマと噛み締めるように上機嫌な年寄りがそこにいた。
「あれは本当に魔力オバケでしたね。私は糸を流すようにまとめたおかげで助かりましたが、剣神は真っ向からぶつかってましたから……いくら魔剣を使ったとはいえ、魔力の大半を失ったようです」
「で、では……」
アデルとの戦闘はそれぞれに必死の思いだったのだろうとドロフォノスは理解しつつ、剣神はアデルの戦闘準備に立ち会って糸と剣を交えただけで興奮して果てて満足し、母親のラプシスは転職した裁縫士らしく糸を針でこねくり回し、現代の英雄クラッヒトは息子同様に軽くあしらわれたうえで見捨てられただけであった。
「そこに手紙が届いたものですから……どう返事したらいいものかと困りましたね」
「局長の質問に言葉足らずすぎですよっ!」
「事実には違いなかったでしょ?」
「ですけど……」
急いで駆けつけたドロフォノスの帰りをバラダーは今も落ち着かない気持ちで待っていることだろう。文句のひとつも言いたいドロフォノスがクラッヒトの顔を見上げてみても、除け者にされるだけだった男は口を挟むことすら出来ないのか気づかないフリで目を閉じて厳つい表情の仁王立ちを維持するだけだ。
「……それで、他に何かないのですか?」
「あらまあ、敵の特性を暴いただけでも十分なはずなのにもっとよこせと言うの?」
「母さんが無傷なのに何もなしで見過ごすなんてありえないでしょう」
「あらあらまあまあ、ずいぶんと信用されてるのね」
まるでおねだりされたとばかりに扱うラプシスに、ドロフォノスもつい娘として問いかける。
「もうそろそろ夏ですし、あのアデルも暑いから涼みに行くつもりかしら。川を辿って行くなんて言っていたわね」
「川を? 海までですか?」
「いいえ……なんでも美味しそうな気配を感じるからなんて言ってほら」
ラプシスは「そろそろ国軍がいつものをする時期じゃない?」と波乱を匂わせつつ笑みをこぼす。
「アデルはこうも呟いていたわよ」
それはドロフォノスとしても国としてもどうしたものかという感想しか出てこない情報。
「亜神になってしまおうか、ですって」
ただラプシスと剣神だけは、アデルがこぼした気まぐれ程度の目標に不敵に笑っていた。
〜あとがき劇場〜
「きゅー!」
「これまためんこい魔物ずらね」
「きゅきゅーっ!」
「なになに、金髪で赤くて薄くてぺったんこの女の子を捜しているずらと?」
「きゅっ、きゅきゅっ!」
「んー? その子がおめさんの子どもずら?」
「きゅー」
「そんなわけないずら。おめさんみたいな真っ白ふわふわな虫の魔物からどうしてあんな子どもが生まれるずら」
「きゅきゅきゅ」
「話せば長くなる? いいずらよ、おらたちに全部話していくといいずら」
「きゅきゅきゅーっ⁉︎」
「そんな時間はないって? おめさん、行く宛てもないのに彷徨うよりはおらから話を引き出したほうがいいんじゃないずらか?」
「きゅーきゅきゅー」
「分かったらいいずらよ。ほんじゃらば、宴の準備にかかるずらかね」
「たかが虫っこと思ったら、結構いけるクチずらね!」
「きゅーきゅきゅきゅ」
「ああ、その子ならあの川を──」
『我も混ぜてもらえぬかの』
「こっ、これは亜神様っ。どうぞこちらにずら」
「きゅきゅ」
『ほう、この虫はなんだか特別な感じがするのぅ』
「きゅきゅ……きゅ」
「え、なんだか嫌な予感がする、ずら?」
「きゅ……」
『なあに、取って食おうなどとはいわぬよ。ただ、ダンジョンの魔物のサンプルがもう少し欲しくての。そのガワが特別なのは知っておる。だからこそ……』
「きゅきゅぅ」
『より楽しめそうではないかの』
「きゅぅぅ」
「亜神様にそんな罵詈雑言を……っ」
『よいよい。こやつはの我の……いゃ、我々の可愛い子どもみたいなものじゃて。のう?』
「ええ、あのとんでもない魔族の自称母親が亜神様たちの娘ずらで……あの魔族は亜神を目指していて……ええ?」
『そうと決まれば、こっちへ来るが良い』
「きゅー」
『我のダンジョンで、その身を──』




