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誘惑に抗うもの

「ひゃー、懐かし……ってほどでもないか」

「まだ1年も経ってないのですよ。それでもここでは色々あった気がするのです」

「ああ、工芸都市カルゴーシュ──俺も嬢ちゃんたちの活躍についてはシャハルでしっかり報告を受けているからな」


 昼はカチュワとハルバがその身で馬車を護衛し、夜はアイシャの持つ“呪い人形カーズくん”が活躍し、アイシャたちは危なげなくカルゴーシュの街にまで到着している。


「馬車にシャンデリア……それに姫騎士様との模擬戦とは、な」

(ハルバくんの槍も、なのですよ)

(それについては別に個人間の譲渡だから報告もしてないけど……一応内緒にしててくれ)

「了解なのですっ!」

「声でかっ」


 アイシャたちが聖堂教育の終わりを目前に訪れた修学旅行先であったここカルゴーシュでは、アイシャの後始末でたまたまそれなりの金額が動く取引が行われ、姫騎士の気まぐれではチーム“ララバイ”の面々だけが行き先に追加があったりと大人たちにとっては面倒なことしかなかった。


 とりわけ他の街に来てまでふたつの商取引をしたアイシャは、シャハルの外での評判も“下げる”ことになってしまっている。それは主に利益度外視の子どもを相手に競うハメになりかねない商業ギルドとそこに連なる商売人たちにであるが、その反面としてシャンデリアと馬車を買った人物と他にほんの少しのごく一部には好印象を与えてもいる。


 なのでここでのアイシャは商売の許可を得ることは難しく、アンケリアスの沼地の時と違い復興のためという名目の商いも言いつけられていないのだから、ベイルも毎度のような心労に見舞われることもない。


「この街では2泊することになっている。商業ギルドの都合らしいが、お前たちもゆっくり休むといい」


 工芸に強いカルゴーシュではシャハルの商業ギルドも色々と仕入れている。その色々の中にはその時の時勢や時節にあったオーダーメイド品もあり、今回の竜の卵に関して一任されてひとりで来ているネシティは目新しい何かがないかと探して見つけたなら買い付けの交渉も行う。行きで発注したものが帰りに手に入ればなお良しということだ。


「じゃあアイシャ、せっかくだし何か見ていこうか」

「私たち前回はゆっくり過ごせたとは言えないもんね。ルミちゃんも前回はお留守番だったし」

「そうねっ、嵐の予感がするわ!」

「カ、カチュワも行くのです」

「あっ……俺は……」


 こと戦闘において、仕事において女子であるカチュワとも当たり前に行動をともにし、楽しく会話をしてもいたハルバだが、やはりもろもろの経緯を考えるとアイシャたちとの行動を当たり前にするには躊躇われるものがある。ダンたちとも遠巻きに見ているのがほとんどであったのだ、そう易々と加われるとも思えない。


「ハルバくんも、行くよ」

「──うん、行こう」


 アホの子はフレッチャとカチュワに向けるのと同じ笑顔でハルバを誘う。


 年頃の男子のそんな考えはこの場では全くの杞憂であった。それは何も不思議なことではなく、今回のメンバーにアイシャに近づく男子を排除するタイプの仲間がいないから。フレッチャは色恋に疎いながらもアイシャにほのかな想いを抱いてはいるが、サヤのように近づく男子すべて滅するような信念と抱き合わせの想いではない。


 フレッチャとカチュワのふたりはマイムのように近くに男子がいるなら規制が入りそうな行動を取ったりはしないし、フェルパのように特定の誰かとセットになると化学反応を起こして不埒になりうる危うい存在ではない。


 だから、アイシャも気兼ねなくハルバを誘うことができ、ハルバも妙な気持ちになったりもしない。


「では大人たちは大人たちで──」

「だな」

「俺の行きつけの飲み屋が昼からやってるからそこいこうモブニ」

「奇遇だな、俺の行きつけも昼から飲めるんだモブイチ」

「……てめえらは仕事が先だ」


 大人のネシティとベイルはこの街のギルドに向かい挨拶がてら近況の情報交換がある。馬車の中でくつろいでいたモブリーズの飲み歩きは馬の世話を言いつけられて実行されたのは日も沈んだあとになってからのことだった。





「今日はどこに行こうか」


 翌朝、宿のロビーに集まった同期メンバーはこの日の予定の相談だ。すでにすっきりばっちり目が覚めているフレッチャに、私服選びに時間がかかったであろうカチュワ。休みなのに槍の手入れを始めているハルバと、どうにか起きてきたもののそれは寝巻きのはずである銀ぎつね着ぐるみパジャマ姿のアイシャ。というか枕を抱いてまだ半分夢の中だ。


