大事なひとのためには時には非情になるのも必要
「うーん……なかなか取れないなあ」
「いくらママでも沸点低すぎない?」
お昼寝ギルドの長であるアイシャの仕事はここ3日ほど清掃作業ばかりである。
それは決して雑用ではなく、むしろ後片付けの類だ。簡素な机と椅子がいくつかあるだけの部屋はお昼寝ギルドの粗末さと比べればずいぶん上等ではあるが、この部屋がベイルの執務室であるならアイシャがしている清掃作業というのもひとつしかない。
「こんなに臭うなんて思わなかったし、こんなにしつこく残るなんてもっと思わなかった」
「私がママを起こす時なんてのは、ラフレシアちゃんを鼻のそばに持っていったり、抽出液を鼻の中に垂らすくらいしかしてないんだから」
「ちょっと待って、鼻の中に何を⁉︎」
「あの弾は試作品で、お外で遊ぶ……もとい役に立つのかって実験するつもりの、とってもこーい濃縮液をパンパンに詰めてたんだから。そんなのが弾けたら私でも簡単に取り除くなんて出来ないもの」
「私の試行錯誤の武器で遊ぶつもりだったの?」
「まあまあ……でも本当に短気すぎたんじゃないの?」
バケツと雑巾で拭けども拭けども臭いが内側から染み出して来るような部屋で、アイシャとルミはベイルから清掃を言い渡されている。
初日に臭すぎて逃亡し、翌日には換気と称してまた逃亡し、今は朝の集まりの時にベイルに捕まって扉とアイシャの腰をロープでくくりつけ軟禁されて仕方なく掃除している。つまり3日目ではあるが最初の2日間はサボりだった。
「魔力は……その魔核? 私から捧げたって言われても、そんなつもりなかったから返してもらいたいし、なにより──」
「皐月ちゃんがもしかしたら、その“預かりもの”かもってことよね」
「そう。なんだかんだ皐月ちゃんならあり得るなぁって。でもさすがに迎えにいかないと、相手は人間じゃないわけだし」
アイシャが保有していた大量の魔力を失ったのはその時に実感としてあるものの、皐月の所在までは分からない。地龍を呼んだあとに消えたように見えたときも、卒業式のあと外をふらついていた皐月にも、アイシャはその時まで気づくこともないほど、意識しなければ存在として感じられるものでもない。
ギルドカードから記述が無くなっても、いざ内面に働きかけてどこにも居ないことを確認しても、いつからと言われてはっきり答えられはしない。
そこに“預かりもの”の報せが来たのだ。皐月のことに気づく前なら魔核をエサに呼び出されたとでも考えたであろうし、なんなら大きすぎる魔力など不要だと知らんぷりしたかもしれない。
ただそれが皐月のことであったとしたなら。
「私はアデルに会わなきゃいけないのに、最初からダメだって分かってても聞きたい気持ちは分かるでしょ?」
「いつかのリコちゃんみたいなものよね。あの時はママがいたから、どうにか向かえたわけで……」
「うん」
「でも今回は最終的におじいやラプシスさんたちが代わりに行ってくれたんだから、それで良かったんじゃ?」
「ルミちゃん、それ本気?」
「うーん……ごめん。おじいたちは皐月ちゃんのこと知らないものね」
「そうなのよね」
アデル自身が特別強くても、人間族の中でとびきり強い剣神や、速さに特化しアデルの特殊な技能までをその目で見たラプシス、現代の英雄と呼ばれる男を揃えて向かわせれば万が一もある。
万が一の勝利。ラプシスはアデルの特性にも触れているし、魔力の扱いにも長けている剣神がいれば次は勝つかもしれないとなると、もしそこにアイシャの中に住んでいたようにアデルの中に皐月が居候していたなら、まとめて倒してしまう恐れがある。
そうなると果たして皐月は無事でいられるだろうか。
「こうしてる間にもおじいたちはギラヘリーに着いてるかも。そしたら……」
「でもアデルが立ち去ったあとの追跡はしていないって」
「ラプシスさんはドロフォノスさんの前任者って話じゃない。普通に捜すより効率のいい方法とか持ってるよきっと」
「ママ、そしたら私たちにできることは……」
「うん、そうだねルミちゃん。私たちにできること、それは……」
「「おじいたちが返り討ちに遭うことを祈るだけね」」
「──そんなふざけた祈りは俺が握りつぶしてやる」
「ぶはぁっ、くさいいいいいっ」
とっくに雑巾など放り投げて深刻な会話をしていたアイシャとルミが手を握って目をつぶったタイミングでアイシャの頭を強烈に締め上げたのは、とっくにシャハルを出発したはずのバラダーであった。
「ななな、なんでここに⁉︎」
「帰るはずがお前の仕掛けた臭い爆弾のせいで、乗ってきた騎馬には乗馬拒否されるし、馬車を手配しても近寄った時には馬が二本脚で立ち上がって逃げ出す始末で、帰るに帰れず今日だ」
「歩いて帰れば──いだだだだだだっ」
「それをドロフォノスが許さん。むしろお前たちを捕まえて臭いを取る手伝いでもさせろと言ってきてな。今朝も馬に振り落とされては仕方ないと、ここに来たら……」
