勇ましき鳥ウラの魔物退治
これはお腹ぺこりーな鳥と、自由と未来の形を求める虫との物語である。
そして開幕早々に白く大きな虫は今まさに命の危機にあった。
「こここ、これは魔物の虫ですよ。しかもこんなに大きいなんて……食べ応えが……いえ、街の平和のためにも見逃すわけにはいかないですっ」
「ぴきゅーっ」
大きな青い鳥は目が血走っている。言ってることも職務と本能の狭間で揺れ動くほどに──白い虫から見れば正気を疑う様相である。
ウラの小さなクチバシからひと筋のよだれが地面へと伸びて、落ちる。白い虫は獲物を狙う鳥から後ずさって距離を取ろうとするが、ウラが翼を大きく広げて威嚇すると身を震わせて硬直する。これは捕食者と被食者の図式が成立したときに発動するウラのスキル“フィアソウル”だが、ウラ自身に自覚はない。
この時こそが勝機とばかりに“絶対食べるマン”ウラのクチバシからはよだれが洪水を起こして地面を濡らし、白い虫に度重なる危機の震えを与えたところで、動く。
「うらぁっ!」
「ぴきゅーっ⁉︎」
ウラの踏み込みからのつっつきはその全身で全力で行われる。しかし広げたままの翼は空気の抵抗を生み出し、両脚で鳥らしくぴょんっと跳んだ踏み込みからの食欲で力んだ胴と首では素早い一撃にはなり得ない。
──結果、取り逃す。
白い虫は間一髪のところでかわして、踏み込みすぎたウラの足元に体当たりをしながら強行突破する。もし虫が振り返り背中を向けて逃げ出していたならウラの追撃が襲っただろうが、勇気をもって行われたタックルはウラをこかせて倒し、離れることに成功する。
「いててて、なかなかやりますよあの餌は」
すでに餌呼ばわりされている虫は懸命に短い6本の脚を使って走っていく。3対ある脚の真ん中2本はどうも機能していないらしく、実質は4本だけで、薄く綺麗な羽も小刻みに動いてはいるが飛ぶには足りないようだ。
必死で逃げる虫は自分が何故襲われているのかわからない。確かに朝に鏡を見た時にその姿は確認しており、だからこそ朝の挨拶に訪れたウラを見て行動に出たわけだが、まさかここまで鳥だとは思ってもいなかった。
「ふっふっふっ……そんな鈍足でウラから逃げられると思っているなら甘いですね。その身も同じくらい甘いとウラは嬉しいのですけど──ねっ!」
「ぴきゅーっ⁉︎」
不穏な空気がその圧力を増大させたことに敏感に気付いた虫が振り返ると、青い鳥のウラがちょうど地面を蹴って空に舞い上がったところである。
くるりと後方宙返りを決めたウラは地面に着地することなく翼を広げて飛行する。地面と平行に、まっすぐに迫る青い矢。
「“ブルーバード・カノン”ですよっ!」
「ぴぴきゅっ!」
初出はフェルパと甲獣族の腹に突貫(墜落)したときの自爆技。ウラはその時に周りから強いと褒め称えられた快感が忘れられずに密かに自分の必殺技へと昇華すべく特訓を重ねていた。
羽ばたきは必要最大にして最低限。短い距離でも滑空からの加速により最高速に達したあとは翼を畳んで空気抵抗を減らし的を射抜く一本の矢となる。狙った的を外すことはない。このあたりの森の木々にはウラのクチバシによる穴がいくつも見られ、その数だけ成功してそれは自信となっている。
だが──。
「んぐっ、ぬけっ、抜けないです……っ」
「ぴきゅー」
相手は鈍足ではあるにしても動く的である。太い木を相手に練習を重ねただけのウラの必殺技など動く的相手には児戯でしかない。過去の栄光にすがり再現だけを繰り返したウラの突貫は翼を折りたたんで速さばかりを求めたために、鈍足の虫が少し横に転がっただけで容易く回避され、それどころかウラのクチバシは太く硬い木の幹に刺さってもがいている。
「んぐ〜っ! なんて硬い木なんですかっ! これではあの餌が逃げてしまいますっ」
実は魔族なりにそこそこ強いウラが全身で木を揺さぶりながらクチバシを抜こうと躍起になるが、今のところそれは叶いそうにない。むしろ顔からクチバシが取れるのではないかという不安に駆られるくらいには、ウラを焦らせ虫の追跡なども頭から抜けてしまいそうになる。
