【番外編】はじめての年越し特別編
「明けましておめでとうございます」
「アイシャちゃん突然どうしたの?」
この日、街も寝静まった時間にサヤがアイシャに誘われて連れて行かれたのはシャハルの街を出た森の中にあるボロ屋である。
街の近くとはいえ、冒険者ギルドでの巡回業務でさえ見かけなかった廃屋ちっくな建物は、ガタつく扉を開けて中に入ると、土間があり、上がれば畳敷きで真ん中に囲炉裏があるのだからサヤにとっては初めて見るものばかりだ。
「まあ、年始の挨拶をするならって思って建ててみたんだけど、思ってた以上に出来上がりが古くなりすぎてどうしたもんかなーって思ってるのは確かだよ」
「古い、んだ。新築のはずなのに建物はボロボロだけど、こんなお部屋は見たことも聞いたこともないよ」
サヤが部屋を見渡すと、冬の真夜中に唯一の熱源であろう囲炉裏で火にかけられている鉄鍋には木の蓋がされていて、ぐつぐつと煮えているのがわかる。
「これって例のお鍋?」
「まあ、そんなもんかな。海のときにとっていた魚を使ってるよ」
「このルミちゃんも手伝ったんだから!」
「もちろんタロウくんもね!」
鍋から立ち昇る湯気からは食欲をそそるいい匂いがする。タロウくんに跨ったルミが探検だと走り去っていけば、残されたのはサヤとアイシャのふたりきりだ。
サヤはおもむろに立ち上がり、棚のひとつひとつを開けては何かを探し、押し入れを開けては布団の数も数えながらやはり何かを探してアイシャが座る隣に座布団を持ってきて座る。
「こんなところでアイシャちゃんとふたりきり。もうそれはそういうこと、なんだよね?」
「何がそういうことなのか分からないけど、お鍋がそろそろ出来上がるころだね」
サヤはこの空間の邪魔者の存在を確かめていた。引き出しのひとつにも、押し入れのどこにも、天井にも床下にも誰もいない。すでに家屋のボロさにあいた隙間にはパテを塗りこんで埋めているし、窓も扉も固めて開くことはない。
壁の外でルミの「あっれー、どこからも入れなくなってる?」という声が聞こえても気にしない。アイシャは食器を持ってきて並べるのに忙しいからサヤの工作に気づいていない。
(ああ、アイシャちゃんとこんなところで……今日私はとうとう……きゃーっ)
女の子同士のお泊まり会だとしてもサヤの頭の中がどうなっているのかは想像するだけ無駄である。基本的に描写してはいけないものばかりだからだ。
体をくねらせ、ひとりごとをぶつぶつ呟き妄想の世界に沈み込むサヤだが、現実の動きだってちゃんと把握している。
「あれ? アイシャちゃん食器が多いよ?」
「そりゃあ──」
「なのですっ!」
ずぱんっと固めたはずの扉を開けて入ってきたのはカチュワだ。
「カチュワちゃんっ⁉︎」
「アイシャちゃん、お誘いありがとうなのです。けどこの扉は建てつけが悪くなってるようなのですよ」
「あー、じゃあちょっと直そうかな──」
「アイシャちゃんは続けてくれてるといいよっ! 私がやっとくから!」
「そう? じゃあサヤちゃんお願いね」
サヤはカチュワにも座布団を用意してそこに座って待つようにと座らせると、ひとり扉の加工をしていく。修理ではなく加工。隙間を埋めるパテと蝋。それに合わせて釘もいくつか打っておくことを忘れない。
「カチュワちゃんも呼ばれてたんだね」
「そうなのです。リコちゃんがギラヘリーに帰ってしまったので、鍋パをするにも場所を用意しなきゃってアイシャちゃんがここに建ててくれたのです」
「ふーん、そうなんだ」
思いがけずふたりきりではなくなってしまったことにサヤは少なからず落胆しているが、それでも呼ばれてきたのがカチュワならまだいい。というかむしろもっと楽しめる可能性すらある。
以前にギラヘリーで泊まった際にはサヤはカチュワとだって楽しい夜を過ごしたのだ。そのカチュワが加わって、押し入れの布団で……。
「ぶふっ⁉︎」
「サヤちゃんっ⁉︎ 大変なのですサヤちゃんが鼻血を……っ」
「大丈夫? ティッシュどうぞ」
「ありがとうアイシャちゃん……ん、もう大丈夫」
「両方の鼻の穴に詰めたティッシュがみるみるうちに赤く……大丈夫なのです? 先に帰るのです?」
