優しい手のぬくもり
ハルバの手にははっきりと感触が残っている。硬い鎧に触れて、それでも支えることなど無かった感触。
目で見てとっさに動いて、予期した結果とは違った感触に、ハルバの頭の中は混乱していた。
(そこにあるのに、そこに無い感触。触れたのに、温度はなく、支えるはずなのに重さもなく。受け止めるための力も覚悟もその鎧に手を添えただけでしかなかった……)
ひざをついて上に向けたままの手のひらを眺めているハルバは思考が固まっていてアイシャのところに現れた人物に気づいてはいない。
「ミラ、どっきりは満足したかしら」
「──負けました。ぼくはもう田舎に帰ります……」
「だめよ、帰らないのっ」
アイシャが座る御者席から降りて姫騎士に簡単な挨拶をして去ろうとするミラの肩を両手で掴んでおさえる姫騎士だったが、その姿さえも霞のようにしてあっけなく消える。
「ああっ、あの子ったら本当に帰るつもり──」
捕まえ損ねたメイリーは焦って周りを見渡すがミラの姿は見つけられない。その代わりに、それまでなかったものが、この場に似つかわしくないものが馬車の後ろの方に鎮座しているのを見つけた。
「ママーっ、捕獲完了だよ」
「でかしたルミちゃんっ!」
馬車から飛び降りたアイシャが駆け寄ったのは天蓋付きベッドである。アイシャの中でゴージャスな感じがしてお気に入りだというベッドはストレージを介してルミがそこに設置した。
「効果抜群すぎない?」
「相手を選ぶけど、このひとにはバッチリだったみたいだね」
「ちょ、どうなってるの⁉︎」
アイシャがベッドの中を覗き込むと、ふかふかの布団のなかで鎧を着込んだまま静かな寝息を立てるミラがいた。少し遅れて到着したメイリーも、そんな現象には言葉遣いすら忘れて問いかけてしまう。
「ママの“女の子ホイホイ”だよ」
「ちがう。皐月ちゃんの“みんなおやすみ”だよ」
「皐月ちゃん……?」
「あっ、皐月ちゃんてのはママのイマジナリーフレンドのことで──」
「──そっか、そうなんだね……」
布団に強烈な催眠効果が付与されているのは皐月の願望が形となった技能で、たしかにアイシャのお昼寝士のものではあるが、アイシャ自身としてはあのお堅かったリコを瞬く間に取り込んだ時にその由来を皐月から聞いているだけに皐月のものだと思っている。
それに加えて不名誉な名前もあわせて訂正したわけだが、ルミがついたその場しのぎのテキトーな嘘のおかげでメイリーには可哀想な子を見る目を向けられてしまった。
「それでこのひとが私たちと同行……?」
「ええ。アイシャちゃんが来るって聞いたときに声をかけたらね『是非に』って」
「私がくるから?」
「嬢ちゃんに会わせて
みたくなる子ってのは……面倒なやつじゃないでしょうね?」
「ふふ、そんなことはないですよ」
布団に潜る鎧を囲むという光景もおかしなものだが、ベイルの危惧するところはシャハルのギルド職員であればみな同じところである。
アイシャがお気に入りの布団ですやすや眠る鎧の頭をそっと撫でて、やはりそれだけはしないと気が済まないと思う。
「ベイルさん、ごめんだけど少しの間ここは男子禁制で」
ベイルを追い出し、ハルバたち男連中を遠ざけてアイシャがメイリーと行ったのは脱衣である。
もちろんこんな人のあふれる中でふたりがすっ裸になるようなことがあれば痴女の誹りは避けられないことだろう。
なのでふたりが脱がせたのはお互いの衣服ではなく、ミラの鎧であった。
「細くて、綺麗な色……黄色? それとも金色?」
「私は稲穂色って呼んでるわ。日の光をうけて風にそよぐ稲穂ってとても綺麗でしょ?」
「稲穂色か……うん、いいね」
寝ているあいだに鎧を脱がされてインナーシャツとハーフパンツだけの姿になったミラは黄金色のショートヘアが似合う女の子で、メイリーが言うにはアイシャたちと同い年らしい。
「この子が“ぼく”って言うのは元かららしいですよ。普段から声は少し低めを意識してるって話だけど、ほらこの子背が低いから、高めの地声も相まって先輩たちに可愛がられたのがショックだったらしくて」
「可愛がられたって──」