 そんなアイシャの頭にしがみついているのがルミで、ロビーにくるまでの距離をアイシャの頭をつかんで向きを変えることで器用に進行方向の調整をしていた。


「昨日は結局食べ歩きばかりだったのです。なので今日は……食べ歩き……でも、やっぱり……」

「俺はちょっと用事があるから、今日は別行動するよ」

「そうか? じゃあハルバも気が変わったら合流してくれよな」

「おう。それよりもちゃんと──連れてってやれよ?」

「任せてくれ。何年アイシャと一緒だと思っている?」


 槍を磨くハルバは「それもそうだな」と納得してまだ目の開いていないアイシャを背負って宿を出るフレッチャたちを見送った。


 ひとりきりになったロビーで大きく息を吐くハルバ。


「……くっ、あぶねえ」


 槍の柄を磨く手がとまり、力強く握られる。ハルバは冷静さの下に油断すれば顔をだらしなく弛ませそうなほどの下心を隠したままにアイシャたちを遠ざけることに成功して安堵した。安堵して昨夜のことを振り返る。


 街から街への道中はいい。シャハルのオフで偶然出会うのもまあいい。けれど、男子部屋と女子部屋に分かれたものの、女子部屋からかすかに聞こえてくる声はハルバの夜を普通じゃないものにしていた。


 酒盛りをはじめて騒ぐおじさんズの輪には参加せず、女子部屋に1番近いベッドを与えられ、ひとりくつろいでいたハルバを襲った出来事は、カチュワの小さな悲鳴からであった。


 最初は部屋に虫でも出たのかと思ったハルバは目を閉じたままに寝るつもりであったが、おそらくは壁際のこのベッドにほど近い場所で女子たちも過ごしているのだろう声が断続的に聞こえてきてそれどころでは無くなった。


「ええい、良いではないか良いではないか」

「アイシャちゃん、ちょっ……」

「ママも好きよねぇ」

(……何が⁉︎)


 それはいつかのすずらんコテージで聞き耳を立てていた時のような幻聴ではなく、壁越しに小さく断片的に、しかし荒い吐息までもがハルバの耳に聞こえてくる。否、気づけばおじさんズに悟られないよう、頭まで布団をすっぽりかぶったうえでハルバは壁に耳を当てて全神経を集中させて声も物音も拾っている。


 隣の部屋でいったい何が行われているのか──。


「ひゃんっ⁉︎ そんなところ……」

「たわわに実らせちゃってさ」

「──そんなふうになってるんだな」

「まさに食べごろって感じよね」

(何を食べるんだって⁉︎)


 聞こえてくる声と物音から女子部屋は全員ハルバと壁ひとつ隔てたところに集まっているようだ。そんなところに固まっていったい何をしているのかとハルバの息は荒くなる。


「もう待てない……」

「アイシャちゃんはけだものなのです」

「言い方よ。けどアイシャもカチュワにこれ以上は……」

「そう? でも見てよ、剥いたらこんなにびちょびちょになるくらい汁が溢れてさ」

「わわわわわわわ」

「たしかにすごいな。こんなことになってるとは」

「ねえ、本当にカチュワちゃんはいいの?」

「んっ……カチュワは我慢できるのです……こんな夜中に……そんなのイケナイことなのです……っ」

「ほんとーに?」

「本当なので……んんっ⁉︎」

「嘘ばっかり。こんなに必死にねぶっちゃってさ」

「ママの指ってそんなに美味しいのかなー?」

「まああれだけ濡れていれば」

「ちがっ、そんなんじゃ……」

「ふふっ、綺麗に指を舐めまわしてくれたくせに嘘ばっか」

「アイシャ、代わろう。少し手を洗ってくるといい」

「そうなので……んんっ⁉︎」

「はぁ、カチュワは本当に辛抱強いな。そんなだと私も責めてみたくなるじゃないか」

「フレッチャちゃんまで指を入れて……っ、そんなにされたら我慢出来なくなるのです……もっと、もっとなのです」

「あふぅ……そんなに舐めまわされるとくすぐったい」

「ママだけじゃ足りなかったってことね。なんて贅沢さんなこと──」


 もはやハルバは体ごと壁に密着している。どうやらアイシャとフレッチャが拒むカチュワを責めているらしい。冷静なルミの声がいちばんはっきりと聞こえるあたり、壁の向こうすぐのところにいるのがルミなのだろう。ハルバが求める声はもう少し違う場所なのかもと壁に耳を当てた体勢で移動しようとしたとき。