「んんんっ、もうっ、ウラは……」
「ぴきゅーん……」
「はっ! この虫は……待って、ウラはこの通り身動きが……ってわああああっ」
当然、そんな絶好の機会をここまで襲われて命からがら逃げてきた虫が見逃すわけもない。ウラの絶体絶命の危機ににじり寄った虫は、その口から真っ白な糸を吐きかけてウラを木の幹に縛り上げ固定してしまった。
「ウラをっ、ウラをどうする気ですかこの餌はっ⁉︎」
「ぴきゅきゅ〜?」
「ひっ、すみませんすみませんっ! えっと虫さんはウラを……その、食べるつもり、ですか?」
すでにウラの戦意は挫けて敗北を悟っている。硬い木の幹にがっちりとハマったクチバシは抜けないし、体は虫が吐き出した糸により木の幹に巻きつけられて動けない。ウラはこちらもクチバシのようにあがこうとしたが、体をよじったりすることも出来ないほどに、全く身動きが取れないことになっている。
固めたウラの体を糸の上から触れてくる感触。クチバシごと頭を固定されたウラは虫の姿を見ることが出来ないが、どうも微かに感じる気配はウラの体に虫が寄りかかり、登ってくるかのようで。
「ぴきゅ」
「ひええっ」
特徴的な扇形の触角が見えたかと思うとそのまま虫の頭がウラの頭の高さにやってきた。決して速くなどない歩みはそれでも木登りくらい簡単にこなせるらしい。
虫の頭はふわふわの白い毛に覆われており、つぶらな大きな瞳は真っ黒のなかに知性の光をたたえているかのよう。だけれどその口は噛みつきすり潰してじわじわと獲物を削り食べていくのだろうと思わせる構造をしている。
さっきからの「ぴきゅ」なんていう可愛らしい鳴き声も同じところから発せられていたのかと思うと、ウラはこれから自分の身に降りかかる運命に顔を青くさせるしかなかった。
「お父さん、お母さん……先立つ不幸をお許しください……顔も見たことないけど」
「──ぴきゅっ!」
遺言を口にする暇はこの先いくらでもあるだろうが、苦痛を与えられる前に冷静に考えられるのは今だけだろうと目を閉じたウラを襲ったのは、噛まれる痛みでも咬まれる頭痛みでもなく、頭を揺らす衝撃であった。
目の前に星がチラつくような強烈な痛み。脳がシェイクされ、真っ白に明滅する視界にはおでこを赤くした虫の顔があった。
確実に獲れる戦いで虫が行ったのは頭突きだったらしい。揺れる頭とチラつく視界に戸惑いながらようやくウラが虫の方を見ると、虫はそれだけをやってたどたどしい足取りでウラから離れていった。
「なんで勝てる戦いを……はっ、ウラのクチバシが抜けて自由ですっ! そうかあの虫は腹立ち紛れにウラの頭を殴ったものの、クチバシが自由になったウラに恐れをなして逃げていったのですね⁉︎」
さっきまでの至近距離で、お互いに狙い澄ました噛みつき対決なら、口の形状の違いと首の可動域が大きいことからウラが勝ってしまうことだろう。
そう考えてウラは勝利を実感する。一方的な捕食であったはずの白い虫との戦いは最後の最後に虫の凡ミスで終わったのだ、と。
「──でも、ウラは」
もう見えない虫の背中。もしかしたらあの虫はウラのことを助けたのかもしれない。それほどにウラが頭に受けた横からの衝撃は容赦なく、強烈なものだった。そんなことをせずに噛みつけば決着はついたというのに。
「あれっ⁉︎ なんだか体が動かな……ああっ、糸を忘れてますよぉっ! ウラを巻きつけた糸を……ほどいてくださいいい」
虫は走り去っていった。情けなく声を上げて呼びかけるウラの身が自由になったのは、ウラを縛り上げていた糸から魔力が失われてただの細い繊維の束になって溶けおちた、その日の夕暮れ時であった。
「あれ? サヤちゃんここにあった着ぐるみ知らない?」
「なんか白いあれ? そういえばいつからか見てないね」
「ママを閉じ込めた魔族の抜け殻を失くすとか、知られたら管理責任を問われて牢獄行きなんてことに──」