「そんな恐ろしい事態になってたら私が部隊丸ごと処断してますよ。普通に頭を撫でられたりするのが“侮られている”って感じたらしくって」
アイシャの中でどんな想像がされたのかはメイリーとルミにしか聞かされてないが、ミラは小さな女の子扱いを嫌がるところがあるらしいことが分かっただけである。
「それでこのミラちゃんが私と同行するっていうのは」
「それはね──」
「そのことについてはぼくが話します」
まだ見ぬアイシャに会いたいという女の子に少しの疑問を持つアイシャであったが、その返答はちょうど目を覚ましたらしい本人から聞けるらしい。
「──その前に、なんでぼくは布団の中でしかも脱がされて……頭もずっとなでなでされてたんですかぁ」
状況証拠からきっとここに居たのがベイルなら即座に叫び声でもあげていたことだろう。涙目で座り、頭を押さえるミラは確かに撫でられることに思うところがあるようだった。
「ぼくは王都から東にずっと行ったところにある“ディエーラ”の街から来ました」
「ちょうど王都を挟んでシャハルの反対側くらいの街ですよ」
南の山脈に沿って広がる横長の人間族の領土の東の端。山脈はそこから南北に伸びているのだからディエーラは人間族の国“ジュモーグス”の南東の隅っこといえる。
すっかり鎧を着直したミラは、ベイルたちも含めた面々に挨拶を済ませて今回のいきさつについて話している。ちなみにこの間待たされている国軍部隊は竜を相手取る前の準備と段取りの確認をしているので不満の声もない。
「ぼくはそこで生誕の儀を受けたのですが……」
「ミラが知らされたのはまだだれも知らない適性だったのですよ」
「アイシャちゃんと同じっていうのはそのことなのですね」
しかし一緒だったのはそこだけで、ミラは努力家であった。誰も知らない適性で、周囲の大人たちもどうも魔術士寄りらしいということだけは分かったものの、誰かが方針を決めればそこで固定されかねない。下手をすればミラの成長の道を誤り閉ざしてしまうかもしれない判断を誰もしたがらず、ミラは魔術士適性の仲間内で役立たずとして扱われ育ってきた。
「でも、姫騎士様が見つけてくれて──」
「ふふふ……だってあなたとても面白かったのですもの」
それはメイリーが公務と称してディエーラ近郊のダンジョンに潜りに来た時のこと。度重なる失敗で疲弊しきった部隊を休ませるためにディエーラにたどり着いたときに、メイリーははじめてミラと出会った。
「綺麗な街なんですよ。その近くの川にかかる橋で黄昏ていたのがミラで」
「黄昏てなんて……っ」
「打ちひしがれてたのです?」
「そんなことはないですよ……」
努力家でひとり。それにはカチュワのほうがシンパシーを感じてしまう。
「だからつい声をかけてしまって。道案内をお願いしたくって」
「迂闊でした」
「なんでミラちゃんのほうが迂闊だったのさ」
「そこまで知らない人の接近を許していたことがです」
「打ちひしがれてた……?」
さっきまでの少し寂しげな感じはどこに行ったのか、少し悔しげな顔で口を尖らせるミラからは不覚を恥じる色がにじみ出ている。
「声をかけられてあなた逃げようとしたものね」
「知らない人に話しかけられても相手してはダメって言われていたので」
「それで私が手を掴もうとして──」
その時もミラは霞のように消えて、掴んだはずのメイリーの手には不思議な感触だけが残っていたと言う。
「そんな技能は見たことがなかったですから。とても面白いって素直に思いましたわ」
消えたミラを見つけることが出来なかったメイリーたちは、ミラの背格好から聖堂教育の最中の歳だろうとあたりをつけ、翌日のうちに居場所を突き止めて再会している。
「ぼくの適性は“幻術士”。今はメイリー様にお誘いいただいて“国軍幻影騎士”の職についています」
「アイシャちゃんと同じただひとりの適性で、私の可愛い妹みたいなものですよ」
メイリーがミラの肩を組むとミラは嬉しそうにはにかみ、便乗したアイシャがそっと頭を撫でたところで無情にもその手は跳ね除けられた。
〜あとがき劇場〜
「おう、お待たせ」
「ああ、ルッツ……久しぶりだな」
「久しぶりって。べつにシャハルじゃ一緒に働いてるし、今だけだろハルバ」