「──ねえ、そう思うでしょ?」


 ルミの言葉は、確かにハルバに向けられていた。


(バレているバレているバレている……どうするっ、今から飲み会に加わって──っ⁉︎)

「だあーめ。誰かは知らないけど、今夜はゆっくりおねんねしてね」

(んなっ、これは──)


 気づけばハルバの体は壁から生えてきた蔓で縛られて動けなくなっている。ほのかに香る匂いは、甘い桃のようだと思ったところでハルバの記憶は途絶えた。


「朝になって起きたら蔓は枯れて、からだも自由になってたしベイルさんたちは床で酔い潰れてたし……待ち合わせの時間にロビーに来たら来たで──」


 朝の早いフレッチャはワイシャツとスキニーパンツというラフでシンプルな服装ではあったものの、それはすらっとしたボディラインがはっきりと現れた大人のスタイルで、次いで起きてきたハルバを含めてみんなをすでに待っていた。


 カチュワは豊満な果実を隠すかのようなふわっとした上着を重ね着したワンピース姿で、ここまでの道中を共に馬車を先導してきた無骨な戦闘服とのギャップで可愛さ5割増しな姿。ハルバのあとに来たカチュワは遅れたと思ったのか、屋内だというのに少し駆け足で近寄り果実を縦に揺らしていた。


 遅れてやってきたアホの子は、またもやいつかのコテージを彷彿とさせる朝の寝坊助パジャマ姿で、ハルバと目が合ったルミがにんまりと笑ったのを見て否応なく昨夜のことを思い出してすぐさま目を逸らした。


「そろそろ、大丈夫だ……」


 ハルバはゆっくりと立ち上がる。張り詰めたものなど何もないロビーで、それでもひとり緊張の糸は解けていない。


 槍はカモフラージュ。なんとなく手に持ってきていただけではあったが、座った正面に立てて磨くフリをすることで、誰にも悟らせることなくこの難局を乗り越えたのだ。


 もしそれがなかったなら、休日のラフでソフトな生地のズボンでは隠しきれなかっただろう。


「少し、寝るか」


 ルミの“魔改造バレリアンちゃん”の香りで強制的に健康的に眠らされたハルバは寝不足でもなんでもない。それでも誰に聞かせるわけでもない言い訳を呟きながら部屋に戻ったのは、彼が年ごろのごく普通の男子だからであった。



〜あとがき劇場〜


「なあルッツ、俺って実はあんまり大したことあらへんのかな」

「珍しく弱気だね。そりゃあ聖堂教育が終わって働きだしたら周りは先輩ばっかりで俺らが弱いのなんて当たり前なんだから気にすることはないんじゃないか? まあ弱気なダンを見れるのは面白いけど」

「俺らがおったころって、女子はサヤちゃんで男子は俺が1番かなって思ってたけどよ、大人になったら歳が違ってもひとまとめだからなあ」

「ダンは強いけど、ハルバとは結局引き分けてたんじゃない?」

「あいつは長物使って有利なんやから公平じゃねえよ。それになんか大事そうにしてたあの槍もかなりの業物なはずやで。見た目の軟弱さとは全然違うてめちゃくちゃ重かったからな」