「大丈夫っ! 私のこれはいつものことだから!」
「それはそれで心配なのです」
サヤにとってこの状況は悪くない。それに囲炉裏の火は思った以上に小屋を暖めて、今なら少し暑いくらいだ。この鼻血とて暑さにのぼせたと言い訳することは容易い。
アイシャがよそってくれるご飯はかまどから出てくる。ひとつ、ふたつと受け取り運ぶカチュワが戻ってみっつ、よっつ……。
「あれ? アイシャちゃんご飯が多いよ?」
「そりゃあ──」
「あたし、参上」
サヤがしっかり固めたつもりの扉が難なく開けられている。今この時まで誰にも気づかれない仕事をやってのけたのは、魔杖を手に入れて魔力操作が格段に上手くなったマイムだ。
「マイムちゃんっ⁉︎」
「アイシャちゃんに呼ばれてきた。扉も固かったけど、釘が邪魔してるのが分かったから、抜くよりも火の魔術で溶かしてみた」
「そうだったんだ。じゃあまた修理を──」
「アイシャちゃん、私にやらせて! アイシャちゃんは続きを……」
「そう? じゃあそうするかなー」
サヤはやってきたマイムも座布団に座らせてカチュワとくっつけておく。案の定、マイムは餌を与えられたウサギのごとくカチュワにかぶりついている。
そのすきにサヤは扉を普通に修理した。同じ手を何回も繰り返してアイシャに疑われては困る。ちゃんと扉が扉の機能を持つように、しかしそこはサヤ。悪あがきは忘れない。
「アイシャちゃんの匂いが部屋に満ちている……」
「マイムちゃんの鼻は何を嗅いでるのかな」
ご飯を並べ終えたアイシャは、押し入れの布団に顔を埋めるマイムを捕まえて座布団に座らせている。
(アイシャちゃんの匂い……)
当然サヤも押し入れを開けた時に気づいていたが、さすがに我慢していた。サヤのいじらしい常識人なところを取り除いたようなマイムの出現はサヤとしても困ったことである。
アイシャとマイムの肉体的接触回数はサヤの調査でもそれなりの回数に上る。それすなわちアイシャの取り合い合戦勃発──!
「カチュワちゃんで我慢する」
「ちょ、マイムちゃんそこは入るとこじゃないのですぅ」
「あったか〜」
杞憂であった。
(マイムちゃんはそうだった……基本的にはもう誰でもよかったんだった)
カチュワでもフェルパでも。おそらくはまだフレッチャには手を出していないのは予想でしかないが、このメンツならカチュワを差し出しておけば争いにはならない。
ニヤリ、とサヤが頭の中で絵図を描いている間にアイシャが小皿に用意した漬物を並べていく。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ……。
「あれ? アイシャちゃん漬物が多いよ?」
「そりゃあ──」
「アイシャ、ルミが困ってたぞ」
「ママー、入り口が分からなくなった」
マイムが匂いを嗅いで開きっぱなしの押し入れのその天井から降りてきたのはフレッチャだ。
「フレッチャちゃん⁉︎」
「鍋パは楽しみだったからな」
「あーっ、もう出来上がりじゃない⁉︎」
「扉も直してくれたし今は普通に入って来れるはずだけどね」
「う、うん」
軽やかに押し入れから無作法な訪問を果たしたフレッチャはマイムに襲われているカチュワに泣きつかれてなだめて、ルミは早速とばかりにタロウくんとともにアイシャの肩に止まって手伝いをはじめる。
「マイム、悪ふざけもほどほどにしないと」
「む……ごめんやり過ぎた」
「……べ、別にそんななのです」
「もう少しだけ嗅いだらやめる」
「ふっきゃーなのですぅ」
カチュワが少し気を許すとまた繰り返そうとするしつこさはあれど、咎められて大人しくなる相手はここでならフレッチャだけだろう。つまり、不埒は厳禁なのかもしれない。
サヤ、窮地に立たされる。ここに誰が現れようともなし崩し的に事に及ぶのは難しくはなかったはずだが、フレッチャは至って真面目だ。みんなで同じベッドで寝たこともあるが、その時でさえ健全そのものであった。それにはチーム“ララバイ”の良心ゲストのリコの存在が大きかったわけだが、フレッチャも負けず劣らずの存在である。
「アイシャ、私も手伝おう」
「そう? じゃあ上の器とってくれない?」
「これか?」
「もう少し右の……」
