春の誘惑
「フレッチャちゃん、起きて。もうご飯の時間だよ」
「んー、あと5分」
「(あ、これ起きないやつだ)おっきろおぉぉぉっ!」
結局成り行きで添い寝となったことにアイシャも嫌な気はしていない。むしろそこにある他人の温もりが愛おしくて、いつもよりもずっと深く心地よいお昼寝だったことは間違いない。
それでも寝てるだけのアホの子はお腹もすく。ましてこのフレッチャは誤ってあらぬ方向に飛ばした矢を探しに来ただけのはずだ。本来の目的がアイシャの布団にあるとはいえ、周りにはそう告げているのだからいい加減に帰さないと色々とまずいであろう。
サヤとの待ち合わせもあり、ガバッと立ち上がったアイシャが掛け布団を捲り上げたあとにあったのは、下着姿で丸まるフレッチャの寝姿。
「ひゃああっ⁉︎」
(どうしてこうなった……)
まさかお昼寝士として寝て過ごすのが信条のアイシャが他人を起こしにかかるなんて。しかもお昼寝の自由さで負ける日が来るなんて。
「アイシャ? おはよう?」
「疑問系なのはこっちだよ。もうお昼の鐘が鳴ったあとだよ」
その事実にフレッチャは慌てて服を着る。ベッドの下に落ちている服を拾って着ながら、本当に分からないという顔つきでアイシャに尋ねる。
「なんで私は裸なの?」
「いや『私も寝る』とか言い出してその恰好で入ってきたのはフレッチャちゃんだよ」
決してアイシャが剥いたわけではない。腕から始まりフレッチャがずるずると吸い込まれるように腰までが布団に入ったあたりで、みずから脱いで潜り込んでいた。
アイシャの同級生ではあるが身長165cmにもなるフレッチャが入って丸まるといつのまにかアイシャは隅に追いやられて、仕方なくフレッチャを抱える形でアイシャも丸まっていた。
そんな事実もお昼ごはんの誘惑の前では何の意味もなく、服を着たふたりは急いでお昼寝館を駆け降りて行った。
「アイシャちゃん遅いよー」
「ごめんごめん、ちょっとゴタゴタしてたから」
食堂で合流したサヤとアイシャはその日の日替わりの豚骨ラーメンを持っていつもの窓際の席についた。
「そういえばね、午前中なんだけど弓の練習してるクラスでフレッチャちゃんが行方不明になったんだって」
「ゴフッ」
「え、大丈夫? アイシャちゃん」
「……うん、変なとこに入ってみたい」
軽く咳き込むアイシャはそれでも平静を装う。この幼馴染にフレッチャとのことが知れたらどういう反応をされるか分からない。
「そうそう、そのフレッチャちゃんの矢がね、変なとこに飛んでったみたいで探しに行ったっきり帰ってこなかったんだって。あのあとどうしたのかなあ」
「……変なとこに這入ったんじゃない?」
「なにそれ変なの。アイシャちゃんもそれ、ふふっ」
アイシャの鼻から出てきたネギに笑うサヤ。この話はそのまま終わりそうであると安心するアイシャ。
「いやー、参ったよ。こってりと絞られちゃった」
「豚骨なだけに?」
遅れてラーメンを手に珍しく合流してきたフレッチャにアイシャはつい素のリアクションを返してしまう。弓のクラスに顔を出してからやってきたフレッチャは軽く息を整えながらアイシャの隣に座る。
「本当それだよねー」
「あれ? アイシャちゃんとフレッチャちゃんてそんなに仲良かったっけ?」
スープをすくったレンゲを片手にガタンっと座ったまま動揺するアイシャ。
「いやー、アイシャの布団が忘れられなくってご一緒しちゃった」
アイシャはビクーッと反応してレンゲの中の湖が大波を立てて暴れ出す。
「ご一緒?」
「矢が飛んでったことにして見に行ったお昼寝館のベッドが気持ち良さそうだったから、つい潜って一緒に寝てたら気づけばお昼っていうね。むしろ鐘の音に気づかなくてアイシャに優しく起こされるっていう」
ラーメンをつまみあげたフレッチャは笑いながら言うがサヤの目は笑っていない。
「でも私いつの間に服を脱いでたのかな」
涼しげな顔で豚骨ラーメンをすすり始めたフレッチャと対照的にサヤは泣きそうな顔でアイシャを見る。
アイシャは俯いたままレンゲを口に運ぶがその中の湖は既に干上がっていて、ついでに喉もカラカラになっていた。