「まあ武器種で有利不利はあるからねー」

「弓には敵わんわけやしな。武器種といえばよ、あのクレール先輩の弟……あいつに至っては剣闘士のはずやのに魔族相手に素手で健闘しとったな」

「そう思うとダンが凹んでるのって今さらじゃね?」

「そんなん言うなや。あれはその……あれや、血筋」

「うわー、絶対本人たちには言うなよ? ぶん殴られるからな」

「わあっとるわ。せやけど、あの弟くんが入ってくるまでには俺らも強くなっとかなあかんなとは思うわな」

「だね。けどダンが話したいことってそんなことじゃないんだろ? こんな河川敷で男ふたりで座ってさ……他はカップルばっかなのによ」

「……まあ、俺らももう大人なわけでよ、先輩たちとも混ざって仕事してさ」

「うんうん、最初に戻るわけね」

「せや。ほんでよ、やっぱ大人の……先輩の女のひととも一緒に仕事して、よ」

「なるほど、いきなり色恋は気まずいからちょっと見栄張った話の切り出しをしてみたら思いのほか現実は辛かったわけだ」

「……ほんで、その大人の女のひとってゆーんは、なんていうか余裕があるってか、俺を子ども扱いしてくるんだよな」

「あー、俺みちゃったわ。あの褐色美女にヘッドロックかけられて頭をワシワシされながら顔がニヤけてたダンの姿を」

「見られてたか。せやねん、あれがなー……なんていうか、もう……柔らかくってよ、いい匂いなんかして」

「そんなだから猿扱いされるんけだけども、悲しいかな遠目に見てて羨ましかったのは事実だわ」

「なあ、女のひとってよ……あんなに出てるとこは出てて……みたいな体してるんだよな」

「目覚めちゃった、うちのダンちゃんが目覚めちゃったよー」

「うっさいわ、親かよ。まあ、なんていうか俺らの青春って、だいたい鍛錬ばっかりでさ、同期の女子なんかも革鎧つけて汗まみれ泥まみれでさ。そんな子ども時代だったわけで」

「あの頃のダンは拗らせてたからなあ。今は逆サイドに拗らせてそうだけど」

「あの頃っていつのことやねん」

「それはもちろん“枕女”とか暴言吐いてた頃でしょー。たぶんそこそこにヘイト買ってたはずだよ」

「誰からのやねん、まったく。そんでそのまくら……アイシャちゃんらが俺らの青春の1ページだったわけでよ」

「なるほどなるほど。たしかにあの一件で絆されてからは軟派野郎に堕ちてった感じだよね」

「そこまでやあらへんやろ。……いや、セーフやろて」

「それで、その甘酸っぱい青春は何故か女子のサヤちゃんに負けたわけだよね」

「なんでやねん。いや、試合には負けたかもやけど、勝負には負けてへん」

「今の返しで、試合が女の子同士の友情で、勝負が恋愛関係だなんて誰も分からないよ」

「ルッツはさすが俺の理解者やな。せやけど、よくよく思えば別にあのアイシャちゃんにはこう……足らへんわけでよ」

「そこで褐色美女との比較になるわけだ。つまり色香が足りないと」

「せや。サヤちゃんはまだわかる。けどさ、俺らがすっかりハマってたアイシャちゃんって、何が良かったんやろな」

「目覚めちゃったよー。いいじゃないの、拗らせて恋愛なんて知らずに育ってきた生意気な男子にも優しくしてくれて簡単に恋に落ちるチョロキャラでもさ」

「やっぱそういうことなんやろな。今は先輩たちもおるし、なんなら同期の女子かて悪かないんやから」

「子ども体型まんまのアイシャちゃんでなくてもいいわけだ」

「言い方最悪やけど、まあ……そういうことかも、やな」

「認めたら問答無用でダンが最低人間だけどね。まあアイシャちゃんの魅力ってのはそういうとこ含めてだと思うけど」

「そんなん、もう分からんなったわ」

「まあ、年上ってのもいいと思うよ」

「応援、してくれるか?」

「仕方ないなあ。俺ら友だちだかんな」

「サンキューやで、ほんま」



「ママーっ、なんでぬいぐるみの中に入ってんのよ」

「これはね、パジャマじゃない着ぐるみなんだよ。だから外で着て歩いてても別に問題ないんだよルミちゃん」

「いっつも着ぐるみパジャマで外を歩いてるひとの言葉とは思えないっ。しかもなんで猫でキジトラで四つん這いなのよ」

「そりゃ猫になりきるんだから当然でしょ」

「四つん這いでお尻突き上げてフリフリしないのっ、はしたない! もうサヤちゃんも何か言って……って、こっちも猫ーっ⁉︎」

「アイシャちゃんとおそろい……アイシャちゃん、アイシャちゃん……にゃーっ!」

「ああっ、サヤちゃんが発情期に⁉︎ 助けてルミちゃんー!」

「もうっ、自業自得なんだからしばらくそうしてたらいいわ!」

「アイシャちゃんにゃー!」

「サヤちゃんにゃー!」



「……仕事終わりにあいつら元気やな」

「知ってると思うけど、アイシャちゃんはほとんど仕事してないようなもんだからね」

「……なあ、ルッツ」

「なに、ダン」

「やっぱアイシャちゃん、かわいいな」

「アホだけどね。ひとの目がある外で着ぐるみで戯れ合う女子はアホなんだけどね」

「でもま、癒されるっていうんかな」

「それは否定しない」

「やな」

「だね」

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今回はみかん回でした。 オレンジかも? たわわに実ったみかんの汁を舐って、夜中に食べる背徳感。 ハルバは何と勘違いしたのかな?健全なみかん回ですよ
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