「はなっ、離してっ! 頭の形が変わっちゃうっ」
「そうだよっ、ママの頭が脳みそのサイズにフィットしちゃうじゃないっ!」
「ルミちゃんその場合の私の頭のサイズはどうなるの⁉︎」
「どんぐり5個分っ!」
「人生でいちばんの危機だわっ」
「お前らといると頭がどうかなってしまいそうだ……」
アイシャの元から小さな頭がバラダーのアイアンクローによってそこまで小さくなると流石に小顔美人でもないだろう。むしろ顔はそのままで頭がどんぐりでは生きてもいないに決まっている。
ルミのポージングつきのサイズ判定にアイシャは怒るのも忘れて頭が痛いから離せと暴れ、バラダーもこれ以上はさすがに虐待になるかと手を離した。
涙目で頭をさするアイシャと甲斐甲斐しく撫でてやるルミを見て、バラダーは剣神から聞かされた話を確かめることが出来たとも思う。
(弱く、なっている。こいつの実力などはまともに見たこともないが、前はこんなことで本気で痛がるなんてことはなかった)
魔力の大半を失ってアイシャはこの世界の標準よりもずっとひ弱になっている。以前なら気安く頭を掴むことに対しての拒絶に近いリアクションが、今は言葉通り痛いことに対するリアクションである。
「──で、臭いを取ればいいの?」
アイシャもそろそろ掃除に飽きてきた頃合いで、試したいことがないでもない。クレールを汚した魔物の粘液はストレージに“それ”だけを取り去っている。ならば臭いも出来るのではと考えるのもおかしくはない。おかしいのはモノで試す前にヒトで試そうという思考である。相手が暴力局長だからかもしれないが。
「その前に聞かせてもらおうか」
「なにを」
「──サツキとは、誰だ?」
どこからだろうか。臭いに辟易したアイシャがルミと不安ごとの会話をしていた時にはすでにこの男は部屋に入っていたのだろうか。
「今さら隠すよりは──素直に協力を仰ぐほうがいいだろう」
「そこ超くさいんだよね」
椅子に座ってもまだ臭いだろうと、開け放たれた窓の桟に腰掛けて優しげなキメ顔のバラダーだったが、サボりまくった部屋のそんなところが掃除されてるはずもなく、お尻に新たなにおいを付けてバラダーはため息をついた。
〜あとがき劇場〜
「エルマーナさん、なんで局長はアイシャちゃんと仲がいいんでしょうか」
「局長の人の良さはあなたも知ってる通りよ。精霊術士がひとりしか居なくなったときに魔術士ギルドに統合しようって話も持ち上がったのに、いつかきっとって言ってエスプリ、あなたをギルド長に据えて存続させてたのだから」
「その節は本当に……」
「結局公にこそしてないけれど、その精霊術ギルドに同じ“地”の精霊を与えてくれたのもアイシャちゃんでしょ。どこから連れてきたのかは知らないけど、あなた以上に局長は強い感謝の気持ちがあるんじゃないかしら」
「じゃあ結構前からですよね……200話より前のサブタイトル「とんだ茶番』あたりですから」
「メタいな。まあ、局長とアイシャちゃんとの関わりっていうのはそれだけに留まらずたくさんたくさんあるからね」
「いつだったかアイシャちゃんを貰うみたいな発言もあったんだもんね」
「それの解釈は色々だけれど、局長は使いパシリにするつもりだったって釈明してるけど、今にも至るまでも誤解は解けてない節があるわね」
「局長って顎髭がダンディで年齢問わず女性からの人気が高いし、いちいち振る舞いがサマになってて黄色い声もしょっちゅう聞こえるのに、アイシャちゃんに対してはそのせいで少女趣味だったり、残念おじさんみたいな描写されがちですよね」
「結局局長が他のひとに対してよりもずっとアイシャちゃんに構ってるふうに見えるのは、そもそもアイシャちゃんが普通じゃない功績をあげてるからなのよね。それと同じくらい面倒ごとも引き起こしてそうなのが玉にきずって感じだけれど」
「アイシャちゃんの……たま……そうなんですよね、たまにアイシャちゃんの視線がこう、独特の光を帯びてるんですよね」
「私なんてこのあいだあの子の前に現れた時には全身を舐めるように見られた気がするわ」
「エルマーナさんの、全身……」
「なによ、エスプリ」
「だってそれはアイシャちゃんじゃなくっても分かるっていうか」
「ちょ、言いながらなんで私のローブを脱がすのっ⁉︎」
「だってほら、エルマーナさんってなんていうか、尊いんですよね。ここの曲線とかどうなってるんですか?」
「ギルドカードは肉体の筋肉みたいなステータスに置き換えるものはカードのシステムに収めるのに、お腹のお肉はそのままじゃない? だから運動不足になりがちな魔術士は別でカロリー消費したり、食事制限したり……ちょ、シャツをまくらないで⁉︎」
「ああ、それにいい匂い。ノームちゃんも直立して喜んでますよ」
「それはマイムと同じで魔力に誘われてるだけじゃ……ああっ、そんなとこに手を……あふぅ」