「これだな」
「そうそう」
「アイシャ、少し届かないんだが……」
「えー、じゃあ肩車しよっ。私が上に乗るから」
「いいぞ。さあ乗ってくれ」
「よいっしょ……重くない?」
「大丈夫だ。アイシャこそ怖くないか?」
「うん、もーまんたい。あっバランスが」
「もっと脚を閉じて大丈夫だぞ。その方が安定するだろうし」
「じゃあ遠慮なく」
「う、うん」
アイシャの太ももがフレッチャの頭を挟み込む。安定を求めて下っ腹と頭の密着度も高まる。揺れればアイシャがフレッチャの頭にしがみつく。
サヤがよだれを垂らしそうになるシチュエーションだが、かぶりつきで見ていると気づくことがある。
(あれ? フレッチャちゃんの顔が赤く……もしかしてフレッチャちゃん……)
アイシャの脚を握る手が離すまいとしっかり抱え込み、フレッチャの口から熱い吐息が漏れる。
となるとまだサヤにチャンスは残っている。アイシャを独り占め出来ないとしても、フレッチャを巻き込んで戯れることは可能。
目的の器を取ることができ、アイシャを下ろして名残惜しそうにするフレッチャ。そこに割って入ったサヤがアイシャの手を取り、フレッチャの手と重ねて、まとめてサヤの胸に抱える。
「ふたりとも寒くない?」
「もうすぐ終わるから、そしたら火にあたりにいくよ」
「ああ、ありがとうサヤ」
ニコリと微笑み、サヤは確信する。フレッチャちゃんも同志である、と。
サヤの目はフレッチャの眼球の動き、喉元のわずかな血管の脈打つ様子を捉え、さりげなく触れた手首は高鳴る鼓動を確認し、鼻はフレッチャの吐息に含まれるトキメキ成分の増大を検知し、耳がフレッチャの「アイシャといっぱいあんなことやこんなことや……ああっ」という思念を捉える。
もちろん思念に関してはサヤの妄想だが、ことアイシャが絡むことに関しては常軌を逸した能力を発揮することがある。
この集まりに関しての1番の障害は取り払われた。むしろ取り込めた。だからサヤが修理と称して引き戸を勝手に仕組みを変えた開き戸を、迷いなく外側に開いてフェルパが現れても動じない。
「みんなもう集まってたんだね」
「フェルパちゃんいらっしゃい」
「待ってたよー」
そう、サヤはフレッチャを取り込めた時にフェルパも来てくれればなおよしと思って待っていた。この流れでフェルパだけ誘われていないなんてことはなく、相変わらずぬいぐるみを抱いて、外の冷たい空気の中を歩いてきたフェルパが小屋の温もりに顔を赤らめて、ぬいぐるみをぎゅっと抱きしめる仕草にマイムが覆い被さることまで織り込み済みだ。
「マイムちゃん、苦しいぃ」
「よいではないかよいではないか」
フェルパを畳の上にいつの間にか敷いた布団に連れ込み襲うマイム。もこもこコートから見える生脚が力無く抵抗しようとするフリだけ見せて、マイムにされるがままになるフェルパは、実のところマイムの行動をコントロールしている。
カチュワのように激しく抵抗すればマイムは燃えてさらに強引に迫ってくるが、フェルパのように控えめに、少しどうかすれば無理矢理にどうとでも出来ると思わせる程度の抵抗と頬を赤らめて視線をわずかに逸らすテクで半ば受け入れる素振りを見せれば、マイムは萌えて悶えて逆に紳士になる。
「はいはーい。お戯れはごはんの後にしてよね、まったく」
「ルミちゃんの言う通りだよ。ここにはみんな鍋パで集まってもらったんだから!」
配膳もおわり、みんなが集まって座れば、囲炉裏の周りは肩寄せ合い触れ合う中で鍋が開かれる。
「あれ? こんなきのこ入れたっけ? こっちの魚も……」
「私が追加したよ! せっかくなら豪勢にしたいからさっ!」
そう言ってサヤにウインクするルミ。サヤにはそれだけで伝わる。
この花の性霊もまた同志なのだと。
サヤの鼻は鍋から立ち昇る香気に気づいている。汁に含まれるであろう催淫作用にも気づいている。それらがルミが帰ってくるまでなかったものであるということにも……。
「じゃあいただきまーす」
「いただきまーす」
手を合わせて、みんなで食べる鍋はとても美味しく、小屋も体も暖めて雪降る外の景色を眺めては体寄せ合い、手を絡めるチーム“ララバイ”。
「お雑煮もできたよ」