オルーガドラコのダンジョンでアイシャがアデルに詰め込まれた抜け殻は、母のリーシアにより何故か難なく救い出されたあと、サヤが試しに入ってみてサイズが合わないからと放置し、アイシャ本人も部屋のクローゼットに押し込んだあとはすっかりその存在を忘れていた。
「ルミちゃん、そんなことがあると思う?」
「さあ? 人間族の風習なんてよく分かんないし、もしかしたら抜け殻はお役御免で魔力の粒になって世界に還ったのかもね」
「それだっ! きっとそれよねっ、ねっ」
「そうだねー。私もアイシャちゃんが着てる姿を見たかったけど、消えたなら仕方ないよねー」
クローゼットから消えた抜け殻。
(ママはどうして抜け殻をストレージに入れなかったのかも忘れちゃってるみたいだけど……)
「ルミちゃん、せっかくの休みだしみんなと遊びに行くけど、一緒に行く?」
「いくぅ!」
アイシャたちも追いかけていくことはないようで、とりあえず人間族の街を無事に抜け出すことができた魔物の虫はこの先に何を見て何を手にするのか──。
〜あとがき劇場〜
「結局あの魔物の虫はなんだったのでしょうか」
「──虫を食べようだなんて、とうとう魔族の誇りも捨ててしまったのかい?」
「そ、その声は──ティールさんっ!」
「久しぶりだねぇ。アタイたちの群れを離れてどうしてるのかなんて思ったら、人間族の街を離れて虫食に興じているなんて」
「……ウラは魔族の鳥ですから」
「鳥の魔族、だろ?」
「それにしても“どうしてるか”なんて、心配してくれていたのですか?」
「バカを言うもんじゃないよ。そんなナリでもアタイらの一族なんだ。あのマケリとかいうのに迷惑をかけていたら承知しないよってことさ」
「うう……余計なお世話ですよ。ウラは上手くやれてますから」
「どうだかねえ。たった1匹の虫も仕留められないどころか、返り討ちにあってたじゃないのさ」
「なかなかに手強い敵でした」
「ふぅ、なんならアタイがお手本ってやつを見せてやろうか?」
「なっ、ダメです! あれはウラの獲物なんですから、絶対に手出し無用なんです」
「はいはい。それで、マケリのやつは元気にしてるかい?」
「えっと……変わらず元気のはずです。気になるならウラと一緒に行きますか?」
「馬鹿なことを。アタイらが行くときは街を落とすときだよ」
「そんなことはウラが許さないです」
「どう許さないって言うんだい?」
「えっとそれは……こうっ、こうです!」
「ふぁっさ、ふあっさと羽ばたいて何してるんだい。鳥のダンスなんて見てもアタイらには面白くもなんともないよ」
「ううっ、渾身の気迫を込めたはずなのに」
「その丸顔にまん丸つぶらな瞳で気迫なんて言われても、ねえ」
「虫には効いたのに」
「その虫だけどねえ。アタイらは虫を好んで食べたりはしないよ。それはアタイらの性質を魔族からただの鳥に近づけてしまうことになるからね」
「それってつまり?」
「アタイらだって種の進化の道半ばなんだよ。魔族としての矜持と存在を保っていれば強く気高くあれるけど、それを手放して鳥の真似事をしていたらいつかきっと、ただの鳥になっちまう」
「それは退化するってことですか?」
「性質がね、人間族よりも魔族として上位の存在でいられ、人間族にはない特徴を持った特別でいるためにも、アタイらはそんな鳥みたいな真似しちゃならないんだ」
「ウラは、ウラは……」
「──だけども、それを逆手に取って存在を偽る術にすることもある。新たな種の祖として、枝分かれした道を行くものとして託すために」
「そんなことがあるんですか」
「──少しお喋りが過ぎたみたいだね。アンタはせいぜい人間族の街で追放されないように足掻くことだね」
「むっ、ウラはちゃんとやれるのですよ!」
「はんっ! 間違ってもアタイらに処分されるようなことにはならないように気をつけることね!」
「──ウラは、きっとやっていけるのです」