「いや、いまもずっと読んでくれてるひとでも『誰?』ってなりそうだなって思っての代弁だ」
「そんな気遣いは悲しくなるからやめてくれ。男子ズのひとりって言えば分かるだろ」
「……作者ですら脇役すぎて、テオとどっちが弓で剣だったかなんて見返さないといけないのに、か?」
「やめてくれええっ『関西弁がダンで剣士。剣神にチクられることを危惧するのがテオで弓術士。あまり相手にしないでおこうなスタンスがルッツで剣士。そんな会話に入らなかったのはハルバで槍術士だ(本編引用)』だからっ」
「うわあ、読みにくっ」
「やめろ。割と気遣いの男ルッツだ。そのうち俺にもスポットが当たる日がきっと来るはずだから覚えておけよ」
「あまり男子が中心にやってくるとヘイトを一身に受けることになるからほどほどにな」
「ぐっ……なんだよ、まるで経験済みみたいな言い草じゃないか」
「いや、案外俺は無事らしい。クレール先輩はヤバいそうだが」
「たしかにあのひとはアイシャちゃんに近づきすぎだよな」
「それなんだ。俺がここでひとり似合わないバーボンでしんみりしてるのは」
「……たしかに酒場のカウンターだけど、それ黒糖ジュースだろ」
「大人なストレートだから許してくれ」
「甘ったるすぎるだろ」
「いま俺さ、アイシャちゃんたちと仕事に出てるんだ」
「なんだ、俺のヘイトを買う発言だな。お前はサヤちゃん推しだったんじゃ?」
「そのはず、なんだけどな。でもアイシャちゃんも見てるとその……」
「──これだから若いときに遊んでない男は」
「おまえも同い年だろ。しかもチェリーなのも同じでよ」
「そっ、そんなの分かんねえだろ?」
「まあ……でさ、アイシャちゃんとフレッチャちゃんのでこぼこコンビとは別に俺はカチュワちゃんとペアで」
「前衛だから仕事なら仕方ないし、別にそんなの聞かされても」
「たわわ、なんだ」
「──なにが」
「まあそれは置いといて」
「置くなよ、ほら戻したから話せ」
「ていっ」
「ああっ、ぶん投げやがった」
「というわけで同期のうち俺以外が例のチームの子なんだけどさ」
「まだなにかあんのか?」
「姫騎士さまと合流した」
「カルゴーシュ以来で、あのときだってお近づきになれたのはダンとハルバだけだったろ⁉︎」
「目を血走らせるな、こわい。それにさ……」
「ほかに何があんだよ」
「……ぼくっ子、登場した」
「このおおおっ、コロスっ、ハルバ、コロス!」
「やめろっ、人間に戻れルッツ」
「ふぅぅ、ハルバが俺をうらやま死させるために呼び出したのは理解した。ベイルさんと行動を共にするの大変そうだなって思って同情してたけど、帰ってきたら覚えとけ」
「気遣いの男だったんじゃなかったのか?」
「気遣いにもいろんな形があるだろうよ」
「まあ、その通りだよな。けどよため息も出てしまう俺の境遇も分かってくれ」
「分かりてえし代わりてえけど……そのうえでまだ何かあんのか?」
「……本編の俺の扱いが、つらい」
「いやいや、数だけ見ればハーレムだろ」
「なまごろし、ってやつだよ。しかもサヤちゃんがいないのに、とにかく俺が盛りのついた男子枠にされてさ……」
「ハルバ……」
「ルミちゃんも怖いし可愛いしでやべえしよ、さりげなく女の子たちにフォーカスするときは俺は外に追いやられてさ」
「飲もうっ、今夜は俺のおごりだ!」
「ルッツ……やっぱりお前は気遣いの男だよ」
「へへ、溜まってるもんきっちり吐いていけよな」
「ああ、ありがとう」
「おうよ、俺たちダチだもんよ」
「そうだな……そういやそのぼくっ子だけど、アイシャちゃんが俺たちを追い払って何してんのかなって思ったら、まさかの脱がし始めてな」
「おい、なんの話だそれ」
「いや……服は着てるんだけど、そのインナーシャツが……フルプレートメイルって暑いんだろうな。本編は夏だし。なんていうか透けてて……」
「本編にも描かれてない話⁉︎ まあ、今さら下着くらい……」
「ああ、蒸れるんだろうか、その、シャツの下は、だな……こう、ツンって」
「表出ろやあっ! そんで次話から俺と代われええっ」
「おおおい、気遣いのルッツ⁉︎」
「フシュルルルルル……」
「俺は、もしかしたらとんでもない魔人を目覚めさせてしまったのだろうか……」