男の影
「アイシャちゃんはあれから職業体験はしているの?」
食堂のいつもの窓際の席。アイシャの向かいにはサヤとフレッチャが座っていて今日はみんなハンバーグの定食だ。
「ううん。あれきりだよ。もしかしたらお昼寝士ってのは孤独な職業かもしれないね……」
以前の狐狩りのときに結局寝て囮になるだけで“狩り”をしなかったアイシャは割とすねていた。その反面、職業体験などではなく自分の都合でマケリとともに向かった地這鳥狩りは、きっと冒険者ギルドが得意とするやり方とは違ったものだろうが、内緒の巨大鶏コカトリス退治を含めるとそれなりに楽しかったのだ。
学校よりプライベートのほうが楽しいのはその子どもの感性や向き不向き、友だち関係などによるのだろうが、アイシャは学校行事の職業体験にさほどのときめきを感じることもない。
そして窓の外を眺めて黄昏ている雰囲気を出してみるのだが、サヤたちからは“お腹膨れて眠いのかな”としか映っていないのがお昼寝士の悲しいところだろうか。
「やいっ、お昼寝士! にいちゃんに何したんだっ」
そんなお昼を邪魔するかのように、いつぞやぶりにやってきたアルスがアイシャに木刀を突きつけて因縁をつけてくる。ここはご飯を食べる食堂であるにも関わらず、兄ともども常識を疑う行いである。
人が黄昏れるのに忙しいときに、なんなんだこいつはと不機嫌になるアイシャ。半分ほど意識が空に昇ったままのアイシャは、前世ではお馴染みの絡まれる光景についつい手が出てしまう。
アイシャの眼前に突きつけられた木刀を手で上からはたき、足で軽く蹴れば未熟なアルスの手を離れ、くるくると宙を舞ってアイシャの手に収まる。
リズムよくアイシャに奪われ逆に木刀を向けられたアルスはすでにびびって腰が引けてしまっている。この上級生は非戦闘職どころか寝るばかりの謎適性の子どもなのに、幼いアルスでは勝てる気がしないほどに技量の差を感じてしまう。
「……だれ?」
「そこからかよっ!」
それでも気丈に強気なツッコミを入れれるあたりアルスはやはり生意気な男の子である。
「アイシャちゃん、ほら……クレール先輩の」
「あー、弟くん」
「やっと思い出したか!」
ずっと思い出そうとして出てこないアイシャはサヤの助け舟でやっと思い出した。その当人のアルスはアイシャが覚えてくれていたことで、ここに来たときの勢いは消えて嬉しそうにしている。
(さっきのアイシャの動きはなんだったの?)
(昔から不思議な子だからねぇ。変な体操とかもずっとしていたし)
ひそひそと話しかけるフレッチャの疑問に“不思議な子”というひと言で片付けるサヤ。
変な体操は非常にゆったりとした型の動きで、サヤも戯れに一緒にやっていたりしたがアイシャはそれについて説明もしていない。そしてそれは今もって休みの日に続けていたりする。
「で、クレール先輩って人の弟くんが何の用なの?」
最期のハンバーグを口に入れてパンでソースを絡めとったアイシャは話を戻す。これだと何気にクレールとは面識のない口ぶりである。
「なんかちゃんと覚えているのか不安になる言い方だな。いや、にいちゃんは今はギルドで魔物退治をしてるんだけどモテモテなのに彼女を作らねえから何でってきいたらよ。『あのお昼寝士が聖堂教育を終えるのを待っている』とか言うもんだから、お前が何か知ってるだろうって」
サヤとフレッチャの顔色が僅かに変わる。そんなふたりが何か言う前に、アイシャは残った人参のグラッセをフォークで突き刺してアルスの口に優しく差しいれる。
「んぐっ⁉︎」
「ちゃんと普通に話せるんじゃない。ちなみにそんな話は私は知らないから」
「う、うん」
はからずも年上の女の子に食べさせてもらったアルスは照れて素直な子になってしまう。もちろん取りわけ用のフォークなどあるわけもなく、トレーに食べたいものを取ってカトラリーもその時に合わせて載せて来るのだから余分に用意したフォークでもない。つまりは間接キスでもある……が、さすがに8歳の男の子にそんな邪な知識はなく、サヤたちもアイシャも今のところ頓着ない。
(生意気な男子も黙らせる一手。アイシャは男子のツボを心得ているんだね)
(そんなのは心得なくていいんだよぉ)
フレッチャはアルスのトキメキに嬉しそうにし、サヤは異性のライバルが現れたのかと不安になる。普通にしていれば女子たちの憧れの的筆頭のクレールの、その弟だ。大きくなればさぞいい男に育つのかも知れない。
サヤはアルスに“あーん”をしたアイシャを見て、その顔が実に満足そうであることに不安は募っていく。
当のアイシャはまだ苦手な人参を処理できたうえに“お姉さん”な雰囲気を出せたかなと、小さな自尊心を満たして喜んでいただけであったが。
この回は冒頭の職業体験はしていない、というところだけで、アルスとの関わりはしばらく放置されます。
物語中の数少ない男子ですが、今後どれだけ絡みがあるのか。
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