「ありがとうサヤちゃん」
そして日付が変わる。新しい年が訪れる。
「みんな、明けましておめでとう」
「おめでとう」
「今年もよろしくね」
「なのですっ!」
「よ、よろしくぅ……ふぎゅっ」
「ああっ、フェルパがっ」
「やばっ、少し効きすぎた⁉︎」
今年も彼女らは変わらない仲で変わりゆく日々を過ごしていく事だろう。
大人になって自制心も芽生えてきた彼女らがそのあとどんな夜を過ごしたかは──。
〜あとがき劇場〜
「なんやあいつらゾロゾロと……」
「ちょ、ダン──これってマズくないか?」
「なにがやねん。俺たちが夜勤やっとるときに、女子たちが集団で抜け出してるんや。もしかしたらとんでもない企みでもあるんかもしれんねやで?」
「とんでもない企み──⁉︎」
「おう。テオもルッツも、これまであいつらが揃って出掛けたら何があった?」
「何がって……」
「俺ら別にそんな知らないしな」
「使えんなあ、お前らそんなんでこれからやってけんのか?」
「いやいや、女子の動きを逐一把握してるほうが普通じゃないでしょ」
「そうそう。それにダンって元々アイシャちゃんを『枕女』とかいって邪険にしてたくせにさ」
「ぐぬぬ……若気の至りってやつや。ええか、ベイルさんや局長さんがあいつらの動きに目を光らせてるのは、何かしら問題を起こすからや。それを同僚の俺らが未然に止める。なんも悪いことやない」
「まー、それは確かに」
「けどとんでもないことって、実際何なのか分かってるの?」
「それをやっ、これから見に行くんやないけ」
「うぅ〜っ、季節ものぶちこむ都合で、本編が夏だったのにいきなりの冬だから寒くてたまらん」
「ルッツは何を言ってるんや? まあええ、あいつらが行ったのはこの先やっ。ついてきぃ」
「ダンは細かいことは気にしないからなあ。ちなみにテオはどう思う?」
「どうって……実際寒いし、こんなのはじめてなわけだけど、それもそのはずで、第一部の時は春から始めて年を越す前に締めくくったわけで、新年の挨拶のための番外編は描かれることがなかったから、今回どうするか悩んだ結果、らしいよ」
「お前らお喋りもええけど、見えてきたで」
「何あの建物」
「木の板で作られた屋根に土壁、ガラス窓はなくって、木の蓋みたいな窓?」
「なんやええ匂いするやんけ。美味そうな……ちょっと覗いてみるか」
「気をつけろよ。花の精霊は怒らせたらヤバいからな」
「わあっとる。ここの隙間から……えっ?」
「何が見えるんだ、ダン」
「フェルパちゃんがマイムちゃんに襲われて……」
「ちょっ、交代交代っ!」
「うわなんや、テオお前そんなパワーあったんか?」
「うおおおっ……」
「テオテオ、どうなんよ?」
「カチュワちゃんとフレッチャちゃんが……うわぁ」
「テオ交代っ!」
「うぬぐっはあっ! おまっ、本気で蹴った⁉︎」
「ななななななななななっ」
「どうしたんやルッツ⁉︎」
「サヤちゃんがそんな……大胆なっ!」
「お前ら、ここで何してるんだ?」
「あっ、ハルバ。ちょうどええ、お前もここから──」
「あらいらっしゃい。招待状はお持ち?」
「うっ、花の精霊……」
「ルミちゃんだよっ! それでさ、招待状はお持ち?」
「招待状招待状……たしかテオが持ってたよな?」
「なっ、ダンきたねえっ」
「ダンそれはダメやで」
「ぐっ……なあ、ここはその、見逃してくれへんか?」
「ふふ、ルミちゃんは優しい花の精霊だからねーっ」
「ほんまに、たのむでな」
「まあ、何を見たのか知らないけど、これで仕上げだよー」
「ぐはっ、なんやこの匂いは……」
「頭がふわふわする」
「寒いはずやのに体が火照って……」
「ちょ、俺はこいつらと一緒じゃあ……っ」
「ハルバくんも、友情は大事にしないと、ね?」
「ぐっ、あああっしんぼうたまらんでえっ!」
「ダンっ⁉︎」
「それはどこにも需要ないんだ! 少なくともこの物語のターゲットには特に!」
「うわぁ、朝までには醒めることを祈ってるよ」
「ルミちゃん、外に何かいたの?」
「ううん。ちょっと盛りのついたお猿さんが4匹ほどいたから、都合のいい幻覚を見る匂いと、発情する匂いを混ぜて無力化しておいただけ」
「なにそれ怖い」